・0-4 第4話 「40歳の誕生日の夜:3」

 この店は、絶対にうまい店だ。

 賢二がそう確信を持ったのは、その、[鳥王]という店名を持つ店の前を通りかかった時のことだ。


 小さな店だ。

 店内はカウンター席と座敷席があるが、頑張って詰め込んでも十数人しか入れないだろうという大きさしかない。


 だが、いつもにぎわっていた。

 中をのぞかなくても、換気扇越しに外まで漂って来る美味そうな鶏肉の焼ける香りで、それとわかる。


 炭火の香ばしさと鶏肉の脂が入り混じった、食欲をそそる匂い。

 周囲にその匂いは色濃く漂い、そして、わずかに熱気を帯びている。


 このことからわかることは、この店が常に炭火を絶やさずに焼鳥を焼き続けている、ということだ。

 あたりに漂う焼鳥の香りが冷めておらず、熱気が残っているのがその証拠だ。


 それはつまり、注文が途絶えないほど繁盛している店であることを意味している。

 そして、表通りから外れているのに繁盛しているのならば、うまいに決まっているのだ。


 その店を見つけて以来、賢二は、機会があれば、と、ずっと訪れることを楽しみにしていた。

 薄給でつつましく暮らしている以上、誕生日のような特別なことでもない限り、思い切り外食を楽しむことは難しいのだ。


 軽やかな足取りで玄関先にたどり着いた賢二が、赤地に白い文字で[鳥王]と書かれた暖簾のれんの隙間から中をのぞいてみると、店内は満席で、少しだけある順番待ちの席にも人が座っていた。

 やはり、こんでいる様子だ。


(少し待つくらい、なんてことねぇさ)


 漂う焼鳥の香りと、ガラス越しに見える店内の暖かさ、客たちの笑顔を見て、期待に胸を膨らませ、ゴクリ、と唾を飲み込んだ賢二は、スライド式の扉をカラカラと開いて、暖簾のれんをくぐった。


「へい、らっしゃい!

 1名様ですか~!?」


 すると賢二の来店に気づいた店員が、こちらに顔を向けつつ威勢のいい声で出迎えてくれる。


「うっす、1人っす」


 賢二が愛想笑いを浮かべつつ、右手の人差し指を顔の横で立てて見せると、店員はさっと店内を見渡す。


「カウンター席でよければ、すぐにご案内できますよ」


 運良く、ちょうどカウンター席が1つ空いていた。

 賢二よりも先に入っていて順番待ちをしていた人たちもいるのだが、どうやらその4人組は仲間連れであるらしく、みんなで座敷席が空くのを待っているらしい。


(お、ラッキー! )


 待つと思っていたのに、どうやらすぐに焼鳥にありつけそうだ。

 賢二は飛び跳ねたいほど嬉しい気持ちを抑えながら、店の看板と暖簾のれんの色に合わせて赤い生地で作られた羽織とズボンをはき、黒い腰がけのエプロン姿の店員に向かってうなずいてみせる。


「じゃ、それでお願いします」


「はい、1名様、ごあんなーいっ! 」


 店員のかけ声に導かれながら空いているカウンター席に腰かけると、すぐにカウンター越しに店員が暖かいお茶の入った湯呑とおしぼりを出してくれた。


 一口お茶を体の中に流し込むと、緑茶の苦みと香りが口の中に広がり、そして、暖かさがじんわりと身体の中から広がってくる。

 防寒着があったとはいえ、寒空の下で交通誘導を行っていた賢二には嬉しい味わいだった。


 それから賢二はお手拭きで手をきれいにすると、目の前に立てかけてあったメニューを手に取って開く。


 あまり大きくはない店だから、メニューもさほど多くはない。

 焼鳥専門の店らしく、そこらのスーパーなどでは売っていないような様々な鶏肉の部位が焼鳥としてメニューに並び、野菜やキノコなどの串もメニューに載っているが、それ以外のサイドメニューは多くはない。

 ご飯ものが少しと、枝豆やサラダや漬物などの簡単にできるものがいくつかだけ。


 ただ、ページをめくった先にある、飲み物のメニューは豊富だった。


(おっ、いいねぇ! )


 賢二は思わず、頬を緩ませてしまう。

 ビールだけではなく、酎ハイ、ハイボールなども一通りあったし、日本酒なども複数の銘柄が用意されている。

 そして、泡盛などの、少し珍しい地酒も取り扱われている。


 泡盛というのは、沖縄の地酒で、蒸留酒の一種だ。

 アルコール度数が40度近くにもなる強い酒で、米を原料に作った原酒を蒸留して作られる。


 本州で一般的に楽しまれている日本酒と同じく米が主な原料だったが、発酵に使われる米麹こめこうじの種類が違う。

 その名も[アワモリコウジカビ]と呼ばれる米麹こめこうじを使って作られる泡盛は日本酒から作られた米焼酎とは異なった独特の風味を生み出し、3年以上貯蔵されて熟成されたものは[古酒クース]と呼ばれ、美味とされている。


 一般的なスーパーなどでは、なかなか見かけない酒だ。

 そして賢二の好きな酒でもある。


 泡盛をストレートで飲むことができるほど賢二は酒に強いわけではないのだが、ロックにして、少し氷が溶けてきたころに飲むと、味わいがすっきりとして引き締まり、良質なアルコールと泡盛の独特の風味を楽しむことができるのだ。


 メニューを見渡してみると、値段もお手ごろで、9000円あれば食べきれないほどに楽しむことができそうだ。


(やっぱり、いい店だ! 中島さんもきっと、喜ぶぞ)


 アタリを引いた。

 そう確信し、思わずニヤリと笑みを浮かべた賢二は、メニューから顔をあげ、「お~い、店員さん、ちゅうも~ん! 」と店員を呼んだ。


 するとカウンターの向こうの店員がすぐにメモ帳とペンを用意して注文を取りに来る。

 小さな店で、おそらくは個人で経営している場所だから、大手のチェーン店のようにシステム化されていないようだ。


「店員さん、とりあえず、生ビール! 中ジョッキで! 」


 泡盛も飲むつもりだったが、まずはなにより、ビールだ。


「それから、ねぎまを2本、モモを2本、ハツを2本、全部、塩で! あ、あと、シイタケ串を1本、お願いね! 」


「はい、かしこまりました! 」


 賢二の注文を手際よくメモした店員は、すぐに生の焼鳥を取り出して、炭火の上に並べていく。

 すぐに賢二の耳に、じゅうじゅうという、食欲をそそる音が聞こえてきた。

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