プロローグ


 中学二年生も終わりにさしかかった冬のことだ。

 こたつ布団に浸かっていた私は惰性でつけているテレビ番組をボーッと眺めていた。私と同じくこたつの温もりに身を委ねていた桜が出し抜けに口を開いた。


「お姉ちゃん。私、カレシできたんだ」


 お姉ちゃん、そこのみかん取って。

 まるでそんなことを言うようなトーンだった。私は桜の方に目を向けたが、桜は能面づらでスマホ画面を眺めている。恋に焦がれる乙女の顔でもなく、甘酸っぱい幸せに笑みをこぼしているわけでもなく、桜はいつもの桜の顔をしていた。


「誰? 私の知っている人?」

「葵くんだよ。同じ部活の」

「ああ、葵くん」


 学年も学校も一緒だし、桜から名前を聞いたこともあったしで顔は知っている。前髪が長くて女の子みたいな顔をしていたっけ。その時の私の葵くんへのイメージはそれくらいだった。

 桜から恋愛について浮いた話を聞くのははじめてだった。彼女は昔から人懐っこくて、特に男の子の友達が多い。私が言うのもなんだが顔も整っている。人類をおおなたで真っ二つにカテゴライズしたら間違いなくモテる部類に入るだろう。異性から思いの丈をぶつけられたこともあると思う。

 だけど彼女は今まで一度も恋人を作らなかった。私は勝手に、桜自身が恋愛に対して淡白なのだと思っていた。


「意外だね。桜がカレシ作るなんて」

「一回断ったんだけど、すぐにまた告られてさ。そんなに言うなら付き合ってみようかって、根負けした感じ」

「へぇ、葵くんって情熱的なんだ」

「いや、普段は大分さめてるよ。だからちょっと、意外だったっつーか」

「ギャップ萌え?」

「……どうだろ」


 珍しく言い淀んだ桜は年相応にいじらしく、久しぶりに彼女の素の顔を見た気がした。私は、同い年の妹を愛おしく感じ、同時に、少し遠くに行ってしまったような寂しさも覚えていた。


「よかったね。おめでとう」

「おめでたいことなのかな? まぁありがとう」


 首をかしげた桜が、すぐにくしゃっと顔を潰して笑う。彼女はこの話をつづける気はないようだ。沈黙が訪れ、たゆたうような時間が戻ってくる。私もそれ以上何も聞かなかったし、桜はテーブルに顔をつっぷしだらだらとスマホを弄んでいた。



 終業式が終わり、束の間の春休み真っただ中の私は何をするわけでもなく、やはりこたつに入ってだらだらしていた。

 ふいに、テーブルの上に置いていたスマホが振動する。手に取って画面を見ると桜からの電話着信だった。彼女は今日、朝から水泳部の記録会にでかけていたはず。


「ごめんお姉ちゃん。痛恨のミスを犯した。私このままだと死ぬ」


 どうやら彼女はお弁当を家に忘れてしまったらしい。ふぅっと嘆息した私は会場の場所を聞き、学生服に着替えて家を出た。木枯らしが私の素足をなぞり、私は心の中で桜に恨み節を吐いた。

 会場である近所の私立中学に着き、私は室内プール場に向かった。観客席の入り口で、タオルを羽織りきょろきょろしている水着姿の桜が目に入る。私が近づき、お弁当箱を桜に突き出すと、「九死一生きゅうしいっしょう神姉感謝かみあねかんしゃ」桜はヘコヘコとわざとらしいお辞儀を繰り返していた。


「せっかくだしさ、お姉ちゃんちょっと見学していきなよ。私の出る種目もうすぐだし」


 桜がそんな提案を私にした。私は少しだけ考えた後、じゃあ、そうしようかな。と返した。

 スポーツ観戦の趣味も、男子の半裸体を見て狂喜する趣向も私は持ち合わせてはいないが、家に帰って特段やることはない。桜と別れた私は一番奥で一番端っこの席にちょこんと腰をかけた。


