第14話 お腹の薬


 夜中。騒がしい物音が聞こえて、夏乃なつのは目を覚ましてしまった。

 戸を閉めた部屋の中は真っ暗なのに、廊下を走る足音や話し声がうるさいほど聞こえてくる。

 二度寝する気にもなれず、首をひねりながら起き上がる。上掛けにしていた着物を羽織って廊下に出てみると、戸板に乗せられた睡蓮すいれんが部屋から運び出されるところだった。


「ねぇ、どうしたの?」


 もう一人の意地悪娘、汐里しおりを見つけて声をかけると、彼女は不安そうな顔で答えてくれた。


「睡蓮、夕方からお腹が痛いって言いだして、何度もかわやへ行ってたの。夜には下痢も止まって横になったんだけど、痛みが治まらないみたいで……」

「えっ、お腹が?」


 自分もお腹が弱いこともあって、夏乃は思わずお腹に手をあてた。腹下しの辛さはよくわかる。


「それじゃあ、お医者さんに見てもらうんだね?」

「はっ? 違うわよ! 流行り病だと困るから、お屋敷の外へ連れ出されただけよ!」


 怒ったように叫ぶ少女を、夏乃はポカンと見返した。


「外って……どこ?」

「たぶん、お屋敷の外にある納屋だと思う」


 眉を寄せた汐里は、つぶやくように答える。


「薬は?」

「薬って、あなた何言ってるの? そんなもの、使用人にくれる訳ないじゃない」

「そんな……」

「医者に診てもらったり薬が飲めるのは、ほんの一握りの人たちだけよ。あなたがどこから来たのか知らないけど、それが常識なの!」


 気がつくと、廊下にはもう誰もいなかった。

 睡蓮は外へ運ばれ、騒いでいた人たちもそれぞれ床についたのだろう。汐里も自分の部屋へ戻ってしまった。


(ずいぶん冷たいんだな。それとも、そんなに薬が高い国なのかな?)


 夏乃は呆然としたまま自分の部屋へ戻ったが、とても眠れそうにない。布団の上に座ってこの国の常識とやらを考えてみる。


 日本の歴史上、一般に向けて薬が販売されたのは江戸時代と言われている。薬草の知識がある者は、それ以前から薬を使っていたと思うけれど、そうでない者たちの間では、一種のまじないめいた健康法が横行していたという話も聞く。


(たぶんこの世界は、江戸時代以前の文化しか持ってないんだ。やばいやばい……)


 夏乃もあまりお腹が強い方ではない。それほど頻繁に腹を下す訳ではないが、時たまひどい腹痛に襲われることがある。だから常に薬を持ち歩いているのだ。


「あっ……あるじゃん薬!」


 今は取り上げられているが、リュックの中を改めた時、昔ながらの胃腸薬の小瓶がポーチに入っていた。


「こんなに食べ物も生活環境も違う場所に来て、あたしったら、今までよくお腹を壊さなかったよね」


 夏乃は部屋を飛び出して、三階建ての御殿へ向かった。

 御殿の入口には警備の兵が二人立っていて、手にした槍のような物をクロスさせて夏乃を止めた。


「何者だ?」

「あたしは夏乃と申します。お願いします、冬馬トーマさまに取り次いでください。急用なんです。あたしの荷物がどうしても必要だと伝えてください!」


 夏乃は回廊の床に正座して訴えた。


「こんな夜中に取り次ぎはできぬ。明日の朝出直して来い」

「それじゃ遅いんです! 今すぐ必要なんです。お願いします」

「だめだ!」

「ダメ元でお願いします!」

「何を言っているんだ。ダメなものはダメだ。帰れ!」

「そこを何とか!」


 夏乃が両手をあわせた時、御殿の入口の扉が開いた。


「何の騒ぎだ?」

 出てきたのは、夜着姿の冬馬だった。

「はっ、この娘が冬馬さまに取り次いで欲しいと騒ぎまして」

「冬馬さまっ! お休み中すみません!」


 夏乃はこのチャンスを逃すまいと声をかけた。


「うるさいと思ったら、やはりおまえか。何の用だ?」

「はい。あたしの荷物が大至急必要なんです。あの中にお腹の薬があるはずなんです。それだけ貰えれば、あとはまたお返ししますから!」

「なんだ、腹を壊したのか?」

「あたしじゃないけどそうなんです! お願いします冬馬さま!」

「まあいい、そこで待っていろ」


 思ったよりすんなりと、冬馬は夏乃のリュックを持って来てくれた。

 夏乃はリュックの中から目的の薬を見つけると、お礼もそこそこに走り去る。


「まったく、騒々しいやつだ」


 冬馬がリュックを手に御殿の中へ戻ると、廊下の奥に月人つきひとが立っていた。


「夏乃が来ていたのか?」

「はい。腹を壊したらしく、薬がほしいと言って来たので渡しました。例の小瓶に入った丸薬でしたが、以前調べた結果、毒物ではありませんでしたので」

「そうか。大事無ければよいが」

「あれだけ元気そうなら大丈夫でしょう。月人さまが心配される必要はありません」

「そうだな。確かに、いつも騒がしい娘だ」


 月人は噛みしめるようにそう言って、静かに笑った。

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