第18話 可哀想なアズ

 二人の窮地の最中。クレルモンとオルディンガータウンを隔てる山間で黒い影が走っていた。時刻は深夜。月光が頭上から降り注ぎ、夜の妖しさを際立たせている頃である。

 男は暗闇の中でありながら、まるで全てが見えているかのように行く手を阻む木々を避けて突き進む。やがて男が林を抜けて崖際へと辿り着いた時、眼下で仄かに紫色の光を放つ廃墟の町を見つけた。


「既に、解き放たれてしまったか……」




 工場の中で妖しい気配を放つソレは、まず初めにステラのほうに詰め寄った。

 先程までと打って変わって、彼女はもはや人間ではない。魔術に疎いステラでさえもそれだけは理解できた。

 五十年の眠りから目覚めた『半世紀の魔女』アズ・オルディンガーが、痺れて身動きの取れないステラに手を伸ばす。すると、再び見えない何かが彼に迫った。


「五十年の憎しみ、貴方にも思い知らせてあげる。記憶で理解できないならその身に刻むまでよ」


 ぶおんっ。風を切る音が鳴って、ステラが大きく吹き飛ばされた。工場の棚に打ち付けられた彼が堪らず声を上げる。


「ははっ! 五十年ぶりだからかしら、封印前よりも力が増しているわ……」

「ステラ! 大丈夫ですか!」


 ナギが急いでステラの下に駆け寄る。音速に耐えうる体なだけあって目立った外傷は無いが、このまま身動きの取れないまま殴られれば彼であっても無事では済まない。


「だ、大丈夫だよ……こんなのたかが子どもの癇癪だろ? 明日になれば収まってるんじゃないかな——」


 言葉を遮って、アズが再び攻撃を繰り出す。側にいるナギを避けて見えざる攻撃がステラを襲った。


「ぐはぁッ……!」

「よほど死にたいようね……」


 今度は伸ばした手をそのままに、少女は強く握り拳を作った。

 それに呼応して、ぎりぎりと骨の軋む音がステラの身体から発し始める。


「ぐおおお……っ!!」

「ふふっ! のパワーにどこまで耐えられるかしら!」

「やめてください! ステラは僕の大切な人なんですよ、これ以上やったら——」

「……ナギお姉ちゃん」


 一瞬拳に込めた力を緩む。アズは冷たい殺気と共にナギの方へ顔を向けた。


「言葉だけじゃどうにもならないのよ。お姉ちゃんも私みたいに行動しなくちゃ! 『助けてあげたかった』、『後悔している』、『心苦しかった』。魂の彼らが何度も私に訴えかけてきたわ。でもね、そんな言葉聞き飽きたの。そんなことは後から幾らでも言えるのよ! ねえ、貴方も彼らと同じような人間なの、ナギお姉ちゃん?」

「……!」


 今度も身を竦ませて何も言えずに終わるのか。冷たい瞳のアズは諦観と共にそう考えていた。

 ——しかし、問われたナギは奥歯を噛み締め、そして地面を踏みしめながらゆっくりと歩き出したのだ。アズのそれとは対照的に、彼の青の眼には並々ならぬ決意が込められている。


「ええ、分かっていますとも……! 言ってやりましょう。こ、これ以上やったら、今度は僕が相手しますよ!」

「……ふふ、ふふふ! 流石だわ、ナギお姉ちゃん。でも、果たして貴方に出来るかしら」


 アズはステラを放るようにして地面に叩きつけると、ナギに向き直った。次の見えざる攻撃の対象は彼である。少女は指揮を取るようにその手を振り回す。


「私の憎悪、お姉ちゃんも受け取るが良いわ!」

「させません! 『これがトルーサーの流儀ですスピード・アジャストメント』ッ!」


 アズの見えざる手が届く直前、ナギがそれを唱えたと同時に、アズの身体もぴたりと動きを止めた。


「なっ、なにこれ! 動かない……!?」

「スキルって言うんですよ。二十年前に認知されたものですから、当然君は知らないでしょう」


 五十年の歳月を封印の中で過ごしたアズにとって、その正体不明の拘束は不可解そのものだった。焦って暴れようとするも、それすら許さない『調速』による速度低減は、どこまでも少女の動きを縛り続けた。


「なによ、こんなこと出来るなら初めからやれば良かったのに……結局、ナギお姉ちゃんも私のこと馬鹿にしていたって訳ね」

「違いますよ。僕の覚悟が足りなかったから『使えなかった』んです。僕は君が普通の女の子として生きていた姿を知っています。勿論、無理矢理流し込まれた情報ではなく、この目で直接見たものです。それを思えば、君みたいな子にスキルを使える訳ないですよ……」

「なっ……!」


 ナギが肩を小さくすくめると、それまで憎悪に満ちていたアズの表情に綻びが生まれた。


「君の気持ちはよく分かりますよ。そりゃもう涙が出るほど」


 ナギの目元には、今も尚静かな涙が流れている。


「五十年前の人々がどれだけ君のことを恐れていたのか、どれだけ君のことを憎んでいたのか。正直、そんなこと僕達には分かりません。記憶を流し込まれても、最後まで君の行いを肯定することが出来ないのですから」

