・0-6 第6話 「あんた、立花 源九郎? :2」

 立花 源九郎。

 それは、数年前、日本の芸能界において一世を風靡ふうびした名前だった。


 日本のドラマには、昔から時代劇と呼ばれるジャンルがあった。

 それは主に江戸時代を舞台としたドラマで、かつては盛んに放送され、多くの視聴者が楽しんでいたものだ。


 たとえば、諸国を漫遊し悪代官に正義の裁きを下す天下の副将軍のご隠居や、将軍自らが悪人をバッタバッタと成敗していく作品などが、特に有名だ。

 また、かつてはモデルとなった出来事が実際に起こった日に合わせてスペシャルドラマとして放映される[忠臣蔵]なども有名だった。


 そしてそれらは、様々な人間模様が織り成すストーリーも魅力的だったが、なによりも派手な[殺陣たて]のシーンで有名だった。

 散々悪事を成して来た悪人たち、あるいは仇敵たちが、主人公たちの手によって、目まぐるしい大立ち回りで懲らしめられていく様に、誰もが胸がすくような気持がしたものだ。


 しかし、今となっては、時代劇は衰退し、すっかり下火となっていた。

 人件費が高騰して大人数を使った派手な殺陣たてのシーンを撮りにくくなったというのもあるし、悪人が裁かれて苦しめられていた善人が救われるというお決まりのパターンに視聴者があきてしまったというのもある。


 そしてそんな状況だから、殺陣たての技術が継承されなくなり、かつてのように派手な殺陣たてのシーンを撮影しようとしても、満足にエキストラを集められないという状態にまで落ちぶれてしまっている。


 そんな時代にあらわれた、立花 源九郎という[サムライ]。

 彼は時代劇が衰退した時代にあって、かつて栄華を誇った[殺陣たて]を極め、令和の時代に時代劇の人気を復活させた存在だった。


 一目見れば決して忘れることのできない風貌ふうぼう

 それも立花 源九郎の人気の源だったが、なにより人々を引きつけたのは、その洗練された殺陣たてのシーンだった。


 くいっぱぐれの貧乏浪人が、磨き上げた剣術で悪を斬る。

 衰退したものの、その王道ストーリーを時代劇全盛期の殺陣たてに並ぶ大迫力で表現した立花 源九郎は、令和の世に確かにその名を刻んでいた。


 だが、今となっては、その名を覚えている者は珍しい。

 なぜなら立花 源九郎は5年前、突如引退してしまったからだ。


 たったの、数年間。

 立花 源九郎が世に出て、活躍したのは短い期間であり、その活躍はこの5年間の内にすっかり風化してしまっていた。


「いやぁ~、感激! ほ、本当に、大感激!


 まさか、まさか、本物の立花 源九郎が、うちに来てくれるなんてねぇ~! 」


 立花 源九郎のファンだ。

 そう言った店員、中年の、おそらくは賢二と同年代の中肉中背で短く切りそろえた黒髪と人懐っこそうな印象の茶色の瞳を持つその男性は、心底嬉しそうになんどもうなずいている。


「おれ、あんたと同い年なんだよ~!

 だからさ、アンタが活躍してるの、自分のことみたいに嬉しくってさぁ~!


 それに、あの、派手な殺陣たて

 近頃、あんな迫力のあるもん、見られないからさ~!


 なんていうかさ、腰の入り方が違うんだよ、うん。

 他の役者なんかみんな、剣を振ってるんじゃなくって、剣に振られちまってるようなへっぴり腰でさー、かっこ悪いんだよね!


 その点、あんた、立花 源九郎は、見ていて気分がいいね!

 腰に力が入ってるからズバッと剣さばきが鋭いし、踏み込みも、こっちまでドキッとするくらいの迫力があってさぁ~!


 やっぱり、悪さをしていた悪人が、正義の剣で裁かれるって、マンネリ化してるパターンなのかもだけど、いいんだよね~っ!! 」


 まるでマシンガンのように途切れることなく、店員の口からは立花 源九郎という役者を称賛する言葉が飛び出してくる。


「ははっ、いや、そんなにほめてもらえると、嬉しいですよ」


 その言葉を、賢二は愛想笑いを浮かべながら聞いていた。


「いやいや、そんなそんな、あんたは、立花 源九郎は、それくらい凄かったんだから~! 」


 店員はなおも興奮さめやらぬ様子で、うんうんと何度もうなずき続けている。

 だが、急に彼は真顔になると、ずいっと、賢二に向かって身体を前に乗り出してくる。


「でも、あんた、あんなにかっこよかったのに……。


 どうして、引退しちゃったの?

 まだまだ全っ然、いけたはずでしょ? 」


 その言葉は純粋じゅんすいな興味と疑問であって、ほんの少しの悪気もない。

 だが、その言葉に賢二の胸の中は、チクリと小さく、だが、鋭い痛みを覚えていた。


「撮影中の、事故があったじゃないですか」


 しかし賢二は、精一杯の笑みを浮かべながら、なんでもないふうに、少しも気にしていないような様子をよそおって答える。


 せっかく、立花 源九郎のことを、好きだと言ってくれる人に出会えたのだ。

 かつての自分を、もう2度となることのできない自分を、覚えてくれている人に出会えたのだ。


 そんな人を拒絶して、がっかりさせたくなかった。


「ええ、知ってますよ。

 殺陣たてのシーンの撮影中に事故があって、重傷だったとか。


 でも、ちゃんと怪我はなおったんでしょう? 」


 店員はファンだと言っていた通り、立花 源九郎が撮影中に事故に遭ったことも、その後怪我が治ったということも知っていた。


 そんな店員に向かって、賢二は寂しげな笑みを浮かべながら、ゆっくりと首を左右に振って見せる。


「いえ、確かに見た目は治りましたけどね。


 左手に、麻痺まひが残っちゃいましてね」


麻痺まひ? 」


「ええ、この通り。

 うまく手が握れないんです」


 軽く首をかしげた店員に向かって、賢二は自身の左手を見せ、それから、ゆっくりと握って見せる。


 だが、賢二の手は、きちんと拳を作ってはくれない。

 半開きの状態で止まり、そして、小刻みに震え出す。

 残った麻痺まひのせいで、賢二の左手は不自由になっていた。


「このせいで、俺はもう、立花 源九郎にはなれなくなっちまったんです。

 もう、みんながほめてくれた殺陣たての演技は、できないんです。


 今の俺は、ただの、田中 賢二。

 どこにでもいる、中年のおっさんなんです」

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