見えた希望

 カリナ。深呼吸をしながら少し考えて、レイトは記憶の中からその名前を発掘する。そう、確か自然エリアでアイゼルと出会ったときに、その傍らに立っていた黒い眼帯と赤いワンピースの女性だ。親しげに振舞っていたことから、アイゼルの恋人か何かだろうと思っていたが。


「カリナさん、アイゼルさん。聞こえますか」ハルキがコンソールの隙間に置いたマイクに向け、レイトは話す。「あの、僕、レイトです。お二人に貸していただいた防護服のおかげでここまで来られました。本当にありがとうございます」

『レイト……ああ、あのリーダーの子ね。あなたの飼い犬、無事に帰ってきたようで何よりだわ』

「おい誰が犬だって⁉」


 マイクではなく、声の聞こえてきたスピーカーに向けて吠えるハルキ。皮肉に満ちたカリナの声だけで、アイゼル一行に何があったかは大体予想できる。


「す、すみません……。僕も知らなくて止める間もなく……って、言い訳ですよね……」


 レイトは委縮し、肩をすぼめた。スピーカーの向こうから、カリナの大きなため息。


『……あのね、何も知らないあなたにこんなことは言いたくないけどね。あたしたち、そこの狂犬のせいで三日も足止めされたのよ。信じられる? 巨大な獣でもないたった一人の人間に、仲間の半分以上が昏倒させられたんだから』

「次々と挑んできたのはそっちだろうが。決闘だから一対一で、戦う意思がある相手とだけって決めたのもそっちだろ」

『当然だ』ハルキの反論に対し、割り込んできた男の声はアイゼルだろう。『不公平と騒がれても困る。それに貴様とて、脅威と判断する者に仲間が倒されたなら黙ってはおかんだろう』

「だっから誰も殺してねぇだろ⁉ かたき討ちってほど大事でもねぇし、結局ミイラ取りがミイラになっただけじゃねぇか!」


 予想していたことではあったが、やはりハルキは遺恨を遺しまくっていたようだ。口論がヒートアップして制止不能になってしまう前に、逸れてしまった話題の道筋を正さなければ。


 腹の底から大声を出しても、きっとハルキには敵わないだろう。レイトはマイクに口を限界まで近づけて、言葉の一つ一つをはっきりと発音する。


「今は、言い争っている場合ではないと思います。そちらとハルキの間にある確執については、僕は部外者でしかありませんが……優先すべきは、やはりこの戦争の終結です。お二人も、それを目的としてここまで来たんじゃないんですか」


 レイトの声は、ちゃんと全員に届いたらしい。三つの声が飛び交う喧騒が静まっていく。


『……まぁね。それはそう』カリナの声は、既に冷静さを取り戻していた。『そういえば、もう一人の女の子の声が聞こえてこないけれど。彼女、元気にしてるの?』

「私なら、ここにいるよ」いつの間にか近くまで来ていたニタがマイクに向かって手を振る。「そっちのみんなは? 一緒にいないの?」

『いないわよ、あたしとアイゼルだけ。どこかの誰かさんのせいで、防護服が人数分に足りなくなっちゃったからね』


 こちらをじっとりと睨む視線が透けて見えるようだ。レイトが更に首をすくめる反面、ニタは純粋故の何にも妨げられない様子で言葉を続ける。


「それじゃ、二人でわざわざ助けに来てくれたってこと? ありがとう!」

『違うわよ。あたしたちはあたしたちで、この……第四次グラフト戦争だっけ? それを、止めに来ただけ。そうしたら緊急停止には両岸での操作が必要だっていうから、あなたたちのことを思い出して連絡をとってみたのよ』

「いや、そもそもそれなんだよな」そこに指摘を飛ばしたのはハルキだ。「おまえら、自分たちが安全に生きていける場所を探してただけのはずだろ? それがどうしてまた、俺たちのマネなんかする気になったんだよ」


 少しの沈黙。遠くから足音が近づいてきて、スピーカーの向こうの声がアイゼルのものに切り替わる。


『それが最善手だと判断したまでのことだ。地上で暮らしていかなければならないのは俺たちも貴様らも同じ、拠点の発展にグラフト戦争の完全終結は必要不可欠。それを貴様らに任せていては、借りを作ったようで非常に気分が悪い。それだけだ』


 早口でそう言い切って、レイトたちが返事をする間もなく足音が遠ざかっていく。


 再びマイクの前に立ったらしいカリナが、呆れたように含み笑いをした。あの人はああ言ったけれど、と吐息交じりに前置きする。


『あたしたちね。あの後、教えてもらった廃墟の街に行ってみたのよ。空いている建物は使っていいって言われたから、しばらく滞在していたのだけれど。……その時に、あなたたちの話をたくさん聞いたわ。直接的な交流は少なかったみたいだけど、やっぱりちゃんと見てるのね』

