3-2.


 吉祥寺八幡祭りは、吉祥寺駅から歩いて約五分ほど、二車線通りに面した場所にある八幡神社の境内が会場となり、毎年八月第一週の土日二日間を使って催される。地元民を中心に賑わうその宴は、決して広くない境内に所狭しと屋台が並び、駅前のサンロード商店街さながらの人口密度を強要される。特段、奇抜なイベントが実施されるわけではないが一応、すぐ近くの公立中学校のグラウンドから打ち上げられる花火がメインイベントではあった。

 近所の小中学生、及び幼子の手を引く若夫婦が参加者の大半を占め、少し大きくなった若者も見かけなくはないが中心層ではなく、高校生グループで参加している僕たちは珍しい部類だと思う。産まれた時からインターットが存在していた僕たちZ世代は、都内のメジャーな花火大会の情報をウェブで調べ、映えを狙いに行く方がマジョリティだ。


 僕は早めに家を出て、あえて電車を使わず一時間程かけて会場へと赴いていた。特に深い理由はないが強いて言えば、夏休みという余りある時間の中でエネルギーの使いどころを掴みあぐねていたから。集合場所である入り口の鳥居に到着し、グループチャットに端的な四文字を投下する。ついたよ。

「早いな」

 チャットの連絡に対して背後ろから生声を返される搦め手を受けた僕は、飛び上がって驚いた。後ろを向くも、更に疑問符が僕の頭上を舞う。浴衣を纏った見知らぬ姿がそこにあった。あれ、日向の声がしたような気がしたんだけど、どちら様ですか? しかしその質問が口から飛び出ることはなく、遅れてその正体を知った僕は間抜けた声を漏らす。


「えっ」

「えっ、ってなんだよ。えっ、って」


 僕のリアクションを愉しそうに眺める日向が、ニカリと白い歯を見せた。


「いや、最初は誰だかわからなくて。まさか日向まで浴衣着てくるとは思わなかったから。っていうか僕だけ私服じゃん」

「ハハッ。まぁ私服でもよかったんだけど、せっかくだからって母ちゃんが張り切ってな。驚くと思って黙ってたけど正解だったぜ。どう、似合ってる?」


 紫色の浴衣を纏った日向がしゃなりと滑稽に一回転を披露したので、リアクションに困った僕はとりあえず苦笑いをしてみせた。


「そうだね。意外にも似合ってるよ。馬子にも衣装ってやつかな」

「それ、さりげにディスってんだろ。へこむわ」


 とか口ではいいながらも、日向は何が可笑しいのか一人でケラケラ笑っている。宴の雰囲気が奴の陽気さに拍車をかけている気がした。葉月と僕を仲直りさせるためと言いながら、自分が来たかっただけなんじゃないかと僕は邪推する。


「おまたせー」


 聞き慣れた声と見覚えのある姿が僕の意識を攫った。胸の前で小さく手を振りながら新島姉妹が僕らに近づいてきた。前を歩く彼女は眼鏡をしていないので桜だろう。髪をロールアップにしているせいか少し雰囲気が異なり、一瞬見分けがつかなかった。後ろに付く葉月はいつも通り長髪を背中に流していて、トレードマークの眼鏡も健在だ。

 足を止めた桜が口に手をあてながら、日向の全身を舐めるように凝視する。


「あれっ? 日向も浴衣なの?」

「葵と同じリアクションしやがって、そんなに物珍しいかよ」

「うん。すごく物珍しい。でも案外似合ってるね。馬子にも衣装って感じ」

「お前ら……」


 今度こそ日向がガクッと肩を落とす。これは素のリアクションかもしれない。


「しっかし二人とも」


 秒で復活した日向が新島姉妹を交互に見やった。


「もう見慣れちまったけど、改めて見るとフツーに美人だよなぁ。並んで歩くの躊躇するまであるわ」

「ちょっと急に何。褒めたって今日は別に、奢らないよ」


 少し照れた表情を見せた桜が、冗談を返す様にアハハと笑った。


「いや別にお前らにたかろーなんて思っちゃいねーって。単純な感想。なぁ葵?」

 唐突に、日向が僕に顔を向ける。

「二人とも浴衣、似合ってるよな?」


 ……えっ?

 ……あっ!


 急に何を言い出すのかと思ったら、これ、例の作戦の振りか。いや雑すぎるだろ。

 桜はいち早く察していたらしく、「やだもー」とか言いながら日向に合わせてはいるが、事情を知らない葉月は一人、キョトン面を継続させていた。


 ええいままよ。僕はこほんと咳払いしたのちに二人の姿をまじまじと見つめた。「ええと」北上葵の脳内辞書をフル活用して、急ピッチで言葉を積み重ねていく。


「桜は、明るい桃色の浴衣が天真爛漫な桜によく合ってる。周りが華やかになるというか、見ているだけで元気が貰えそうな感じ。対照的に葉月の浴衣は、落ち着いた雰囲気の藍色で、大人っぽい葉月が着ることでよく映えている気がする。とどのつまり」


 三人の視線が僕の顔面を三様に突き刺していた。顔から火がでそうになるのを必死にこらえながら、僕は再びこほんと咳払いをした。


「二人とも、よくお似合い、です」


 永遠とも思える一瞬が流れる。

 自分から振った癖にポカンと口を半開きにしてる日向が、抑揚のない声を。


「葵。お前ってそんなポエミーなこと言える男だったんだな」

 お前が仕向けたんだろ。いっそ殺せ。


「あ、ありがとう。でもちょっと誉めすぎじゃないかな。ね、ねぇ葉月?」

 桜、お前は事情を知ってるんだから引かないでくれよ。


 先ほどまで目を丸くしながら押し黙っていた葉月が、やんわりと口元を綻ばせて、目元を優しく細めて、僕を見た。


「うん。でも、お世辞でも嬉しいよ。一生懸命選んだ甲斐あった。葵くん、ありがとう」


 その表情はまるで、炭酸飲料の宣伝ポスターに写る清純派女優の如く、隙がなかった。

 葉月が僕の目を見て、僕に向かって言葉を発している。

 その事実に僕は胸を撫でおろす。僕は憑き物がとれたように、全身の緊張が綻んでいく感覚を覚えていた。


「お世辞じゃないよ。どういたしまして」


 僕もまた葉月の顔を見ながら、自然と頬が緩んでいた。視界の端に映る日向は、満足気な表情でウンウンと何やら頷いている。手前の手柄みたいな顔を晒している奴には、結果オーライという言葉を投げつけたい。


「うっし! お前ら、今日は遊び倒すぞ。まずは腹ごしらえだ。遠慮はいらねーから食いたいもん全部食えよ! 自分の金で!」

「そりゃそうでしょ。自分が奢る風な言い方するんじゃないよ」


 白い歯を見せた日向がパンと両掌を鳴らし、のしのしと歩き出す。桜もまた興奮した様子で声を弾ませていた。


「えーっと、無芸大食むげいたいしょく空腹限界くうふくぜっとう。良い匂いでお腹すいちゃった。とりあえずぐるっと回ろっか」

「ちょっと。日向、お姉ちゃん、私を置いてかないでよ」


 さっさと鳥居をくぐって会場に向かおうとする二人を、慌てたように葉月が追った。無事に本日のミッションを完遂させた僕も彼らの後ろについていった。

 たまには、童心に帰ってもいいかな。柄にもなく僕はワクワクしていた。闇夜に灯る提灯の火に心を焦がされていた。


 ちなみに僕は今日このあと、恋に落ちる。

 正確に言うと、明確に、そう自覚する瞬間が訪れる。

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