・0-3 第3話 「40歳の誕生日の夜:2」

 規制を下げ終えた賢二は吉田と共に、中島と、そしてこの工事現場の現場監督をしている佐藤という男性と合流した。


 佐藤は30代前半の男性で、少し肌の色が白いインドア派といった印象の、黒ぶちの眼鏡をかけた男性だった。

 自分が現場監督だからと言って威張るようなこともない、物腰の優しい人だ。


 佐藤は他の作業員たちを見送った後、中島と一緒になって規制を下げる作業を手伝ってくれていたようだった。

 本来、現場監督とは現場の作業を監督するのが仕事で、自分自身で他の作業者が行う作業をしてはいけないのだが、佐藤はいつも「このくらい、コミュニケーションの内ですよ」といって、賢二たちが規制を下げるのをいつも手伝ってくれる。


「はい、今日もお疲れ様でした」


 規制を下げ終え、工事現場を一往復して異常がないかを確認して戻って来た佐藤は、ほっとした様子で笑顔を見せながら賢二たちにそう言った。


「佐藤さんも、お疲れ様でした」


 そんな佐藤に、賢二は中島と吉田と一緒に書いた日報を手渡すと、それからこの日1日働いたことを証明する佐藤のサインをもらうために書類を差し出した。

 すると佐藤は慣れた手つきで、黒ペンでサラサラと書類に署名を済ませていく。


「はい。それじゃ、気をつけて。

 明日もよろしくお願いします」


 今日1日、働いた分の対価を得る保証を得た賢二たちに佐藤はそう言うと、そそくさと2ボックスタイプの商用車に乗り込んで走り去って行った。

 賢二たちはこれで仕事が終わりだったが、佐藤には事務所に戻ってからもやるべき仕事がいろいろとあるのだ。


 現場監督である佐藤には、毎日残業がある。

 賢二が大変じゃないですかと聞いたら、佐藤は「どこの現場も一緒ですよ」と苦笑していた。


(現場監督も、大変だな~)


 正社員は、日雇いの派遣社員である賢二たちよりも待遇がいい。

 しかし、その分大きな責任もともなっているわけで、毎日確定で残業をしなければならない佐藤のことを思うと、賢二はいつも、応援したいような気持になってくる。


 佐藤が商用車で走り去ると、賢二たちはその場で解散した。


「んじゃ、お疲れさん」「お疲れっしたー」


「はーい、お疲れ様。明日もよろしくお願いします」


 中島と吉田の別れの挨拶に賢二も答えると、3人はバラバラの方向に向かって歩き出す。


 中島と吉田は、ここからそう遠くない場所にある自宅へ直帰する。

 一方の賢二は、今の賢二の直接の雇用主である派遣会社へと向かってから、帰宅するつもりだった。


 というのは、今日の分の日当を受け取らなければならないからだ。


 日当いくらで雇われているとはいっても、毎日個別に日当を受け取っていては会計が面倒だ。

 だから普通は1月分をまとめて受け取ることが多いのだが、今日は特別だった。


 1人きりの寂しい誕生日とはいえ、祝うためには軍資金がいるからだ。


 このために賢二は、事前に会社に無理を言って、今日の分の日当を個別に受け取れるように手配してもらっている。

 [勤務態度が真面目だから]と、会社の側も融通を効かしてくれた。


 派遣会社の事務所は、ここからそう遠くない。

 現場監督の佐藤が務めている道路工事の会社と同じように地域密着型の交通警備員の派遣会社であり、駅近くの貸しビルに部屋を借りて営業しているのだ。


 賢二は、足早に会社へと向かって行く。

 それは、すっかり日が沈んでしまって防寒着を着ていても肌寒いから動いて身体を暖めようという意図もあったが、なにより、早く労働の対価を手にして、楽しみにしている焼鳥を味わいたいと、気持ちが急くからだった。


────────────────────────────────────────


 そして、30分後。


「ありがたや、ありがたや~」


 会社から出てきた賢二は、今日働いた分の日当の入った封筒を両手の手の平で挟んで拝むようにし、しみじみとありがたがっていた。


 その服装は、交通警備員としてのものではなく、私服になっている。

 下は長年着こんだおかげであちこちがすれたり色褪いろあせたりして、ちょうどダメージジーンズのようになったデニムのズボン。上は緑色の生地でできたフードつきのウインドブレイカー。

 ヘルメットをかぶっていた時はわからなかったが、賢二は髪を長くのばしており、首筋の辺りでひとつにまとめられた黒髪がウインドブレイカーのフードの中にだらんと垂れ下がっている。


 9000円、きっちり。

 会社は事前の約束通り、賢二に本日分の日当をその場で手渡してくれた。


 現場監督・佐藤のサイン入りの書類と引きかえに手にしたこの金が、今日の軍資金だ。


 本当なら、ここから食費や光熱費、住居費など、諸々の出費を計算しながら、つつましく暮らしていかなければならないのだが、今日だけは特別だ。

 賢二はこの全額をパーッと、すべて使い切るつもりでいた。


「へっへっへ、待ってろよ、焼鳥~っ!

 ねぎま、鳥皮、ナンコツ、ハツ、砂肝!


 腹いっぱい、食ってやっからな~っ! 」


 嬉しそうな笑みを浮かべながら、大切そうに日当の入った封筒をふところへとしまい込んだ賢二は、足取りも軽やかに駅前へと向かって行く。


 目指すのは、つい先日に見つけて、目星をつけていた焼鳥屋。

 表通りを少し外れた路地裏にある、隠れ家的な雰囲気を持った店だった。

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