観測室

 観測室の床で起床したレイトが屋内にいることを思い出すまで、ゆうに三十秒はかかった。頭上に空が見えると、それだけで屋外にいるものだと錯覚してしまうから困ったものである。


 昨晩、結局床の掃除は半分を超えたあたりで終わりにした。寝るだけならそこまでスペースは必要ないのと、単純な疲労がその理由である。睡眠不足になってしまっては元も子もない。


「おー……明るい」上体を起こし、周囲を見回して、呟く。「やっぱり探索を今日にして正解だったな……ライトも要らないし、細かい所までよく見えるし」


 空は相変わらずの曇天だが、もし太陽が出ていたら眩しくないように映像が調整されるのだろうか。それはそれでどんな感じか見てみたい、と半分眠った頭で考えた。


 そういえば、毎朝一番に声をかけてくれるニタの姿がどこにもない。立ち上がって探すと、部屋のちょうど反対側辺りにいるのが確認できた。外側を向いた大きな椅子を覗き込んでいるように見える。


「ニタちゃん、おはよう! どうしたの?」

「あ、おはようレイちゃん。あのね、ここに人がいて……ううん、人というか」


 ニタの言い淀み方で、大体の言いたいことは理解できた。部屋の隅でまだ転がっているハルキを放置し、レイトは早足でニタのところへ向かう。


 キャスターのついたその椅子の背を掴んで半回転させると、思った通り白骨化した一人分の人骨が現れた。既に人の形は留めておらず、座面に何本もの骨が積み上がっているだけになっている。最上部に頭蓋骨が引っ掛かっていなければ、それが人間であるということすら分からなかっただろう。元あった方向の床面には、足部分の骨だけが取り残されていた。


「埋葬もされないまま放置……ってことは、この人がたぶん最後の一人だったんだろうね」レイトは不用意に触れてしまわないよう注意しながら、骨の様子を観察する。「ニタちゃん大丈夫? いきなり見つけてびっくりしなかった?」

「そりゃびっくりしたよ! 悲鳴も上げちゃったけど、レイちゃんもハルちゃんも起きないんだもん……」

「あーそっか……ごめん……」


 心配したつもりが、盛大な墓穴を掘ってしまった。


 骨の隙間から、椅子とは違う白い布が見えた。レイトは一本一本慎重に骨を移動させ、下から現れたそれを丁寧に広げる。腐食してボロボロになってはいるが、どうやら白衣のようだった。


「研究者って、最期の瞬間まで生涯を研究に捧げ続ける印象があったけど。この場所に何か思い入れがあったのかな」

「うーん、景色が見たいだけなら他にも椅子はいっぱいあるし、ここじゃなくちゃいけない理由……?」

「んなもん、こっちが正面だからだろ」


 音もなく、二人の背後にハルキが立っていた。声帯を絞り上げるような悲鳴がレイトの喉奥からこぼれ、ニタが全身でレイトの左腕にしがみつく。


「ハ、ハルちゃん……おはよう。あーびっくりした……」

「はよ。俺、そんな大層なことしたかねぇ……骨のせいか?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ」レイトは大きく深呼吸をして高鳴った心臓を押さえつける。「正面、だっけ? 確かに言われてみれば、こっち側で戦争やってるのか」

「この研究者さんにとっては、自分の国が頑張って戦ってるんだもんね。そっか、きっと見届けたかったんだよ」


 そうだね、とレイトは微笑んでニタに同意する。ただ、ほんの少しだけ違和感があった。


 戦争が長期化していることはこの研究者も十分に分かっていたはずなのに、それをただ眺めるだけで終わらせてしまうのか。何か勝つための、あるいは終わらせるための手段を求めて足掻こうとするのではないか。


 まあ、『彼はそういう人物だった』と言われてしまえばそれまでの話なのだが。


「おそらく、この部屋の主要な設備はこの周辺にあるんだろうね」レイトは研究者が向かっていた机の上、両手幅に収まる位のコンソールに積もったホコリを吹き飛ばす。「下手にいじって、抜き差しならない状況になったら大変だ。先に、この部屋の他の場所を見てから戻ってきた方がいいと思うんだけど……」

「ま、逆に言っちまえば、俺たちが触らない限り当面は膠着状態なわけだしな。研究室とかそっちの方は先に行かなくていいのか?」

「うん、このパソコンの中に具体的な解決策が入ってるかもしれないし。同じ探索するにしても、目的が定まってた方が効率的な成果をあげられるしね」


 遠くから米粒のようなシルエットを見ただけでも、あの戦闘機に生身で立ち向かうなんて選択肢は速攻消し去るべきだと判断できる。出発前の作戦会議では忍び寄ってスイッチを切るだとかなんとか言っていたが、平和ボケにも程があった。


 だから、もしこの建物を調べ尽くして他に取りうる手段がないと分かったら。最悪何もせずに引き返すことすら視野に入れなければいけない、そこまで考えてレイトは静かに身震いする。


 自分と仲間の命を危険に晒し、何日もかけてここまで辿り着いたのだ。そんな呆気ない結末は想像したくなかった。


「どうしたの、レイちゃん? あそこ、もうハルちゃんは調べ始めてるよ?」


 肩に手を置かれた感触で、レイトはハッと我に返る。ニタが指さした先で、まさにハルキがモニターと格闘しているところだった。壁沿いに、すぐ左側のエリアだ。


 これはいけない、すぐに助けに行かなければ。


 そう、もちろん機械の方を。


「ハルキ、えっと何しようとしてるのかな?」

「いや、このモニター映んねぇからさ。叩けば直るって、ほら、どっかの婆ちゃんが言ってたろ」

「うんその前にまずはスイッチをオンにしてみようか」


 案の定、モニター背面のスイッチを操作すると液晶は簡単に光を放った。映像は十字に区切られ、映っているのはどこかの部屋の内部の様子である。


 続いて同じスペースにあった他の三つのモニターも起動してみると、こちらも同じような様子だった。ただ、映っている計十六室の部屋はどれも違う場所のようだ。時折画面がノイズで揺れるが、ハルキが叩いたせいではないだろう。


