閉じた扉の鍵

「うわあ……これは、盲点だったなあ……」


 人が二人並んで通れるほどの通路を前に、レイトはそう嘆いて天を仰いだ。現在地は出発点のさらに前まで巻き戻り、地上から降りてきた階段の裏側にあたる横壁の部分である。


 背後の壁には、奥のシャッター付近で見たものと同じ巨大ネズミの巣穴ができていた。走っていったはずなのに引き返してくるのが遅い、とは薄々思っていたのだ。


「位置関係からして、ここをまっすぐ行けばシャッターの裏側に出るね。なるほど、部屋じゃなくて通路だったんだ」

「狭いから、あのネズミは追いかけてこられなさそう。それとも、まさかこの壁もかじっちゃう……?」

「まあ可能だろうけど、さすがに時間がかかるだろうしそれはしないと信じてる。先に向こう側に穴を開けて、出口で待ち伏せしてるほど知能犯でもないと思うんだ」


 ふんふんと頷くニタの視線は、通路の奥にまっすぐ固定されていた。前傾姿勢を支える片足が既に半分踏み込みかけている。わざわざ分析するまでもなく、我慢の限界だった。


「それじゃ、行ってみようか。何もないと思うけど、足元には気を付けてね」

「うん! レイちゃんも転ばないようにね!」


 松明を高めにかざし、ニタは意気揚々と進んでいく。松明より懐中電灯の方がいいだろうか、決められないまま二種類を両手に持ってレイトはその背中を追う。通路はひたすらにまっすぐで、幸い天井や壁が大きく崩れている箇所もなかった。


 ここはおそらく非常用の脱出路としてだけの利用だったのだろう。横壁にペイントが施されていたであろう痕跡はなく、照明も天井に近い部分にぽつぽつと置かれているだけ。通常開放がされていればいい近道として存分に活用されたことだろうに、なんだかもったいない。


「あ、この扉だね! ……あれ?」


 何の障害も気移りもなく、ただただ進めば存外に大したことのない距離だった。先に奥まで辿り着いたらしいニタが、扉を前にしてなにやら困った素振りで忙しなく動いている。


「どしたの、ニタちゃん? 扉、壊れてた?」

「ううん。そうじゃなくて、鍵がかかってるみたいなの」


 ニタがドアノブを掴み、ガチャガチャと揺さぶってみせる。錆や歪みも見た限りでは少なく、開かないのは鍵のせいで間違いがなさそうだった。


「ここの鍵って……電子ロックじゃあ、さすがにないよね」ドアノブ付近を照らしたレイトは、すぐ下に同素材の台座のようなものがあることに気づく。「これかな? この穴に何かを差せば……南京錠と似てるし、針金でやってみるか」

「えー、針金……?」ニタは口を固く結び、悩ましげな表情で首を小さく傾けた。「ねぇレイちゃん、普通に鍵、探さない? その方が絶対早いよ」


 そしてその場で低い姿勢をとり、扉の周辺、床や壁を調べ始める。しかし数分経っても周囲にそれらしいものはなく、ニタは諦めたように立ち上がると腰に手を当ててレイトの顔を振り仰いだ。


「レイちゃん、鍵ってどこに置いてあると思う? 近くに隠してあったらいいなって探してたんだけど、全然見つけられなくて」

「こういう施設なら、まとめて管理してるのが普通だと思うよ。けど、さすがに具体的な場所までは……今まで回った部屋のどこかには、あると思うんだけど」


 言いながら、レイトはそれっぽい記憶がないかと脳内をまさぐってみる。ニタに教えてもらったおぼろげな鍵のシルエットで検索してみたが、残念ながらヒット数はゼロだった。


「電子ロックなら機械室だけど、アナログなら事務室とかになるのかな。最初に入った部屋が、確かそんな感じだったっけ」

「あ、それなら入らなかった部屋の中で奥にあった方も! あっちも机とか棚とかいっぱいあったし、鍵があってもおかしくないと思う」


 計器の異常数値のため捜索を断念した部屋も、一応入り口からの観察だけは行っていた。最初の部屋がオフィスじみた事務室なら、ニタの言っている方はさしずめ所長室といったところか。やたら値段の高そうなホールクロックと、劣化の欠片も見られない大理石の重厚な机が印象的だったのを覚えている。


