故郷の縮図

 機械音声の終了と共に、金属の扉が重々しく開く。その先に現れた長い廊下は、やはりしっかりとした管理が行き届いている様子だった。床に積もったホコリこそ相当量であるものの、照明は明るく壁や天井の損傷もない。


「防護服、ここで脱いでけって言われたよな。レイト、実際のとこどうなんだ?」

「空気を綺麗にしても、服の表面に付着した分は持ち込まれるおそれがあるからね……えっと」レイトは頷いて計器を取り出す。「うわ、ほんとだ。針がほぼゼロに近い」

「ゼロってことは……脱いでもいいってことだよね。じゃあ私、脱いじゃおっかな!」


 そう言うや否や、ニタは勢いよく防護服の頭部を引っこ抜く。確かめるように大きく深呼吸をして、そして歯を見せて笑うと二人に向かって親指を立てた。


「うん、大丈夫みたい! 綺麗な空気だよ!」

「あ、ありがとう。なんか、数字が証明してるとはいえ……ニタちゃんって、ほんと怖いもの知らずだよね……」

「今に始まったことじゃないだろ。よし、んじゃ俺も脱ぐか」


 ハルキも続いて防護服に手をかける。頭から靴まで全身を一気に脱ぎ捨て、いそいそとブーツに履き替えた。


「おー、これこれ。やっぱかかとがないと動きづらいよな」

「普通は逆だと思うんだけど……脱いだ防護服は、まとめてこの部屋の隅っこにでも置いとこうか。あちこち持ち歩いて、パンデミックを引き起こしかねない何かがついてないとも限らないし」


 二人に遅れて、レイトも全身の防護服を脱ぐ。シールド越しでなく直接吸い込んだ空気はひんやりと澄んでいて、肺の隅々まで流れ込んでいく感覚が手に取るように伝わってきた。


 なにせ今まで十時間近くもの間、吐き出した息を自分で吸い直すような呼吸を繰り返してきたのだ。常に新鮮な空気を吸い続けられることがこんなに幸福だなんて、今回の体験がなければきっと気づかないままだっただろう。


「二人とも、服装は整った? それじゃ先に進みたいんだけど……行き当たりばったりより、まずは館内の地図が欲しいよね」


 長い廊下を、三人は横並びになって歩き始める。自然エリアの空気も十分に綺麗だったが、この場所の空気はひどく懐かしい匂いがした。レイトが地下都市で散々嗅いできた理想の大気組成、人工的に生み出された『模範解答』の匂いだった。


「こういう一般に開放された施設なら、入り口近くの壁に地図が表示されてるはずなんだよ。受付や案内所は見当たらないけど、部外者として歓迎されたわりには公的機関じゃないのかな」

「……あっ、レイちゃん見て、あれじゃない? ほらあそこの、開いたドアから見えてる建物っぽい絵の」


 ニタが気づいて指し示したのは、まさにレイトが思い描いていた通りの地図だった。建物を輪切りにしたような図と、どの階層に何の部屋があるかを示す情報。地下都市のようにデジタルで投影されているのではなく、大きなプラスチックの板に印刷されて壁にビスでとめてあるものだった。


「このホコリの感じだと、普段から使ってた部屋とは考えにくいね。客人が普通に足を踏み入れるような場所じゃないはずだけど」レイトは部屋に入り、地図の前に立って内装を軽く見渡す。「ここは……入り口の場所と廊下の方向からして、第二事務室かな。情報のありそうな部屋ってどれだろう」

「そりゃこの端の、資料室は外せねぇだろ。あとは三階フロアを全部使ってる研究室とか見るからに怪しいよな」

「この四階にポコッと出っ張った観測室は? それと、地下の制御室も気になる!」


 二人が地図上の思い思いの地点を指さしながら同時に喋り出す。分かった分かった、とレイトは両手のひらを左右に突き出して二人を押し止めた。


「とりあえずその辺にしておいて、まずは行く順番を決めよう。資料室と、研究室と、観測室と、制御室……単純距離で一番近いのは資料室だけど、道のりが複雑そうだね。奥にも階段があるし、ここは後から降りてきた方がいいかも」

「研究室を調べながら進めば、無駄がないもんね。観測室はその前? 後?」

「位置的にここの真上だから、研究室よりも先に行った方がいいだろうね。あと、制御室は地下だから……」

「地下に行く階段ってのは、他と別になってるんだな。資料室の向かい側にもあるし、ここは最後でいいんじゃねぇの」


 決まったルートを指先でなぞって再度確認し、三人は最初の目的地である観測室を目指すことにする。かなり大きな声で騒いでいたはずだが、どこかから人が現れるような様子は見られなかった。


 それもそうか、とレイトは静かに息を長く吐く。四百年間人が住み続けていた可能性を考えていたが、地図に居住区画のようなものは見当たらなかったのだ。仮眠室や給湯室、シャワールームこそあるにはあったが、食糧庫だってそこまで広い面積をとっているわけではない。何十人もの人々がずっと暮らしていけるような設備はどこにもなかった。


 レイトの知る医療技術を総動員しても、延命可能な人間の寿命はせいぜいが二百年。この施設を守っていた住人は、たとえ数代続いたとしても百年ほど前には息絶えてしまっているに違いなかった。それくらいの期間なら機械だってなんとかなる……かも、しれない。


