第6話 点滅する道を行く


 穏形だと思われる目撃情報があるのは、地下を通る連絡通路だ。普段あまり使われていない地下通路は、老朽化が激しく、コンクリートの壁には亀裂の他に水が細々と流れる。通路を照らす蛍光灯は、切れかけているのか、チカチカと自由気ままに明暗を通路に作り出す。

「なにもいないですね」

 この地下通路は平行するように二本ある。地上にある四車線の道路は交通量が多い。その両脇の歩道に沿うように、真下に地下通路は延びている。

 駅までの地下通路は、電車の利用客が多かった当時に合わせて作られた。しかし、時代は流れ、この駅周辺に住む者の数も減り、都心へ向かう快速電車が停まらなくなってから、急激に利用客が減り、晴れている日は地下通路を利用する人間はほぼいない。そのせいか、ホームレスや不良のたまり場になっていたらしいが、ここ半年ほど前から彼らも姿を消した。同時期、こんな噂がたったという。

 影が人を食った、と。

 何の影なのかはわからない。ただ、単純に怪談話としておもしろおかしく噂がたっただけかもしれない。真実はまだ何一つわかっていないが、人がいなくなったという現実は実際に起きている。

「油断はするな、どこかに隠れている可能性もある」

 穏形は人の負の感情を好む。人を襲うのも恐れおののくことで、穏が発生し自らの糧にできるからだ。そのため、人の気配があると身を隠すことが多い。油断したところを驚かすといえば、危機感に欠けるように聞こえるが、実際命に関わることが多い。高度な知能を持つ生物の脳であればあるほど、危険性も増す。

 ぽちゃんと水が落ちる音が響く。しんと静まりかえった地下道は、かび臭いような空気が充満しており、少し息苦しい。今回はあくまで調査だ。穏形の痕跡を見つけられれば一番いいが、一度で見つけられるものでもない。梅雨のじめっとした空気が肌にからまる。自然とのどが渇いた。

 静と合流後、電車を使用しここまで来たがその間一度も水分を補給していないことに気づく。

 一度、休憩を入れようかと思ったときだ。

 視界の隅で何かが動いた。体に染み着いた癖で、ガンホルダーからエアガンを取り出し構える。静も少し遅れて身構えた。

 物音はしない。動くものはない。

 じっと食い入るように見つめる。

 そのときだった。

「わっ!」

 子供が驚かすような声が、地下道に木霊する。はっと振り返れば、にたっと笑う少年がいた。無害な子供――いや、ひとりでうろつく子供がいるだろうか。それも、足音が響きやすいこの地下通路で、音もなく背後に回り込むことなどできるだろうか。

 本能が危険を告げる。静の腕をとっさに取り、思いっきり引き寄せるのと同じタイミングで、少年の右腕が前へ突き出された。その腕は獣のものだった。刃物のような鋭い爪が見えた気がした。

 山で遭難した子か。

 穏形の体は死体の寄せ集め。腐敗を止めるには、穏を常に取り入れる必要がある。五、六才に見える少年の頬には泥がこびりつき、着ている服はぼろ布のようだ。十年は確実に穏形として活動しているだろう。

 舌打ちを打ちたくなった。

 どうしてそんな存在が今まで放置されていたのか。しかし、今はそれどころではない。人の気配がないことが幸いだ。耳元に触れる。端末で三上と通信を取ろうとしたが、電子音がむなしく響くだけだった。

 圏外なのか?

