緊急停止信号

 もう一日、時間に猶予をもたせるべきだったかな。

 朝、目を覚ましたレイトは一番にそんなことを思う。


 別に、昨日の準備が不十分だったというわけではない。二人が覚えているかは別として、操作の手順自体はちゃんと説明し終えた。もちろん、レイトを襲う目の痛みも完全に回復している。


 だからこれは、ただの恐怖であり緊張の一種だった。きっと、強大な敵を前に震えているときと同種のものだ。仮に期限を一日本当に延長したとして、明日の朝にはどうせまた同じことを言っている。


「だから、ダメなんだよなぁ……僕は。今回は、少なくとも今回だけは、ちゃんと僕自身で向き合わないといけないのに」


 分かっているだけ、まだマシだ。そう自分に言い聞かせて、身を起こす。大丈夫、それだけの力が自分にはあるはずだ。


 アイゼルたちから通信を受けるまでには、まだ時間がありそうだった。ハルキはいつも通りタバコを吸いに行っているらしく、姿が見あたらない。ニタはコンソールの前に立ち、覚えたばかりのカメラ操作で投影画面をグルグルと動かしていた。


「おはよ、ニタちゃん」レイトはニタの背後から声をかける。「カメラ操作、だいぶ慣れたみたいだね」

「あ、おはよう! ほら見て、ちゃんと機械も追いかけられるようになったんだよ!」


 すぐに画面が拡大され、一台の戦闘機がクローズアップされる。銀色の躯体は全体的に錆びついているようだが、エネルギーのかたまりと思われる黄金色の銃弾を射出しながら軽快に飛び回っていた。敵機のカラーは青銅色のため、区別しやすいのがありがたい。


「良かった、数字だけじゃ外観は分からないから……うーん。やっぱり、かなり機能的な設計になってるなあ」

「レイちゃん、分かるの?」

「デザイン自体はさっぱりだけどね。空気抵抗とか、そういう方面からのアプローチなら、多少」


 立ち向かう相手の姿はしっかりと目に収めておきたかったのだ。これで、心配をほんの少しだけ減らすことができた。


 と、口笛で意味のないメロディーを奏でながら、ハルキが階段を上がってくる。なんだかやけに上機嫌だった。


「おっ、起きたのかレイト。最近は寝坊が多いな?」

「ハルキこそ、柄にもなく規則正しい生活じゃない? ……何か、いいことがあったみたいな顔してるけど」

「ん、大したことじゃねぇけどな。喫煙室の隣に、武器庫みたいな部屋があったんだよ。研究成果っぽい面白そうなもんがいっぱい置いてあってさ」


 手に持っていたタバコとライターを鞄の中に戻し、すぐに踵を返すハルキ。再び階段を降りようとするところを、レイトは手を前に伸ばして呼び止めた。


「もしかしてそれ、今から調べに行こうとしてるの?」自分の眉間にしわが寄っているのを自覚しながら、レイトは腕を組んでため息をつく。「ハルキ、分かってる? これから、一番大事な局面なんだからね? これが成功するかどうかで、僕たちの生活どころか未来まで大きく変わってくるんだから」

「大丈夫大丈夫、やるときゃちゃんとやるって。だって、まだ時間あるだろ? ああいう場所にこそ、なんか画期的なスーパーアイテムがあるかもしれねぇじゃん」


 言い残して、階段を早足で降りていく。こんなときですら揺らがないマイペースっぷりは、レイトにも見習うべきところがあるのかもしれなかった。


「まったくもう……ニタちゃん、昨日の通信がいつぐらいだったか覚えてる? 食事の時間は取れそうかな」

「時計、見てなかったもんね……どうかな、でも待っててもらえばいいんじゃない?」

「ん、それもそうか。早くていいと言った手前、肩身は狭いけど」


 準備をしている間に、収穫がなかったらしいハルキが手ぶらで帰ってくる。その後、通信のリクエストが送られてきたのは三人が食事を終えてすぐだった。姿は見えないはずなのに、アイゼルは何故かその状況を看破していた。


『のんきなものだな。この期に及んでのんびり食事とは』

「だからこそですよ。頭を使うのは分かり切ってますし、エネルギー補給です」


 調理に使った道具の片づけだけを手早く済ませ、レイトはコンソールの前に腰掛ける。ハルキは右隣に、ニタは正面以外の空を映しているモニターの前に。昨日決めた初期配置だ。


