幼馴染の頭に砂糖菓子をぶち込んでやりたい私の塩辛い涙

よなが

前編

 甘くない幼馴染がいる。

 

 鹿島怜かしまれいに出会ったのは小学校の入学式で、かれこれ十年ほどの付き合いになる。家が近所というわけではなく家族ぐるみの付き合いでもなく。

 

 小学二年生の頃、私が担任教師の山田先生に恋をしたのを打ち明けた時に、怜は「無理でしょ。現実見なよ」と間髪入れずに言った。当時はそれで彼女と数日は口をきかなかった。

 たしかに山田先生と私には二十歳近くの年齢差があったから、諦めるように勧めることには道理がある。けれど、それは私の初恋であり、たった一言でぶった切られるというのは真に不本意であった。加えて言うなら、その当時に大物芸能人がちょうど二十歳下の一般人と結婚したというニュースがあり、なるほど、年の差は必ずしも恋を諦める理由にならないのだと幼心に思った事実もある。


 小学四年生の頃に、クラブ活動を始めることになってバスケットボールかバドミントンで悩んでいた私は怜に相談した。すると彼女は「あんた、ちっちゃいからバスケは向いていないでしょ」とばっさり言いやがった。

 小学四年生の頃の私がクラスの女子で二番目に背の低かったのは間違いないが、しかしまだまだ成長期だというのに、なんと失礼な言いぐさであることか。怜にしたってクラスの真ん中ほどで、決して長身ではなかったのだ。

 さらには「バドミントンもたぶんダメじゃないかな」と追い打ちをかけられる。

 じゃあ何だったらいいのよと言ってみると彼女が入部予定のサッカー部に誘われた。人が足りないからって。強引に。あれは勧誘というより挑発だった。

 サッカーだって、なんだって、身長が高いに越したことないし、協調性があるほうがいい。それなのに私は彼女と他ひとりの女子とのたった三人で、残りは全員男子のサッカー部に入ることになった。


 当時から負けん気だけはあって、汗と泥、それに涙にまみれながらもなんとかやり抜いた。怜は高学年になってなお、チームを支えるメンバーであったが私ときたら、半分マネージャーみたいな扱いではあった。マネージャーと面と向かって呼ばれずに済んだのは、いけ好かない上級生の股間を蹴り上げて悶絶させた出来事が大きいと思っている。


 小学五年生の夏に、私たちとクラブに一緒に入ったもう一人の女子がやめた。ずっと彼女はやめたがっている素振りはあったのだが、彼女を繋ぎ止めていたのは想い人たるサッカー部のエースであった。ふたりは一時期はいい雰囲気となったが、周囲がそれを温かく見守りはしなかった。小学生らしい反応の影響で、その男の子は彼女を拒んだ。

 私の幼馴染ときたら、フラれちゃって泣きじゃくるその子を私が慰めているところにやってきて「フィールドに恋愛なんて持ち込むほうが悪いよ」と言い放った。思わず私は渾身の平手打ちを怜にかまして、それでも気が済まないものだから、今度は拳を握りしめてそのやけに高い鼻筋をへし折ろうとしたが、泣くのをやめて仰天している女の子に慌てて止められた。

 

 後日、例のエースの男の子がどういうわけか、怜に愛の告白をした。なんという心変わり。「ああ、そういえば」と何かのついでに怜はその話をしれっとした。それで何と答えたか聞いたら「あんたに受けた平手打ち、あいつに返してやった」とこれまた淡々と話すのだった。一瞬、もったいないなんて感じた私は自分を恥じて「なら、よし」とよくわからない言葉を返した。


 中学生となり運動部には絶対に入らないと決めていた私は、同じクラスとなった怜を演劇部に誘おうと決めていた。

 演劇部に興味をもったきっかけは単純で、その春に偶然観たミュージカル映画に感化されたのだった。球蹴って、土喰っての日々の何百倍も華やかで麗しい毎日が訪れるのを期待しての選択だった。体験入部期間の一日目に、意欲に欠けて顔色の悪いゾンビみたいな先輩部員たちを目にして、逆にやる気が起こった。

 私が主演も演出も、脚本も何もかもやってやろうと、私が舞台を作るんだとそうした専門的知識は微塵もないのに士気だけ高めていた。

 ただ、そうは言っても私一人ではどうにもならないと理解していたから、顔だけはいい怜を引き入れることを思いついたのだった。

 

 小学校時代を通じて、怜の性格を多少掴んでいた私は普通に誘ってもいけないとわかっていた。断られるどころか、また彼女のペースに乗せられてしまいかねないと思った私は、夜通しでうまい誘い文句を考えた。それこそミュージカル調で歌い、踊りながら誘えば彼女も乗ってくれるのではないかとまで考えもしたが、その馬鹿げたアイデアは春の夜の夢に消えた。

