第2話『人喰い妖魔』


「はぁ、はぁ、はぁっ」

 一歩一歩踏み締める度に、全身を針で指されるような痛みに苛まれ、視界が高熱によってグラグラと揺れた。

「おい。もう少し急げねぇのか」

 前方で、人喰い妖魔の元まで先導する、村人に扮した賞金稼ぎの一人が急かして来るが、

「す、すみません」

 息も絶え絶えに謝ることしか出来なかった。

 っち。とその人が苛立たしげに舌打ちをする音が聞こえて来るけれど、どうしようもなかった。

 生まれ落ちた瞬間から忌み名を与えられ、忌み名を否定しながらも、何かあってはいけないと家から出ることを禁じられ。誰と接触することもなく、ただ一人、黙々と刺しゅうを施して生きて来た。

 このまま死ぬまでこのような生活が続くのかと考えたことがある。

 このままもし、父が死んでしまったら自分はどうなるのかと不安になったことがある。

 父がこの世を去るときは、共に逝きたいと望んでもいた。

 まさか、その願いがこんなにも早く実現することになるとは思いもしなかった。

 私は今、呪いの元凶となっている人喰い妖魔の元へ、賞金稼ぎの一人と共に向かっていた。

 正直、人喰い妖魔と言う恐ろしい存在が村の傍の森にいたことすら知らなかった。

 何故そんな危険な存在が森から出て来ないのか不思議だったが、遠い昔、その土地に何とか封印だけは出来たのだと言うことを聞いた。

 だとしても、封印だけされている状態は危険極まりないと、これまでも数多の賞金稼ぎたちが討伐に来ていたらしい。その賞金稼ぎたちを相手に商売をしてこの村は成り立っているのだと、私は初めて知った。

 だが、人喰い妖魔はとても強くて、これまで誰一人として討ち取ったものは居ないのだとも。

 ただ、人喰い妖魔の背後には洞窟があって、その中にはとても貴重な魔法道具や財宝があり、それを狙う者や、妖魔という存在そのものが魔法道具を作る上で貴重な材料になると、生きて帰ることが出来ないと知っていながらやって来るものが後を絶たないとも。

そんな存在が、今回の病の元凶だと、白いローブ姿の男は告げた。

 だとしても、一体どうやって人喰い妖魔を倒すと言うのか。私の当然の疑問に、白いローブ姿の男は告げた。


『君が、生贄となるんだよ』――と。


 そして私は、人喰い妖魔を内側から殺す呪いを施されることとなった。

 何重もの光の文字で作られた陣と呼ばれるものが、私の中に次々と送り込まれるたびに、私は身の内がおぞましいものに塗り替えられて行くのを感じた。

 視界が揺れた。体が震えた。胃の腑がひっくり返る。吐き気が込み上げて、涙が溢れた。

 実際、吐いた。倒れた。喘いだ。

 呼吸が正しくできなかった。

 村人たちは恐ろしいものを見るような眼で私を見下ろして、誰一人として助けようとはしてくれなかった。

 このままでは死んでしまうと思った。

 それでも、術が完成し、生贄と言う名の呪いと化してしまえば、幾分楽になった。

 私に術が定着したことを見て取った白いローブ姿の男は、そんな私に言ったのだ。

 

『では、これから人喰い妖魔の元へと出向いて食われておいで』――と。


 すなわち、死んで来いと。


 ◆◇◆


 呪いに侵され、初めての遠出。踏み入れたこともない森の中は歩き辛く、瞬く間に息が上がった。

 本来であれば心弾ませていてもおかしくないことだったとも思う。

 初めての外。見るものすべてが初めてで、色づいた森の鮮やかさを堪能していたと思う。

 でも今は、高熱にうなされ、視界が揺れ、足元もおぼつかず、息が上がりっぱなしで、景色を楽しむ余裕などない。

 そもそも、私のせいでいろんな人たちが病に侵されて苦しみ、命を失った者がいると知らされた上で、楽しむ気持ちなどありはしない。

 私は、私の命を持って、人喰い妖魔を呪いに行くのだから。

 怖くはないかと言われれば怖い。

 でも、こうも思う。


 もう、誰に疎まれて暮らすことない――と。


 そう思っていると、どんと私はぶつかった。

「ってぇな。しっかり前を見ろよ」

「す、すみません」

 いつの間にか立ち止まっていた賞金稼ぎの男の背中にぶつかっていた。

「あの先だ。逃げるなよ」

 顎で先を示されて、私は見た。

 森の中の開けた空間。そこに横たわる大きな青銀色の鱗を纏った竜の姿を。

 開かれた森の中。差し込む陽光に躰をキラキラと煌めかせ、深い眠りを堪能しているその姿を、素直に綺麗だと思った。

 一瞬、自分を苛む呪いの苦しみを忘れるほどに、美しい存在が居ると見入っていると、

「さっさと行ってこい」

 突然賞金稼ぎの男が、背中を押して現実に引きずり戻す。

 私は、覚悟を決めて初めの一歩を踏み込んだ。

 刹那、全身の産毛が総毛立つ。

 明らかに、異質な空間に足を踏み入れたのを私は感じ、そして、眼が合った。

 眠っているものだとばかり思っていた竜の、紫が掛かった深い青い瞳と、抜けるような青空の色という、左右で異なる二つの瞳と。

 私は一歩踏み入っただけで、竜とはまだまだ遠く離れているというのに、何故かはっきりと瞳の色が見て取れたが、金縛りに遭ったかのように動けなくなっていた。

 初めて、自分はこれからこの存在に喰われるのだということを痛感した。

 感情ではなく、本能が進むことを拒絶していた。

 ああ、やはり私は死を恐怖しているのだと改めて思った。

 だけど、ここまで来て戻ることは出来ない。私は罪を犯したから。知らなかったこととは言え、この存在の呪いの力を多方面にばらまく手伝いをしてしまったのだから。私は――

《何をしに来た》

 え?

 面倒くさそうな声がしたのはその時だった。

 途端に、呼吸すら止まっていた硬直が解けて軽く戸惑っていると、

《言葉が通じぬのか?》

 殊更面倒くさそうな声が再び頭の中に響いて来た。

 驚きに軽く目を瞠る。

 問い掛けは竜によってもたらされたものだと察したからだ。

 私は、慌てて首を左右に振った。

「あ、の、初めて、お目にかかります。あなたが人喰い妖魔さんですか?」

 問い掛けて、我ながら何と間の抜けた問い掛けだと眩暈を覚えたが、

《ふっ。人喰い妖魔――か。だとしたら、どうする?》

 その問い掛けが自嘲気味だったから。

「あなたに私を食べてもらいに来ました!」

 私はまっすぐに人喰い妖魔の眼を見て宣言した。

 竜の姿をした人喰い妖魔は、一度ゆっくりと瞬きをしたかと思うと、その目を細めてこう、答えた。


《自殺志願者は不味くてかなわん。さっさと帰れ》


 それは、想像を裏切るものだった。


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