後編

 頭に砂糖菓子をぶち込んでやりたい幼馴染がいる。


 森崎澪もりさきみおとは小学一年生からの付き合いだけれど、私の彼女に対する想いが友情でないのに確信したのは中学三年生になってからだった。

 彼女を恋愛対象として見ている。平たく言うならそう。


 きっかけとなった運命的な出来事は多分ない。彼女を他の人にとられたくない、他の子と仲良くしてほしくないと切に思い始めたのは中学二年生の頃だ。でも、それがまさか恋心だなんて思っていなかった。同性同士の嫉妬、ちょっとした独占欲。その延長線上にある感情。そうみなしていた。そのつもりだった。


 私たちは小学校の四年生から六年生の間を男子に交じってサッカーをするのに明け暮れていて、澪はそんなのはもううんざりっていったふうだった。

 それはわかっていたから、彼女は文化部に入ってそれで私はまた運動部のいずれかに入って、どんどん疎遠になっていくのかなって、中学校に入学したての頃は思っていたものだ。人と人の付き合いなんてそんなものだよねと、わりにドライに私は捉えていた。

 そんなわけで、澪に演劇部に誘われた時は驚いた。なぜだか目の下にクマをつけ、

血走った目つきで演劇部に入れと言われて気圧されてしまった。思い出せば、それまでの澪は売り言葉に買い言葉がデフォルトで、自尊心が強いわりには自己主張はあまりしてこない子だった。ううん、してきたんだろうが、私が突っぱねたり、冷たくあしらい続けるから、私に対してはカウンター攻撃が標準化されたとでも言えばいいのかも。

 彼女に誘われて驚きをそのまま伝えて、それから受け入れた。サッカークラブにけっこう無理やりに誘っておいて、三年間も付き合わせておいて、ここで薄情にも断るのは人としてダメだなって。


 よくよく考えて、頭をひねって、どうにか彼女への特別を形作った日を定めていくとすれば、やはりそれは演劇部での練習の日々に絞られていくのだろう。

 一年生の春、彼女は大口を叩きまくって、消極的な部員たちに容赦なく喝を入れた。身体も態度も大きい先輩相手に声が震えていたこともあったが、それでもなお、真面目に部活動をやりましょうよと訴え続けた。残念ながらその努力は一年生の時点ではまったく実らなかった。数少ない部員にそっぽを向かれるばかりか、まるっきり姿を見せなくなった人もいる。それで彼女はまだ見ぬ新入生へとターゲットを切り替えた。

 

 そうだ、そうして始まった私と澪のふたりだけの演劇練習に責任がある。

 あの練習を通して、私はそれまでは表面しか知らなかった彼女の内心、その奥にまで触れる心地がして、それで惹かれていったんだ。

 彼女が真摯に演じようとすればするほど、彼女が別の何者かになろうとすればするほどに、いつもの澪を私は観察するようになった。目で追うようになっていた。ただの幼馴染。仲のいい友達。それだけじゃ満足できない自分にしだいに気づかされていった。

 

 中学二年生の春に、新入生勧誘のために行った二人芝居を覚えている。忘れようがない。結果として、漫才もどきと評されたのを、裏ではかなり悔しがっていた澪が瞼に焼き付いている。もっと観る人の心を打って、正当な喝采を浴びるのを彼女は熱望していた。思春期特有の無限に湧き上がるような熱に私もあてられた。

 彼女のために、と私は自分なりに努力しはじめた。

 澪が私を演劇部に誘った理由が、私が舞台上で映えそうだからだったから、私はそれを現実にするべく立ち居振る舞いから見直した。身長は彼女とずいぶん差がついてしまって、それがなんだか寂しくもあった。

 二年生の夏から秋頃の澪はいつもイライラしていて、私もついつい心無いことを口走ってしまう時も少なくなかった。彼女に優しくすればいいのに、いつもの自分を崩すのを恐れた。

 

 澪は自分自身に厳しかった。

 自信満々だって表情を見せたかと思えば、次の瞬間にはどことなく不安げな面持ちでいる彼女に何度か出会った。

 その原因が私にもあるのだと悟ったのは、私がろくに話したことのない男の子たちから視線を感じ、しばしば告白されるようにもなってからだ。

 澪は何度か、そういう男の子たちから頼まれて、私を彼らに紹介した。仲を取り持つようなことをした。その時の彼女が本気でなさそうなのが幸いだった。もしも澪が心の底から誰かと私が恋仲になるのを願っているのだとしたら、どんなに傷ついたことか。

 

 彼女は劣等感を抱いているみたいだった。私はそれを直接、指摘しなかったし、できなかった。澪には澪でたくさんいいところがあるのだと力説できたら、自分がどんなに彼女といる時間を大切に思っているか示せたのなら。そう考えては、行動に移せない、愚かで、臆病な人間だった。自分の口下手を呪った。真に正すべき振る舞いは、この冷淡な物言いだと知っていながら、言い訳を重ねてどうもしなかった。


