・0-7 第7話 「それは、俺のすべてだった」

 賢二の言葉に、先ほどまで本当に嬉しそうに話していた店員が押し黙る。


「すみません、なんか、しめっぽい感じにしちゃって」


 そんな店員に向かって、賢二は愛想笑いを浮かべながらペコリ、と頭を下げた。


「いえいえ、こっちこそ、いきなり立ち入ったことまで聞いちゃって、すみませんでした」


 そんな賢二に、店員の方も小さく頭を下げた。


 もう、自分は立花 源九郎になることはできない。

 その、平静を装いながら発せられた賢二の言葉に込められた、やりきれない複雑な感情を店員も読みとることができたからだろう。


 立花 源九郎。

 それは、田中 賢二にとっての[もう1人の自分]であり、[なりたかった自分]だった。


 田中 賢二という男は、地方のどこにでもあるような町に生まれ育った、どこにでもいる1人の人間に過ぎなかった。

 実家はよくあるサラリーマン家庭で、貧しくもなく、裕福でもなく、賢二は公立の学校を小中高と卒業し、特筆するほどのこともない人生を送ってきた。


 しかし、賢二には幼いころから、夢があった。

 それは、祖父母の家で幼いころに見た、時代劇のヒーローみたいな大人になることだった。


 たとえ貧しく、生活が苦しくても、かまわない。

 自分が「これだ」と信じた道を、自分自身の鍛え上げた剣術だけで突き進む、そんな人間に賢二はなりたかった。


 そして賢二は、その、誰もが「荒唐無稽こうとうむけいだ」と笑うはずの夢を、真剣に追いかけたのだ。


 それ以外には、なにもいらない。

 もし本当にこの夢がかなうのであれば、それで、自分は一生を使い果たしてもいい。


 幼いころから抱いて来た憧れは、賢二の内側で大きく、より強くなり、その夢に賢二は突き動かされ、周囲の人々が「無謀だ」と言って止めるのも聞かずに突き進み始めた。


 高校を卒業した後、賢二は時代劇のアクションシーンなどを撮影する際に呼ばれるエキストラを養成する学校へと通った。


 時代劇が衰退しつつある令和の時代に、そんな、時代劇の殺陣(たて)のエキストラとして食べて行けるはずがない。


「賢二、ばかなことは考えないで、大学に行ってどこかまともな会社に就職して、まっとうに暮らしを立てることを考えなさい」


 両親はそう言って強く反対したが、賢二はその反対を押し切り、家出同然に実家を飛び出し、熱心に殺陣たての技術を磨き続けた。


 だが、両親が指摘して来たとおり、賢二にはロクに仕事が来なかった。

 賢二と同じように殺陣たてを学ぶ学校に通っている者の数も少なかったのにもかかわらず、それ以上に仕事がなかったのだ。


 だから賢二は、学費も、生活費も、すべて自分で稼ぐしかなかった。

 両親は戻って来いと賢二に言い続けていたが、自分から家出同然に飛び出してきてしまったために今さら家に戻ることもできず、賢二は苦しい毎日を送った。


 このままでは、ダメだ。

 そう思った賢二は、殺陣たての技術だけではなく、実際の武術を学ぶために武者修行の旅に出たりもした。

 本物の武術に触れ、その技術だけではなく精神も身につければ、自身の殺陣たての演技に生かすことができると考えたからだった。


 今となっては笑うしかないことだったが、賢二は山籠もりと称し、人里離れた山中にキャンプ道具などを持ち込んで何か月も過ごしたことだってある。


 他人から見れば、賢二のこの行動は無謀そのもの、そんなことをしたって絶対に願いはかなわないと、そうとしか思えないことだっただろう。


 なぜなら、そういう時代だからだ。

 賢二がなりたいと思っているヒーローになれるような時代劇が、この令和の時代においてはほとんど製作されないようになってしまっているのだ。

 その個人の頑張りだけでは動かしがたい[現実]を前にしては、賢二がどれだけ努力しても無駄にしかならないと思うのが当然のことだった。


 だが、賢二は真剣だった。


 本気だったのだ。


 無理をすることなく、ほどほどに頑張りながら生きる。

 そうした生き方も賢二にはできたが、(そんな人生はつまらない)という思いが、賢二にその道を選ばせなかった。


 そうして、10年以上の悪戦苦闘の末、賢二は奇跡を起こした。

 めったに行われることのなくなっていた時代劇の撮影が行われ、そのエキストラとして出演していた賢二は、その独特な風貌ふうぼうと、なにより、各地を武者修行して身に着けた武術を取り入れた殺陣たての技術を認められたのだ。


 賢二はこうして、田中 賢二から、立花 源九郎となった。


 賢二が起こした奇跡は、これだけではなかった。

 賢二が演じたサムライ、立花 源九郎を主役とした作品が、立て続けにヒットを記録したのだ。


 時代劇が衰退した令和の時代に、殺陣たてを極めた立花 源九郎。

 その殺陣たての演技は時代劇のことなど忘れ去ろうとしていた人々に再び、その魅力を強く示したのだ。


 だが、その栄光も、一瞬のことだ。

 立花 源九郎は、自身の役者としての存在を令和の時代に刻みつけることとなるはずだった作品の撮影中に事故に遭い、そして、2度と、その殺陣たての技術を見せることができなくなってしまった。


 田中 賢二は、立花 源九郎から、元の田中 賢二へと戻ったのだ。


 まるで、ほんの一瞬の、白昼夢のようだった。

 ずっと追いかけてきた賢二の夢は、シャボン玉が弾けて消えるように終わってしまった。


 夢を追いかけた自分の生き方に、後悔はしていない。

 世の中には、自分の望みをかなえようと懸命に努力をしても、その臨んだ結果を得られないでいる人が大勢、いるのだ。

 それなのに、賢二は夢を、短期間とはいえ叶えることができたのだ。


 その夢から一瞬で覚めてしまったのだとしても。

 賢二はその夢をつかむために費やした自分の時間を誇りたかったし、自分と同じように、夢を追いかけて懸命にあらがい続けるすべての人々に、自分は夢をかなえたのだと、堂々と、そしてはげますように言ってやりたかった。


 だが、後悔はしないと決めていても、どうしても、未練は残る。

 賢二はただ、立花 源九郎になりたかったわけではないのだ。

 なれればそれで満足できるわけでは、なかったのだ。


(立花 源九郎……。それは、俺のすべてだった)


 田中 賢二は、カウンターの下で誰からも見えないようにきつく自身の両手を握りしめる。


 右手は、肌が白くなるほど、指が食い込むほど、きつく握りしめられている。

 しかし、左手は、半開きの状態にまではなったが、プルプルと小刻みに震えているばかりで、それ以上動かない。


 この麻痺まひさえ、なければ。

 田中 賢二は、立花 源九郎になれるのに。


(いけねぇ、いけねぇ。

 せっかくの焼鳥が、冷めちまうじゃねーか)


 賢二はそう自分に言い聞かせると、すっと力を抜いて、自身の握り拳を解いた。

 そしてビールジョッキに残っていたビールを一気に飲み干すと、ドン、と豪快に、威勢をつけるようにカウンターの上に置くと、ガハハ、と豪快な笑みを店員へと向けて見せる。


「ま、昔のことですから!


 今日は、せっかく昔の俺のことを知っている方に出会えたんですし、楽しく飲ませてもらいますよ! 」


 賢二がそう言うと、今まで申し訳なさそうな顔で賢二のことを見つめていた店員も、ようやく笑顔を取り戻した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る