18 居酒屋『酒のみや』


課長のマンションに車を置き、そこから徒歩20分。私のアパートのほうに向かったところにその店はあった。


住宅街の中にぽつんとあったその店はまさに隠れ家的な雰囲気を漂わせている。


外見はいかにも個人の居酒屋さん。小豆色の暖簾に焦げ茶になった木材の外壁。赤提灯はなかったけど、暖簾の上の大きな一枚板に『酒のみや』とどこからどう読んでも居酒屋らしい名前が堂々とある。


課長は曇りガラスがはまった木製の引き戸をガラガラいわせながら暖簾を潜った。


「ご無沙汰です」


気安く店内に入っていく課長に続いて初めての空間に足を踏み入れる。


ここまできたら緊張していてもしょうがない。


自分の目的にあった場所ならしっかり馴染んで帰ろうと大げさに決意する。


店内はどんな雰囲気なんだろうかと見渡そうとした瞬間、大きな声に意識をもっていかれた。


「よお恭介! 久しぶりじゃねーか!」


「あら、恭ちゃん久しぶりね」


恭介? 恭ちゃん? 


一瞬誰のことだと思ってしまったが、よくよく考えてみると課長の名前だということを思い出す。


課長の背中越しに親しげな声の主の存在を確認しようと顔を覗かせる。


必然的にカウンター内にいた二人の男女と目が合った。


「なっ! 恭介とうとう女を連れ込んできやがったか!」


「まあまあ、彼女? やだぁ、紹介して紹介して」


「えっ! 違います! 彼女じゃないです!!」


初対面にも関わらす、挨拶すらする間もなく全力で誤解を解くことになってしまった。


快活な印象の中年の男性と穏やかで艶のある女性。女性の方も男性と同じくらいの年齢層だ。その両者に好奇心一杯の瞳で見つめられ、一歩下がりたくなったところで課長がさらりと私のことを紹介した。


「こいつはうちの課の部下で川瀬。カウンター座るよ」


慣れた様子でカウンターの椅子を引いて座る。


私も慌てて隣に腰掛け、改めて店内を見渡した。


外観の印象とは違って中は壁もテーブルも明るい色の木材で統一されており外の壁のように寂れているような雰囲気はどこにもない。渋い居酒屋なのかと思っていたけど、どちらかというと小綺麗な小料理屋さんといった感じだ。


席はカウンターに6つ、4人掛けのテーブルが3つだけだった。その内テーブル席二つに客が座っていた。


「にしても、恭介が誰かを連れて来たのは初めてじゃないか?」


店主らしき男性が物珍しげに私を見てくる。


「まあ、そうっすね」


課長は随分気さくにカウンター内の二人に接しているように見える。何度も通っている雰囲気だ。


「ただでさえ久し振りなのに、綺麗な女の子連れてくるなんて本当に吃驚したわ。本当に彼女じゃないの?」


尚も言う女性に私は自ら弁解した。綺麗だなんてお世辞を言われると変に焦ってしまう。


「ほっ本当にそんなんじゃないですっ。私は課長の部下で、今日は訳あってこちらのお店を紹介していただくことになっただけで――」


かおるさんこいつここの近所なんだよ。まつさんこんな店に新しい客を連れてきてやったんだからサービスお願いしますよ」


「こんな店とはなんだ」と松さんと呼ばれた店主は声を荒げたがどこか楽しそう。明るい表情のまま二人分のグラスと瓶ビール、お通しを出してくれた。


接待の癖で私から課長のグラスにビールを注ぐ。次いで課長が私のグラスにビールを注いでくれた。やっぱり課長と二人で飲むと思うと少し緊張する。


二人でカウンターに並んで座った状態でグラスを持つ。


「この店は変な場所にあるけど、酒も肴も全部美味いってことは保証する。この場でこれを言うのもなんだがそれでいて結構安い。川瀬の希望はこんな感じの店でよかったか?」


「はっはい。なんだか初めてのお店でソワソワしちゃいますけど、気に入る予感はします」


本心だった。ついさっきしたばかりの脈絡のないリクエストにばっちり嵌った店であることは間違いない。


「それは良かった」と課長が軽く微笑む。次いで至近距離で思いっきり頭を下げられた。


「かなり言うのが遅くなったが、その説は大変お世話になりました。本当に川瀬のお陰で助かった」


「えっ、ちょっとやめて下さい」


慌てて頭を上げてもらうように頼む。カウンター内の二人が目を丸くして頭を下げる課長を見ていて、かなり恥ずかしい状況だ。


課長は下げた頭を起こすと、普段は会社で見せない優しい笑顔を浮かべていた。


「今日は好きなだけ飲んで食べてってくれ、じゃ、乾杯」


私のグラスにコツンと課長のグラスがあたる。


私も小さく乾杯と応じる。何となく気恥ずかしい儀式が終わる。すると課長はグラスの中身を一気に飲み干した。


勢いよく飲む姿が意外でつい見入る。


最初の一杯を飲んだ酒好き特有の「あー美味いっ」という如何にも幸せそうな文句を口にして、課長は手慣れた感じで次々と注文をしていった。

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