「なによ……今更説得するつもり?」

「最終的に誰が悪いとか決められませんよ。勇者オルディンガーが無責任な愛を育んだから? 母親が君を連れて町を出ればこんなことにはならなかった? 町の人々が改心すれば良かった? 君の言う通り、終わってからなら幾らでも言えることです。ですが、それでも、ただ一つだけ。これだけは分かります」


 アズが抵抗しようと腕に力を込める。ナギもその分だけ力を込めた。それは単純な力比べではない、魔力とスキルの出力勝負である。


「僕達がこの一日で出会った人々の中に、

「!」


 アズの力がガクッと抜けた。


「君がさっき見せてくれた記憶……この記憶の中に居た『老人達』が君にそんな仕打ちをしたんですよね。だけど、君がこの一日で僕達に見せた幻覚魔術、そして操った魂達の中にそんな男達は居なかった。それもそのはずです。元凶の男達の魂を自分のものにするなんて、死んでも嫌でしょうから。きっと真っ先に消滅させたんじゃないんですか」

「知った風な口を……」

「子ども達は罵倒こそしていましたが、そんなのは無知な童心がさせたものだと君自身も分かっていた筈です」

「止めてよ……!」

「君が憎むべき人は、もうこの町には居ない」

「それ以上言わないで、手を放して……!」


 ナギはゆっくりとスキルを解除した。するとアズは自由の身にも関わらず、暴れるどころかただ頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。


「アズちゃん。君の復讐はもう終わったじゃないですか」

「まだよ……まだこれからなのよ……私は封印を解いて、そして外の世界を歩くの……!」

「一人で、ですか」

「いっ、嫌……もう一人は嫌……」


 力なくへたり込んで、少女の声がか細くなる。ナギは優しく少女の側に歩み寄った。


「僕達は神様でもない、罪でもない。たった一人の人間なんです。君は言葉だけの親切で終わった五十年前の人々を恨んでいましたが、それでも、そんな彼らも人間なんです」

「何が言いたいのよ……」

「その場、その時でしか思いを伝えられない、ちっぽけな存在なんですよ。だから形を持っている。だから目に見える。ほら、君も……」

「……?」

「差別に苦しみ、町を滅ぼし、恐ろしい魔女になってしまった君でさえも……」


 ナギは屈みこんで、手を差し伸べた。


「僕達と同じですよ」

「ああ、あああ……ッ!!」

「ナギ、その子から離れろ!!」


 ステラが咄嗟に何かを察して力の限り叫んだ。直後、アズの心臓から地響きのような轟音が鳴り始める。


「あ、アズちゃん!?」

「今更遅いのよ、全部、全部……!」


 ドクン、ドクン——その心音は離れているステラからもはっきりと聞こえた。異様な音に、不吉な予感が増大していく。

 すると、少女の周りから紫色の光が再び迸った。それは衝撃を伴っており、ナギを吹き飛ばさんほどの勢いである。




 ——突如、再び二人の脳裡に記憶が過った。今度は人のいなくなった寂れた町で、一人佇む少女の姿。

 二人は直感した。これはアズ・オルディンガーだ。五十年前、ネクロマンスを発動させた後。彼女は自分の行いを悔いて一人泣いていたのだ。

 次に少女が顔を上げた時、そこには黒い神父服キャソックを身に付けた者達が彼女の前に立っていた。そして彼らは武器を手に持ちながら少女に尋ねた。


『君が魔女か?』


 気付いた時には、少女は寂れた町に封じ込められていた。町の外に出ようにも、見えない壁が少女を外界から隔てている。

 それから五十年。アズ・オルディンガーは封印の中で孤独を味わい続けてきた。自分に救いの手を差し伸べた東の魔女は、あれから二度と現れはしなかった。




『やっぱり……君は、ずっと理解者を欲しがっていたんですね』


 だからこそ、少女は自分達に直接記憶を見せたのだろう。自分のことを理解してもらう為に、この真実を語ったのだろう。そう思うとナギは引き下がれなかった。放たれた紫電の渦を、彼女に抱きつきながら耐えていた。


「やめてよぉ! ほっといてよ! ヘンって言ったじゃん、私のこと可哀想だと思ってたくせに!」

「違いますよ、君はもう普通の女の子なんです!」

「みんな言ってたじゃん! 母さんのことも、父さんのことも馬鹿にしてたのに!」

「それでも、今ここに居るのは君の味方です……!」

「私は、私は……! 沢山殺しちゃったんだよ……もう、後戻りなんか」


 渦は和らぎ、光は安らかに。少女の中から魔女の邪気が薄れていくのを、ナギは抱擁を通して実感する。

 憎しみが消えたのと同時にその力も弱まっただろう。次に少女が顔を上げた時、視線の先ではナギが柔らかく微笑んでいた。


「ナギ、お姉ちゃん……」


 その顔は月に負けず劣らず可愛らしい。最早、ただの一人の少女だった。


「僕と友達になりませんか? アズちゃん」




 ——少女がナギの言葉に頷きかけたその時。ガラスを突き破る音と共に、何者かが工場の窓から勢いよく転がり込んできた。

 三人は思わずそれを見遣ると、そこには闇夜に紛れそうなほどの漆黒の神父服を身に付けた小柄な男が一人。彼は背には重そうな大剣を携えており、ガシャガシャと音を立ててながら威圧的に告げた。


「タツガシラ白十字騎士団、コウ・カマタだ。『半世紀の魔女』、お前を討伐しに来た」

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