エピローグ

「レイちゃーん! おじさんが呼んでるの、また風車の調子がおかしくなっちゃったんだって!」


 地下シェルターから地上へと続く階段の先、金属製の床扉の向こうからニタの呼ぶ声が聞こえた。机に突っ伏していたレイトは顔を上げ、丸まっていた背を伸ばしながら大きくあくびをする。昨夜アイゼルから届いた手紙を読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまっていたようだった。


 文字盤を直すのを忘れたまま、ずっと放置している古時計を見る。

 時刻は、もうすぐ午前七時。


 この廃虚街に帰って来たあと、レイトは電解室から拝借してきたパソコンで新しく風車の管理システムを構築してみた。効率的に電力を生み出せるようにはなったのだが、長時間動かし続けると必ずエラーを吐いてしまうのが難点である。原因は大体分かっているが、今は小刻みなメンテナンスしか回避策がないのだ。


 体温ですっかり温まってしまったソファーから腰を上げ、階段を上って床扉を押し開ける。吸い込んだ空気はいつも通り土と潮の匂いがして、昨日の雨のせいか妙に生暖かい。


「最近多いね。プログラムは間違ってないはずなんだけど……まあいいや、見に行くよ」

「うん! それじゃ私は、先に行って報告してくるね!」


 ニタは楽しくてたまらないといった声で元気に答え、首元のヘッドホンを跳ねさせながら軽い足取りで走り去っていった。


 床扉をきっちりと閉め、レイトは歩いて数分の北の丘へ向かう。普段であれば井戸端会議の小集団が散見される程度だが、今は道の端から端までがすっかり賑わっていた。そういえば、今日は住人総出で畑の畝立てをする日だった。


 途中のひときわ大きな畑に、中年の夫婦と一緒に立つ見慣れた姿があった。ちょうど休憩しているところらしく、少し離れた道からでも会話がはっきりと聞こえてくる。


「いやぁ、驚いた! この調子じゃ、午前中にはすっかり作業が終わっちゃうよ! やっぱり若い男手っていうのはいいな、なあハルキ君!」

「あらやだ、こんなに綺麗な子が男の子なわけないじゃない! ねえハルキちゃん!」

「はは、どっちでも構わねぇよ。好きに呼んでくれ」


 ……少し、寄り道をしていこう。


 近付く足音に気づいたのか、切れ長の青い目がレイトの方を向いた。ハルキは夫婦に向かって片手をあげると、レイトの立つ畑のふちまで歩いてくる。


「あれハルキ、いつもの重役出勤じゃないんだ? 朝早くから畑仕事なんて似合わないことしてるじゃん」

「『ハルちゃんが適任だよ!』って、ニタのやつがさ。軽い気持ちで引き受けてみたら、朝の六時からだぜ? 墓穴を掘るってまさにこのことだよな」

「でも力仕事だし、適任は適任だよね……もしかして徹夜?」

「ああ、まぁでもこの仕事が終われば、あったかい布団の中で好きなだけ寝られるさ」


 そうだといいね、と曖昧な返事をしながらレイトは手紙を取り出した。作業の隙間時間にでも続きを読もうと思って持ってきていたものだ。


「アイゼルさんとこ、もう鉄道が街全体に開通したんだって」

「は⁉ いや早くねぇか⁉」

「仕方ないよ、あっちは第二次産業の基盤まで整ってる状況からスタートしたんだから。人数も違うし、敢えて首都を選ばなかったのは僕たちの方だし」


 レイトは周囲を見回し、柵近くの手ごろな切り株を見つけて腰を下ろす。ハルキは隣で柵にもたれかかり、地面に立てたくわをくるくると回し始めた。


「っはー、それにしても格差ってもんがなぁ……で、どうです開発主任? この街の発展の第一歩だっていう、効率的な風力発電の進捗は?」

「んー……ダメ。システム自体の完成度は良いんだけど、パソコンのメモリがやっぱり絶対的に足りてないや。アイゼルさんとの貿易、正式に申し込もうかなあ……いやでも、絶対に頼らないって決めてたし……だけど……ああ、悔しいなあ!」


 従属嫌いの性だよな、とハルキが肩を揺らして笑った。苦笑したレイトは手紙をしまうと、切り株から勢いをつけて立ち上がる。頬に当たる潮風のしっとりと柔らかい感触が、不思議と心地よく感じた。


「でも実際貿易するっつってもさ。あれって結局は物々交換なわけだろ? こっちから差し出せるもんってあるのかよ」

「うん、あっちには海がないからね。魚に海藻に貝に……海産物なら、十分交換材料になると思う。あと塩も。でも機械との交換ってなるとレートの設定が難しい所かな。関税は考えなくていいとして」


 ほーう、と何とも言えない返事をしてハルキはくわの柄の上に顎を乗せた。細かいことは分からんから任せた、と焦点の合わない目が語っている。


「……てか、昼飯ってまだなのかよ。もう十分働いたぜ、そろそろ昼休憩になったっておかしくない時間だよな?」

「いや、今は午前七時だから……昼休憩までは、あと四時間ぐらいかかるんじゃないかな」

「は、まだ七時⁉ いやいや無理無理、あと四時間食えねぇとか俺ぶっ倒れんぞ⁉」


 慣れない仕事で余計に体力を消耗したのだろう、ハルキは声にならない声を出すと大袈裟に天を仰ぐ。


 ふと、澄んだ笛のような音が重なり合って天空から響いてきた。レイトはハルキの背中越しに音の聞こえてくる方を見る。


 そこにはかつて自然エリアで見かけたのとは似ても似つかない、色とりどりの小鳥たちの舞い遊ぶ姿があった。全部で三羽。自分たちにもあんな翼があれば、貿易も開拓もさぞかし捗ることだろう。


「ハルキ」声に反応して、相変わらず上を向いたままの顔から視線だけがレイトの方を向く。「ほら、みんな頑張れーって言ってるよ。僕に鳥語は分からないからたぶんだけど」

「ああ……」


 レイトの視線を追い、ハルキも振り返って小鳥たちを見た。円を描くように飛んでいた彼らは、やがて一列に隊を成して森の奥へと進路を定める。


 徐々に輪郭を曖昧にしていく小さな影。二人はただ押し黙り、碧空の彼方に消えていくささやかな命を見送った。


「あーあ……一時間って、思ったより遅いよな」

「うん。……こんな時は、特にね」

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放棄世界のフロントランナー 秋月 菊花 @akizuki_kikka

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