『最終確認よ、いいわね』カリナの声も、昨日とは違う緊張感で張り詰めている。『こちらのプログラムが動作するのには、理論値で七分二十六秒かかるわ。所要時間を逆算して、プログラムの実行タイミングはそっちが指示してちょうだい。お互いの緊急停止信号にずれが発生した場合、許される時間差は最大で約二分よ。他に質問はあるかしら』

「こっちの兵器の主力は戦闘機です。もし万が一のことがあった場合、そっちに向かうのはその中でも音速飛行型のやつなんですが……そっちの編成も同じですか」

『そうね、ええと……こちら側は、陸走の特攻機が一番速かったはずよ。爆発するしか能がないぶん、速度はそっちの戦闘機より上ね。倍近くはあるわ』

「了解。じゃあこっち基準でずれの許容時間は……三分半ってところかな」


 兵器の管理画面を見ながら、レイトは答える。兵種を見る限りはこちらにも特攻機に分類されるものがあったが、もう既に全滅しているようだった。


 爆発するだけの役割でまだ生き残っているのなら、そもそも今現在で戦場にはいないと考えるべきだろう。射線が確保されたら出発し、速攻で一定の距離を走って自爆する。前線を効率よく崩壊させるための戦法だ。


「猶予があるのはこっちなので、少し早めに指示を出してから時間を計測してタイミングを調整します。人力で作業する以上、所要時間の断定ができないので……あとは、僕自身を含め、僕の腕を信用してもらうしかありません」

『分かったわ。自動プログラムは、逆に調整が効かないところが難点ね』

「あはは、確かに。……それじゃあ、画面の調整だけして、始めます」


 管理画面を最小化し、プログラムを書き込むコマンドプロンプトを画面の半分ほどの大きさにして真ん中に。時間計測に使うタイマーを、画面の右下に配置する。


 文書は、紙の状態で横に置いておいた方がいいか。机上に不備がないかをチェックし、レイトは自分に注目する他の二人に視線を送る。


「最後にトイレとか大丈夫? これから二十分くらいは離れられないことになるけど」

「俺は大丈夫。飯食う前に済ませてきた」

「私も! 朝起きてすぐに行ったっきりだけど、それくらいなら平気!」


 了解、と頷いて、もう一度画面に向き直って。

 キーボードの上のホコリをもう一度念入りに吹き飛ばして、指を置く。


 最初の一文字目を打ち込んでしまえば、あとは勝手に指が動いてくれた。数年前、パソコンの操作をなんとかコマンドだけでやってみよう、と詰め込んだ基礎知識が活きてきている。


 まずはパソコンに負荷をかけて、データの抽出を詳細に。今までエリアでしか把握できていなかった全機の居場所を、正確に表示できるようにする。


「ハルキ、僕がこの行を書き終えたら最初のつまみをおねがい」

「データ出力ナントカのやつな。一番上まで上げたら離していいんだよな?」

「うん、それは大丈夫。次の限定解除のレバーは電波回線の接続が済むまで上げっぱなしにしないといけないから注意して」

「おう……って、動かねぇんだけど」

「今からロック解除するから、ちょっと待っててってば」


 黒い画面の上で処理中の文字が点滅するのを眺めながら、レイトはニタの方を振り返る。ニタはおぼつかない手つきでカメラ映像を操作し、脈動するようなインジケーターの動きを注視していた。昨日の内に言語設定を修正して判明したのは、気温や気圧、湿度や風向きなどの基本的な気象データがインジケーターの正体だということだった。


「ニタちゃん、どう? そろそろホールドいけそう?」

「うーん、もうちょっとかな。まだこの、粒子濃度っていうのが全然安定してないの」

「今日はかなり風が強いみたいだから、砂が舞い上がってるのかもね。そこまで完璧に安定しなくてもいいよ、ある程度ぶれが小さくなったらで大丈夫。あくまで基準にするだけだから」


 ニタが口を結んで小さく頷く。電波に最低限の有効範囲を担保するため、また効果範囲を広げすぎて相手国側に余計な影響を及ぼさないよう、電波強度の調整は必要不可欠だった。そのためにも、暫定的な計測数値を置いておかなければならない。


 会話をしている内に、ロック解除までのコマンド処理は終わったようだった。ハルキがレバーを押し込んだのを確認し、レイトは再びキーボードを叩き始める。次は電波回線を、地面に立つあの細長い電波塔に繋ぐ工程だ。


