猛威

 目的である地下二階への階段は、非常口の目の前にあった。空間自体は通路の延長といった雰囲気だが、両脇に見たことのない機械がいくつか取り付けられている。地下一階部分はこれで今度こそ終点のようだった。


「ふう、やっと進展だね」階段だけをちらりと確認したレイトは早速、謎の機械に近寄って調べてみることにする。「小さい液晶画面と、二列に並んだボタン。この穴は……カードが入るのかな? こっちはコインなら入りそう」


 カードとコイン、といえば販売機が思い浮かぶ。機械の大きさからして飲食物ではなさそうだが、一体何を売っていたのだろうか。似たようなものに見覚えがあるような気もしないではないが。


「ねえレイちゃん、あれ読める? 何が書いてあるんだろう」


 隣で松明を高く掲げたニタが、レイトの肩を叩いて頭上を指さした。見ると、横長の大きな看板らしきものが、並んだ機械の上部をまたいで設置されている。いくつかの楕円が線で繋がれた絵が辛うじて読み取れるが、端から端まで眺めてみても意味のある図形には思えなかった。


「うーん……大きさ的には広告じゃないかな? 配置も見やすい場所を選んでるみたいだし」

「広告かあ。こんなロープ? が昔はあったってことだね。何に使うんだろ」

「さあ、そこまでは僕にもなんとも……」


 看板からそれ以上の情報は読みとれないうえ、やはり機械には電源が入らない。レイトは半ばヤケクソになって、機械についたボタンを片っ端から適当に打ち叩いた。

 思ったよりも楽しい。バチバチという小気味のいい打鍵音に、途中から引っかくような音が混ざる。


「なんか合奏みたいだね。ニタちゃん、その音どうやって出してるの?」

「音? 私、なにも触ってないよ?」

「いやいや、じゃあこのガリガリっていうのは?」


 レイトは手を止め、音のする方向を見た。ニタの姿はなく、シャッターがあるばかりだ。


「レイちゃん、私はこっちだよ」ニタの声は背後から聞こえてくる。「この音、あのシャッターの向こう側から聞こえてくるみたい」

「あれ、ほんとだ。でもあんな継続的というか規則的というか、あっち側にはそういう音を出せそうな機械もなにも――あ」


 気づく。気づいてしまう。


 足音が聞こえなかったことに安心し、初めからそこに居座っていた可能性を失念してしまっていたのだ。


 レイトは全身の筋肉をフル稼働させて身体を回転させ、ニタの腕を掴んだ。その勢いのまま地面を蹴り、下階への階段に向かって一目散に走り出す。


「え、なに、レイちゃん、あの音――」

「いいから、走れ‼」


 階段室に駆け込みながらレイトがそう叫ぶと同時に、


 凄まじい破壊音をたてて巨大な二本の前歯がシャッターを突き破った。


「あ、あれ、あのネズミ⁉」

「そうだけど、振り返ってる暇なんてないってば! 転んで落ちたら、僕は抱えて走れないんだから!」


 細かな瓦礫を踏んでしまえば、滑り落ちるリスクが高まる。できるだけ損傷の少ない部分へ足裏を正確に落としながら、レイトは背後にいるであろうニタに向けて一喝した。


 もう手は離している。ニタの方が遅いのは百も承知だが、だからといって手を掴んだまま階段を駆け下りるのはまずい。そのうち二人まとめて転げ落ちて肉団子になってしまう。


 ギイギイと、階段室の入り口でネズミが身体をつまらせているらしき鳴き声。もはや偶然ではなく、明確に二人を狙っていると分かる挙動だった。時間稼ぎとしては優秀だが、あれではきっと時を待たずに突破されてしまうだろう。かじるまでもなく、単純な力で崩されてしまう。


「ニタちゃん、いい? 階段を降りきったら、とにかく狭いところを選んで走り抜けるからね。構造上、壁か柱か、どっちかは必ずあるはずだから」

「う、うん……細い、通路があったら、いいんだけど」


 階段室は入り口こそそれらしく区分けされていたが、その中には階段とエスカレーターが隣り合って設置されていた。そのため中々に広く、ネズミがあの壁を通り抜けてしまえばもうその歩みを止める物理的な障害は存在しない。そしてもちろん、平等な条件下で二人があのネズミに足の速さで勝てるとは到底思えない。


 ネズミが壁を破壊した音が聞こえると同時に、レイトは階下へ辿り着いた。空間の把握は後に回して、まずは視線から逃れようと進行方向を横向きに定める。


「こっ……わ、わ!」

「レイちゃん‼」


 すんでのところで、鞄に縋りついたニタがレイトの落下を食い止めた。どうやらこの階層では、通路の左右が壁ではなく穴になっているらしい。


 尻もちをついた姿勢から立ち上がると同時に、レイトは懐中電灯を取り出して暗いまま構えた。階段からネズミの鼻先が見えたのを確認して、ニタの分もろとも松明を穴の方向に放り投げる。暗闇の中、ニタの手を引き数秒だけ前方に全力疾走して、そこで懐中電灯のスイッチを入れた。道先が見えたが、走る速度は緩めない。


 この行動が、誘導になったのかどうかなんて分からないけれど。

 少なくとも、懐中電灯の光は背後に届きにくいはずだ。


 足元には、黒い道がまだまっすぐ続いていた。その先に、薄ぼんやりと光を反射する小さな小屋のようなものが見える。


「レイちゃん、あそこに……!」

「うん。とにかく、呼吸を、一回、整え、ないと」


 こんなに本気で無酸素運動をしたのは、一体何年ぶりだろうか。限界を訴えるレイトの肺が、貪欲に酸素を求めて激しく収縮する。


 足元に散らばるプラスチックの破片をなるべく踏みつけてしまわないように。道の真ん中にところどころ置かれている金属製の前衛的なオブジェに足を刺されてしまわないように。それだけを考えて無理な疾走を続け、やがてレイトは小屋の中へ転がり込む。数秒遅れて、ニタもレイトの上に倒れ込んできた。


「ハァッ、ハァッ……グ、ガハッ……」


 入り口の扉はなくなっていたが、崩れた天井の破片が上手く身を隠す場所になってくれていた。ここで電気を消して息を潜めていれば、もしかするとネズミを撒けるかもしれない。

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