第17話 半世紀の魔女

 クレルモンから離れた辺鄙なところに、その町はありました。その時はまだ名も無い町でした。

 ある時、とても強い勇者パーティが町に訪れて、人々の困りごとを次々に解決していきました。

 人々はありがとう、ありがとう、と口々にお礼を言います。するとパーティのリーダーであるオルディンガーはそれに調子づいたのか、こんなことを言い出したのです。


『そろそろ報酬が欲しい。町長として、俺の名前をこの町に刻ませろ』と。


 名誉欲の激しかった勇者オルディンガーは、その町を『オルディンガータウン』と命名しました。そして大都市クレルモンの資産家と手を組んで、そこに工場を建てたのです。

 挙句の果てに、オルディンガーはそこの町娘の一人を身籠らせると、そそくさと町から出ていってしまいました。


 ——勿論、町の人々はそんな彼を批判し、酷く嫌いました。しかし町娘は愚かにも、そのような仕打ちにあって尚オルディンガーを愛していたのです。彼が去った後に町の人々が彼の悪口を言うと、彼女はそれを毎日、必死に否定して回る日々を過ごしていました。「彼はそんな人じゃない」「きっと何か事情があったから」と。

 町にとっては悪者ですが、彼女にとっては「町を救い、名を刻み、そして機械工業で栄えさせた、勇敢で格好いい」勇者なのです。惚れた上に子を身籠ったまま町に置いていかれたとしても、その一途な恋情が消えることはありませんでした。


 様々な批判が飛び交う中、町娘は元気な女の子を産みます。名を『アズ・オルディンガー』。あの男の名前を用いることで町の人々は町娘を非難しましたが、当の彼女は気にしませんでした。

 女の子が生まれ十年余りが過ぎた頃。オルディンガータウンに悲劇が訪れます。我が子を養うためにと、町娘が朝晩休まずに働いていた工場で原因不明の事故が起きたのです。

 事故の結果、町娘は死んでしまいます。町長や町の権力者達が声を潜ませて、残された子どもの処遇を考えました。


「あの子どもはどうする? 追い出してしまうか?」

「口減らしにするほど困ってはいないし……」

「しかしあのオルディンガーの血が入っていると思うと、腹が立って仕方が無い。全くあの娘、とんでもないものを産み落としよって……」

「そうなるとやはり、娘は……して正解だったな。代わりにコンベアが故障してしまったのが痛手だが」

「森に捨てると憎しみでゴーストに生まれ変わると言うから厄介だ。——おお、そうだ」


 老齢の男達のその言葉は少女の耳にも入りました。それは辛い現実となって、小さな背中にのしかかっていきました。

 守られなくなった少女はその男達から家を奪われ、そして工場の一室に追いやられます。町の子ども達はそれを面白がって、扉に落書きを残しました。「へんな子」「まじょ」「かわいそうな子」「まちに」と。

 少女を守ろうとする者は勿論居ましたが、それでも悪意は増大する一方でした。閉鎖的なオルディンガータウンでは少女を救うことなど誰にも出来なかったのです。

 ある日、少女が町はずれの木陰でさめざめと涙を流していると、通りがかった一人の魔女が声を掛けました。


「アズ、どうか泣かないで、アズ・オルディンガー。貴方は強い子でしょ?」

「誰?」

「私は東の魔女。遥か東方から飛んで来た、貴方の救世主よ」

「魔女さん、私は強いの?」

「ええ。だって皆貴方のことをこう言うでしょう? 『お前は魔女だ』って」


 父、勇者オルディンガーの力が遺伝して、少女アズには魔術師としての素質があったのでした。

 東の魔女が一つの禁書を開き、少女に教えます。少女は彼女の言葉の全てを理解して、うん、と頷いたかと思うと、そのまま工場へと駆けて行ったのでした。



「くっ……今の記憶は……!」

「私の過去よ。貴方達に、頭の中に直接記憶を送り込んだの」


 突如二人の脳内に、凄惨なオルディンガータウンの過去が流れ込んできた。少女の柔らかな声で、それも童話のような語り口で、少女アズの思いが如実に、まるで当事者になったかのように、強い衝撃となって押し寄せてくる。

 怒り、憎しみ、悲しみ、喜び……ナギはその様々な感情を整理しきれず、いつの間にかその青の双眸から溢れんばかりの涙を流していた。


「ああ……おかしいと思ったよ。こんなに綺麗な町が、鬱蒼とした森の中にぽつんと残ってるなんてね」

「アズちゃん……君はどうして『ネクロマンス』を、この町の人達の魂を奪ったんですか! 人殺しですよ、これは……っ!」

「あら、ここまで記憶を見てまだ分からないの? ただの復讐よ。私をいじめた奴も、見て見ぬふりをしてきた奴も、お母さんも、お父さんも! 全部、全部に復讐してやるの!」


