第17話 異変


「ねぇ、汐里しおり見なかった?」


 客人たちの朝食の膳を下げて夏乃なつのが厨房に戻ってくると、睡蓮すいれんがパタパタと駆け寄ってきた。


「あっ、そう言えば裏庭の隅にいたような気がする。回廊から見ただけだからわからないけど、男の人と話をしてたみたいだよ」

「昨日の人かしら? ねぇ、見に行きましょう!」


 睡蓮はキラリと目を光らせると、夏乃の腕に自分の腕を絡ませた。


「邪魔しちゃ悪いんじゃない? やめようよ」

「大丈夫よ、ちょっと見るだけだもの」

「えー」


 睡蓮に無理やり引っ張って行かれ、夏乃は睡蓮と二人で裏庭の井戸の影に身をひそめる羽目になった。

 汐里と男はまだ話をしていた。何の話をしているかまでは分からないが、クスクス笑う汐里の声が聞こえる。


「あの子ったら……」


 睡蓮は低い声でつぶやくなり、すっくと立ち上がった。そのままつかつかと二人の方へ歩いてゆく。


(見るだけって言ってたのに……)


 夏乃は慌てて睡蓮を止めようとしたが、それより早く睡蓮が声をかけてしまった。


「ちょっと汐里、私たちだけに膳を下げさせて酷いじゃない!」

「あ、睡蓮……ごめんなさい」


 睡蓮の出現に戸惑った汐里が言い訳の言葉をさがしていると、隣にいた男が庇うように前に出た。


「すみません。私が汐里さんに声をかけてしまったのです。お許しください」

 背筋を伸ばしたまましなやかに礼をする様子は、まるで貴人のように上品だ。

「私は通訳として同行した、雪夜ゆきやと申します」


 にっこりと微笑むその顔は、確かに噂通りアイドルのようだ。

 睡蓮はたちまち頬を赤らめて自分の名を名乗り、雪夜に積極的に話しかけたりしている。

 夏乃はなんだか面倒くさくなって、こっそりとその場を離れた。



 〇     〇



 二晩目の宴が始まった。

 夏乃たち侍女は、厨房と大広間を何度も往復して食べ物や飲み物を運んだ。


「今日も何事もなく終わるといいわね」

 厨房で睡蓮がそう言った。


「うん、そうだね」

 夏乃がうなずいたところへ、汐里がやって来た。


「睡蓮、夏乃、今朝はごめんなさいね。これ、お詫びの印」

 汐里は、夏乃と睡蓮に黒いものを一粒ずつくれた。

「お腹すくでしょ? 少ないけど食べてね」

 そう言ってまた走って行ってしまう。


「これは何?」


 夏乃は、汐里がくれた3センチほどの黒い粒をつまみ上げた。少しべとべとしているけれど、干した果物らしいことはわかる。


「知らないの? 干しナツメよ。異国の商人が来た時しか手に入らない高級品なのよ! きっとあの人にもらったんだわ!」


 睡蓮はなぜかぷんぷん怒っている。


「あの人って、雪夜さん?」

「そうよ。私たちと同じただの侍女の汐里が、干しナツメを手に入れられる訳ないんだから!」


 睡蓮はそう言うと、パクッと干しナツメを口に入れた。


「甘ぁい!」


 両手で頬を押さえている睡蓮を見て、夏乃は干しナツメを懐にしまった。甘いものは好きだけど、残念ながら干果の類はあまり好きではないのだ。


「お酒の追加お願いします!」


 厨房の人に声をかけ、夏乃は新しい酒壺を持って大広間へ戻った。

 大広間に集った客人たちは、昨日と同じように楽しそうに飲み食いしている。異国人は皆かなりの大酒飲みらしく、酒壺は何度運んでもすぐに空になってしまった。


「そんなに美味しいのかな?」

 匂いを嗅いでみるけれど、あまり美味しそうな匂いはしない。

「どうせ未成年だしね」


 何度目かの酒壺を持って行くと、上機嫌だった男たちの半分くらいが寝落ちしていた。でも、月人つきひと冬馬トーマと船長だけは、まだまだ飲めそうな顔をしていた。

 壁にもたれて待機していたはずが、少しウトウトしてしまったのかも知れない。夏乃がハッと飛び起きると、広間は異様なことになっていた。


 見渡す限り、広間にいる全員が眠りこけていた。

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