第31話 婚約

ユリは純一と悦子をホテルまで送って行った。帰り道、ユリは力なく歩きつづけた。父の辛い気持ちもわかるが、本木の両親があそこまでしてくれたのに過去の件を許さない父親の態度が理解できなかった。ユリは本木の両親に対して申し訳ない気持ちで一杯であった。ユリが実家に入ると居間にソンホンが座っていた。ユリは何も言わずにソンホンの前に座った。しばらく沈黙したあとソンホンが

「お前にとって本木君は必要な存在か?」

と、突然尋ねる。ユリは無表情のまま、ゆっくりソンホンを見上げ

「必要よ・・・私には大切な人・・・あの人がいない人生なんて考えられないわ・・・」

と、答える。ソンホンはユリの眼差しから本木への気持ちが真剣であることを痛感し、

「彼に伝えてくれ・・・」

「何を?」

「もう一度会いたいと・・・」

「・・・お父さん、それって・・・」

ソンホンは黙って部屋を出て行った。ユリは驚き、しばし呆然としていたが我に返り急いで本木に電話をする。


本木は韓国にやってきた。あの日、ユリから電話で父親が会いたいと言っていると聞いて韓国までやってきたが、自分に出来ることは何なのか、まだわからなかった。しかし、今、自分に出来ること、それはユリの家族を大切にすることだけと考え、無理に結婚のお願いを再度しないことも心に決めていた。


ユリの実家の居間でソンホンと本木は向き合って座っていた。二人とも黙ったまましばらく時が立った。本木はソンホンの言葉を一言も聞き漏らさないようソンホンをじっと見つめていた。するとソンホンが本木に語りかける。

「本木君・・・君の今の気持ちを正直に話してくれんか?」

「・・・わかりました。両国の歴史問題について意識が足りなかったことを私自身、恥じています。それに父の過去のご無礼については非常に申し訳なく思っています。そして、ユリさんが何よりも大事にしているお父さんとの関係を私が崩す権利などないと考え、お父さんが結婚を反対される以上、私がこれ以上お二人の関係を崩したくないと思っています。それがユリさんのためだとも思っています」

ソンホンは黙って聞いていたが、続けて

「ユリのことは今、どう思っているのかね?」

と、聞いた。すると本木は間髪いれずに

「愛しています、そしてかけがえのない人です!」

と、答えた。今までうつむいて本木の言葉を聞いていたユリは、その答えを聞き本木の顔を見つめる。そんなユリの姿をソンホンは見つめ、

「かけがいのない人をそんな簡単に諦めるな。それとあなたのご両親に感謝しなさい」

と、初めて優しく微笑みながら言って、立ち上がった。そして部屋を出て行く瞬間に

「娘をよろしくお願いします」

と、言ってから部屋を出て行った。思いがけないソンホンの許しの言葉に、

「ありがとうございます・・・ありがとう・・・ございます」

と、本木は感謝の気持ちを何度も繰り返して言った。そして、ユリを見つめると、しっかりと抱き寄せた。


二人は実家を後にして、浜辺にやって来た。どちらともなく二人は走り出した。ユリが本木に水をかけると本木はユリを追いかけ、しばし走り回った後、二人は浜辺に横たわる。

「いやー久しぶりだよ!こんな気持ちいいのは・・・・」

「私も・・・本気で笑ったのも久しぶり・・・」

本木は優しい笑顔でユリを見つめた。ユリは空を笑顔で見つめたまま、

「本当にあなたのご両親に感謝しなきゃ・・・」

と、言った。本木も気になっていた。ソンホンが言った『ご両親に感謝しなさい』と言った一言が。

「僕の両親が何かしたの?」

と、本木が聞くとユリは本木を見つめ

「あなたのご両親が、私の父に結婚を許してくれるようお願いに来てくれたの。私の父にあなたのお父さんは土下座までして・・・私・・・本当に申し訳ないことしたわ・・・・」

「えっ、家の父さんが・・・そんなことを・・・」

「ええ、お母さんも私を勇気付けてくれたわ。日本であなたと別れた後、お母さんと会ったの・・・そして、いつまでも、あなたから離れないでって言われた・・・私、どれだけ嬉しかったか・・・」

ユリの言葉に本木は両親の影の協力に気が付いた。

「ユリさん・・・」

「何?」

「今度、正式に僕の両親に挨拶したいんだ。一緒に来てくれる?」

ユリは微笑んで、

「喜んで・・・」

と、答えた。本木は立ち上がりユリを抱きかかえて、その場でぐるぐる回りだす。

「本木さん!目が回る!」

「ははは、ユリさん!」

本木はユリを砂浜に置き去りにして走り出す。

「ちょっと!本木さん、待って!」

ユリは本木を追いかけ、背中に乗った。二人は久しぶりに楽しい時間を過ごした。


本木は一人帰国し、すぐに両親のもとへと向かった。本木が実家に行くと両親が本木を迎えた。

「ただいま」

「お帰りなさい、一哉」

悦子が笑顔で迎えた。

「あの・・・昨日、ユリさんの・・・」

「わかってる」

純一が本木の言葉を遮った。本木は不思議そうな顔をして純一を見る。すると純一は、

「さっきユリさんからお礼の電話があった。よかったな、お前の誠意が伝わって」

と、笑顔で本木に言った。本木は父の言葉に黙って首を振り

「私の力ではありません・・・ユリさんから聞きました・・・本当にありがとうございました」

と、言って、深深と頭を下げた。

「ユリさんを大切にしなさい。私たちにとっても大切な『娘』だからな」

純一は笑顔で言った。

「ユリさんを大切にします。そしてこれからもよろしくお願いします」

本木は真剣な顔で答えた。純一は本木に近づき抱擁した。その光景を悦子は見て涙ぐむ、そして、

「そうよ!ユリさんをいじめたら私が許さないからね・・・」

と、言って本木の肩を叩く。親子三人が再び結束した。

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