17 行きたい場所は飾らずに

時間というのは意地の悪いものだ。


待ち遠しいときはゆっくり流れ、逃れたいことがあるときはあっという間に過ぎていく。


気がついたときには約束の金曜日。


朝から憂鬱な気分に支配され、背中が自然と丸くなる。


どうしても安全な気がしない。


それに安全以前にやっぱり課長と二人で食事なんて緊張するし、何を話してよいのかも分からない。


さり気なく言われた「行きたい場所ならどこでもいい」という、太っ腹なようで実はものすごく不親切な台詞がさらに私を追い込む。仕事に余裕がある時間や家に帰った後は常にどこに行くべきかと頭を悩ませた。


しかし、全くといってよいほどどこへ行ったらよいのか案が浮かばない。


私は課長と一緒に食事をする決心もついていなければ、行く店も考えついていないのだ。


水曜日から今日までずっと普段と違うことに頭を使っていたので眉間に皺が寄っていたらしく、周りの皆に機嫌が悪いだの体調が悪いだのいらぬ心配をされた。


相談できるものなら誰かにしたかったけれど、それは無理というものだ。


結局どことも定まらないまま時間だけが過ぎていき、ますます追い詰められる。


散々看病していたくせに、今こそ体調不良になってくれなどと不躾なことを何度か願ったけれど、現実はそう上手くはいかない。


昼休憩中に私のデスクまでやって来た課長の体調はすこぶる良さそうで、いつもの厳しい調子で渡された資料の2枚目にまた付箋がついていた。


“終礼15分後 会社裏のコンビニ”


人目につかない場所を待ち合わせ場所に指定してくれたのは有難かったが、もう逃げられないと悟り、周りに見咎められない程度にガクリと肩を落とした。




定時になってそそくさと一課を出た。今後の予定のことを考えると誰かに何かを話しかけるのがなんだか気まずいく、なるべく目立たぬようにこっそりと。


ちらっと見た課長はまだパソコンに向かっていて、帰る準備をする様子はない。


いっそ残業で今日は中止になってしまえばいいのに、と未だに往生際の悪い私。


それでも律儀に歩いて5分ほどのコンビニにしっかり到着。


そわそわしつつも適当な雑誌を呼んで時間を潰していると、一台の車が駐車場に滑り込んでくるのが目に入った。


車に興味はないので車種などさっぱり分からないが、どことなく自分好みの車体の色とフォルムに目を奪われる。


自然とその車を目で追っていると運転席の扉が開き人が出てくる。


あっ。


出てきたのは課長だった。


どうやら残業にはならなかったようだ。


私は意を決して表に出て、その車に向かった。


「……お疲れさまです」


「おう」


口調がオフモードだった。


何を話してよいのか分からず、とりあえず自分の好みだった車のことを簡単に褒めてみると「そうか」と軽く流された。どうやら然程車にこだわりのあるタイプではないらしい。


助手席に座るように促されたので出来る限り体を縮めて座る。


妙な緊張感に体が強張る。


運転席に戻った課長はハンドルに片手を乗せてこちらを向く。


「で、どこに行きたい?」


うっ。


やっぱり私が決めるのか。


私は注意深く課長を窺う。


「本当に私が行きたいところで良いんですか?」


「ああ。何でも良いぞ」


「課長は行きたいところとか……」


「いや、今日は川瀬に合わせるよ」


選択権は揺るがずに私にあるようだ。


ならば仕方ない。


私は思い浮かばないなりに考えた、まとまりも具体性もなければオシャレ感すら微塵もないリクエストを口にする。


「じゃあ、この町内で私の家から通える範囲にあるリーズナブルでこんじんまりとした料理とお酒のおいしい課長お勧めの居酒屋が良いです」


「は?」


何が「は?」だ。何でも良いと言ったじゃないか。


「なるべく私一人じゃ入れないような雰囲気なんだけど、一度入ると通いたくなっちゃうようなイイ感じのお店でお願いします」


「……要するに、ここの近所の大衆向けじゃない居酒屋ってことか?」


「そうですね。あっ、ただ会社の人が出入りする店は嫌です」


課長は不思議そうに私を見てくる。


「そんな店で良いのか? もっと高いもん奢るつもりだったんだが」


目を合わすのは気まずいので、車内だということをよいことに目はフロントガラスの向こうに向けたまま答える。


「良いんです。そういう個人の居酒屋って憧れてて……。お酒好きの私としては『行きつけの店』が欲しかったんです。で、課長はこの街の住人ですし、男性ですから私の行ける範囲のそういうお店知ってるかなぁと思ったんですけど、……ダメですか?」


「ダメ、ではないな」


そういうと、課長は正面に顔を向けて椅子に深く座り込み考る姿勢。


大人しく課長が再び喋り出すのを待っていると、考えが纏まったのか少し姿勢を正してギアハンドルに手を掛けた。


「その条件なら一回俺の家に車を戻す。行き帰り歩くことになるけど、良いか?」


私はそもそも良いも悪いも言える立場ではない気がするけど、促されるまま「はい」と返事をする。


するとすぐに車はコンビニから離れ、課長のマンションへと向かった。


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