 私は結局、目の下にクマをつけて真っ向から「怜、演劇部に入るわよ」と言った。「イヤ」だとか「無理」だとか「はぁ?」みたいな反応をされても食い下がるつもりだった。だから「わかった」とあっさり承諾されて拍子抜けした。

 そこで「いいの?」と確認すると今度こそ「は? 何言ってんの」という顔をされた。そして怜が「あんたからそうやって私を誘ってきたの、初めてじゃん」とやけに真剣な声色で言うものだから「まあね」と胸を張ってみせ、それで私たちは演劇部に入った。


 中学二年生のときは怜と喧嘩ばかりしていた気がする。

 同じクラスになって、話さない日というのはなかったが、何かと憎まれ口を叩き合っていた。勉強や部活、好きな食べ物、昨日観たテレビ、くだらない噂話と、火種は多岐にわたり、なんでもなり得た。

 憤りをあらわにするのはおおよそ私だけで、怜は冷ややかに刺々しい台詞で私を痛めつけた。とんだサディストだった。

 その頃になると私は彼女の頬を打つことはさすがに考えなかった。まず一つに道徳的観点があるが、他にも体格差があった。怜はぐんぐん背が伸びて二年生の時点で160センチを超えていた。対して、私はかろうじて150センチ。その差は大きい。「まぁ、そう怒らないでよ」と喧嘩の最中に私の頭を彼女が撫でてくることが度々あった。まるで子犬か子猫みたいに。

 一度そのまま「犬か猫みたいに扱ってんじゃないわよ」と手を払いのけたことがある。すると「あんた、そんなに自分が可愛いと思っているわけ?」と冷笑してきたから、かちんときて脛を蹴った。ローキックに顔をしかめる彼女を見て気分は全然晴れず、むしろ嫌な気持ちになり、それ以降は撫でられそうになったら黙って離れ、蹴るのはよしておいた。

 

 一度、喧嘩以外で彼女が頭を撫でてきたことがあって、それがふたりきりの時で、しかも、いやに彼女の触り方が優しかったものだから「やめてよ」と言うまで時間がかかってしまったのを覚えている。たぶん、何かで私が落ち込んだときだ。怜の気まぐれ。翌日からはまた甘くない彼女がいて、仏頂面の私がいた。


 中学三年生のときに文化祭でやってみせた演劇部の公演は、なかなかの出来だった。一年生のときと二年生のときとが、空回りしてばかりで散々だったので、比較的成功とは言えた。感激して泣いちゃったし、怜に思わず抱き着きさえした。

 ただ、その三年生の秋から卒業するまでに怜はモテた。とにかくモテていた。すべてが劇の効果、つまりは私が譲ってやった主演を彼女が精一杯演じたその結果だとは思わないが、それでも一気に彼女のファンが増えた気配はあった。

 

 もとから怜はかっこいい女子として、二年生の後半あたりから名も知らぬ後輩からも謎の人気があった。遠目から見る分には、そして黙ってさえいれば、彼女は確かに美人だった。

 サッカーフィールドを駆けまわっていた小学生の時からは想像し難い容姿への変貌。長く綺麗な髪。昔よりもいっそう強調されつつある長い手足に、控えめに主張する胸囲。中性的な顔つきに惹かれる女子生徒も多数いた。実際に恋心を秘めていた女子も中にはいたかもしれない。男子に媚びない、へつらうことのない凛々しさのある美人だった。日を追うごとに、それらしさが増していったものだから、認めざるを得なかった。私の幼馴染はクールビューティーなのだと。

 

 告白してきた連中は決まって一言でフラれていた。私が知っている限りではそうだ。それで一部の女子たちと険悪なムードとなりもしたが、素知らぬふりを貫く怜だった。私は私で、怜への橋渡し役として買われることがあった。怜に対してとる態度とは違って、他の子たちにはそこまで強く出られなくなっていた私は、何度か引き受けもした。どうせ断られるだろうなとは思っていて、果たして全滅していた。

 

 向き合いたくない事実であるが、私が彼女に対してとっている態度を他の皆にとれなかった理由は、自信がなかったからだ。いくつかのこと。あるいは、あらゆることに。怜が日に日に、美しく、強かに成長していくのを傍でありありと感じていたのに、私はそんなふうには顔立ちも身体も、頭脳もセンスも育むことができていなかった。そうだ、喧嘩ばかりしていたのは劣等感からくる苛立ちが多く、そして三年生になって喧嘩する回数が減ったのは諦念が心に積もりつつあったからなのだろう。

 

 幼馴染が甘くないことはある時は私を助け、ある時は私の心を抉った。

 

 怜が小学生の時分から相変わらずのそっけない対応を続けていることは、私たちなりの友情を維持し続けることに繋がり、見劣りする私を下手に慰めたり励ましたりしないことは対等な関係が今後も存続する期待を私に抱かせた。

 それと同時に、彼女が私に無愛想であり続けることは、私との縁などいつでも切って構わない、切れたとしたらそれまでなのかもしれないと不安を抱かせもした。

 