 どうやら今は男子種目の時間らしい。水しぶきを激しく立てブルドーザーのように前進する彼らの姿はとても同い年の同じ人間とは思えない。スポーツとは無縁の生活を送っている私は彼らのフィジカルに感心していた。高校に入ったら運動部のマネージャーでもやってみようかな。そんな気にさえなる。


「あっ」


 目に映ったその姿に思わず声がこぼれた。

 今まさに飛び込み台の上に立ったその男の子の顔に、私は見覚えがあった。葵くんだ。

 甲高いホイッスルの音が室内に響き、たんっと跳躍した葵くんが水面に溶け込んでいく姿はなんだか優雅だった。葵くんは力任せというより、綺麗なフォームで長い両腕をしなやかに旋回させていた。

 あれよあれよと周囲のコースの選手たちと距離を離していき、ターンしてスタート地点に戻ってきた時には二番手の選手と全身一つ分の差をつけてゴールしていた。

 葵くんがプールから上がり、水泳帽とゴーグルを取り、頭を軽く振りながら歩く。桜たちがいるうちの学校の集団に戻った葵くんは、他の生徒たちからバンバンと肩を叩かれていた。好タイムでも出たのだろうか。葵くんは照れたようにはにかんでいた。

 私は、葵くんの一挙一動を遠目からまじまじと観察してしまった事実にハッとなり、慌てて目を逸らした。心臓の鼓動が何故だか止まらなかった。思えば、


 私が葵くんを一人の男の子として意識しはじめたのは、この時がはじめてだったんだろう。



 中学三年生のクラス替え。私と桜は別々のクラスになり、私は葵くんと同じクラスになった。始業式の日、自分の席はどこだろうと教室内をウロウロしていた私は、声をかけられる。


「あれ? 桜、B組でしょ? なんでうちのクラスにいるの?」

「えっ?」と目を向けると、きょとんとした顔で葵くんが私をまじまじと見ていた。長年の経験からすべてを察した私は、「ああ」と間を置いたのち、苦笑しながら返した。


「私、桜じゃないよ。姉の葉月です」


 ポカンとした顔を継続させていた葵くんだったが、彼もまたすべてを察したのだろう。「あ、ああ! ごめん!」慌てたような声を上げ、ペコペコと謝罪を開始した。


「いいよ。よくあるし、気にしないで」


 本当によくあるので本当に気にしていないのだけど、葵くんはゴメンゴメンと陳謝を止める気配がない。こっちの方が申し訳なくなってきたので、私は仕切り直すように声を挟んだ。


「葵くんだよね? 桜がお世話になってます。話はよく、聞いてるよ」


 実はたいして話は聞いてないんだけど、私は一応そう返した。


「ああ、うん。北上葵です。話すのはじめてだよね。えっと……なんて呼んだらいいかな」

「苗字呼びっていうのも、ややこしいよね。葉月でいいよ」

「そう、じゃ、葉月……って。女の子を名前呼びにするの、少し恥ずかしいね」


 葵くんが困ったように笑った。

 私は何故だか彼の顔を見ていられなくなって、思わず視線を地面に落とした。


「よろしくね。葉月」


 男子の割りに少し高いトーンの声が私の耳をなぞり、「こちらこそ、よろしく」私は萎れた花のようにそう返した。


 それから葵くんは、クラスでたびたび私に話しかけるようになった。桜に関する話題が主だったが、ただの雑談に興じることもあった。葵くんと私は観ているドラマの趣味が合うらしく、やれあの俳優の演技が良いやら、やれあの脚本は秀逸だったやら、玄人ぶったドラマ談議に耽る彼との時間は心地よかった。私はふいに思う。

 葵くんは、私を新島葉月としてきちんと認知しているのだろうか。彼の恋人である新島桜と全く同じ顔をしている私のことを。


 不安に駆られた私はメガネをかけるようになった。

 子ども騙しのようなやり方だが、私は産まれてはじめて、新島葉月のアイデンティティを欲していた。


「わっ、お姉ちゃんどうしたの? なんか大人っぽい。いいな~、私もメガネ、かけようかな」

「それはダメ」

「なんで!?」


 メガネをかけてはじめて登校した日、私は緊張していた。もしかしたら葵くんはもう、私に話しかけてくれないかもしれない。葵くんは、桜と同じ顔をしている私にしか興味を示さないかもしれない――形容し難い強迫観念が私の胸をしめつけていた。でも、


