6-3.
やばい、私、何やってんだろ。
葵くんに、思わず言いそうになった。
まだ答えも見つけられてないのに、口が勝手に動いていた。
クラスの皆で必死になって作り上げた一つの舞台。その大事な大事なクライマックスシーンの直前。暗がりの中ひっそりと、ステージ中央で暗転が解かれるのを待っている私は、自分を見失いそうになっていた。
台詞を中々覚えられずに眉を曲げる葵くんとか。
恥ずかしい台詞に、顔を真っ赤にして葵くんとか。
みんなに演技を誉められて、まんざらでもなさそうに頭を掻いている葵くんとか。
この一か月間、私は色んな葵くんの表情を近くで見ていた。彼の存在が、私の中で日ごとにアップデートされていった。私はどんどん葵くんを好きになっている。
ありていに言うと、私は彼に夢中になっている。
どうやらこの気持ちは止められそうもない。今すぐにでも、私は彼に自分の気持ちを伝えたくなっている。でも、
私がそれをしてしまったら、きっと歯車は狂い出す。平穏で幸せな日常は壊れてしまう。私と、桜と、日向と、葵くんと、四人の関係に歪が生まれるだろう。
それに、そもそも葵くんは、今でもきっと。
スポットライトに火が灯り、目を瞑っている私の瞼が熱くなった。
ラストシーンの幕が開いた。葵くんはすぐにステージにやってくる。どうしよう。とてもお芝居なんてできる心境ではなかった。彼の顔を見たら、いよいよ心が爆発してしまうかもしれない。
逃げ出したかった。でも、みんなが必死に作り上げた舞台を壊したくもない。
どう、すれば。
「あっ」
私はハッとなった。私にしか聞こえない声を、小さく漏らした。
そうだ。そうすればいい。
想いを封印する必要なんてない。むしろありったけ、私の気持ちを葵くんにぶつけてしまえばいい。今だけは、それが可能だ。
何故なら私は今、シンデレラなんだから。朴訥な靴職人の息子に恋する乙女なんだから。
誰も、私の気持ちになんて気づかない。だってこれは演技。そういうお芝居。この告白は私のものじゃない。シンデレラによる愛の告白。フィクションの世界に存在するかりそめの愛。みんなはそう認識してくれる。
新島葉月の恋の真実を知っているのは世界にただ一人、私だけだ。
静かに目を開いた私の視界に、観客席に座るみんなの姿が映る。最前席を陣取る桜や水泳部のみんな。キャットウォークから私にスポットライトをあてている照明担当は日向だ。
私は心の中で、ひっそりと一人勝手に懇願していた。
どうか、どうか皆さん。私事ではございますが、誠に勝手ではございますが、
あまりにも脆くつまらない私の恋の、見届け人になってください。
「シンデレラ!」
ドタドタと大仰な足音を踏み鳴らし、息を切らす演技を披露しながら葵くんがステージ上に現れた。私は彼を見て、彼もまた私を見る。
「一体今までどこに行ってたんだよ。急にいなくなってしまうなんて。随分探したんだよ」
「ごめんなさい。私はあなたに黙っていたことがありました」
私は彼から目を逸らす。地面に目を落として、消え入るような声をこぼす。そういう演技をした。
「私は元の世界に帰らなければいけない。私に魔法をかけた魔法使いが現れて、そう言ったんです」
「帰らなければならないって、いつなんだ?」
「今日という日が終わる時。午前0時になった瞬間、私の身体はこの世界から消えてしまいます」
「午前0時? もう、あと十分もないじゃないか!」
この台詞、最初のころは葵くんの驚き方がどうにもわざとらしくて、笑いをこらえるの必死だったっけ。今でも棒読みっぽい感じはするけど、葵くんの演技はずいぶん上達したと思う。
「なんで、なんで今まで黙ってたんだ!」
葵くんが私に近づき、私の肩を掴み、私の全身を揺さぶる。「それは」私は視線を地面に落としたまま、声を震わせた。
「あなたと離れるのが悲しかったから。あなたとの時間を重ねるほど、きっと別れが辛くなる。だから何も言わずにいなくなろう。私はそう決めたんです。でも」
私は顔をあげ、葵くんを見た。鼻先三十センチメートルくらい先、切迫した表情を一生懸命作っている葵くんの顔が視界いっぱいに広がる。
「あなたは私を見つけてしまった。本当に、最後まで仕方ない人ですね」
「シンデレラ……」
葵くんが私の肩から手を離し、大袈裟にかぶりを振る。ゆらりと首を動かして、虚ろな目で私を見つめた。
「僕はあなたを愛している」
私の心臓が、ごとりと揺れる音が聞こえた。
練習で何度も聞いたはずなのに、未だにこの台詞は慣れないや。
