第12話 異界の血


 ハッと目を覚ますと、夏乃なつのの周りには、ハク冬馬トーマと、人の姿に戻った月人つきひと(もちろんちゃんと服を着ている)までが、長椅子の前に膝をついて心配そうな顔をしていた。


「え、ええっと……また気を失っちゃったみたいですね。すみません」


 寝かせてもらっていた長椅子から体を起こして、夏乃は頭を下げた。


(どうして、また気を失ったんだろう?)


 昨夜は、黒犬に飛び掛かられて気が動転していたところに、人の姿に戻った月人(裸体)に腕の傷を舐められて、頭がショートした。でも、今朝は準備万端だったはずだ。

 血を提供する気は満々だったし、月人の着物も用意しておいた。椅子に座っていたから、押し倒されてもいない。


「あの、あたし、どのくらい寝てました?」

「ほんの半時ほどだ」


 夏乃の問いに答えてくれたのは冬馬だ。

 その隣では、月人が紫色の瞳を陰らせてシュンとしていた。黒犬の姿なら、きっと耳が垂れているだろう。


「……すまない。私のせいだ。昨日の今日だというのに、そなたの血の匂いを嗅いだとたん我を忘れてしまったらしい。その……身体の具合は大丈夫か?」


 心配そうな顔で見下ろされて、夏乃は少しだけドキッとした。美形のアップはめちゃくちゃ心臓に悪い。


「大丈夫ですよぉ。眩暈とかもありませんし。どうして気を失ったのか不思議なくらいです」


 動揺を誤魔化すために、夏乃は元気いっぱいの笑顔を浮かべた。

 ヒラヒラと手を振ってから、左手の薬指に白い布が巻かれていることに気がついた。誰かが手当てしてくれたらしい。


「夏乃も元気そうだし、珀、厨房へ行って、何か食べる物をもらって来てやれ」

「はい」


 珀が一礼して出て行こうとするのを見て、夏乃は慌てて立ち上がった。一瞬くらっとしたが、何とか踏み止まる。


「待って、あたしも一緒に行くよ。どうせこの後、侍女頭さまの仕事をしなくちゃいけないから!」


 よろよろしながら歩き出すと、後ろから腕を引かれた。

 グラリとよろめいて後ろへ倒れた拍子に、夏乃の後頭部と肩が固いものにぶつかった。


「その手で掃除は無理だろう。今日は休んで良い。珀、取って来てやれ」


 頭の上から月人の声が降ってくる。

 流れる銀糸がサラサラと夏乃の鼻先に落ちてきて、夏乃は恐る恐る顔を上に向けた。すると、ちょうどこちらを見下ろした月人の瞳と目が合ってしまう。


 けぶるような淡い色の睫毛に縁どられた、透き通った紫色の瞳。まるで本物の宝石のようにキラキラと煌めいて美しい。


(瞳って、こんなに綺麗なんだ)


 美し過ぎて、月人の瞳から目が離せない。


(やっ……やばっ。アイドルとか全然興味なかったけど、推し活する子の気持ちが少しわかった気がする!)


 あまりにも長く見つめていたせいなのか、月人の瞳が困ったように瞬いた。

 夏乃は慌てて首を元の位置に戻した。


(あ、上向き過ぎて首が痛いっ)


 後ろ首を手でさすりながら、夏乃はそっと月人から離れた。そして、平静を装って月人に向き直る。


「月人さまこそ、何か食べた方が良いんじゃないですか? 朝餉は食べましたか?」

「いや……まだだ」


 月人は恥ずかしそうに頭を掻く。


「なら、食べちゃってくださいよ。あたしのことならお構いなく。珀が戻って来るまでここで待たせてもらいますので」


 さっきまで寝ていた長椅子に夏乃が座ると、月人はテーブルを挟んだ向かいの椅子に座って朝餉を食べ始めた。


 白くて長い指が箸を持ち、食事を口に運ぶ。

 人形で見慣れているとは言え、動く姿は初めてた。


(きれいな食べ方だな……ああ、そう言えばこの人、王弟なんだっけ?)


 この世界のことを、夏乃はまだ何も知らない。辛うじて知っているのは、この島のことだけだ。


 紫色の染料と真珠の島────白珠島。

 この島に住んでいるのは、魔物と噂される王弟月人。

 呪詛を受けて黒犬の姿にされてしまっているけれど、本来は紫の瞳と銀の髪を持つ美丈夫だ。その髪色のせいなのか〈銀の君〉と呼ばれている。

 別の場所にいる王は、魔物と噂される腹違いの弟を厭ってこの島に遠ざけたらしい。


(……まさか、王様が呪ってるんじゃないよね?)


 考えた途端に訳の分からない悪寒がして、夏乃は背筋を震わせた。

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