「あれ、メガネしてるじゃん。いいね、似合ってるよ」


 なんでもないようにそう言った葵くんの言葉が、風速百メートルで私の不安をふきとばした。


「うん、ちょっと、最近見えにくくなっちゃって」


 色々をごまかすために私は目を伏せる。

 メガネというアイコンを装着した新島葉月に対して、葵くんの態度が変わることはなかった。彼はまごうことなく、新島葉月である私に笑顔を向けてくれたのだ。私は嬉しくて、一人安心して――自分の愚かさに気づく。

 私は何をやっているのだろう。そんなことを証明したところで、葵くんの気持ちが私に向くはずがない。だって、彼が好きなのは私ではなく、双子の妹である新島桜なのだから。



「クラスの子たち何人か誘って、夏休み、近所のお祭り行こうよ」


 一学期のテスト期間最終日、私がぐっと伸びをしたところで、後ろの席の女の子から誘いを受けた。受験生真っただ中でそんな悠長なことしていていいの? 天使のたしなめが脳裏によぎったものの、まぁ一日くらい息抜きしても平気でしょ。私は悪魔の助言に従うことにした。


「よかった。実はもうメンバ―決まってるんだよね。北上くんも来るし、葉月ちゃんいるなら別クラスだけど、桜ちゃんも誘ってみようか」


 ドキッとした。

 私はコンマ一秒で巡った動揺を悟られぬよう、「そうだね、桜には私から声をかけておくよ」そう返すと、その子はじゃあよろしく、と屈託なく笑っていた。


 その日の夜、私はさっそく桜に夏祭りのことを話した。ソファで寝転がっている彼女は上目を作りながら「んー」と少し唸ったのち、


「私はいいや。他クラスの集まりに私一人だけ混ざっても変に気遣わせちゃうし。お姉ちゃんは楽しんできなよ」と言って漫画本に視線を戻した。

「そう、じゃあ誘ってくれた子には、そう伝えておくね」


 私はそう言って自分の部屋に戻った。バタンとドアを閉め、ドキドキと止まらない心臓音に気づく。

 桜のいないところで葵くんと会う。

 別に二人きりっていうわけでもないのに、私の胸を罪悪感が巣くっていた。

 私は一体、彼とどうなりたいんだろう。



 どこかにでかける時は大抵、桜が隣にいた。知らぬ間に当たり前になっていたその事実に私は気づかされ、ぽっかりと空いた右隣の空間がちょっとだけ心細くもあった。夜祭の喧騒が不安定な私の心臓を揺さぶり、私はどこか浮足立っていたと思う。


 十五歳。まだまだ子どもだけど、体つきは完全体に近づいている中途半端な生き物。成長の過渡期に戸惑っているのは私だけではなかったのだろう。鬱蒼とした人込みを並んで歩くクラスメートたちはみな、閉鎖された教室という空間にいるときよりもはしゃいで見えた。私を夏祭りに誘った女の子が口元を隠しながら笑い、隣を歩く男の子の肩をポンと叩く。なんでもないようなその所作が、妙に大人っぽいというか、女性的だった。解の公式を覚えられずに頭を抱えていた彼女と同一人物とは思えない。


