第3話『破滅をもたらすもの』


「ふっざけんじゃねぇぞ!」

 賞金稼ぎの男が苛立ちも露わに吐き捨てる。

 無理もないと私も思った。

 だって、人喰い妖魔がまさか人を食べることを拒否するとは思わなかったから。

 食べてもらわないと困ると、帰ることを拒んだ私に対し、人喰い妖魔は面倒くさそうに告げたのだ。

《だったら、せめて上手く喰えるように材料を取って来い》――と。

 結果。今私たちは二人揃って人喰い妖魔の指定した材料を探して森の中をさまよっていた。

 指定した材料は、どれも知っているものだった。村に帰れば用意してもらえると思ったけれど、人喰い妖魔に取れたてじゃないと無効だと釘を刺されてしまえば、森の中をさまよいながら材料探しをするしかなかった。

 お陰で賞金稼ぎの男の人の怒りは頂点に達していた。

 至る所で苛立ちを撒き散らされるたびに、私はビクビクしていたけれど、不思議と材料が集まるにしたがって、私は自分の体が楽になって行くのを感じていた。

 眩暈が無くなり、吐き気も消えて、呼吸が楽になり、体が軽くなっていた。

 不思議だった。こんな状況だが、楽しいとも思えた。

 これほどまでに長い間外出したこともなければ、森の中を歩いたこともない。虫が目の前を通り、木の上でリスが私を見下ろしていた。

 たわわに実る果実のなる木々を初めて見た。

 色づいた葉の積もった鮮やかで柔らかな絨毯の上を歩き、望まれていないにしても、誰かと一緒に何かをするイベントを体験できるとは夢にも思わなかったから。

 たとえこれが、私自身を食べてもらうための自殺行動でしかないとしても、私は心が弾むことを抑えることが出来なかった。

 きっとこれは、これまで閉じこもっていた私を哀れんだ神様からの最後の贈り物なのではないかと感謝する。

 そうして、木の実や水や花を集めた私たちが再び人喰い妖魔の元へ戻ると、目を瞑っていた竜はゆっくりと眼を開けた。

 賞金稼ぎの男は私たちから少し離れた場所に立ち、私は上気した顔に満面の笑みを浮かべると、両腕に抱えたものを見せ、これでいいですかと問いかけた。

 人喰い妖魔は暫く私を見た後に目を細め、満足そうに一度頷いたものの、これで食べてくれますかと問えば、《ごめんだね》と鼻先で嗤われた。

「なんでだよ!」

 声を荒げたのは賞金稼ぎの男。

「そうです。どうして私のことを食べてはくれないのですか?」

 私も浮かれていた気持ちに冷や水を浴びせられた気持ちになって問い掛けると、人喰い妖魔は、鼻先で嗤い飛ばしながら言った。

《気付かないと思っているのか? 愚か者。誰が腹を下すと分かっているものを食らうと言うんだ》

 その発言に顔色を失ったのは賞金稼ぎの男――と、私。

《まったく。踊らされているとも知らずにわざわざ呪いを受けるとは。本当にお前さんは死にたいのか》

「で、でも。私のせいで村の人たちが」

《死なんよ》

「え?」

《お前さんはただ都合よく利用されただけさ》

「でも、私の縫った刺しゅうがあなたの呪いの力と結びついて、人を呪っているって」

《死臭?》

「これです」

 訝しがる人喰い妖魔に、私は抱えていた材料を一度地面に下ろすと、懐から自ら縫った刺しゅうを広げて見せた。すると人喰い妖魔は、《それは……》と、驚きの気配を持ってしげしげと眺めた後、

《まさかまだそれを知っているものが居るとは思わなかった》

「やっぱり、関わりのあるものだったのですね」

《ああ。オレはそれを良く知っている。知っているが、だからこそ、お前さんが騙されたことだけは理解した》

「でも、実際に村の人たちが病に苦しんでいるんです! だから私を食べていただかないと」

《自ら食らって死ねと言うのか?》

「!!」

《残念ながら、それは出来ない相談だ》

「でも!」

《それに、オレを殺したところで呪いは解けない》

「え?」

《そうだろ? 賞金稼ぎ》

 問われた賞金稼ぎは、ただ無言で唇を噛み締めて人喰い妖魔を睨んでいた。その手には鉈が握られている。

《村の連中を呪っているのは、オレの縁を使って人々を呪っているのは、お前の仲間の呪い師だ。違うか?》

「呪い……師?」

《まったく姑息な手を使いおって。今すぐ食い殺してやろうか》

 宣言と共に人喰い妖魔が上半身を持ち上げた。

 それだけで、私は体中から冷や汗が吹き出した。

 どっどっどっどと心臓が早鐘を打ったけど、賞金稼ぎの男は違った。

「残念だったな! お前はどれだけ強くとも、そこから出ることは出来ないんだろ!」

 即座に森の中へと逃げ込んで勝ち誇っていた。

 それが事実だということは、忌々しげな人喰い妖魔の舌打ちを聞いたから。

 そんな私を見下ろして、人喰い妖魔は命じた。

《お前さんももう用済みだ。さっさと帰れ》

 興味など尽きたと言わんばかりに再び伏せ、組んだ両腕に顎を乗せて目を閉じた人喰い妖魔に、それでも私は引かなかった。

「帰れません」

《ん?》

「私は、帰れません!」

《何故だ》

「私には、あなたの言葉が本当なのかどうか判断が出来ないからです。もしもこれで村に帰って父が死んでしまったら、私はあの村で生きて行くことが出来ません。だから――」


 私を食べてください!!