 ナギの脳内には引き続き情報が流れた。父や町の人々は勿論のこと母親にまでその憎悪を向けるのは、最後まで自分の味方をする者が居なかったことへの、寂しさの現れなのだと。

 少女が両手を広げて、浮かび上がる。


「さあ、豊穣祭を始めるわよ。この忌まわしき封印を解いてやるわ!」


 列を為すコンベア達の中央で、声高に宣言した。しかしその時。その場には少女の思惑通りにならなかった存在が一つだけあった。


「ダメだね」

「なに……?」


 浮かぶ少女の前に堂々と現れたのは、魔女アズの前に立つ一人の男。記憶を流し込まれ、少女の凄惨な過去を知りながらも、彼の目には涙の一つも浮かんでおらず、かといって少しの敵意を孕んでいる様子さえもなかった。


「ステラ・テオドーシス……なんで貴方はそんな顔して居られる訳? ちゃんと見たでしょ、私の記憶を!」

「記憶にはそこまで執着してないんだ。だからいきなりこんな記憶を見せられても泣かないよ」


 ステラは掌を返して、自嘲気味に言ってのけた。


「なんですって……! 記憶に執着してないって、なによそれ! そんなのあり得ないでしょう!」

「ご生憎様で……」


 長身を屈ませ、走り出す体勢に入る。それは、これから発動する『最速』の為の構えである。


「昔から

「……!」


 その構えから攻撃の意図を察したアズが、咄嗟に行動を起こす。

 ——直後、ステラの『祈る暇も無いスピーディ・ダン・セカンド』が発動した。


「隔てよ、従僕!」


 アズの咄嗟の一声に、何かがズズッ、と激しく蠢いて応じた。


「なっ……!」

「ふふ。これでも手を出せるかしら、ステラ・テオドーシス」


 ステラは踏み込んで走り出した勢いを全力で殺して、その場に急停止した。そして、信じられないといった表情で目の前に広がる光景をまじまじと認識した。

 従僕——その言葉に反応したのは、オルディンガータウンの町の人々だ。彼らはアズに魂を操られている。虚ろな顔をしてステラの前に立ちはだかっていた。



「なかなか良い性格してるじゃないか……」

「ひ、酷いですよアズちゃん! こんな、こんなこと……!」

「ネクロマンスは魂を操る術なの。彼らは私が五十年前に肉体を奪って魂だけの状態にしたから、こうして操れるって訳……こんな風にね」


、助けて! 私はこの悪い魔女に操られているの!』


 アズが手をかざすと、宿屋の女将が悲しそうに叫んだ。ステラの苦虫を潰したような表情を見て、したり顔で笑う。


「度が過ぎるぞ……!」

「あら? それともこっちの方が都合が良いかしら?」


『私のことは構わず攻撃して、!』


「止めろ! それ以上その人達に喋らせるな!」

「なによ、随分な怒り様じゃない。でもねステラ・テオドーシス、私が操ってるとは言っても彼らにも思考の自由はあるのよ。ねえねえ、もしこれらの言葉が彼らの本心だったら? 彼らが心の底から言葉を発していたら?」

「ほざくなよ。その人達はお前が魂を奪ったその時からもう死んでるんだぞ。当時の記憶に無い俺の名前は、その人達には呼べないはずだろう……! これ以上その人達を弄ぶな!」

「……ねえ、どうして? 私の母を殺して、私を虐げたこの人達をどうしてそこまで庇うわけ? この人達の方が可哀想だと言うのなら、可哀想な子のアズはどうあっても救われないの!?」


 アズが感情任せに激昂すると、立ちはだかっていた人々が真っ二つに掃けた。そしてその先で浮かぶアズから、不可視の物体が急速に迫る。ぼんやりと輪郭を帯びたその攻撃をステラは初見で避けることが出来ず、壁に叩きつけられてしまった。


「ぐッ……!」

「アズちゃん! 止めてください!」

「ナギお姉ちゃんは黙ってて。貴方だけは私に親切にしてくれたから手を出さないけど、邪魔するなら容赦しないわよ」


 その少女の目つきはこの世の何よりも鋭く感じられた。ステラの危機に動き出そうとしたナギだが、少女の眼光を受けて身を竦ませてしまう。


「げほっ……クソッ、まだ宿代も返せてないんだぞ! こんなところで負けてられるかよ!」

「全く、たかだかアンデッドの彼らによくもそこまで感情移入できるわね。大したものだわ」


 ステラは叩きつけられた地点でアズを睨むと、再び走り出さんと身構えた。しかし全身に行き渡らせた筈の力は、突如として空振ったように抜けきってしまう。思わず足元を見ると、そこで初めて自身が脱力して膝をついてしまっていることに気が付いた。