 怜が彼女の母親の勧めで、実家からだと通学がやや不便な、有名私立女子校を第一志望として受験するのを私に伝えたのはその受験の直前だった。

 べつに私たちはお互いに同じ高校を目指そうと話してはいなかった。成績の面で、私は彼女の一歩、二歩、遅れをとっていたから元からそれは現実的な話ではないのだと割り切っていた。いや、割り切ろうとしていた。

 そのとき直に、怜と離れ離れになる可能性というのを、他でもなく怜から突きつけられてみて、私は彼女に何をどう言ったらいいかわからなかった。

 思うことはあった。たとえば怜にもっと前に、高校も一緒がいいなどと口にしていたならば「大学受験、そしてその先の将来にも繋がることだから。友達との付き合いを優先してなんてありえない」なんて返されるだろうなと察していた。それとも演劇部に誘ったときのように、まっすぐに頼めば違う返事をよこすだろうか。でも、私に彼女を、もっと言えば彼女の未来を振り回す資格はない。絶対にない。

 だから、私は言わなかった。別れが来るのはわかっていた。頭では確かにそれを受けとめていたつもりだったのだ。

 結局、私は「そっか。頑張れ。私も、頑張る」としか言えなかった。


 怜が志望していた女子校に不合格となり、私と同じ公立高校を受験することを電話で知らせてきたとき、私はまた言葉に詰まった。

 願書の提出期限を考えれば、怜はもし仮に落ちた時に私と同じ高校を受験するのを二週間ほど前には決めていたことになる。でもそのことを私は知らなかった。

 私立高校の合格発表日に私にわざわざ結果と共にそのことを伝えてきた怜。なぜ、と思った。落ちたとしても、怜であればもっとレベルの高い学校を選択するべきなのだと。建前としては本人に一番合った高校、本人が一番行きたい学校云々とあっても、こんな地方の目立たない一都市において、余程の特色がない限りは、成績に応じた学校に行くのが無難で、普通で「最善」とされる選択ではないのか、とそんなことが頭をめぐった。


「…………馬鹿じゃないの」

 

 大馬鹿者の私は、電話の向こうにいる怜にそんなことを言った。呟きに近かったが、でもちゃんと届くほどの声が出た。


「またあんたと一緒するのも悪くないかもって。だから、落ちないでよ」


 どんな表情で口にしたのか、怜はいつもの調子で、不合格になったのをまるで気にしていないと言わんばかりのクールさでそう言うのだった。そこで私はまた彼女をなじりたくなったが、それを堪えた。なんとか思いとどまった。


「ねぇ、怜。今度はさ……帰宅部でよくない? 高校生っぽいことしようよ。放課後、はしゃいじゃおうよ。お互いに彼氏でもつくって、ダブルデートなんてのもいいんじゃない。それで青春しようよ」


 私は強がる。だってその時点で、彼女を説得して他の高校を受けさせるのって無理だから、公立高校も落ちたときのための私立高校の話なんてしたら、それこそ馬鹿だから。私は前向きな話を振る。電話でよかったと思いながら。


「部活動で汗や涙を流す青春は嫌なの? また演劇やればいいじゃん」

「それじゃ、怜にいいとこどりされるだけでしょ。みーんな、怜を見ちゃう」

「ないでしょ」

「あるって」

「てか、今、褒めた?」

「気のせい」

「あのさぁ、たとえ他の子たちが私を見ても、私があんたを見ればいいじゃん」

「なにそれ。私を口説いてどうすんの」

「どうすんだろ」

「どうもしないでしょ」

「……ほんとに落ちないでよね」

「私だって」

「え? なに?」

「あんたと一緒にいるの悪くないって、うん、そういうことだから。はい、終わり。電話おしまい。また明日ね」

「うん。ありがと」


 通話を終えると、私はしばし放心した。

 

 怜とまた同じ学校に通える。その可能性がある。

 嬉しいと感じてしまった。彼女が不合格になったというのに。

 妙な高揚感に自己嫌悪した。私は友達の不合格に喜んでいる? いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。また一緒にいることができるかもって、それに喜んでいるんであって、彼女が受験に失敗したのを喜んでいるのではない。


 高校生になったらもう少し優しくなろう、怜と同じ学校に通えたのなら今よりは彼女に素直になろう。たとえ彼女がいわゆる塩対応をしてこようとも、めげずに彼女の友達でいよう。すがるつもりはないけれど、それでも彼女が拒まないのなら、私は彼女の隣にいたい。これまでと同じく。なんだかんだで。

 でもこれじゃまるで私………まさかね。


 そして迎えた新しい春。

 私たちは無事に同じ高校に入学したのだった。


 風が春から夏のものに変わる頃、怜が帰り道に私に言った。


「私さ、あんたの頭に砂糖菓子をぶち込んでやりたい」

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