2-4.


 二日間の祭りは無事に終宴を迎え、僕たちのクラスのオリジナル劇はなんと、来場者アンケートの満足度で全クラス中三位の好成績を収めた。後夜祭のあと、僕たちは劇に携わった主要メンバーで集まり、ささやかな打ち上げを行なった。もちろんノンアルコールオンリー。パーティ会場は高校生らしくファミレスのチェーン店だ。


「新島さん……何度も言うけど、本当に素晴らしい演技だったわ。私の目に狂いはなかった。私、今回の劇の脚本を担当することで、自分に自信がついたの。あなたのおかげよ、本当にありがとう!」

「どういたしまして。最初はどうなるかと思ったけど、私も楽しかったよ、ありがとう」


 今回の舞台の陰の功労者であり、裏ボスでもある銀縁眼鏡の彼女はなぜかドリンクバーで酔っぱらい、同じ台詞を繰り返していた。呂律さえ回らなくなってきた彼女ではあったが、言うこと自体は大袈裟とも言い難い。


 初日こそ、会場に用意された席の半分も埋まっていなかった僕たちの公演だったが、シンデレラの名演が評判を呼び、なんと二日目は満席で立ち見客が出るほどの人気を博していた。練習でも抜群の演技力を見せていた彼女だったが、本番はさらに拍車がかっていたように思える。打ち上げでもシンデレラの演技(と稽古を始めたころの僕の大根振り)が話題の中心となり、当の本人は苦笑いと謙遜を終始強要されていた。



「お疲れー! また休み明け、学校で!」


 宴のあとの宴も終わり、僕らの元に日常が還ってくる。電車通学組がぞろぞろと駅方面へ消えていき、賑わいを失った住宅路はやけに静々としていた。残された僕たちは並んでき歩き出し、夜道を照らす街灯の光が二つの影を作る。


「久しぶりだね。二人きりになるの」


 隣を歩く彼女が、地面に視線を落としたまま、ふいに口を開いた。


「えっ?」

「この一か月、ずっと一緒だったけど、劇の練習をしてる時はなんだかんだ周りに誰かいたから、本当に二人きりなの、久しぶりだなって」

「確かに、前にみんなで行った、夏祭りの時以来かな」


 僕がそう言うと、驚いたような顔で彼女がこちらを見た。その表情の理由がわからなかった僕はポカンと呆けてしまい、しかし彼女の方がハッとしたように慌て、正面を向き直した。


「あ、あの時は途中で雨降っちゃって、大変だったね。花火も中止になったし」


 珍しく焦りを見せる彼女を少しだけ訝しんだ僕だったが、深掘りする理由もないので追及はしなかった。


「ホントにね。でもまぁ、そういうのも含めて思い出になっていくのかなぁ」

「思い出、思い出かぁ」


 反芻するように言葉を繰り返した彼女が、

「私はこの文化祭の思い出、一生忘れないと思う」

 感情を溢れさせるように、そう呟いて、

「葵くんのおかげだよ。ありがとう」

 自分の影を見つめたまま、つつましい微笑を落とした。


 僕は立ち止まる。並んで歩いていた彼女もまた足を止め、きょとんと首を傾げた。


「葵くん、どうしたの?」


 言わなきゃ。僕は強くそう思った。


「あのさ、僕、君に言いたいことがあって」

「えっ?」


 きょとんとしていた彼女が、更に目を丸くした。小動物のような瞳をじっと見据えながら、僕はすぅと息を吸い込んだ。



 ずっとずっと、好きでした。


 その台詞が、頭の中で何度も何度も繰り返される。

 僕は自宅のベッドにごろんと横になり、何もせずボーッとしていた。一時間くらい経っただろうか。時間の経過さえ忘れそうになっていた。意識だけが空気中を漂って、僕の五体は肉の塊と化していた。


 やがて、だしぬけにのそりと起き上がった僕は、「うん」とこぼす。


「やっぱだめだよな。あんな中途半端じゃ」


 自分自身に向けてそう言い、大仰に息を吐いた。すぐ脇に放っていたスマホを手に取る。画面ロックを解くと文明の利器に光が宿る。僕は少しだけ目を瞑り、再びはぁと息を吐き、すぐにまた瞼を開いた。デジタル画面を指でなぞって、姓名を捜索した。