 途端、けたけたと笑う声が耳を打った。同時に理解する。こいつはわかっている、と。

 伊達に長期間生き残ったわけでない、ということか。

「静」

 びくりと彼の体が跳ねる。

「通信が使えない。応援の要請に一度地上へ上がれ」

 静はなにか言いたげにこちらを見る。ひとり残していくのが心配だとその瞳は雄弁に語っていた。相手は人型の穏形。瀕死の大怪我を別の穏形とはいえ、人型に負わされたのだ。言いたいこともわかる。しかし、兄弟子としてはもっと信頼してほしいというのが本音だ。

「時間はない。早く行け」

 この場合、相手を気遣うなら早く応援を呼んだ方がいい。

 静は渋々といった様子でうなずくと地上へと続く階段へ走った。階段までは三百メートルほどある。陽術が使えない今、足止めすらできるか疑問はあるが、やるかやらないかではない。陽術師である以上、穏形――それも人型――を放置しておくわけにはいかないのだ。

 それが陽術師の使命。過去の因縁で術師同士がいがみ合っている場合ではない。

 静が走る。案の定、穏形もそのあとを追う。

「お前の相手はこっちだ」

 間に割り込み、エアガンを構える。はったりくらいにはなるだろうと思ったが、相手はそのまま突っ込んできた。

 腹に衝撃が走る。臓器を押された勢いで押し出された空気が口から飛び出た。

 にじむ視界に穏形がにたりと笑ったのが見えた。使えないことがわかっているような態度だ。穏形は、人の機微に聡い。しかし、まるで心を読んだかのような態度には疑問がわく。

「洋にい!」

 静が戻ってくるのが目に見えて思わず叫んだ。

「行け!」

 穏形の狙いは静だ。術の使えない人間など脅威にならない。それよりも地上に出て応援を呼ばれる方が困るはずだ。

 しかし、まだ陽術師となり経験の浅い静が、幼少期を共に過ごした人間を見捨てられるほど、非情な行動はまだできない。

 ぐっと体に力を入れ立ち上がると走った。子供の体だ。今からでも全力で走れば十分間に合う。しかし、陽術は使えない。静の手には竹刀が握られているが、歴戦の強者相手に通用するのか不安がある。

 穏形の手が大きく振り上げられる。獣の腕には、肉を簡単に引き裂く鋭利な爪があった。

 急所をえぐられればひとたまりもない。

 静が竹刀を構える。だが、うなりをあげた穏形の腕が払いのけた。竹刀は、音を立て遠くへ飛ばされる。丸腰の相手を逃がすほど愚かな相手ではない。

 再び振り上げられた腕を見つめながら、地面を蹴り、静をかばうように躍り出た。

 痛みを覚悟した。死を覚悟した。後悔はなかった。

 しかし、いくら待っても痛覚を刺激する衝撃もなければ、体がなぎ倒されることもなかった。代わりに、まどろみの中で意識をゆっくりと沈ませるような感覚が襲う。

 静をかばうように抱きしめた腕は、唐突に離された。次の瞬間、彼は突き飛ばされたかのように尻餅をついた。

 突き飛ばしたのは他でもない。自分だ。

「――最悪だ」

 吐き捨てるような言葉。声は自分のものなのに、口が勝手に動く。口だけではない。手も足も。体の自由がきかない。まるで画面越しに映像を見ている気分だ。

 口が勝手に動く。驚く静を見下ろしながら、口の中で言葉を転がした瞬間、彼は眠るように意識を失った。

 ――静!

 夢でもみているのか。いや、これは夢ではない。

「うるさい。黙ってみていろ」

 自分の声――いや、違う。この声には聞き覚えがある。

 鏡向こうで見た奴か。

 名は知らない。ただ、長髪の青年の姿が脳裏によぎる。

 体を乗っ取られたのか。ひゅっと胸の奥に冷たい風が走る。

「はっ! そうだったらどんなによかったか」

 くるりと首が向く。背後にいた穏形は、どういうわけか地面に縫いつけられたように倒れている。獣のような叫びをあげ、逃れようと必死に暴れているが、起きあがることもできないようだ。しかし、一見して穏形を縛り上げているものはなにもない。

