・0-2 第2話 「40歳の誕生日の夜:1」

 いつの間にか、プレートコンパクタの騒音が聞こえなくなっている。

 どうやら本日工事するべき工程はすべて終わったらしく、作業員たちは片づけ作業に入っていた。


≪やれやれ、早いうちに終わってくれそうで、助かったな≫


「ええ。あとは規制を下げて、終わりですね」


 規制を下げる、というのは、工事の道具を片づけ終わった後、カラーコーンとコーンバーで作った規制帯を歩道のすみによせて、歩行者に歩道全体を解放することだ。

 まだ舗装のされていない路盤がむき出しの状態ではあったが、締固めは終わっているので歩行者や自転車程度であれば一晩くらいは問題ないはずだった。

 アスファルトによる舗装は、明日から行われる。


≪んだな。


 そういや、ケンちゃん、今日誕生日だったっけ? おめっとさん。

 日当もらったら、どっか飲みに行くんか? こんな日は、熱燗あつかんできゅーっと、決めたいもんだな! ≫


「ああ、いいっすねぇ、それ! 」


 仕事用の無線機だが、このくらいの雑談は許されている。

 ダメ、という工事現場もあるが、今賢二が雇われているところは、仕事に支障が出なければオーケーという場所だった。


 相方からお祝いの言葉をもらった賢二は、嬉しそうに微笑んでいた。

 今日の分の日当が出たら、行こうと思っている場所があるのだ。


「どうです? 中島さんも、一緒に行きます?

 この前、うまそうな焼鳥屋を見つけたんですよ」


≪焼鳥! いいねぇ!

 塩でさ、熱燗あつかん流し込んだらもぉ、最高だよぉ! ≫


 賢二が仕事の手を休めずにたずねてみると、相方の交通警備員、中島も嬉しそうな声で答える。


≪だけど、ごめんな、ケンちゃん≫


 しかし、中島はすぐに残念そうな声をらした。


≪おれはダメだよぉ。この前の健康診断で引っかかっちゃったから。

 うちのかみさんにも睨まれてっからさぁ……≫


「ありゃりゃ、そりゃ、残念ですね」


≪残念だぁ、本当に!


 ケンちゃんの目利きなら、間違いないかんな~≫


 中島の口調は、悔しそうだった。


 賢二と中島は、組むのはこれが最初ではない。

 同じ交通警備員の派遣会社に入ってから、住んでいる地域が近いということで何度も同じ現場で働いている。

 一緒に飲みに行ったことも、一度や二度ではない。


 中島は、60歳過ぎの男性だった。

 定年退職したのはいいものの、これといった趣味も見つからず、一日中妻と顔を合わせる生活にも慣れないからと働きに出て、交通警備員をやっている人物だ。


 念のために言っておくが、決して、夫婦仲が悪いわけではない。

 子供も2人いて、どちらも立派に独立している。

 ただお互いに、生活環境が変わってそれにどう馴染めばいいのか戸惑ってしまっただけで、[昼は働きに出る]というそれまでの生活習慣を漫然まんぜんと続けているだけなのだ。


≪ほんと、すまんな~、ケンちゃん≫


「いえ、健康第一ですからね。

 よくなったら、またお誘いしますよ。


 今回は俺が先に行って、偵察しておくということで」


≪そだな、そうしてくれっか?

 なんか面白いもんがないか、よー見て来てくんな! ≫


「了解。しっかり調べておきますよ」


 そんな未来の約束が交わされている間に、工事現場の片づけが終わった様子だった。

 使われていた道具類は工事終了の連絡を受けてやって来た工事用トラックにすべて積み込まれて運び出され、作業していた作業員たちも、近くの貸し駐車場に停めていたハイエースに乗り込んでどこかへと去っていく。


≪んだら、規制下げっか≫


「了解です」


 中島の合図で、賢二はカラーコーンを隅によせる作業を開始する。


 すると賢二は、いつの間にか、ローテーションで休憩していたはずのもう1人の交通警備員が作業を手伝いに来ていることに気がついた。


 若い。

 20代にも満たないのではないかと思える、一度金髪に染めたものをまた黒く染め直したような印象の髪を持ち、耳には目立たないがピアスをしている男性だ。


「俺がカラーコーン動かすから、吉田ちゃん、コーンバーお願いできる? 」


 賢二は黙々と作業を続けるその青年、吉田に気さくに声をかけたが、吉田はジロリ、と不愛想に賢二の方を見て、「うっす」と答えただけだ。

 もっとも、賢二の言われた通りに動いてくれるつもりはあるようで、賢二がカラーコーンを動かした後に吉田がコーンバーを動かして、スムーズに規制を歩道の脇によせていく。


(吉田ちゃんを誘うわけには、いかねぇよなぁ……)


 黙々と仕事を続ける吉田の方をちらりと見た賢二は、苦笑する。


 吉田は、不愛想な人間だった。

 仕事はきちんとこなしているのだが、組むのは今回が初めてということや、年齢が離れているというのもあってあまり賢二や中島と話さない。

 だから賢二は吉田については、高校を中退して働いている、くらいのことしか知らない。


 そんな相手を誘うのは、さすがに気が引けた。


(結局、1人かぁ……)


 誕生日だというのに、一緒に祝ってくれる相手もいない。

 そう思うと、賢二の心の中は寂しさとやるせなさでいっぱいになってしまう。


 誕生日。

 それは本来、特別な日であるべきなのだ。


 その特別な日を、1人で寂しく過ごさねばならないとは。

 賢二は小さく溜息をつき、(中島さんに断られたのは当てが外れたなー)などと思いながらも、てきぱきと作業を進めていく。


 この日、田中 賢二は、40歳になる。

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