日出卜英斗は問い詰めたい!?

 俺はほうぼうを回って、二度ほど先生から逃げ回った。

 午後の静かな校舎内を、あっちにこっちにと走り回ったんだ。

 けど、ハナ姉はどこにもいない。

 それで最後に、俺は生徒会室にも顔を出してみる。


「ここにもいない、と」


 普段の忙しさが嘘のように、生徒会室は静まり返っていた。

 当然だ、みんなこの時間は午後の授業に出ているからな。

 金融トレードセンターみたいに騒がしい雰囲気も、今はまるで水を打ったような静けさ。音楽室が近いのか、かすかに合唱のコーラスが聴こえた。


「っと、そうだ。今のハナ姉は、携帯電話持ってたんだった」


 俺も相当慌ててたみたいだ。

 それで、スマホを取り出し画面に指を滑らせる。

 こんな形で、初めてのハナ姉との通話をする羽目になるなんてな。

 で、登録された番号をプッシュする。

 すると、意外なことが起こった。


「ん? 今、聞き覚えのあるメロディが……?」


 そう、生徒会室の奥から古めかしい着メロが流れてきたのだ。俺も小学生の頃はガラケーだったから、耳に馴染なじんでいる調べだ。

 いかにもデフォルト設定なデジタル音源は、大きな執務机から流れてくる。

 そして、その影にもぞもぞと小柄な女の子が立ち上がった。


「あ、あれ、急に鳴り出しちゃった! ええと、電話かなあ。よいしょ、もしもし?」


 それは間違いなく、ハナ姉こと橘花華たちばなはなかだった。

 ハナ姉はおろおろと二つ折り形態を開いて耳に当てる。

 何故か俺には気付いてくれないようだ。


「あー、もしもし? ハナ姉?」

「あ、ヒデちゃん……ご、ごめんね、あれ? えっと……なんか、声が遠い」


 よく見れば、ハナ姉の携帯が逆さまである。

 それで俺は、通話を続けつつ駆け寄った。


「ハナ姉、携帯逆さま、逆だよ逆」

「あっ、そっかあ。こっちが上なんだね。よしっ。どう? 聴こえるー?」

「うん、聴こえる。っていうか、もう隣にいるけど」

「ありゃ? わわっ、どどど、どうしてここが?」

「いやあ、学校中探し回ったよ」

「授業は」

「サボっちゃった。けど、お互い様かな、ハナ姉」

「……うん、そだね」


 ハナ姉は無理に笑った。

 ちょっと痛々しくて、でも凄く気になる。

 さっきの流輝るきとかいう男、あれは沙恋先輩のお兄さんらしい。そんなことよりも、ハナ姉の婚約者っていうのがとても気がかりだ。

 だってそうだろう?

 ようやく恋人同士になれた俺を差し置いて、もう結婚の予定があるなんて。

 でも、ハナ姉を責めるような気持ちはない。

 それなのに、まるで懺悔ざんげするようにハナ姉は話し始めた。


「んとね、会長は……流輝君は、わたしの……婚約者、の、一人なの」

「そっか……って? 一人、とは!?」

「結婚相手の候補がね、十人以上いるんだあ」

「……親父おやじさんが決めた相手、ってこと?」


 黙ってハナ姉はうなずいた。

 そして、そのままうつむいてしまう。

 俺は思わず小さな溜息が出て、慌てて自分の迂闊うかつさを呪った。やれやれ、なんて雰囲気出してどうする。そんなことで俺のハナ姉への想いがへこたれるもんか。

 でも、ハナ姉を苦しめたくはなかった。

 問い詰めたり、謝らせたりしたくなかった。


「ゴメンね、ヒデちゃん」

「ん、気にしてないよ。親の決めたことだし」

「ちゃんと、先に言っておくべきだった、よね?」

「まあ、なにを言われたって俺の気持ちはかわらないけどな」


 俺は、会長の流輝が使ってる机にどっかと腰を下ろした。

 山と積まれた書類や本を手でどける。

 そっとハナ姉も、俺の横に座った。


「お父さんは、家と会社を継いでくれる人を探してるみたい。だから」

「……ハナ姉はそれでいいの? い、いや、うん、こんな言い方ってないな、じゃあ」


 すぐに俺は頭をフル回転させた。

 決して勉強はできる方じゃないし、機転の効く男でもないけど。

 だけど、必死で灰色の脳細胞に電気信号を送り続ける。

 結果、とんでもない一言が口をついて出た。


「会社、俺が継ごうか? ……って、それは流石さすがにないかあ、ははは、は、はぁ……」


 なに言ってんだ、俺。

 ちなみに、ハナ姉の親父さんがどんな会社を経営してるのかも知らなかった。何屋さんなのかもわからない。ただ、圧倒的な資産を持つ名家だってことだけはひしひしと感じていた。