「ハルキ、レバーはそのままにして左手前の赤いボタンをお願い。確か届いてたよね?」

「そりゃもち……あっちょっとやべぇ」

「あ、そっかレバー……ごめん無理は承知だけど、僕がいいって言うまでボタン操作を」

「く。きっつ……」


 昨日はちょうど届いていたのだが、レバーを押し込んだことによる距離の誤差を考えていなかった。震えるハルキの爪先が、縁に引っ掛かりながらもなんとかボタンに触れる。三秒間押して、戻す動きをひたすら繰り返し始めた。


これが終わったら、カリナにプログラムの実行指示を出しておこう。ハルキの腕がモニターまでの視線を遮ったため、レイトは椅子から立ち上がった。


「レイちゃん、数値大丈夫そう!」ニタの声が背後から飛ぶ。「ホールド、ってどうやるんだっけ? 右クリックっていうのでいいの?」

「いや、その動いてるグラフの右下に小さなボタンがない? 現在の数値を保存っていうやつ」

「えと、ボタンボタン……あった!」

「それを押して、それから右クリックして。そしたらタスクの中に、送信っていうのがあるはずだから。こっちに送って」


 コマンドプロンプトの画面に並んだ『応答なし』の文字列は、もう二十を超えている。ハルキがボタンを押すごとに再接続のリクエストが送られているはずだが、電波塔からはまだ応答がない。


 そんな状態ではあったが、しかし電波塔が完全に壊れたわけでもなさそうだった。リクエスト相手が存在しないときには、それ専用の文字列があるはずなのだ。


 やはり長期間風雨に晒され続けた影響か、あるいは今日の大気状態がたまたま悪いだけなのか。レイトがもどかしい思いで睨む画面の端に、ニタが送ったデータが届いたことを示す通知が控えめに浮かび上がった。


「ありがとう、ニタちゃん。受け取ったよ」レイトは振り返ってニタと目線を合わせ、コンソールの左端を指さす。「すぐで悪いんだけど、こっちのカメラをまたお願い。どれでもいいから、また戦闘機を補足してくれないかな……予想以上にこっちが手間取ってて、少し手順を前後させようと思うんだ」

「うん、分かった! 戦闘機、ってことは飛んでるやつだね」

「おいレイト、俺はまだこのままなのかよ。そろそろ姿勢が辛いぞ」

「ごめん、まだ……とりあえずボタンは僕が代わるよ。レバーだけ維持お願い」


 椅子に腰を下ろし、ハルキと交代してボタンを押す。思い切り仰け反って腰を伸ばし、ハルキは左手をぶらぶらと振っていた。


『接続で苦労してるようだけど、間に何か挟まってたりしない? 金属やコンクリート、水は電波を弱めるわよ』


 天井からカリナの声が降ってくる。大丈夫なはずなんですけど、とレイトは首の届く範囲でコンソールの周辺を覗き込む。


「ただ、どこから電波を発してるのかが正確に分かってないので、そのせいかもしれません。今まで普通に使えてたので、遮るものがあるとしたら外壁がそれじゃないかと」


 でも、はなからこの使用法が想定された設計でそんなミスが犯されるとは考えにくい。


 レイトが悶々としているうち、ついに電波塔は弱弱しいながらも応答を返した。今にもまた途切れてしまいそうな、だが、一度確保してしまえばこっちのものだ。


 右手一本でキーボードを操作し、レイトはすかさず接続設定を完了させる。


「なんとかなりました、ありがとうございます。それじゃあそろそろ、そちらのプログラムの実行もお願いします」


 スピーカーの向こうから了解の返事を聞いて、レバーを離しても大丈夫だとハルキに伝える。ニタの操るカメラが戦闘機の一団を映しているのを確認し、レイトは今一度両頬を叩いて気合を入れ直した。忘れないうちに、画面上のタイマーもスタートさせておく。


「さて、ここからは時間勝負になるよ。実際に緊急停止信号を送る前に、テスト用の信号を送らなくちゃいけない。地上と空中、それぞれ一回ずつね」


 兵器全てには、このテスト信号が伝わったかを示すためのランプが搭載されている。戦闘機なら左翼中央、地上兵器なら右側面下部、青い光が確認できれば問題なしだ。


「信号の発信は僕がコマンドでやるから、ニタちゃんはとにかくカメラで追うことに集中してほしい。一回の信号で一分程度光るから、その間に一機ずつ、できるだけ多くの数を映して。あとはハルキの動体視力に期待」

