日出卜英斗は落ち着きたい

 それは、なんか妙な先輩だった。

 タイの色で三年生だってわかったけど、長い長い金髪が伸び放題だ。ちょっとワイルドにボサボサだけど、それがまた妙に整った顔立ちを引き立てていた。

 表情は、笑顔だ。

 でも、なんだかやっぱり妙なのだ。

 とりあえず、謎のイケメン出現に女子たちがざわめき立つ。


「やあやあ、ちょっとお邪魔するよ。ああ、橘花華たちばなはなか君、見つけたよ。仕事、大変なんだって?」


 軽妙な語り口は、ともすれば軽薄と思えるほどに軽やかだ。

 それでいて、やっぱり目だけが笑っていない。

 ニコニコと皆に手を振り、その先輩は俺たちの前にやってくる。

 そして、沙恋先輩に向けられた言葉に俺は耳を疑った。


「おや、今日は妹か……沙恋されん、まだ助っ人部なるものをやってるのかい? いい加減、君も認めたらどうだ」

「……兄貴面あにきづらしないでもらえるかな。ボク、キミのことが苦手なんだ」

「はっきり言ってもいいんだよ? 嫌いだ、って」

「好きか嫌いかのふるいにすら、かけたくないって言ってるのさ」


 沙恋先輩の声は冷たく凍っていた。

 そして、違和感の正体に気付く。

 この先輩も、沙恋先輩と似てるんだ。どこか中性的で、制服こそ男子のものだがどこか性別不明な雰囲気がある。

 彼は、便宜上彼と俺が呼ぶ先輩はニッコリと微笑ほほえんだ。


「僕は狭宮流輝はざみやるき。沙恋のお兄ちゃんだ。そう、僕はもう兄であることを選んだんだけど、この子はねえ」


 知らなかった、沙恋先輩にお兄さんがいたなんて。

 でも、選んだ? どういう意味だ。

 選ぶも何も、先に生まれてれば兄だろうし、血の繋がりがあるなら兄弟だろうに。あ、兄妹かもしれないって話なのかな。それとも、複雑な家庭環境でもあるのか?

 そう思っていると、唖然あぜんとするハナ姉の横で生徒会の書紀さんが立ち上がる。


「あっ、ああ……生徒会長っ! 今日、登校してたんですか!? じゃ、じゃあ、早速――」


 だが、小柄な女子の書紀さんがあわあわ近寄るのを、流輝はそっと手で制した。

 そうか、こいつが万年グータラで全く仕事をしない生徒会長なのか。

 つまり流輝とかって人のせいで、ハナ姉は毎日クソ忙しい訳だ。

 そのハナ姉だが、妙だ。

 文句を言ったりはしない、それはわかる。そういう人だって知ってる。でも、どこか怯えたような表情を必死で隠そうと微笑んでいた。

 そういう機微きびもまた、俺にはわかるんだ。


「あ、あの……狭宮先輩。あ、沙恋先輩の方じゃなくて、会長さん」

「ん? えっと君は? って、凄い目付きだね、ちょっと怖いよ君」

「生まれつきです、すんません。それで、あの」

「あー、うん。言いたいことはだいたい分かる。分かってるよ。用が済んだら早々に退散するさ」


 そういう話じゃないんだよなあ。

 なんだろう、沙恋先輩に煙たがられてるのもそうだし、生徒会長としての立場もそうだ。この人、全く悪びれてない。悪いと思ってないし、責任を感じてないんだ。

 それってどうなの? どういう神経してるの?

 けど、俺は引き下がらず逆に椅子を蹴る。

 立ち上がった俺は多分、普段の二割増しで悪人面だったんだろうな。周囲のクラスメイトたちが息を飲む気配が伝わってきた。


「会長さん、ハナ姉が……副会長がどれだけ毎日大変な思いしてるか、知ってますか?」

「はは、大丈夫だよ。橘君は普通の人間にしては優秀だからね。で、君は誰ちゃん?」

日出卜英斗ひでうらひでと、こないだ生徒会の一員になった新入生です」

「ふーん。あ! もしかして君もあれか、橘君が目当てで生徒会に入っちゃったクチか」

「違います!」


 あー、いかんいかん。

 熱くなってはいかん。

 それと、俺がカッカしてるとまことにも伝染するからな。このおおかみごとき大型犬女子を解き放ってはいかん。まことにそういうことさせたくもないものな。

 そのまことだが、自然な流れで背に沙恋先輩を庇うように身を乗り出していた。


「えっと、会長さん。みんなで手分けして仕事しますから、生徒会に顔出してくださいよ。ハナ姉があれじゃ、毎日ブラック労働でかわいそうだ」

「うーん、なるほど……英斗君だっけ? えっと、ヒデウラ……おお! 名字もヒデトって読めない? うわー、上も下もヒデトかあ。あ、生徒会の話だったね」


 飄々ひょうひょうとしてて掴みどころがない。

 それなのに、神経を無遠慮に逆なでしてくるタイプの人みたいだ。

 俺は落ち着いて言葉を選ぶ。

 でも、先回りするように流輝先輩は畳み掛けてきた。


「僕は、メリットのないことに能力を無駄遣いしたくないんだ。だって、徒労だろう?」

「じゃ、生徒会やめればいいじゃないですか。なんで生徒会長になんかなったんです?」

「簡単さ、高い能力を持っているからね。この御統学園みすまるがくえんでは、先代の指名で会長が決まるんだよ。あ、そうか! 僕が橘君を正式に生徒会長に任命、立場を譲ればいいのか」


 流輝先輩は、ポン! とわざとらしく手の平を拳で叩いた。

 ちょっと待て、それじゃ現状と変わらないぞ。それどころか、流輝先輩のせいで常態化してる現状が、正式な正当性を持ってしまう。ハナ姉は明らかにオーバーワークだし、それで辛いとか根を上げたりとかしないタイプの人なんだ。

 その優しさにつけこまれたら、俺だって我慢できない。

 もっと俺は! ハナ姉と! 