 怖かった。うっかり、澪に自分の「好き」を打ち明けてしまったら、友達ですらいられないって。彼女は気持ち悪がるだろう。八歳の女の子が二十歳上の男の人に恋をするよりも、十四、五の女の子が同年代の女の子に恋をするほうが生々しく、グロテスクなものだと私には思えた。それが後輩の子が私に寄せるような憧れならまだしも、私が澪に抱いているのはそんな生易しいものでなくなりつつあったのだから。


 いつだったか澪が落ち込む出来事――――はっきりと記憶していないのは、彼女がその仔細を語ってくれなかったからだろう――――があったときに、私は彼女の頭を撫でた。愛おしく。抱きしめたかった。クラスにはそんなことをやってのける、距離感の近い子もいて、実は羨んでもいた。

 澪がその時に見せてくれた表情は記憶している。「やめてよ」の声はいつもよりずっと弱々しくて、すぼめた口が可愛くて、赤みの差した頬が可憐だった。

 彼女をもっと知りたいと、そして叶うなら私の全部も受け入れてほしくなった。


 澪と私が中心になって、三年生の文化祭で舞台を成功させたときには本当に嬉しかった。涙を溢れさせて抱き着いてきた澪を抱きしめ返して、このまま時が止まってくれればいいのになんて、そんなことまで頭に浮かんだ。冷静になれば、残酷が過ぎる。喜びを分かち合う、嬉しさを共有する。時には悲しさやつらさを半分に。そんな親友であるときっと澪は思ってくれているに違いないのに、私は裏切っていた。そのままで世界を止めてしまったら絶望してしまう。


 母から私立の女子校を勧められたときに、私がまず思ったのは澪とのお別れだった。それは考えまいとしてきたことであったが、けれどいつかはぶち当たる事柄だった。母はそこの卒業生であり、それを誇りにしており、娘である私も是非にと通わせたがっていた。熱弁こそしないが、私をその学校に行かせたいのは伝わってきた。

 私がサッカークラブに入るのを猛反対した父を説得してくれた母だった。私に無理強いはしないとわかっていた。優しく、私の意思を尊重し続けてきてくれた人だった。受験したくないとは言えなかった。

 

 むしろ、と私は見方を変えてもみた。

 この歪な恋心は彼女と離れてしまえばなくなるのではないか。

 別々の高校になったって、澪とは友達同士でいられる。そのはず。中学に入った時は疎遠になる予感がして、それを受け入れていたのに、その時になってそれを受け入れられない自分。距離を置いた方が友達でいられる。それでいいと思える?


 あるいは、とさらに視点を切り替える。

 女子校に通い始めて、もしも私がそこにいる別の女の子を好きになれたのなら?

 そこに私のように女の子を好きになる女の子がいてくれるのなら?

 そのほうが幸せなんじゃないかって。 

 だって、澪は……私の想いに応えてくれる子じゃない。ずっと見ていたからわかるけれど、中学一年生の時には同じクラスのバスケ部でムードメーカーっぽい男子に好意を向けていたし、二年生の時には剣道部の寡黙なやっぱり男子に気が向いていた。


 意気地なしの私は、決心を固められないまま受験に臨んだ。併願している公立校を澪の志望校と同じにしたことを本人に伝えられないまま当日を迎えていた。

 受験する私立高の話をしたら、応援してくれたっけ。

 落ちたら、両親に、特に母に落胆されるだろうな。


 でも澪とは一緒にいられるんだよね――――気が迷い、やがて魔を差す。

 

 どこまでがわざとなのかと自問してみても、もはや答えられない。

 明瞭なのは、試験を受けている最中、二科目目からは頭の中を澪でいっぱいにしていたということ。それで試験に集中できなかったこと。

 

 あの時、あの子に向かって口にした言葉を思い出す。

 フィールドに恋愛なんて持ち込むほうが悪いよ。

 

 合否発表の日。

 私は自宅にて、受験した私立高校の合否発表専用サイトでの発表時刻を待った。

 両親は働きに出ている。結果がわかったら、一番に母に知らせる段取りになっている。それから、と私は決意をしていた。澪に電話しよう。怒るかな。私が合格していたら。澪はまだ受験が終わっていないわけだし。そんなの知らせないでよって。

 不合格だったら? やっぱり怒るかな。縁起悪いわよって。

 

 私は母に不合格を伝え、謝った。母は私を励まし、気持ちを次の公立校の受験に切り替えるように言ってくれた。少し泣いた。私は母も裏切ったのだと。

 そして呼吸を整えると、澪に電話をかけた。私は淡々と事情を説明した。一度止まってしまうと黙り込んでしまいそうだった。澪がくれた言葉。慰めでもなければ、励ましでもない、糾弾。ほんとに私、馬鹿だよねって思った。