 私はなんとなく気後れしてしまい、グループの一番後ろをついていくように一人、歩いていた。誰と話すでもなく、移り変わる屋台看板の色彩をボンヤリと流し見ながら。


「あ、かき氷」なんとなく目についただけだったんだけど、思わず口に出してしまった。すると、

「好きなの?」左隣から声が飛び込む。私が首を動かすと、葵くんがいた。

「えっ?」

「好きなの? かき氷」


 彼はもう一度そう言い、口元を綻ばせていた。虚を突かれた私は慌て、弁明するように早口でまくし立てた。


「ああ、いや、特別に好きってわけじゃないんだけど。やっぱり夏祭りに来たなら、食べておきたいなって、それくらいで」

「ああ、それはわかるかも。こんな時くらいじゃないと食べないしね。買おっか?」


 言うなり葵くんは「僕と葉月、ちょっとかき氷買っていくから」少し大きな声でグループに声を投げた。彼らは一様にくるりとこちらを向き、「おう、俺らは適当にそのへんいるから」一様に前を向き直し、人込みに塗れていく。私はというとポカンと口を開いて状況を看過するばかりだったが、「じゃあ行こうか」と葵くんの声掛けにハッとなり、二人でかき氷の屋台に向かった。


「やっぱりブルーハワイかな」

「へぇ。ちなみに桜もブルーハワイが好きなんだよ。食べるだけでハワイ行った気分になれるからお得じゃんって」

「なんだその理由。まぁ、アイツらしいかな」


 葵くんがヘラッと笑う。子のイタズラをたしなむようなその表情が、私に向けられることはあまりない。


「葉月は何味が好き?」

「私はいちご味が好きなの」

「オッケー。すいませーん! ブルーハワイといちご一つずつ」


 口が丸く開かれたスプーン型のストローで氷をしゃりしゃりと崩しながら、人波を並んで歩く二人。今の私たち、周りから見たら恋人同士に見えるのかな――あらぬ妄想から我に返った私は、自己嫌悪を噛み潰す様にかき氷をかきこんだ。


「葉月、急いで食べると頭痛くなるよ」


 葵くんの予想は的中し、私は自分の馬鹿さ加減を呪った。



 じんわりと肌を湿気が纏っている感覚はあったし、天気予報士もくもりのち雨とは言っていた。でも、ゲリラ豪雨が文字通り、祭り騒ぎに水を差す事態になろうとは誰が予想していただろうか。

 夜の八時から予定していた打ち上げ花火は中止、傘を持っていなかった私たちはそのままバタバタと解散する運びとなった。

 私と葵くんは帰り道が途中まで一緒だった。容赦のない雨脚を享受しながら早足で駆けた。雨粒が顔面を打ち付け、まともに目を開けていられなかった。

 私の前にいた葵くんが振り向き立ち止まった。


「ちょっと雨宿りしていこう」


 そう言って私の手をとる。

 ふいな体温の感触が私の意識を一瞬だけ奪った。私は子どものように目を丸くして、ずぶ濡れになった葵くんの顔面を見上げた。暗がりの中、街灯に照らされた彼の表情はおぼろげでボンヤリしていた。私はこくんと頷く。