 再び、下の上で言葉を転がす。なにを言っているのかわからないが、その正体に気づかないほど鈍感でもない。

 呪だ。

 それは陽術でもトナンの者が使う術である。

 ――トナンに関係のある人間か。

 いや、過去は人間だったかもしれないが今は違う。

 口の中で編むように紡がれた言葉は、目には見えない矢となって穏形に向かう。子供の姿をした穏形は、叫びをあげながら体を崩していく。土塊つちくれが乾き、風によって舞いあげられるように。やがて、跡形もなく姿を消す。

 辺りは再び静けさを取り戻した。

 ――なぜ助けた。

 静に対する態度から、バンカを嫌っているのは十分理解できる。いや、嫌うなど優しいものではない。憎んでいる。だからこそ、僕らを助けるような真似をしたことに疑問が残る。それほどバンカとトナンの因縁は根深い。

 しかし、そうはいっても陽術の祖はトナンである。

 トナンの陽術の威力の凄まじさに驚きつつも、問わずにはいられなかった。

「阿呆。貴様が死ねば、俺もただではすまないだろうが」

 なるほど、たしかにそのとおりである。しかし――。

 ――静に手を出したお前を僕は許さないぞ。

「お前、本当に救いようがないほどバカだな」

 カチンときたが、殴る手はない。

「見ろ」

 そう言って、視線は再び静に向けられる。その肩は上下に動く。眠っているようだ。

「バンカの人間など切り捨てたいほど憎いが、そうなれば貴様の立場が危うい。せっかく手に入れた体を牢獄につながれ過ごすなどごめんだ」

 それはこちらの台詞である。他人の罪を擦り付けられたくなどない。

 もう、体の主導権はこいつに取られたままなのか。それは嫌だなと思ったときだ。

 くわっと大きなあくびがこぼれる。

 そして、「疲れた」と青年は言った。

「まったく。温存しておいた力を使わせやがって。俺は寝る。いくらへっぽこ術師でもあと片づけくらいはできるだろ」

 途端、意識が浮上するのを感じた。地下道のはずなのに視界に入る明かりがまばゆく感じる。

「静」

 駆け寄り抱き起こせば、静かな寝息が聞こえる。ほっと胸をなで下ろした。

 同時に、体が重くなるのを感じる。

 これから先、僕はどうすればいいのだろう。

 バンカの陽術は使えずとも、陽術師を辞めるつもりはない。

 だが、それは静を危険に巻き込むことにつながる。三上に再び単独行動を許すよう願うことも考えたが、現実的ではないだろう。なにより、静が傷つく。

 ならば、トナンの陽術を身につける他ない。しかし、半分バンカでありバンカの里で育った以上、トナンの人間は、僕を認めはしないだろう。

 そもそも、トナンの人間と接触する機会がない。組織に所属する陽術師は、皆バンカと同じ札を用いた陽術だ。まずは、トナンの人間と接触を図らなければならない。

 きっと危険が迫れば、あの男が体の主導権を奪うようにしてトナンの呪を使うだろう。しかし、それも絶対とは言い切れない。そんなあやふやなものに命を預けるつもりは毛頭なかった。

 ふっと息を吐く。陽術師を続けるために、トナンの陽術を習得しようとしていることを静が知ったら、どう思うのだろう。

 きっと、僕のことを軽蔑するだろうな。

 そっと、目を伏せる。

 バディを組んでいる以上、仕事中には静がいる可能性が高い。

 静の両親は、バンカの人間に殺された。自分の体の中に住む、この男のバンカに対する憎しみも強いが、彼のトナンに対する憎しみも同じくらい強い。

 彼に知られてはいけない。可愛い弟弟子を傷つけたくない。

 僕にできるだろうか。

 身の内に住み始めた、得体の知れない存在を飼い慣らし、弟弟子と共にこの世の中に巣くう憎しみを絶つことが。

 できるかじゃない。やらなきゃだめだ。

 深く眠っている静を抱き抱えると、チカチカと明るくもなく、暗くもない道を歩き始めた。


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