第35話 我慢

「ユリのことなんだが・・・今度、長期の海外ロケが決まりそうなんだ。短くても半年は行ったきりになる。一応ユリには断ることも可能であることは伝えたんだが・・・」

「ユリはあなたのことを考えて断らないでしょうね」

ジヘは微笑みながら言った。マネージャーも苦笑しながら

「そう思うか?私は今回ばかりは違う気がするんだ」

「違うと言うと?」

「まあ、何があっても大丈夫なようにしておくのがマネージャー業というものだ。心配かけてすまんな。でも、ジヘ、何かあったら協力してくれ」

「・・・まあ、ユリのためなら協力しますよ」

ジヘは笑顔で答えた。ジヘが去った後、マネージャーは何かを考えていた。


ユリはマネージャーからの連絡を受けて悩んでいた。今回はかなり大掛かりな撮影である。マネージャーにとっても大切な仕事だというのはわかっていた。今までお世話になったマネージャーのためにも出演するべきだと思っている反面、本木と結婚を進めるためにも離れていたくはないという気持ちの間で揺れ動いていた。そんなユリの手を本木が優しく握りしめて聞いた。

「ユリさん、どうしたの?」

「うん・・・ちょっと仕事で・・・」

「何があったの、僕達の間には隠し事はなしだよ、何でも話して」

優しく微笑みながら話す本木に対して、ユリも正直に今思っている気持ちを話す。本木はユリの話を黙って聞いていた。ユリの悩んだ顔を見て本木は微笑みながら話し出す。

「ユリさん、その仕事受けなよ!僕なら大丈夫だよ」

「えっ?」

本木の言葉にユリは驚く。本木は続けて

「今までだっていろいろあったけど、結局は二人一緒にいるじゃない?僕達は運命で結ばれていると思うんだ。だから、半年ぐらい離れていたって、どうにかなる間じゃないでしょ」

「でも・・・ご両親にもご迷惑じゃ・・・」

「そんなの気にしないで、勿論、僕も両親も君に会えないのは寂しいけど、でも一生離れ離れになるわけではないから。こっちのことは気にせず頑張ってきなよ!」

ユリは本木の優しさに触れ、瞼に涙を溜めながら答える。

「ありがとう。撮影のあい間でも時間があったらすぐに帰って来るから・・・」

本木は微笑みながらユリに近づき、いたずらな顔をして

「僕のこと忘れちゃだめだよ」

と、言った。ユリはその冗談に泣き笑いし、軽く睨みながら答える。

「あなたこそ、浮気しちゃだめよ!」

「それはどうかな?」

「ああ、本木さん!ひどい!」

「冗談だよ!」

ユリは本木の頭を叩こうとして追いかける。二人はふざけあってお互いの辛い気持ちをごまかしていた。


本木は一人でタバコを吸っていると、悦子が通りかかる。

「あれ、珍しいわね、タバコなんて吸って」

本木は悦子に微笑むと、黙ってタバコを消す。悦子も本木の様子がおかしいことに気が付き、本木の前に座る。本木は遠くを見つめながら話し出す。

「母さん・・・相手の幸せのためなら、時には自分の気持ちを我慢することも必要だよね?」

「相手って、ユリちゃん?」

「一般論として」

悦子は本木がユリのことを言っていることに気が付いていたが、わからない振りをして答える。

「そうね、一般論として、今まで自分の気持ちを我慢し続けてきた二人には、時として自分の正直な気持ちを言うことも必要だと思うけどね」

本木はゆっくり悦子の顔を見る。悦子は続けて

「お互いのことを優先して考えることは素晴らしいわ。でも、それだけでは本当に幸せになれないこともあるの。自分がこうして欲しいと言わなければ、相手にもわからないこともあるわ。本当の気持ちを言う勇気を持ちなさい」

悦子は笑顔で本木の手を握り去って行った。残った本木は独り言のように呟く。

「自分の本当の気持ちを言う勇気か・・・」


ユリはマネージャーに仕事を引き受けることを回答した。本木の両親にも海外ロケの話をし、準備のために一旦韓国に戻ると伝えた。純一と悦子は必要なものはこちらで用意するから、ここに滞在するよう引き止めた。ユリもその好意をありがたく受け止めることにした。ただ、本木は本当の気持ちを伝えることを出来ずにいた。ユリの前ではいつもと変わらずに笑顔で出発の手伝いを続けた。


出発当日、マネージャーとジヘが日本まで迎えに来ていた。

「わざわざありがとう。ジヘさんまで」

「いいや、ジヘも今回、一緒に行くからな」

「そうなんだ、ユリ、よろしくな!」

「こちらこそ、よろしく」

二人は握手すると、ジヘは真面目な顔で言う。

「本当に本木さんは心配していないのか?」

「うん・・・大丈夫よ。彼も賛成してくれたわ」

「そうか・・・とりあえず、俺達はいいから本木さんのところへ行けよ」

ジヘはユリの背中を押した。ユリはゆっくり歩き、本木の前に立つ。

「それじゃ、行って来るわね」

「わかった。気をつけて・・・」

「本木さん・・・私、本当に行ってもいいのかな・・・」

本木は黙ったまま笑顔を見せ

「頑張ってきて!こっちは大丈夫だから・・・」

と、答えた。ユリは微笑んでうなずいた。そして横にいる悦子の前に立ち

「お母さん、行ってきます」

「体に気をつけてね。連絡待ってるから」

ユリは悦子に抱擁し別れの挨拶をした。ユリは何度も本木の方を振り返りながら、後ろ髪を引かれる思いで歩き出した。

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