第13話 月人の憂い


「そなた……ここへ来てどれくらいになる?」


 ハクが持ってきてくれた肉入りの根菜スープをすすっていると、向かいに座る月人つきひとが口を開いた。彼は朝餉をきれいに食べ終えてお茶を飲んでいる。


「ええと、この島に来てからは、たぶん十日くらい経ってると思います」


 木のスプーンを止めて、夏乃なつのは顔を上げた。

 自分の正面に人間の月人がいる。目に映る美麗な姿には正直まだ慣れていない。


(この人、また黒犬になっちゃうのかな?)


 映画なんかだと、狼人間は月を見てから徐々に狼に変化へんげするが、月人は一瞬で姿が変わるのだろうか。

 見てみたいような、見たくないような、複雑な気持ちが夏乃の心に浮かんでは消えてゆく。


「十日か。それなら、私の噂も聞いているだろう?」


 月人はクスッと笑った。その微笑はなんだが自虐的で、夏乃の心に影を落した。


「はい。魔物だとか妖だとかいう噂なら、確かに聞きましたよ。布で顔を隠してるっていう噂もありました。どうしてでしょうね? みんなは月人さまがこんなにきれいな人だって知らないから、聞こえてくる噂を信じちゃうんでしょうか?」


 実際、黒犬に変化へんげするなんて噂は全く聞かなかった。要するに、みんなは出所の分からないいい加減な噂を信じているのだ。


「この顔は、きれいか?」

「きれいですよ。初めて月人さまのお顔を見たのは人形の方でしたけど、本物の方がやっぱりきれいですね」


 夏乃は思わずニヘラと笑ってしまったが、聞こえてきたのは、月人の暗く沈んだ声だった。


「そなたは、気楽でいいな」

「えっ?」


 何か悪いことでも言っただろうか。


「月人という私の名は、そもそも〝人に非ず〟という意味だ。私は生まれた時から人間あつかいされてはいない」

「そんな訳ないですよ。きっと月みたいにきれいだっていう……」

「私の姿を見て、そなたは何も思わないのか? 私はこの国の民とも、我が母と同じ血を持つ冬馬トーマたちも違う」

「それは……」


 夏乃も不思議に思っていた。

 月人の姿は、この国の人たちはもちろん、明らかに異国人だとわかる冬馬や珀たちとも違っている。


「その辺のことは、あたしにはわかりませんけど……月人さまのお母さんは異国の方なんですよね? あたしが住んでた世界には、一つの国にいろんな民族の人が住んでる所があって、その人たちの子供は、親とは別の色を持って生まれることも少なくないそうです」


 慰めとかではなくて、夏乃は本当にそう思っていた。


「単一民族でも、大昔に他民族と結婚していた場合、先祖返りっていうか、ごくたまーにですけど、そういうこともあるみたいですよ。月人さまも、そういうのじゃないですか?」


「……そなたは、気楽でいいな」

 月人は先ほどと同じ言葉を口にしたが、今回は呆れたような表情を浮かべていた。


(さっきよりはマシだけど、何か暗いんだよね、月人さま)


 呪詛が解けても、自分は人とは違う魔物なのだと月人自身が思っているように見える。

 夏乃は肉入りの根菜スープを最後の一滴まで飲み干すと、今まで聞けなかったことを聞いてみることにした。

 姿勢を正し、両手を膝の上に置いて、腹に力を込める。


「あのっ、こんなこと聞いちゃいけないのかも知れないですけど、月人さまを呪ったのは誰なんですか? あたしも無関係じゃないですし、一応知っておきたいと思うんですけど」


 宝石のような紫色の瞳を正面に見据えながら、夏乃は質問した。


「そなたは本当に変わった娘だな。人と言うものは、面倒ごとにはなるべく関わりたくないと思うのが普通ではないのか?」


 答えたくないのか、月人は別の質問を返して来た。


「そりゃまぁ、そうなんですけど……何て言うのかな? 敵が誰なのか知らないでいるのは、何か気持ちが悪いんですよ。さっきも言ったけど、あたしはこの島って言うか、この世界に来てまだ十日くらいなんです。知っているのはこの島のことだけで、月人さまの事も、そう言えば珀が王弟殿下だって言ってたなってくらいで、本当に何も知らないんです。月人さまを呪ったのがこの島の人なのか、それとも別の場所にいる人なのか、せめてそれだけでもわかったら落ち着けるんですけど?」


「ああ、なるほど」

 月人の秀麗な顔が、一瞬ぽかんとしてから納得したようにうなずいた。

「夏乃は不安だったのだな。それもそうか。自分の故郷とは全く違う異界に飛ばされて、仕えた先が私のような呪われた男の屋敷では、不安にもなるだろう。大丈夫だ。わたしを呪ったのはこの島の者ではない」


「ってことは、知ってるってことですね? どこの誰なんですか?」

 畳みかけるように聞き返すと、途端に月人は眉間の皺を深くする。


「確証が無いことを軽々しく口にすることは出来ない。そもそも、そなたは知る必要のないことだ」


 まるで部外者のように撥ね除けられて、夏乃は一瞬ムッとしたが、言い返すことは出来なかった。

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