「それじゃあレイちゃん、手分けして探そう! 私、見てなかった方の部屋に行くね!」


 言いっぱなしで走り出そうとしたニタの前にレイトは立ちふさがる。わぷっ、とニタの顔がレイトの胸にめりこんだ。


「もう、いきなり脊髄反射で動きだすのやめてよ……。いくらニタちゃんが毒耐性のある体質だからって、そんな明らかに害のありそうな場所にホイホイと送り出せないって」

「うー。でも、火を消す用の水だってもうほとんど残ってないじゃん」

「気にしなくていいってそんなの。懐中電灯もあるし、一旦地上に戻って二時間ぐらい歩けばしっかりした規模の川も見つかってるんだしさ」


 だから、一緒に行こう。レイトの真剣なまなざしに折れたのか、ニタはしぶしぶといった様子で首を縦に振る。


「……でも、レイちゃん。もし、最初の部屋で鍵が見つからなかったら」

「うん。その時は大人しく、僕もニタちゃんにお願いするよ」


 それを聞いて、ニタの口角がほんの少しだけ上がる。レイトも微笑んで返し、二人は細い通路を逆向きに進み始めた。



 火のついた松明を立てかけておいても燃え広がらないのは、コンクリートの壁の大きな利点だ。


「さあレイちゃん、くじ引きの時間だよ!」


 レイトの待つ非常口の前に戻ってくるなり早々、やけにハイテンションなニタが拳を天高く突き上げる。よく見ると、ジャラジャラと金属音を鳴らす何かの束がその手に握られていた。


「おかえり。ごめんね、何も手伝えなくて……大丈夫だった?」

「もちろん、とっても元気だよ! ちゃんと戦利品も見つけたしね!」


 結局最初の部屋で鍵は見つからず、ニタに未侵入エリアの捜索を任せることになってしまった。つまり、ニタがこれを見ろとばかりに振り回しているあのうるさいのが鍵なのだろう。もっとよく見ようとレイトが目を細めた矢先、ぽーいとニタの手を離れた鍵束が弧を描いて飛んでくる。


「うわっとと……」両手で鍵束を受け止めたレイトは、手の中の赤茶色の塊をしげしげと眺めまわした。「……やけに多くない? もしかして、ここにある扉全部の鍵がついてるの?」

「そう、だからくじ引きの時間! レイちゃんと私と、どっちが先に正解の鍵を見付けられるか、勝負だからね!」


 ニタに促されるまま、レイトは鍵束の中から一本を適当に選んで鍵穴にあてがう。ほんの二ミリ差し込んだところで、鍵はどうにも進まなくなってしまった。


「ハズレってことか……これ、使い終わったのは印付けといたほうがいいね」


 レイトが鍵の持ち手部分にナイフでバツを刻む間、待ちきれないニタが自身の一本目にチャレンジする。今度は五ミリほど進んだ、がそこでやはり止まってしまった。


「ニタちゃん、ネズミはどうだった? こっち側でも、何回か通り過ぎる音が聞こえたけど」


 レイトの二本目。失敗。


「相変わらず元気そうだったよ。二回くらい通ってったかな? 目はあんまり見えてないみたい」


 ニタの二本目。半分くらい一気に突き刺さって、しかし正解には至らない。


「主に地下で活動する生き物だからね。その代わり、嗅覚と聴覚は鋭いはずだけど……これだけ自分の臭いが強いと、僕たちの体臭なんて微々たるものなんじゃないかな。人工的な閉塞空間で良かったよ」


 レイトの三本目、これでやっと半分だがまだ扉は開かなかった。いっそ、不運はここで使い切ってしまいたいとさえ思える。


「あと、耳は……足音が消しちゃってるのかな。私たち、結構喋ってるけど襲って来ないもんね」


 ニタも三本目を手に取った。幅が太く、そもそも穴に入る気配がない。もしかしたら、この鍵だけは扉ではなく別の機械の鍵なのかもしれない。

 扉の役割なら、シャッターの起動装置か。だとしても、電気がなければ動かないことに変わりはないが。


「距離のせいもあるかもね。つまり、近くで息を潜めてる時に話してるとマズいってこと……あっ」


 ガチリ。レイトの四本目で、ついに鍵が反応を見せた。不安になる音を立てながら鍵穴ごと四分の一回転し、回り切ったところでポッキリと折れる。鍵は開いたが、もう二度と閉め直すことはできないだろう。


「開い……た、ね。鍵折れちゃったけど」

「折れちゃったね……でも、レイちゃんの勝ちだよ!」


 おめでとう、とニタが顔の前で控えめに拍手する。意外なことに、あまり悔しがっているようには見えなかった。最初の意気込みからして、場合によっては地団駄を踏みまくるくらいのことを想定していたのだが。


 レイトは床の松明を拾い、もう片方の手で非常口のドアノブを回す。残った鍵束は、いつか使うかもしれないと鞄に放り込んでおいた。


 扉が何の抵抗もなく開いたことに、まずはほっと胸を撫でおろして。次いで、シャッターの向こうだった光景をざっくりと把握する。

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