飛び入り

「はぁ⁉ なんだって⁉」


 翌朝。散歩から帰ったレイトを出迎えたのは、そんなハルキの大声だった。


 文字盤の足りない古時計によれば、現在時刻は午前十時をやや過ぎたところ。ハルキにしては珍しく早起きと言える時間である。


「だから! 私も行く、って言ったの!」


 見ると、大きな布のかたまりを抱えたニタがハルキに詰め寄っていた。昨日の意気消沈っぷりはどこへやら、上目遣いにハルキを睨みつけるその瞳はとてもまっすぐで活気に満ち溢れている。


「いやだっておまえ、昨日あれだけ危ないとか死ぬとか言ってたじゃねぇか」

「だから行くの! 行きたいの!」

「何がだからだよもうワケ分かんねぇよ」


 朝から元気だなぁ、とレイトは足を階段に残したまま両腕をあげてゆっくり伸びをした。ついでに大きなあくびもしたところで、ニタの顔がレイトの方を向く。


「あっ、おっかえりーレイちゃん! どこ行ってたの?」

「数日でも滞在するわけだから、散歩がてら近所にちょっと挨拶でもと思ってね。まあほとんど会えなかったけど……ほら見て、畑の向かいに住んでる人にこんなのもらっちゃった」


 レイトが差し出した手のひらサイズの貝を、横からハルキが指先で突っつく。別に嚙みついたりはしないみたいだよ、とレイトは苦笑して貝を魚と一緒の保管場所に置いた。


「あーでもこれ、生きてるんだったら塩水につけておいたほうがいいのかな……。それで、二人は一体何を騒いでたの?」


 ハルキは無言で両肩を上げ、親指でニタを指し示す。そうだった、とニタはその場で小さくジャンプした。


「あのね、私もレイちゃんとハルちゃんについて行くことにしたの! いいよね?」

「それは……まあ、僕は構わないけど」レイトは頷き、貝を入れるための塩水を調理スペースの隅から拝借してくる。「でもどうして急に? さっきハルキが言ってたのも聞こえてたけど、ニタちゃん、犬のことあんなに怖がってたじゃない」

「うん、それは今だって犬は怖いし絶対死んじゃうって思ってるけど……でもね。話したでしょ、私の夢。いつか、私の知らない世界を見に行くこと!」


 言われて、レイトは丘の上での記憶を思い出す。確かにあの時、地下都市の話を嬉しそうに聞くニタはそんなことを口にしていた。


「森に行けないからって船が作れるわけでもないし、街の人は誰も外に出たがらないし。確かに森は危ないし怖いけど、でも、今二人を見送っちゃったら絶対に後悔するって思ったから。それにね、知らない世界で頑張れてる二人と一緒なら、私もなんだか頑張れそうな気がするの」


 そう話すニタからは、強い決意の感情が滲み出ている。壁にもたれかかったハルキが、不満げに唇を尖らせた。


「なんだよ。俺にはゴリ押してきたくせにレイトにはちゃんと理由話すのかよ」

「えー、だってハルちゃん理屈通じなさそうだし」

「それおまえだけには言われたくねぇんだわ!」


 心なしか、ハルキのニタに対する態度が柔らかくなってきている気がする。昨日の一件でハルキの心境にも何か変化があったのだろうか。もしそうなら、喜ばしいことこの上ないのだが。


 塩水に落とした貝を、レイトは保管場所に置き直す。これならしばらくはちゃんと生きていてくれそうだった。


「言っとくけど、俺、二人も守ってやれる自信はねぇからな。レイト、ニタはおまえが面倒見ろよ」

「うっ……他人の命を預かるだなんて、十六歳の平凡な理系少年には荷が重い……」

「なーに言ってんだ。俺は十二かそこらの時から十年以上それをやってんだぞ」

「あ、お疲れ様ですいつもお世話になっております」

「挨拶はいいから協力しろっつってんだよ。ああ、それと」


 ハルキの視線がレイトからニタに移る。ニタはきょとんとした表情で首を傾げた。


「ニタ、おまえ身体脆いだろ。転んだ先に岩が転がってたら、それだけで死んじまうくらいには」

「え? えっと……そうなのかな? みんなと同じだと思うけど……」

「へぇ、みんな一緒? だったら……地上の人間は全員脆いもんだって考えてもいいかもな。て、ことはだ……」


 何かに気付いたようで、ハルキは何もない空間を見詰めて考え込んでいる。


 確かに言われてみれば、出会った時からニタはケガをしやすかったように思えた。ハルキに引き込まれたとき、地面についただけの手のひらは大きくすりむけていたのだ。トンボを捕まえて切り傷を作っていた草むらも、よくよく考えてみれば柔らかい草ばかりだったはずである。


 敵だらけの環境が作り上げた、最低限の接触で特徴を見抜くハルキの観察眼。それはレイトがどんなに興味を持って人に接したところで、決して会得できないものだった。


「……なぁレイト。もしかしたら、なんとかなるかもしれねぇぞ」

「ん? 何が?」

「何がって、犬だよ。いーぬ」


 やがて、結論を得たらしいハルキがそう言って上体を壁から離す。ほんの少しだけ喋るスピードが速くなっていた。


「ほら、ニタの言ってた『出会ったら死ぬ』っていうのは、地上の基準なわけだろ? 地上の人間が脆いってのが前提だったら、例えばおまえなら一回くらい噛まれても生き残れるかもしれないし、俺なら倒せるかもしれない」

「うーん、可能性は否定しないけど……」レイトは眉間にしわを寄せ、首をゆっくりと斜め前方に傾ける。「さすがにそれは楽観的すぎないかな? 少なくとも、車サイズの犬がいるのは事実なわけだし。都市にいた膝下サイズの犬とはアゴの力も体重も桁違いでしょ」

「だからって臆病になってちゃ勝てるケンカも勝てねぇもんだぜ? どうせぶち当たる壁なんだから、傲慢なくらいがいいんだよ、こういうのは」


 そう言い終わるや否や、ハルキは片頬を歪めて笑うとタバコを取り出して入り口の階段を上っていった。

 取り残された二人は、どちらからともなく視線を合わせて苦笑する。


「ごめんねニタちゃん、ハルキっていつも大体あんな調子だから……」

「ううん、それは全然いいんだけど……ねえレイちゃん、ハルちゃんならほんとに犬に勝てるの? 倒せるの?」

「それは……やっぱり、今の段階ではなんとも。でも、ハルキが強いのは事実だし、実際に今まで一緒に郊外に住んでた僕や仲間も守ってもらってたんだよ。まあ、だから他に有力な作戦もないし。僕は、賭けてみてもいいかなとは思ってる。望み薄ではあるけど、逃げたところで逃げ切れるとも限らないしね」


 ハルキの主張に反論こそしたものの、レイト自身も逃走か応戦を迫られれば後者を選ぶつもりだった。スタンガンが効く相手とも思えないが、身体が大きければ小回りが利かない可能性だってある。ハルキが攻撃している間、周囲を駆け回ってかく乱する役くらいはレイトにもできそうだった。


「よし、そうと決まったら出発に向けて準備を始めようか。食べ物と、森で使えそうな道具と、あとは……」

「あっ、じゃあ私、罠の確認と干し魚用の塩、取ってくるね! ハルちゃんにも手伝って、って言わなきゃ」


 ニタが抱えていた布をその場に放り出し、階段を駆け上がっていく。

 レイトはその山が取り込んだ三人分の洗濯物であることに気付くと、床に膝をついて一枚一枚丁寧にたたみ始めた。

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