最終話 のんすとっぷ廃人

「すまない……車に薬があるから、取って来て」


「分かった」


 しずくが走って行ったのを確認して、起き上がる。

 ポケットに入れていたペーパー・ドラッグを噛み、


「オエェ」


 吐く。

 急激に上がる体温、脳血管が弾けるような感覚。


「まだ……あともう少し」


 キリキリと内臓が痛む。幻覚なのか、雫が俺を見て立ち止まっているような。


「なに……やってんの?」


 しまった、現実か。

 嫌なとこ見られちゃったな。


「ねぇ……それ。何?」


「行こうか」


「答えてよ!!」


 悲痛な叫びに、答えられるだけの理性は残って無いんだ。


「頼む。早く乗ってくれ……説明する、から」


「いやだ! 何で? 何でそんな……」


 雫の背後、数メートル先に人影。

 幻覚だったら、どれだけ良かっただろう。

 

「こんな時に……!」


 腰のハンマーを抜き、走る。


「ヒッ」


 雫も気付いてしまった。

 彼女を拉致した連中の仲間だろう男二人。一人にハンマーを投げる。


「ぎゃっ!」


 悲鳴。

 もう一人は走った勢いそのままに、押し倒す。


「死ね」


「ぎいぎぎぎぎ」


 首の血管を両手で締め上げ、失神させるつもりだった。ボグッと鈍い音がして骨を折ってしまった事に気付く。


「雫、逃げるぞ!!」


 はっと我に返った彼女は迷わず助手席に乗り込んだ。確認して、急アクセルで駐車場を出た。 


「ごめんな……こんなことになって」


「いいよ。でも……腎臓のこと、言って欲しかった」


 言えるかよ。


「まぁ、すまねぇ……あ、冷静に考えりゃ男の内臓を知らずに移植されるのは怖いわな」


「たしかにそうだけど……そうじゃなくて!」


 運転してるというのに、左手を力強く掴まれる。意識は、背後の爆走して追いかけてくる二台の車に向けている。


「ちょ、あぶ」


「大切な人が、自分のせいで苦しむのみたくないよ……」


「……」


 今から、とても俺は残酷な事をする。


「その気持ちはだ」


「……え?」


「ストックホルム症候群って知ってか? 犯罪者に対して、被害者が好意的感情を持ってしまうってやつさ」


「……うそ」


「君が、俺に対して抱いてる感情はそれだ」


 歪んでいく彼女の表情に、胸の痛みが加速する。くそう、くそっ、何でだ! こんなに傷つけたのに!


 次の、カーブ。


「君が、最後に助手席に乗ってくれて良かった」


 助手席のドアを開け、カーブに達し慣性の法則で雫が外に放り出される。その先は海。


廃人はいと!!」


 彼女がくれた、俺の名前。


「くそっ!」


 ハンドルを切り、車二台が着いてきているか見る。ちゃんと着いてきている……雫の飛び降りには気付いてない。


「あぁ……桜が見える」


 思えば雫と出会った時、桜が咲いていた。

 十月なのに。


 後ろの二台は、止まらない。

 だから、急停止した。


 吹き飛ぶ車体と俺の身体。

 幸いなことに、海に落ちた。


 桜の下で会った気がした子が手を引いて、


「ばーか!」


 俺を水面から引き上げた。

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首を吊ろうとしている少女を止めてしまった廃人、少女を伴い旅に出る 春菊 甘藍 @Yasaino21sann

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