第三章 刺客

第16話 異国からの客


 異国の船が港に着いたという知らせが来たのは、翌日の昼近くになってからだった。

 どんな船が来たのか気になってソワソワしていた夏乃なつのは、裏庭の外側にある一番高い木によじ登って、海の方を眺めてみる事にした。


「ねぇ、どんな船が来てるの? 見える?」


 木の下で、睡蓮すいれんとその相棒の汐里しおりがぴょんぴょん跳ねている。


「あっ、黒っぽい船が見えるよ。他の船がちっぽけに見えるくらい大きくて立派な船!」


 夏乃は木の枝の上で立ち上がり、手のひらをかざして日差しを遮りながら港に浮かぶ大きな船を眺めた。

 屋敷の方から港に向かって歩いていく人たちの姿が見える。お客様を出迎える人たちだ。その先頭には、ベールのような青い薄布を被った人がいる。


月人つきひとさまだ!)


 以前、貝割り作業をしていた時に紅羽くれはが教えてくれた噂────〈銀の君〉は布で顔を隠しているという話────は本当だったのだ。

 今朝、夏乃が朝餉の膳を下げに行くと、月人の衣装と一緒にあの青い布が用意されていた。布の使用法を尋ねると、月人は髪と瞳を隠すのだと答えた。


『王宮に住んでいた頃から、私は常に布で顔を隠していた。人に非ずと言われ、忌み嫌われていたからだ。この色を隠すよう幼い私に言い聞かせたのは、私の父だった』


 月人の告白は衝撃だった。

 なんてひどい父親だろうと夏乃は憤ったが、この島に来てまで髪や目を隠す必要があるだろうかと疑問に思った。


 あれから毎日、夏乃は月人に血を提供している。だから、月人はここしばらく黒犬の姿にはなっていない。

 旧知の間柄だという異国人に会えることを、月人はとても喜んでいたし、彼らの前では被り物は被らないとも言っていた。

 それでも、たくさんの使用人がいる場所で、彼が素顔をさらすことはないのだ。


 夏乃はとても複雑な気持ちだった。

 月人は王さまの腹違いの弟だ。兄が王位についているなら〝人に非ず〟と言った父親は既に王位を退いているか亡くなっているのだろう。腹違いの兄も異国の血を厭っているのかも知れないが、月人はそんなに忌むべき存在だろうか。誰も美しいとは思わないのだろうか。


(この世界の人たちと、美的感覚が違うのかな?)


 夏乃が物思いに耽っていると、下から厳しい声が聞こえてきた。

「何をしているのです! もうすぐお客様が来るのですよ!」

 木の下で睡蓮と汐里たちが侍女頭に叱られている。


(うっわ、やばい)


 どこに隠れようかとあたふたしていると、侍女頭が上を向いた。

「夏乃、あなたもです。降りていらっしゃい!」

「……はい」


 夏乃がすごすごと木から下りると、睡蓮と汐里はもういなくなっていた。

 侍女頭の目がキラリと光った。


「着物を直しなさい」

「はいっ」


 木に登るため、着物の裾をたくし上げて帯に挟んでおいたため、とてもはしたない姿になっている。いつも厳しい侍女頭だが、今日はいっそう視線が鋭い。


「お客様は宴の時間までお部屋で休まれます。お客様が宿泊される建物はわかりますね?」

「はい、わかります!」

「睡蓮と汐里にも言いましたが、各部屋にすぐお茶を出せるように準備しなさい」

「はい、すぐにやります!」


 夏乃は答えるなり、大急ぎで駆け出した。




 異国からの客人は、三十人ほどの団体だった。それでもまだ船に残っている人たちがいるというのだから、本当に大きな船なのだと感心しつつ、夏乃は船に残ってくれた人たちに感謝した。

 三十人でも多過ぎるのに、これ以上はさすがに面倒見きれない。


 客人用の建物には大から小まで十部屋ほどあるのだが、少ない使用人たちではお茶を出すのも一苦労だった。何しろほとんどの客は言葉が通じないのだ。

 五人の侍女たちで何とかお茶を配り終え、使用人の食堂に戻って来た夏乃は、大きなため息をつかずにはいられなかった。


(よく考えたら、何であたしは、この国の人たちと普通に話が出来るんだろう?)


 今まで疑問に思わなかったのは、この世界で生きていくことにいっぱいいっぱいで、単に気づかなかっただけなのだろうか。


「お疲れ、そっちのお客様はどうだった?」

 お盆を抱えて睡蓮と汐里が戻って来た。


「うん、話しかけられて困ったよ。言葉が通じないんだもん」

 夏乃はぐったりと食堂の椅子に腰を下ろした。


「汐里のところに通訳の人がいたから、わたしも助けてもらったのよ。ね、汐里」

「ええ。すごく親切な方だったわね。背が高くてなかなか男前でしたわ」


 汐里はすっかりポーッとなっている。


「ふーん、よかったね」

「夏乃って、本当に殿方に興味がないわね」


 睡蓮がバカにしたように言う。


「べつに、いいじゃない」


 夏乃を含めた五人の侍女たちは同じくらいの年頃のせいか、食堂で顔を合わせると自然にそういった話になる。調理場の誰それがカッコイイとか、白珠取りの男の人の体が引き締まっていて素敵とか、まぁいろいろである。

 彼女たちが、いついかなる時も、しっかりと男の人を見ていることに夏乃は感心したが、正直興味はなかった。自分が別の世界の人間だからかも知れないが、元の世界でも同じようなことを遥香によく言われていた。


(あたしが気やすく話せるのは、ハクくらいだもんな)


 珀は大男の割には見た目もまあまあカッコイイ。でも、そんな気分にはならない。


「でもさぁ、異国人って若い頃はカッコイイけど、年取ると髭もじゃで嫌よね」

「確かにそうね。船乗りって荒くれ者っぽいし」


 いつの間にか異国人の話になっていたが、これには夏乃も同感だった。


「船長さんもすごい髭だったよ」

「嫌よねぇ。これから毎晩宴だなんて、お酒飲んで暴れたりしなきゃいいけど」

「本当ね」


 侍女たちはみんな心配していたが、宴は思ったよりも健全なものだった。

 大広間は日本旅館の宴会場のように、床に直に座る形式だった。三十人の客たちは、いくつかのテーブルに別れて異国の言葉で語り合い、勝手に盛り上がってくれたので、侍女たちはただひたすら食事や酒を運ぶだけで良かった。

 ちなみに異国の酒だという赤ワインのようなものは、彼らが厨房に樽ごと持ち込んでくれたらしい。


 大広間の上座にあたる場所には、月人や冬馬トーマと一緒に、髭もじゃの船長とその側近らしき男たちが集い、何やら楽しげに話をしている。

 仕事の合間に、夏乃は月人たちに近い壁ぎわに控えていたけれど、何を話しているかさっぱりわからなかった。


(月人さまでも、あんな顔して笑うんだな)


 いつもどこか悲しそうな表情をしている月人が、とても自然な笑みを浮かべて楽しそうに話している。きっとこの商人たちは、月人の母親と同じ国の人間なのだろう。

 そう思うほど、彼らはまるで久しぶりに会った親戚同士のようだった。


(あーあ。お爺ちゃんどうしてるかなぁ……)


 意識的に考えないようにしていたけれど、さすがにこの時ばかりは、祖父のことを考えずにはいられなかった。

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