第10話 中庭


 何時シルフェがこちらの部屋の様子に気がついてもおかしくないと言うのに。いや、もう気が付いて息を潜めて様子を窺っているかもしれない。


「……そんなん知るか」


 一度隣室に視線を向けたものの、シオンは鼻で笑うなりずかずかと室内に入って来る。

 慌てる僕の前に来て、「忘れ物だ」と歯切れ悪く言うと元のサイズに戻った黒いジャケット――妹達から貰った宝物――を差し出して来た。

 マンションに忘れて来た奴だ。届けてくれた、のか? なんで?


「俺にも妹が居てな、だからまあ分かる。大切だろ、これ」

「あ、有り難う……?」


 まさかこいつからこれを受け取るとは思っていなかったので、呆然とそれを受け取る。それにこいつは僕を殺す気じゃないのか。

 どう反応していいか分からず、ただただ視線を向けてたからか。シオンが不服そうにこちらを睨んできた。


「安心しろ。分かっていると思うが事情が変わったんだ、今はお前を殺す気は無い。逆に守ろうと思っている。だから逃げるな」


 その言葉に目を丸くする。

 事情が変わったのは、確かにそうだろう。僕よりシルフェのが圧倒的に優先度は高いだろうから。

 こいつが僕を守る、と言うのも頷けなくはない。今シルフェが一番必要としているのは僕だ。僕の近くに居ればいつかはあの長身の女性が姿を見せる――そう思っているんだろう。

 だったら僕も、こいつと居た方が良い。下手に1人で逃げた方がシルフェに捕まって危険だ。

 慎重にドアを閉め、聞いておきたかった話を小声で切り出す。


「……さっきの話の続きだけどさ。なんでそんなに人と協力したくないんだ?」

「俺が一番強いからだ。なら本国を守れるのは俺だけ、当然だろ。現にシルフェだってキリエを既に強化してるんだ。そんな奴、相手に出来るのは俺くらいだ」


 こちらを見る事なく告げる人物のあまりに頑なな物言いに、ついつい返す言葉の語気も強くなる。


「お前干したカツオくらい頭固いよな。連携って言葉知ってるか?」

「初めて聞く言葉だな」

「お――っ!?」


 鼻で笑う事じゃない。そう言おうとした時。

 ――床が抜けた。


「はああああっっ!?」


 突然の無重力状態に大声が出て、頭に浮かぶのは疑問符ばかり。

 何も出来ずに1階のロビーに落下していく。固く目を閉じてすぐにやって来るだろう衝撃に備える。


「っ……?」


 が、一向に衝撃は襲って来なかった。

 それどころか、自然と足が地面に着く感覚さえする。

 気が付けば、正面玄関と中庭に通じる出入り口の自動ドアが無い為に、一際寒いロビーに立っていた。

 2階から1階に落ちて、こんなに何事もなく済むわけが無い。……シオンのキリエか?

 どこに居るかも分からない人物を探そうと視線を巡らせた時。


「シオッうわああっつ!?」


 突然、突風が吹いて、ガンッ! と勢い良く横倒れて床に叩きつけられた。

 全身をかけ巡る痛みに悶える暇もなく突風は続き、僕はゴロゴロと丸太のように転がっていく。急に眩しくなったかと思うと今度は思いっきり背中を何かにぶつけた。


「!」


 背中を強打し呼吸が止まる。

 口から出る悲鳴も声になっていない。良く分からない状況なのに確かに体は痛くて、確実に目に膜が張っていた。

 肌を刺す寒さと、顔に着いたざらつきと、目を閉じていても伝わる眩しさ。

 どうも僕は外に移動させられてしまったのだと気付く。

 薄く開けた目で周囲を見てみると、ここは雑草が生い茂る中庭のようだった。


「っ」


 涙の膜が張ったおかげで何時もよりクリアに見える視界。

 ロビーに現れた赤い青年から僕を庇うように立っている金髪の女性――シルフェ――がすぐ近くに居るのが見えた。


「皇子、悠長にお話しすぎでしてよ?」

「お前が動くのを待っていたんだよ! 夏樹が言ってた隣室には居なかったからな、どこかに隠れてると思ったんだ」


 少し距離のあるシオンに向けて喋っている背を見ながら理解する。

 廊下から来たシオンが隣室を気にしなかったのはシルフェが居ない事を知っていたから、だと言う事を。


「彼はわたくしが唾を付けてるんですの。横取りしないでくださいません?」


 長い金髪を靡かせ、ムッとした口調で続ける黒いローブの女性を見て、シオンの口端がにっと持ち上がった。


「誰が横取りなんかするか。それに夏樹はお前が捕まったらくれてやるっ!」


 言うなりシルフェの足元に真っ赤な炎が立ち上がった。炎はあっという間に長身のシルフェを包んでいく。


「っ」


 まだ起き上がれない僕の顔面にも熱気を感じ、思わず目を見張る。


「もっと本気でやって下さいませ!!」


 火だるまと化したシルフェはしかし、見えない水でも掛けたかのようにすぐに炎を消していく。


「皇子を殺すのは偲びないけど……これも悲願の為!」


 口元に笑みを浮かべたシルフェが、シオンの回りに僕を殺したあの黒い刃を出現させる。僕の時は四方だったけれど、今は八方。密度が上がっている。


「ふんっ……!」


 苛立ったように叫んだシオンがやったのか、黒い刃は青年を傷付ける事無く霧散していく。が、シオンを貫こうとしている刃は次から次へと出現している。

 直後。


「!?」


 いきなり毛艶の良い巨大ライオンが中庭に出現し、シオン目掛けて大口を開け襲い掛かった。シルフェの声が弾んでいる。


「ふふ。命を作るキリエ、やってみたかったんですの! きゃあ皇族になったみたいっ!」

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