「これは瘴気を付与する闇の魔術『パラ・ドーズ』……どうかしら。身体が麻痺して動けないでしょう? 少しの間大人しくしてもらうわよ、おまぬけさん」

「ま、ずい……!」

「どどど、どうしよどうしよどうしよ……!」


 窮地に瀕した二人を横目に、魔女のアズは不敵な笑みを浮かべた。


「いよいよ儀式を始めるわ。血を借りるわよ、ステラ・テオドーシス」


 怯えすくんだナギは口をはさむことも出来ないまま、ステラの腹部に刺し傷が生まれる。見えない何かが彼に攻撃を与えていた。

 彼の血液がどくどくと流れ出て、透明ななにかがそれを汲み取る。そしてその血はアズの下に運ばれて、工場の中央に大きな紋章を描き始めた。


「血と肉、憎悪と不幸の『魔術紋』よ。ナギお姉ちゃんも優秀な魔術師なら知ってるんじゃないかしら? 人の魂を材料にした強力な魔術を」

「し、知っていますとも。禁忌の魔術の応用形。まさか、五十年前の町の人々の魂を使うつもりですか」

「正解。でもそれだけで封印は解けないわ。ここからが魔術の真骨頂。『願い』を込めなきゃね。さっ、お姉ちゃんも手伝って」

「ぼ、僕が……? ——うわあっ!?」


 透明な何かがナギの服を掴んだ。ふわりと浮かんだ彼は暴れながらその何かに触れようとしたが、やはり何の感触も感じられない。

 いつしか、数人の従僕——町人が少女の下に集まった。もうすぐ儀式が始まろうとしている。『魔術紋』が怪しく光り出すと、その明滅につれてナギの胸中で不安が膨らんでいった。




「町で最も元気な子を一人」


 アズがそう言うと、一人の子どもが一歩踏み出す。それはナギと共に最初にかけっこをした子どもだった。


「次に、町で最も賢い子を一人」


 続けて唱えられると、また一人の子どもが出てくる。ナギが勉強を教えていた子どもだ。


「次に、町で最も綺麗な髪を一束」


 一人の女性がアズの下へ。それはククルという少女の姉だ。片手には大きなハサミを持っており、『魔術紋』に近付くと自らの綺麗な髪を遠慮なく切り落とした。


「そして、ヤギの頭を二十個」


 ククルが、ぬいぐるみをかご一杯に載せて前に持ち出した。そして、それを虚ろな表情のままハサミで一つ一つ切り落としていく。

 ナギはその光景の一部始終を目の当たりにして、ひたすらに自分を責めた。よもや、自分が親切を働かせて手伝っていたあらゆる物事が、全て魔女の封印を解除する為のピースだったとは——

 親切を働かせて奔走したことが、全て仇となって帰ってきたのだ。彼の涙は依然止まらなかったが、それ以上に心が苦しくて仕方が無かった。何故、こんな仕打ちを受けてしまうのか。


「なんで、なんでこんな酷いことを……」


 打ちひしがれたナギの下に、足音が近付く。ククルの姉が、微動だにできない彼の胸元を探った。嫌がって暴れようとするも、ナギはその前に何かが自分の懐から消えたことに気が付く。


「ぼ、僕のヤギが……」


 彼女から直接渡されたヤギのぬいぐるみが二十個目の供物だった。大きなハサミが、特別綺麗な出来栄えだったそのぬいぐるみの首に食い込むと、ぼとりと首が地面に落ちた。


「そして最後に、町で最も可哀想な子を……」


 アズは様々な生け贄が投じられた魔術紋に飛び乗った。

 血の魔術紋がさっきよりも強く光を帯びる。すると、突如その場で地響きが起こった。アズは工場が揺れる中、魔術紋の真ん中で肩を抱き、身悶えしている。


「はあっ、はああっ……! すごいっ……五十年ぶりだわ、この感覚ッ!!」


 アズの周囲に紫色の光が迸った。光は更に強まり、周囲の町人達もこと切れたようにしてばたばたと倒れていく。人々やがては塵のようになって身体が欠けていき、完全に消失する。

 ナギは魂の気配——それまでモンスターの『ゴースト』だと感知していたもの——が動いて、アズの下に集まっていくのを察知した。そして、光はその眩さを極めていき……。


「……ステラ、逃げましょう。今の僕達じゃ、これは……」

「あの子はどうなったんだ」

「アズちゃんが封印から解かれました。あの子はもう……完全な『魔女』です」


 光は少女の体内に集約して、消えた。残った少女は、それまでナギが感じたことのない程強大な魔力の気配を漂わせていた。

 完全な『魔女』。人を逸脱した狂気が、誕生してしまった。


「——おはよう。半世紀ぶりの『外』ね」

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