「会長さん、じゃあ……俺を指名してもらってもいいですか? 俺、一年だけど許されるなら生徒会長やりますよ! そうすればハナ姉のこと、もっと助けられるし!」

「……君、橘君のなに? いやあ、熱い! 熱いねえ。そゆの、僕は好きだなあ」

「はぐらかさないでくださいよ。俺は……俺はっ、ハナ姉の! 橘花華の! 彼氏です!」


 一瞬の静寂。

 そして、凍った空気が一気に沸騰する。

 クラスの誰もが悲鳴をあげたし、男子の何人かは露骨に打ちひしがれて崩れ落ちる。

 悪かったな、そしてどうだ! 羨ましいだろう!

 と、そういう気持ちよりも先に俺は流輝先輩を真っ直ぐ見詰める。

 にらまれたって思われるかもだけど、先輩は笑顔だった。


「ふむ、そういう選択肢もあるねえ。世の中、多様性は最もたっとぶべき価値観の一つだ。可能性があるってのいいことだし、選択肢の多さこそが豊かさ、幸せの可視化だ」

「で、どうなんです? 俺ならやりますよ。上手くはやれないだろうけど、毎日生徒会長として働きます」

「そして、橘君とイチャイチャしたい、と。彼氏かあ、そうか彼氏……参ったなあ」

「イチャイチャは適度に、そ、その、迷惑にならない範囲で」


 ふう、と溜息を零すその仕草すらわざとらしい。なんだろう、芝居がかってるというのかな。まるで役者な感じがして、あたかも自分も現実もドラマなんだと言いたげだ。

 けど、俺だってここまで言ったら引き下がれない。

 そう思っていると、ポケットに両手を突っ込み流輝先輩は振り返った。


「橘君、言ってないの? 彼、君の恋人だって言ってるけど……まだ、伝えてないのかな?」


 え? な、なんの話だ?

 俺の頭の上を素通りして、流輝先輩は直接ハナ姉に言葉を放つ。

 嫌な予感はすぐに、衝撃となって現実化した。

 流輝先輩の次の一言は、俺には物理的なダメージとなって響く。


。親同士が決めたっていうか、まあそんな感じ。僕はここの理事長の息子なんだよね。橘のおじさんとは昔から付き合いがあって」

「……は?」

「ああでも、安心してくれよ間男まおとこくん。僕、そういう義務感とか嫌いだし、橘君みたいなのタイプじゃないしね。付き合うなら、もっと面白いがいいかなあ」


 危なく手がでるところだった。

 そして、流輝先輩に殴りかかったのは俺じゃなかった。

 まことを押しのけ、沙恋先輩が椅子を蹴って拳を振るう。

 けど、あっさりと避けられてしまった。


「おおっと、怖い怖い。暴力反対だよ、沙恋」

「言葉の暴力ならいいっていうのかい? フフ……ちょっとそれはカチンとくるぜー?」

「弟としての兄弟喧嘩なら、僕だってやぶさかじゃない。けど、ゴメンね。僕は女の子は殴れないよ」

「そうやっていつも、人を見下して! どうしてそう、無神経なんだい!」

「同じ景色を見られる君が、それを言うのかい? 僕だって、それなりに悩んではいるんだけどねえ」


 その時だった。

 不意に立ち上がったハナ姉は、全力ダッシュで教室を出ていった。

 泣いてた、かもしれない。

 でも、涙も零さずに走り去った。

 それで俺は、慌ててあとを追いかける。


「待って、ハナ姉!」


 因みに、小柄で華奢きゃしゃでもハナ姉は文武両道でスポーツ万能だ。まことみたいなパワーキャラじゃないけど、昔から脚はすこぶる速い。

 幼い頃、いつも俺やまことのためにどこからでも駆けつけてくれた。

 その末脚すえあしは今、俺たちからどんどん遠ざかってゆく。

 昼休みの終わりを告げる鐘がなって、ハナ姉は階段の向こうへ見えなくなっていった。


「くそっ、なんなんだあいつ! すげームカつく!」

「英斗! ハナ姉は!」

「まことか、すまん。見失った……」

「クラス委員には、英斗はお腹がポンポンペインだと言っておいた。あたしが保健室につれてくことにしてある。手分けして探そう!」


 頭がいいのか悪いのかわからない機転で、まことも追いついてきた。

 つーか、頭痛が痛いみたいなことになってるし、ポンポンペインて。

 いつもの無表情も、動揺にジト目が小さく揺れてる。

 俺は安心させるようにポンとまことの背を叩いて、二人でそれぞれ別々の廊下へ向かって走り出す。生徒たちが自分のクラスに戻る中、俺はハナ姉を探して授業をぶっちぎることになるのだった。

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