「数えろってことなのは分かるけど、俺への指示雑じゃねぇか?」


 伝わってるならいいでしょ、と片頬を膨らませ、レイトは一回目の信号準備に入る。経過時間は四十二秒。一回の信号準備には、スムーズにいっておよそ十五秒程度かかるか。


「ニタちゃん、カメラ大丈夫? 信号飛ばすよ」

「うん、大丈夫! まずは空だね!」


 レイトは頷き、エンターキーをやや強めに叩く。タァン、という小気味よい音と共に、投影画面内の戦闘機が青い光を放ったのが見えた。


「残り五十秒……四十秒……」

「レイちゃん、数えないで! 焦るから!」

「おまえも無駄に動かすなニタ! 酔うだろ!」


 そんなことを言い合いながらも、二人は自分の役目を確実にこなしていく。微笑ましい、というと怒られそうだが、そう形容するほかない妙な安心感があった。レイトの頬が知らず知らずのうちに緩む。


 一回目のテスト信号が終わった。経過時間は二分九秒。


「確認した機体数が三十八。そのうち光ってたのが二十四。左向きだったのに光ってなかったやつはなし。被りがあったかどうかは分からん」

「オッケー、じゃあ二回目……ニタちゃん、今度は地上の兵器の方を頼むね」

「下の大きいやつだよね、任せて!」


 準備が終わったのを確認してすぐ二回目のテスト信号を飛ばす。今回も同じように、明らかに信号が届いていないと思われる個体は見られなかった。


 経過時間、三分四十三秒。信号の確認方法は本当にこれでよかったのだろうか、と遅まきながら心配になる。文書には「テスト信号を送る」以上のことは書いていなかったため、パッと思いつく方法でやってしまったのだが。


 もしかして、とレイトは管理画面を呼び出してみる。今まで見ていたページの他にもう一つタブがあり、そこに堂々と各信号の受信状況が数字で示されていた。突然出現したものではないだろうが、恐ろしいことに今まで全く気づいていなかった。


 テスト信号一度目、二度目、実施済み。緊急停止信号、未実施。現時点での信号未受信機はゼロ。それだけの情報をほんの五秒足らずで把握できてしまったことに、レイトは思わず両手で顔を覆う。


「ああ……」

「どうしたレイト⁉ なんかヤバい問題でもあったか⁉」

「レイちゃん? どしたの具合悪いの?」

「え、あ、いや、違うんだ。大丈夫、全然問題ないから」


 二人がモニターを覗き込む前に、レイトは慌ててタブを元のページに切り替えた。


 ここで二人の努力を無にしてしまうわけにはいかない。この件はほとぼりが冷めた頃にでもこっそり笑い話にするとして、今は隠しておこう。


「ごめんごめん。時間は待ってくれないんだ、すぐに本番の信号を飛ばさなきゃね。この信号は二分継続するから、今の時間は……五分十七秒か。なんだかんだいって、ピッタリの時間になったみたいだ」


 ごまかすように苦笑して、管理画面をまた最小化。三回目の信号準備を、同じように黒画面へ叩き込む。


「さあ、いくよ――上手くいけば、これで終わる」


 勢いに乗ったまま、レイトの小指がエンターキーの上で軽快に跳ねた。


 束の間の静寂。


 そう、特にこの場で『成功しました!』などという音声が流れるわけでもない。三人が三人、それぞれの顔を互いに見合って、それから思い出したように確認作業を始める。


 レイトは管理画面を。ニタはカメラを。ハルキはその背後に立って。


 先に状況が現れたのは、管理画面だった。兵器の稼働数を表す数字が、みるみるうちに激減し始めたのだ。


 戦闘機も、戦車も、歩兵も、例外なくその心臓を止めていく。無事、緊急停止信号が行き渡った証だった。


 喜ぶべきなのだろう。

 しかし、ただ。ただ一つ。


 戦況が『劣勢』に変わったことだけが気にかかる。まだ信号は発信を継続しているが、タイマーは既に七分を突破していた。本来であれば、相手側の兵器も同じように止まっていてしかるべきなのだが。タイミング差による一時的なものだろうか。


 間もなく、ニタのカメラも様子の変わった戦場を捕らえた。そこに映っていた光景こそが、レイトの抱いた懸念に対する答えそのものだった。


「……おかしい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る