 そんな家に、ハナ姉のおふくろさんは嫁いだ。

 連れ子のハナ姉と一緒に。


「ハナ姉、俺……気にしない。と、言えば嘘になるけどさ」

「う、うん」

「婚約者が何人いようが、俺の気持ちは変わらない。それに、よく考えてみてくれよ」


 ハナ姉は隣から俺を見上げて、きょとんと小首をかしげる。

 だから、俺はとびきりの笑顔を作って言ってやった。


「初手から、告白の時から沙恋先輩に邪魔されてんだ。多少のことじゃへこたれないぜ」

「あ……そ、そう、なの?」

「おうっ! あ、それと一つだけ。ちょっと俺、気になったんだけどさ」

「うんっ」


 トン、とハナ姉が小さく身を預けてきた。

 よりかかられて、じんわりと体温が浸透してくる。

 俺はドキリとしたが、震える手で華奢きゃしゃな肩を抱いた。

 ハナ姉もまた、震えていた。

 この人を責めちゃ駄目だと思った。

 不義理で節操がない女、じゃない……逆なんだ。

 優し過ぎて、思いやりを使い切っちゃったんだな。

 なんていうか、そんなハナ姉にきつい言葉を突き立てたくなかった。


「あの、流輝先輩は」

「うん。理事長の息子さんで、沙恋されんちゃんのお兄さんだよっ」

「なんか、雰囲気似てたな……つかみどころがないっていうか、ぬるっとしてるというか」


 そう、二人はとてもよく似ていた。

 そして、決定的に違ったと思う。

 沙恋先輩はなんだか、雲みたいな人だ。晴れやかで、気障きざったらしくても気にならない。時々イラッとさせられるとこも、それもまた愛嬌に見せてしまう不思議な魅力があった。

 流輝先輩はなんか……ぬるっとしてる?

 湿った粘着感があって、我関せずみたいな世捨て人オーラが鼻についた。


「うん、まあ……流輝君も大変なんじゃないかな。理事長の息子って言っても、わたしと同じ養子なんだあ」

「あ、そなの? じゃあ、沙恋先輩も」

「うん。前に沙恋ちゃんが話してたけど、二人揃って施設から引き取られたって」

「孤児、か」

「これ、内緒の話ね? ……あっ! 沙恋ちゃんにも、内緒にしてねって言われてたのに」


 あわあわとハナ姉は両手を振って秘密を打ち消そうとする。

 そんなことしても、俺の記憶が消えるわけじゃないんだけどな。

 でも、迂闊さを恥じ入るように真っ赤になって、ハナ姉は小さく呟いた。


「わたし、悪い子だなあ。なんだか、少ししょんぼりだよぉ」

「うんうん、ハナ姉は悪い女だねえ」

「あっ、ひどーい! ……ふふ、でも、その通りかも」

「俺はそれでも構わないし、沙恋先輩だって言ってたぜ?」


 ああくそ、なんだか悔しいが沙恋先輩を思い出してしまう。


「いい女ってのは、秘密を持つものなんだってさ。つまり逆説的に……ハナ姉は秘密があるのが当然ってことだ」

「ふええっ!? そ、そかな? いい女、かなあ」

「とびきりな! って、言わせないでくれよなあ、もう!」


 また一つ、ハナ姉のことを理解できた。

 17歳の女の子にしては、ちょっとハードモード過ぎやしませんかね。でも、この笑顔を守りたいと思った。そして、決意。

 覚悟を決めた。

 ハナ姉が嫁ぐ日を涙で見送る、そんな未来はゴメンだ。

 駆け落ちだろうが略奪愛だろうが、やってやる!

 それに、なんとなくあの人が助けてくれそうだしな。


「いやいや、沙恋先輩を当てにしちゃ駄目だろ」

「うん? ヒデちゃん?」

「ああ、こっちの話。とりあえず……も少し、こうしてて、いいかな」

「……うんっ」


 授業をサボるなんて初めてのことだと、ハナ姉は小さく笑った。清廉潔白が美少女の形に結晶化したような存在、それがハナ姉なんだけど……たまにはズルしたっていいし、必要なことなんだ。

 こうして俺は、ハナ姉とゆっくりとした午後を過ごす。

 身を寄せ合って話せば、前よりずっとハナ姉のことを身近に感じられた。

 けど、どうしても色々聞き出したくなって、自分勝手なことも言いたくなってしまうのだった。

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