 やがて葵くんは前を向き直り、たばこ屋さんのテント下まで私を引っ張っていった。数秒間の沈黙、テレビのノイズ音のような雨音だけが空間に存在している。

 葵くんが私の手を離し、そのまま後ろ髪をガシガシと掻いて水滴を払っていた。


「ごめんね。私、女子力低いからタオルとかハンカチ持ってなくて」


 私がそう漏らすと、葵くんがなんでもないように笑う。


「いいって。こういうの、女子力とか関係ないでしょ。それ言ったら僕だって持ってないし、男子力低くてごめん」

「男子力? そんな言葉聞いたことないよ」


 私も釣られるように笑った。強張っていた全身の筋肉がほぐれていく感覚があった。

 少しの間が空いて、葵くんがポツリとこぼす。


「ついてないな。誕生日だっていうのに」

「えっ?」

 私は思わず葵くんに目をむけた。

「葵くん、今日、誕生日なの?」

「うん。夏休みだから誰かに言うタイミングなくて、家族以外に祝われたことないんだけどね。今日だってみんなに言いそびれちゃったし」

「桜は? せっかくの誕生日なのに、桜と一緒じゃなくてよかったの?」

「うん。桜にもそういえば言ってなかったな。アイツ、そういうイベントごと気にするタイプじゃないし」


 そう言われればそうかもな。妹と恋愛観を語り交わしたことなどないが、渡り鳥のように奔放な彼女が記念日の類に固執するイメージは確かにない。


「でも、誰にも祝われないのは寂しくない?」

 私がそう訊くと、葵くんが目を伏せる。

「どうかな。慣れちゃったから」


 虚空を見つめる彼の表情は、年より大人っぽくもあり、ひどく幼くも見えた。彼の横顔に見入ってしまった私は、いざなわれるように口を開いていた。


「私が、覚えたから」


 葵くんがユラリと首を動かした。意外そうな顔で、少しだけ目を見開いていた。


「葵くんの誕生日、私が覚えててあげるから。来年はちゃんとお祝いしようよ」


 幾ばくかの無音が間を埋める。やまぬ雨音がざあざあと、二人の空間を世界から遮断するように鳴っていた。


 ハッとなる。私、何言ってるんだろう。

 付き合ってもいない私が、何をでしゃばった真似しているんだろう。葵くんからしたら私より、恋人である桜から祝われたほうが嬉しいに決まっている。羞恥心と後悔が胸の内から噴き上がり、私は思わず葵くんから目を逸らした。でも、


「本当?」


 甘菓子を与えられた幼子のよう。

 爛漫と弾んだ声が私の耳に飛び込んだ。


「嬉しいな。楽しみにしているよ」


 恐る恐る私が視線を戻すと、葵くんは口を綻ばせていた。悦を溢れさせるように、くしゃりと顔を潰していた。私は彼のたゆんだ瞳に吸い込まれそうになり、身動きがとれなくなる。


「葉月と桜は? 誕生日いつなの?」

「……えっ? あっ」


 葵くんの声掛けに自意識が返還され、私はおそまつな口調で言葉を辿った。


「十二月二十四日。クリスマスイヴ産まれなの、私たち」

「へぇ、じゃあ誕生日とクリスマスのプレゼント、いっしょくたにされたり?」

「そうそう。ましてや両親からしたら、二人分同時に用意しなきゃいけないからね。私たちも諦めているところあるよ」


 私がへらっと口を曲げると、葵くんが同調するように八の字眉を作った。二人の間を縫う糸が緩慢するようにたゆむ。気づけば、殺人的な豪雨は鳴りを潜め、雨脚が容赦の余地を見せ始めた。


 夢の時間は有限だ。ファンタジーに肩まで浸かった子どもたちだって、閉園時間に抗うことはできない。私は自嘲するように乾いた息を漏らした。


「僕も、覚えててあげるから」

「えっ?」

「誕生日、覚えたからさ。プレゼント考えておくよ」


 葵くんが少しだけ首をかしげ、赤子をあやすように目を細めた。私は自覚する。

 ああ、私、この人のこと好きなんだな。

 一緒にいる時間が長ければ長いほど、彼の顔を見つめる時間を重ねれば重ねるほど、私はきっと、葵くんをどんどん好きになる。

 だから、やめなくちゃ。この気持ち、止めなくちゃ。

 胸の奥にしまいこんで、金庫の中に閉じ込めて、何錠もカギをかけて、あまつさえガムテープでぐるぐる巻きにして――


「ありがとう、私も楽しみにしてる」


 そうしないと、いつか歯止めが効かなくなる。私はきっと、等間隔のリズムで綺麗に回っていた世界を壊してしまう。パステルカラーに包まれたスナップ写真に、赤く濁った黒を混ぜてしまう。


「雨、弱くなってきたね。今の内に行こうか」


 葵くんが再び私の手を取った。ばしゃばしゃと水たまりを踏む音が弾けて、私はぎゅうっと、彼の体温をにぎり返した。


 私の想いが葵くんに届くことはきっとない。来年の夏祭りも、次のクリスマスも、葵くんの傍にいるのは私ではなく桜だろう。だから、今だけは。


「もうどうせずぶ濡れだし、歩いて行かない?」


 この距離感を、葵くんの隣にいる権利を、彼の温もりを感じる時間を、

 私にください。




-fin-



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逆回転する恋愛小説 音乃色助 @nakamuraya

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