「よし、この上だな」一足先に階段を駆け上り、三階で二人を待っていたハルキがすぐ隣の明らかな隔離空間に顔を向けた。「この半透明の扉の先が研究室だろ? なんか滅茶苦茶広そうで、俺、もうゲンナリしてんだけど」

「地図的には、軍の研究機関って感じだもんね。ていうかなんでここ、エレベーターもエスカレーターもないわけ? 研究者だからって運動不足解消は分かるけど、もうちょっとテクノロジーな方法はあったでしょ」

「レイちゃん、さっき二階にエレベーターって表示があったけど。あれは違うの?」

「あれは荷物運搬用だね。たぶん劇薬とか振動厳禁の……耐荷重量的にもサイズ的にも、人間はまず乗れないと思う」


 よほど大きい機械があるのか、この三階だけは天井高が他の倍近く確保されている。だからといって人間の足は伸びないのだから当然、踊り場を一回折り返したくらいでは上の階につかなかった。二回、三回、と曲がってようやく、観測室らしき空間が見えてくる。


 階段の終着点は、観測室の中央にあるようだった。紺色のカーペットが敷きつめられた円形の床に低い壁、ドーム状の天井は透明……ではなく、これは映像か。どうやら地下都市ではおなじみの偽天球を、そのまま小さくしたような代物らしい。


 部屋の直径はおよそ十五メートル程度だろう。小さなライトが等間隔に設置された壁際には、四方にエリアを分けて計測機器らしきものがガラクタのように積み重なっている。作業効率は決して良くない環境のように思えた。


 その雑多な雰囲気に対して、空いた中央部のスペースに置かれた椅子と机は整然と並べられている。こちらは簡易的な休憩所になっているようだった。


「この天井……晴れてたら、いい景色が見られるんだろうなあ」レイトは部屋全体をぐるりと見回し、近くの机に鞄を下ろす。「とりあえず、荷物はここに置かせてもらって……と。ライトがあるから見えないわけじゃないけど、やっぱり夜だと暗いね。どうする? 今日は先に研究室の調査を進めて、ここは明日にする?」

「つかもう、ここで寝る」ハルキは既に、空いたスペースで寝転がっていた。「だって床、こんなに柔らかいんだぜ? 思う存分ゴロゴロしてやるのがスジってもんだろうがよ」

「あ、ちょっとそこ、目立たないかもだけどホコリとかものすごい量なんだからね!」

「知らね。郊外だってホコリでできてるような場所だったじゃねぇか」


 あの瓦礫とコンクリートにまみれた街並みが脳裏に浮かび、レイトは思わず口を閉ざす。

 空を映す天球、ハイテクノロジーな機械、舞い上がるホコリと居心地のいい地面。そう考えると、この部屋はある意味で故郷に近いのかもしれなかった。


「ねぇレイちゃん、だったらこういうのはどう?」


 と。いつの間に降りていたのか、ニタが階段からひょっこりと頭を出す。両手に何やら棒のようなものをいくつか抱えていた。


 ニタが部屋に上がり、何本ものホウキが机に立てかけられる。棒の先にプラスチックの繊維がバサバサとついた、よく言えば古き良き、悪く言えば前時代的なアレだ。


「これ、研究室に入ってすぐのところにあったんだけどね。今日ここで気持ちよく寝られるように、みんなでお掃除するの!」

「いいね、僕は賛成だな」レイトはホウキの一本を手に取り、小声でひっそりと呟く。「こういう研究機関的な場所って、複雑な機械にはいくらでもお金をかけるくせに……掃除道具とか調理器具とか、細々したものには信じられないほど無頓着だよね……」


 せめて掃除機の一つくらい、あってもいいと思うのだが。絨毯の上のホコリをこのホウキでどれだけ取れるのかも微妙だが、とにかくやってみるしかないか。


「ほらハルちゃん、おーそーうーじ!」ニタが、まだ転がっているハルキの側面をホウキでバシバシと叩く。「寝てないで手伝ってよ!」

「俺はやるとか賛成とか、一言も言ってねぇっつの! 大人しく隅っこにどいててやるから、おまえらだけでやれよ」

「ハルキ、だけど一人だけ寝てるってのはさ……」

「あん? レイトおまえ、まさか多数決とか言い出さないよな? 同調圧力とか多数派が正義とか、そういうの一番嫌いだったはずだよな?」


 地下都市にいた頃から、大の掃除嫌いだったハルキである。こういう押し問答になだれ込んでしまうと、おもちゃ屋の前の幼児のように駄々をこねて動かなくなってしまうのが常だった。


 子供なら担ぎ上げるなり叱責するなりすれば済む話だが、この成人はそうもいかない。

 そう、つい忘れかけてしまうが最年長なのだ。これで。


「ニタちゃん、もういいよ……僕たちだけでやろう。その代わり、ハルキは粗大ゴミにしちゃっていいから」

「んだよ、んなこと言ってるともう力仕事も獣退治もしてやんねぇぞ」

「じゃ掃除して」

「……粗大ゴミでいいわ」


 大あくびをして再び横になったハルキを、頬を膨らませたニタがホウキの先で執拗につつく。


 現実から目を背けるように天井を見上げたレイトは、雲の隙間から星の一つでも見えないかと焦点の合わない視線を投げかけるのだった。

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