 それから私は彼女とまた同じ学校に通いたいのを遠回しに伝えた。回りくどく、慎重に、そうしなければ、この想いが私たちの関係を壊してしまうから。


 新しい季節。クラス発表。彼女の名前と自分の名前が共にあるのを目にして、私はこれでよかったのだと心から思った。これでクラスが別れて、もしも澪があの日電話で言ったように彼氏をさっさと作ろうものなら、そいつをどうにかしていた。




 それは初夏のことだった。彼女との身長差が14センチに達した頃。

 いよいよ私は我慢できなくなった。

 

 高校に入ってからというもの、澪がなぜか中学のときと比べて素直になったのが理由で、それにどんどん可愛くなってきているのも要因で、それからクラスの男子たちが「森崎、いいよな」などとほざいているのを私が耳にしたのだって呼び水となって、でも結局のところ、その日の帰り道の澪の口にしたことが引鉄だ。


「ねぇ、怜。……もうちょっと、そう、もうちょっとさ、甘くなっていいんじゃない? 私に」


 拗ねたふうに。上目づかいにもなって。

 その不意打ちに私は口を滑らせる。


「私さ、あんたの頭に砂糖菓子をぶち込んでやりたい」

「は?」

「来て。こっち」


 戸惑う澪の手を引いて、私は人通りのない狭い路地へと入る。

 絡め取る指先。逃がしはしない。


「なんなの! 離してよ、なんで指まで絡めてんのよ!」

「イヤ、離さない。聞いて、澪」

「な、なに」

「甘くできるよ。私、澪にだったら、いくらでも。けど、それだったら澪もさ、うんと甘くならないといけない。頭おかしくなっちゃうぐらい。そうしたらどっちもおかしいからちょうどいい」

「なに言っているわけ?」

「好きなの」

「え? あ、甘いものの話? いや、怜は甘いのダメでしょ。なんで嘘つくのよ」

「澪が好きなの」

「は?………は?」

「あんたのことを想うと、頭ん中、甘さでおかしくなるわけ。苦味がないわけじゃない。つらくないわけじゃない。でもあんたと一緒にいるのが幸せ。一緒にいたいって。わかってよ。そうよ、とっくに私は頭に砂糖菓子ぶち込まれているのよ! あんたのせい。私は……あんたもそうなってくれたら、そうだったら……」

「なっ、泣かないでよ!」

「泣いてない」

「だから、こんなとこで、こんなときに嘘つくなっての」

「嘘じゃない。冗談じゃない。本気で好きなの。お願い…………嫌いにならないで」

 

 滲む視界。こうべが垂れる。ほどける指。ほどいてしまう。握っていたいのに。繋がっていたいのに。ずっとそうしたかったのに。流れる悔し涙は塩辛い。

 

 伝えるだけじゃ、届けるだけじゃダメ。欲しがってしまう。彼女の特別を。

 

 誰にも渡したくない。

 

 そんな思いとは裏腹に、私は駆け出す。


「待てっ、コラァッ!!」


 澪が私を全身で引きとめにきた。素早く。背後から抱き着かれる。強く。

 とんでもない声を出して。まだ狭い路地から出ることなく。


「っ!?」

「怜っ、歯を食いしばりなさい!」


 ぺちん、と。

 無理やり私を振り向かせた彼女が優しく私の頬をその手で打った。

 痛くない。


「馬鹿。言いたいこと言って逃げてんじゃないっての」

「ごめん」

「今度は怜が私を振り向かせてみなさいよ」

「え?」

「砂糖菓子、ぶち込んでみろって話。私だって、怜と一緒にいたいよ。それぐらいわかってよ」

「でも、それは」

「恋じゃない。今はまだそうかも。じゃあ、諦めるわけ? その程度なんだ」


 ふふんと澪は。もう何度も目にした蠱惑的なあの顔。


「なんでここで挑発するの、意味わかんない」

「きゅ、急に冷めないでよ。私は……」

「挑発した澪が悪いんだから」


 私はブレーキを失くす。


「え―――――んっ、ん!? ちょっ、馬鹿か! なに、いきなりキ、キスしてんの!? 段階踏みなよ! いや、そうじゃなくて、もうっ、アホ!」

「砂糖菓子、どうよ」

「ありえない……こんなシチュエーションで初めてなんて」

「それ聞いて、安心した」

「感情の起伏どうなってんの!? なんで落ち着いてんのよ」


 アクセル、アクセル、アクセル。


「澪、私のこと好き? 好きになってくれる?」

「は?」

「ちゃんと言うまで帰さないから。……何度でも砂糖菓子、ぶち込むから」


 顔を真っ赤にしている彼女。私だってそうに違いない。

 私は彼女を振り向かせてみせる。もう泣かない。

 臆病な自分は振り切って、この恋から逃げない。

 

 どこからか初夏の風が私たちの熱を奪うどころかまるで高めるように吹いてきて、季節の移り変わりを告げていた。

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幼馴染の頭に砂糖菓子をぶち込んでやりたい私の塩辛い涙 よなが @yonaga221001

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