「できることなら、あなたを一生離したくない。君が元の世界に帰らなければならないなんて、僕は認めたくない!」
葵くんが大声を張り上げた。水を打ったように舞台が静まり返る。
さぁ、次は私の番。
「私も」
私があなたに、葵くんに気持ちを伝える番。
「私もあなたのことが好きでした。ずっとずっと、好きでした」
これは演技じゃない。お芝居じゃない。
私が、新島葉月が、葵くんに言いたくて仕方がなかった言葉。
やっと、言えたな。
私の口元が自然と綻んだ。感情があふれ出し、目の奥が急に熱くなった。頬を冷たい感触が伝う。
私はふぅっと息を吐き出したあと、ゆっくりと声を紡ぐ。
誰にも届かない私の気持ち。空気中に漂った後、雲散霧消してしまう私の言葉を、せめてこの瞬間だけでも、めいっぱい愛でるように。
「あなたの、はにかんだように、照れたように笑う顔が好きでした。一見、さめているように見えて、でもとても情に深く、人に優しいあなたが好きでした。小さな約束をずっと覚えていてくれたあなたが、好きでした」
「……シンデレラ?」
葵くんはポカンとしている。そりゃあそうだろう。
舞台本番の真っただ中。相手役が、台本にない台詞を急に喋り出したら誰だって驚く。
構うものか。私はつづけた。
「あなたの温もりに触れたとき、私の命に息を吹き込まれた気がしました。ああ、私はあなたを愛するために生まれてきたんだなと、そう直感しました。私はあの時、好きという言葉の本当の意味を知りました。だけど」
私は今ひとたび、すぅと息を吸い込む。
きっと私の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっている。美しいシンデレラ役としてはおよそ不相応な姿だろう。でも仕様がない。
私は今、お姫様の姿を借りた新島葉月の等身大を、彼に向けている。
「恋の魔法にはタイムリミットがあるみたい。あなたと過ごした一か月間、本当に……本当に幸せでした」
ああ、これで終わりか。
ふいな寂しさを覚えた私は、でも笑顔は決して崩さなかった。ポーカーフェイスは私の十八番だ。
沈黙がしばらくつづいたあと、葵くんがハッとしたような表情を見せる。私のアドリブ台詞が終わったのを察してくれたんだろう。
「シンデレラ、これを」
葵くんが膝をついて、手に持っていたガラスの靴を私にさしだす。
「これは?」
「僕が作ったガラスの靴だ。君は元の世界で綺麗な衣服を与えられず、お城の舞踏会に行けなかったと嘆いてていたよね? だから、これを履いて堂々と舞踏会に行くんだ。そして」
口をつぐみ、葵くんが一瞬だけ視線を斜めに落とす。しかし意を決したように再び顔を上げ、私をまっすぐに見上げた。
「僕のことなんか忘れてしまっていい。僕なんかより、もっと素敵な人を見つけるんだ」
葵くんが頬をたゆませる。すべてを包み込んでしまいそうな、優しい表情だった。
「シンデレラ。どうか幸せになって」
私は驚いたような顔を作り、すぐに目を細めた。静かにかぶりを振る。
「あなたのことを決して忘れるものですか。例えおばあさんになっても忘れません、でも」
よりによって、こんな役が私に与えられるなんて。銀縁眼鏡の彼女の審美眼は中々あなどれない。私は運命の神様に感謝して、同時に唾をはきかけた。
「約束します。私は幸せになる。だからあなたも精一杯生きて、私がいないこの世界で、別の誰かと……幸せになってください」
舞台から光が消えた。
バックグラウンドミュージックが物語の終焉を告げた。それをかき消さんとばかりの拍手が、わっと鳴り響いた。私は憑依からとけたようにその場に倒れ込んでしまう。
「は、葉月!?」
慌てたように葵くんが近づく。照明が落とされているため、観客席から私たちの様子は見えてないようだ。
「大丈夫。ちょっと立ち眩みがしただけ」
私は力なく笑って見せたけど、葵くんはなおも心配そうな顔をしていた。私は彼の肩に担がれ、二人はよろよろと舞台袖に向かう。
「葉月」私のすぐ隣で、葵くんが私の名前を呼んで、
「なんていうか、お疲れ様」
「葵くんも、お疲れ様。明日の公演もよろしくね」
地面に目を落としたまま、私はそう返す。
憑依が解けた私は、頭がどこかぼんやりしていた。でも一つだけ思ったことがある
今日一日、葵くんの顔をまともに見ることはできないだろう。
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