「僕たちの話……ですか?」

『ええ。あの街には飢えずに暮らしていけるだけの環境があって、設備があって、しかも森への道行きを阻む脅威までいて。それなのにあなたたちは安寧に目もくれず先へ進もうとした。無鉄砲で愚かだけど、結局世界を変える人っていうのはああいう奴らなんだろうなって、呆れ半分感心半分ってところかしら』


 レイトの脳裏に、廃虚街で出会った住民たちの姿が次々と映る。好意的な人、敵意を向けてくる人、親切な人、顔を出しすらしない人……。


 短い滞在期間の中で、レイトは機会があれば積極的に彼らと関わろうと心がけていた。最低限の礼儀のつもりだったが、それは案外いい効果を生んだのかもしれなかった。


『だから……まあ。正直なところ、あなたたちに毒されちゃったってこと。あの人、負けず嫌いだから……自分たちの生きる場所を能動的に作っていこうとするあなたたちと、状況に追われるままただ生き延びることだけを考えていた自分とを、重ねて。自分は特殊だからと断じて捨ててしまうには、共通項が多すぎたのね、きっと』

『おい、カリナ! 余計なことを……』


 遠くから、アイゼルの大声が聞こえる。


 世間には受け入れられない要素を持って生まれて、同じ境遇の仲間と共に立つ。確かにそう考えてみれば、自分たちは似た者同士と言えるのだろう。


「でも、結果的には助かりました」話が一段落したと判断し、レイトは本題に入る。「僕たち、どうしても手が足りなくて。ちょうど頭を抱えてたところなんです」

『あら、三人いるのに? 緊急停止のプログラムを実行するだけなんだから、誰かがこっちに来ればよかったじゃない。あたしたちだって、通信が繋がらなかったらあたしがそっち側に行こうと思ってたのよ』


 どうやら、アイゼルの側は実行プログラムが生きていたようだった。向こうの施設や設備がどうなっているかは分からないが、少なくとも機械が完全に死んでしまわない程度にはあちらにも人が残っていたらしい。


「それが、実行プログラムだけ消されてしまっていて。手動での操作はできるんですが、工程が複雑すぎて再プログラムも無理で……」

『ふぅん……また面倒なことになったものね、同情するわ。こっちはマイクが動かせないから、あたしが通信に専念することにしようかしら。何かあったらいつでも話しかけてくれて構わないけど……どうする? こっちの準備はできてるから、今すぐに始めてもいいわよ。ねぇアイゼル』


 ああ、とアイゼルのくぐもった声。レイトは緊張した面持ちのハルキを見て、心配と不安が入り混じったような表情のニタを見て、それから画面に表示した文書に目を落とす。


 途端、眼底に疼くような鈍い痛みが走った。そういえば自分が眼精疲労のまっただ中であることをすっかり忘れていた。


「……いえ、今日は工程の最終確認と体調回復に努めます」もどかしいが、仕方がない。「ちょっと昨日、無理をして……万全の態勢で臨みたいので、待たせることになってしまいますけど、できれば明日に」

『ですって、アイゼル? ……ええ、分かったわ。それじゃ、明日の同じくらいの時間にまたかけるわね。それとも、もっとゆっくりの方がいいかしら』

「いえ、同じ時間で大丈夫です」


 了解の言葉と共に、通信が途切れる。

 目を閉じて大きく息を吐いたレイトの顔を、ニタが気遣うように覗き込んだ。


「レイちゃん、大丈夫? まだお昼だけど、もう寝ちゃう?」

「いや、まさか。画面さえ見ないようにしてれば大丈夫だし、それよりも二人に操作方法を覚えてもらわなくちゃ」

「それ、やっぱ俺も? その都度言われた通りにやるんじゃダメなのかよ」

「そりゃもちろん指示はするけど、制限時間がある工程も二つくらいあるし……『コンソールの右上中央左下のボタン』とか言われても、分からないでしょ?」


 まあ分からねぇけど、とハルキは口を尖らせた。こういう頭を使う作業が苦手なことは知っているが、今回ばかりは我慢してもらうしかない。


「大丈夫だよ、必要な部分しか言わないから。ニタちゃんも、初めてばかりだろうけど覚えられそう?」

「んー……分かんないけど、頑張る!」


 ニタが気合十分なガッツポーズをする。とりあえずは、それで十分だ。


 レイトはモニターの電源を落とし、昨日プリントアウトしておいた文書のコピーを手に取る。ブルーライトを放出しないというだけで、紙の情報というのは素晴らしい人類の発明品だと思う。


「それじゃあ、始めよう。まずは一つ目、コンソール右側のこのつまみ、データ出力深度調節を限界まで――」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る