 そう言うと、人喰い妖魔はまっすぐに私を見詰め、言った。


 ◆◇◆


 誰が、こんな結末を想像しただろうか。

 私は今、竜の腕に抱えられて空を飛んでいた。

 本来は食べられるはずだった。命が終わってしまうはずだった。

 それが今、空を飛んでいる。

 見たことのない景色に、私は夢を見ているのかと思った。

 人喰い妖魔は言った。

《お前のような不味い輩を喰う気はないと。でも、お前に掛けられている呪いは相当美味そうなものだったからな。その呪い師そのものは相当美味いだろうな》――と。

 どういう意味か訊ねたら、

《これも何かの縁だ。あの古い図面を覚えていたお前さんの望みを叶えてやる》

 だからこそ、私を食べてくれと懇願したのだが、

《お前さんの望みは喰われることではなく、その図面を媒介に呪われて病に苦しんでいるものたちを救いたいんだろ? だったら、救ってやると言っているんだ。その図面を穢したものをオレも許せないからな》

 そう言って、人喰い妖魔は私を連れて、封じられているはずの森の中を飛び出した。

 抜け出せるのかと驚けば、本体はそこにいると言われた。

 だけど、すでに私の眼には森しか見えず、逆に今は私たちに気付いたらしい村の人たちが慌てふためく様が見て取れていた。

 それを見て、人喰い妖魔は楽しげに告げた。

《見ているか、娘よ。あの慌てふためく村人たちと賞金稼ぎたちの姿を。

 破滅をもたらすものなどという下らぬ言葉で、お前さんを虐げていたものたちの間の抜けた様を。だが、『破滅をもたらすもの』と言う通り名もいい得て妙かもしれんな。何せ、正真正銘の『破滅をもたらすもの』を伴って凱旋してしまったのだからな。

 故に誇れ。胸を張れ。堂々と名乗るがいい》


 ――私こそが『破滅をもたらすもの』だとな。


 この時、初めて私は知った。

 言葉に殴られる衝撃と言うものを。

 その言葉は、私の心を大きく揺さぶった。

 ずっと私は私という存在を恥じていた。私は存在してはいけないものだと思い込んでいた。

 でも違うのだと、父以外から初めて認められた。

 誇れと言われた。胸を張れと言われた。堂々と名乗れと言われた。

 正真正銘の『破滅をもたらすもの』を、他ならぬ自分たちが作り出したのだということを知らしめてやれと言われたなら、じわじわと喜びが沸き起こった。


 その後、人喰い妖魔を引き連れて戻った私を賞金稼ぎたちが取り囲み、人喰い妖魔を打ち倒さんと挑んで来た。

 でも、人喰い妖魔は賞金稼ぎたちにはさほど注意を向けず、何かをずっと探していた。探して探して、村の中を移動して。村人たちは人喰い妖魔に守られながら共に進む私を見て驚愕の顔を向けていた。

 そんな中、

《見つけた》

 人喰い妖魔の視線の先。あの白いローブ姿の男を見つけた瞬間。

《お前の望みを叶えてやる》

 宣言と共に白いローブ姿の男に襲い掛かった人喰い妖魔は、瞬く間に呪い師を飲み込んだ。

 咀嚼し、飲み込む様をただ茫然と見ていれば、

《聞け! 人間ども》

 と、人喰い妖魔は告げた。

《此度の呪いの元凶はこのワタシが喰らい尽くした。再び呪いが村を襲ったとき、この娘を我が元へ寄こすがいい》

 それが私のために発せられたことだということは私にもわかった。

 何故? と問う私に対し、人喰い妖魔はただ愉快そうな笑い声を上げただけで、次の瞬間には泡が弾けるように消え失せた。


 後に残された私には何が起きたのか分からない。

 それでも、呆然としている私が周囲を見渡して、ふと村人たちと眼があった瞬間。

 村人たちが畏れ敬うように跪いたのを見たとき、何かが大きく変わったのだと思い知らされた。


 ◆◇◆


「ふ、ふふ。へへ」

 突如村の娘と供に姿を消した人喰い妖魔。お陰で、その背後にぽっかりと口を開いた洞窟内に、娘の付き添いでやって来た賞金稼ぎはこれ幸いと潜り込んでいた。

 人喰い妖魔の背後には、金目のものがたんまりあると聞いていた。

 好きなだけ取って逃げ出してやると思っていたのだが、賞金稼ぎは見た。

 それが大きな間違いだったということを。

 瞬時にして恐怖に顔が引きつり、悲鳴が漏れるも、誰もその声を聞くものはいない。

 死の瞬間、賞金稼ぎの男が、人喰い妖魔が何のためにこの地に存在し続けるのか、その本当の理由について気が付くことは、永遠に訪れることはなかった。

 ただ、その様を《本体》に戻った人喰い妖魔だけが、悲しげに見詰め、黙祷を捧げるがごとく眼を伏せるのだった。


                                      『完』

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『人喰い妖魔と』 橘紫綺 @tatibana

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