「新島、新島……あった」


 基本的には誰との連絡もメッセージアプリで済ませることが多いので、そういえば人に電話をかけるのは久しぶりだ。僕は緊張していた。

 呼び出し音が鳴る。一コール、二コール、三コール――音が重なる度に、僕の不安感も加算されていった。

 愛の告白が実施された直後の電話だ。節操のある行動とは言えない。彼女、出てくれるだろうか。衝動的に発信してしまったが、明日に改めればよかったかな――

 と僕が半ばあきらめたところで、


『もしもし?』応答があった。

「も、もしもし!」


 急な大声をあげたあげく、僕の声は裏返っている。


「あ、僕、葵です。って、それは画面に出るからわかるか。ええと、そうじゃなくて」


 僕がまくし立てると、僕の焦燥をいなすように電話口の相手が、クスッと息を漏らした。


『葵くん。慌てすぎ。ごめん。私、お姉ちゃんじゃないよ』

「えっ?」


 あれ、間違えたかな?

 脳裏によぎった疑問は、しかしすぐに解消される運びとなる。


『お姉ちゃん今、お風呂入っているから、私が代わりに出たの。勝手にとるのどうかなって思ったんだけど、葵くんならいいかって』

「……あっ、そういう」


 すべてに合点がいった僕は、ヘナヘナと全身から力が抜け落ちる感覚を覚えていた。


『お姉ちゃんに何か急ぎの用事? お風呂から出たら私から伝えておくけど』


 僕の気も知るはずもない電話口の彼女は、いたくマイペースな口調だ。


「いや、大丈夫。休み明けの学校で直接、本人に言うから。放課後少し時間が欲しいって、それだけ伝えてくれない?」

『それは、大丈夫だけど』


 電話口の彼女が、何か言いよどむように声のトーンを落とし、こうもつづけた。


『葵くん、お姉ちゃんと何かあった?』


 全身に緊張が舞い戻り、僕は一瞬だけ言葉を詰まらせた。すぐに返事を返さない僕に代わって、電話口の彼女が言葉を継ぐ。


『お姉ちゃん。帰ってきて話しかけても上の空だし、お風呂、二時間くらい経つのにまだ出てこないし。葵くん、帰り一緒だったんだよね? 何かあったのかなって』

「そう、だね」


 僕は少しだけ逡巡した後、選び抜いた回答を電話口の彼女に告げる。


「何かは、あったけど。本人が君に何も言ってないなら、僕からは言わない方がいいかな」


 煮え切らない返事だなと自分でも思う。

 案の定というか、電話口の彼女からの返事はすぐになかった。煮え切らない僕の返事は、彼女が納得のいく回答ではなかったのだろう。だけど、


『そっか、わかった』


 そう返した彼女の声は、勝手にすべてを悟っているようにも、意図的に事実から目を逸らしているようにも聞こえた。

 沈黙が間を埋める。なんだか気まずさを覚えた僕は耐え切れず何かを言おうとしたが、『葵くん』先に電話口の彼女が開口した。


『お姉ちゃんのこと、よろしくね』


 その言葉は、あらゆる意味をはらんでいるかもしれない。彼女はやはり、すべてに気づいているのかもしれない。気づいた上で、僕にすべてを委ねているのかもしれない。


「わかり、ました」


 まるでリモコンで喉仏を操られるように、僕はそう返していた。

 その後すぐ、彼女と別れの言葉を交わして僕は通話を切った。スマホをすぐ脇に置いて、再びごろんとベッドの上に横になる。


 非日常が極まったような一か月間。誰も彼もが祭りの浮世に酔っていた。高校生のくせにさめていると評されることの多い僕でさえ、青春という幻想の中、右も左も分からずに必死にもがいていた。不確定な未来予想図を勝手に描いて、妄想し、想像し、白のペンキで塗りつぶしたりもしていた。


 だけど今、様々なことを同時並行で思考しているこの僕は、まぎれもなく今の僕であり、リアルの僕だ。


 リアルの僕の行動が未来を作り、それは軌跡となり、やがて過去になる。

 僕の行動が彼女の人生に干渉し、進むべき世界線のベクトルが定められていく。

 世界の理を再認識することで、僕は、僕が下した決断の根拠をあとづけしていた。

 彼女にもう一度会って、僕の気持ちをちゃんと伝える。

 ずっとずっと、好きでした。

 頭の中で、相変わらずその言葉がこだましていた。


 ふいに、夏の香りと雨の音を思い出した。

 今思えば、この恋が発芽したのはあの日だったのかもしれない。

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