「なるほど、監視カメラだね。たぶんこの建物の……ほとんど区別がつかないけど、これは機械室でこっちは資料室っぽいかな?」

「お、こっちにマイクが置いてあるぞ。スピーカーかなんかで音声流せんじゃねぇか?」


 隣の机上に設置されていたマイクの集音部を、ハルキが指先でつつく。機械に疎いニタは、その様子を二人の後ろで興味深そうに眺めているばかりだった。


「ちょっと見にくくはあるけど、これがあれば遠隔で指示を出しながらの別行動もできそうだね。画面に部屋名を出せるかどうか、時間があったらいじってみるよ」

「ん、頼むわ」


 ハルキは片手をあげ、次の機械群へと向かっていく。そのもう一つ先にはモニターだけがズラリと横並びになったエリアがあったが、そちらは構成を見るに単独で機能しない場所らしかった。正面のコンソールを起動してから、サブモニターとして活用できるのではないかとレイトは推測する。


 ニタは監視カメラの前に張り付いていた。そういえば、まともに機能している液晶画面を見るのは初めてだったか。彼女の好奇心が満たされるまで、そっとしておこう。


「ハルキ、そっちは不用意に叩いたりしないでよ」

「分かってるって。これでもちゃんと学習してんだよ、ほら裏にスイッチが……ねぇな。よし、叩こう」

「だから駄目だって! 待って!」


 レイトは自分でも信じられないくらいの加速度で駆け寄り、不満げなハルキからパソコンの本体をむしり取る。ハルキがあまりにも軽々と持っていたものだから、予想以上の重さについ取り落しそうになった。危ない、さすがに予備パーツも十分な工具もなしに修理するのは不可能だ。


「もう、正面にちゃんとボタンついてるじゃん……ほら、これ」

「おお。で、画面つかねぇけど」

「ハルキが無理矢理ひっくり返したから線が抜けちゃってるんだよ、えーっと」


 幸い、接続部分に異常は見られなかった。起動に三分ほど時間をかけ、並んだ三つのモニターにそれぞれデスクトップが立ち上がる。ここの組織のものらしい、幾何学模様の組み合わさったシンプルなロゴが全面に描かれていた。


 ファンの高速回転する音が響き、各モニターに自動で大小二つのウィンドウが開く。大きい方には、ここ周辺の空らしい映像が流れていた。画面ごとに微妙な違いがあるものの、その中のどれにも戦闘機の姿は見えない。


 小さい方には、何かのデータが表示されているようだった。円形・棒状のインジケーターが常に細かく揺れ動いている。カーソルを合わせるとタイトルらしき単語が浮かび上がったが、残念ながらレイトの知らない言語だった。一階で見聞きした言葉は理解できたのだから、きっと機密保持のために独自の言語が使用されているのだろう。あるいは、暗号文に近いものなのかもしれない。


「太陽が見えてれば季節と時刻の特定くらいできるんだろうけど、曇り空じゃ何も分からないね。昔のデータかな」

「何にも映ってないデータなんて、流してても意味ないだろ。何か起こるまで、ちょっと進めてみろよ」

「うん、分かった……あれっ」


 映像上でカーソルを動かしたレイトは、再生に関する操作が一時停止と巻き戻ししかないことに気づく。再生時間の表示はなく、代わりに現在時刻が画面端でゆっくりと点滅していた。プログラム上で想定されていなかったのか、年月日の表示はバグで判別不可な文字に置き換わってしまっている。


「ハルキ、この映像リアルタイムだよ。他の二つも……うん、どっちも同じだ」

「三つあって、全部か? んで、戦闘機も映ってないってんなら……あー、裏側ってことか。ちょうどこっち側と、モニター並んでる側と、監視カメラんとこと」


 ハルキが言った順番に天井の各方向を指さす。絶対に同じだとは言い切れないが、確かに雲の形や光の加減は似通っているように思えた。


 戦争自体が無人とはいえ、それを支える施設ともなればいつ背後から襲われるかも分からない。なるほど、常に全方向を監視しておくのは当然のことだった。カメラが動かせる範囲は広くないが、キーボードを使えば拡大・縮小やある程度の上下左右移動もできる。


 むしろ他方面の監視をこの場所に割り振っておくことで、コンソールの役割を正面側に集中させる目的もあるのだろう。各映像の移動範囲や遡れる記録の限界などを調べながら、レイトは技術者の血を引く人間として、当時これらの機械を操っていた人々と交流したい衝動に駆られていた。


「……よし、こんなところかな。それじゃあハルキ、正面の方に戻ろうか。ニタちゃんも、そろそろいい?」

「うん、私は大丈夫!」先に戻っていたニタが、片手を大きく振って答える。「研究者さんの骨、白衣に包んで端っこに移動させといたよ。レイちゃん、椅子使うでしょ?」

「そうだね、長期化するようなら。その人には悪いけど、遠慮なく使わせてもらおう」


 それで、この施設が役目を終えた後に埋葬を。墓地のようなものはあるだろうか。

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