日出卜英斗は騙されたい!?

 結局、店主が出してくれた椅子? にみんなそれぞれ座った。

 そう、ハナ姉の昭和脱出講習会……初めてのガラケー講座だ。

 そのハナ姉だが、太めのトーテムポールみたいな邪神像に座らされて緊張気味である。俺もカウチ的な、むしろテーブルなのではと思う中華様式の台座に腰を下ろす。


「えっと、沙恋されん先輩。初期設定はある程度済んでるんですよね?」

「今すぐにでも使えるよん?」

「オッケ、じゃあハナ姉。ちょっと、俺と赤外線通信で――あっ!」


 そんなハイテク機能は、このタイプのガラケーにはない。

 なにせ、俺たちより十年近く年上の携帯電話様なのだ。

 そんなアンティークを手に、ハナ姉は嬉しそうにアンテナを伸ばしたりしまったりしてる。なんだろう、携帯というより小型のトランシーバーみたいな感じだ。


「ごめん、えっと……そうだ、確かからメール! ハナ姉、俺に空メール投げてくれる?」

「えっと、eメール、だよね? じゃ、じゃあ」

「今からアドレス教えるから、ってちょっとタンマ! 待って待って、ハナ姉!」


 ド天然なハナ姉がやっぱりかわいいと思う俺だった。

 だって、空メールを投げてって言ったらこの人、? いや、物理的に携帯を放られても困る、壊れちゃう。

 スマホを手にスタンバってるまことは、うつむき小さく肩を震わせていた。

 でも、ハナ姉は大真面目だった。


「だ、だって、投げてっていうから」

「ちょっと待ってね、えっと……メールのボタンを押して」

「これかなあ。えいっ。あ、なんかメールボックスってのが開いたよぉ」

「よしっ、じゃあ俺のアドレスを――」


 その時だった。

 先程からニヤニヤと目を細めていた沙恋先輩が、俺の横に歩み寄った。そして、グイと俺の腕に抱きついて立たせる。

 やわらかーい、あったかーい、そんな針のある弾力が二の腕に当たってる。

 でも、沙恋先輩はそのまま俺をハナ姉の側に引っ張った。


英斗ひでとクン、キミがしっかり教えてあげなきゃ駄目だぞ? まことクンには難しいだろうし」

「むっ、そんなことないぞ! あたしは英斗より沢山友達がいるし、LINEラインのグループだって」

「キミ、でっかいからガラケーのボタン押せないよん? 一気に三つも四つも押しちゃうと思うぜー?」

「なるほど、確かに! ……って、そんな訳があるか、狭宮沙恋はざみやされん! ……先輩!」

「はは、冗談だよ冗談。それに、スタイルよくて羨ましい、とっても素敵じゃないか。おおっと!」


 わはは、と笑顔で沙恋先輩が飛び退く。

 あーあ、まことよ……店内で暴れるなっての。

 でも、店主が黙って新聞を読んでるので、怒られることはなさそうだ。

 ただ、周りの全てがお高い骨董品や美術品なので少し怖い。

 そうこうしてると、ハナ姉が上目遣いに見上げてくる。


「ヒデちゃん、教えてくれる? わたし、ちょっと初めてだからどんくさいかもだけどぉ」

「ああ、大丈夫だって! えっと……」


 小さな小さなガラケーの画面を、二人で額を寄せるようにして見詰める。

 懐かしいなあ、俺も小学生の時に初めて親からもらった携帯はガラケーだったっけ。

 今見ると本当に玩具おもちゃみたいだ。


「俺のアドレスは」

「あ、待って待って。えと、アルファベットは……書いてある通りに押せばいいのかなあ」

「そそ、ゆっくりで大丈夫だから」

「ふふ、凄いなあ。わたし、携帯電話もらっちゃった。これでLINEも動画も見れるんだねっ!」

「いや、それ多分無理……ガラケーだから」


 沙恋先輩も言ってたけど、電話とメールができるくらいで、あとは頑張ればネットにも繋がる程度の代物だと思う。

 でも、ハナ姉は嬉しそうにガラケーのボタンを押し始めた。

 白くて細い指で、ボチ、ボチ、ボチボチ、ボチッ。

 不慣れなせいか、間違っては消して、また間違いつつ俺のメアドを手入力してく。

 ふと顔をあげたら、まことにチョークスリーパーをキメられながら……沙恋先輩がウィンクしつつクイクイと指をさす。

 え、それは流石さすがに恥ずかしい……けど、そうか! 俺は彼氏だ、問題ない! 手伝えばいいんだ!


「ちょ、ちょちょちょ、ちょっ」

「ちょ? あ、ゴメンねヒデちゃん。まだちょっと慣れなくて」

「い、いいんだ! それより、ちょ……ちょっと、ゴメン!」


 俺はハナ姉の背後に回って、小さく身を屈める。そして、両腕で包み込むように外側からガラケーに手で触れた。少しびっくりしたように、一瞬ビクン! とハナ姉が身を震わせる。

 でも、肩越しに振り返るハナ姉の笑顔はほのかに赤かった。


「見てて、こういうふうに同じボタンでABC、押す回数で変わるだ」

「なるほどぉ。少ないボタンでやりくりする工夫なんだねえ」

「あとは、十字キーで、って違う、ゲームじゃないからここの上下左右ボタンで」


 どうにかハナ姉のガラケーから、俺のスマホに空メールを送る。この儀式が四半世紀前おおむかしには、最も効率のいいアドレス交換の手順だったなんて、少し信じられない。

 俺の携帯が着信のメロディを奏でると、すぐにハナ姉は反応した。


「わわっ、ヒデちゃん! メール、メールが届いたよ! わたしからかも!」

「かも、もなにも、そのガラケーからですよ、っと。ん、アドレス登録完了。あ、電話帳って機能があって、それはここに」

「ん、このボタンかなっ。ツールってとこに――!?」


 指と指が触れ合う。

 肌と肌を熱が行き交った。

 二人の時間が止まってしまって、静かな店内でまことと沙恋先輩の声が遠ざかってゆく。

 気恥ずかしそうに俯きつつ、ハナ姉は一度指を放し、改めて手を重ねてきた。

 あー、もう一生このままでいてぇ。


「……ヒデちゃん、今度メールしても、いい?」

「あ、ああ! そりゃもう! 大歓迎だよ、ハナ姉」

「ふふ、ヒデちゃんはいつもわたしにお手紙くれたよね。うち、結構厳しいから」

「その、遠くに行っちゃって、離れちゃって……怖くて、寂しかったから」


 今どき文通なんてな、そう思うだろうけど唯一の連絡手段が郵便だった。

 でも、手紙につづった文字の数だけ俺たちは心の距離を詰めていったんだ。

 そして今は、ハナ姉にもガラケーとはいえ秘密の携帯電話がある。ちょっと橘の親父さんには悪いけど、今どきの女子高生なんだからこれぐらい許して欲しいものだ。


「そっかあー、みんなこういうのを持ってるんだよねえ」

「つーか、今どきは持ってない人のほうが珍しいかな」

「学校にいる時はパソコンとかタブレットを使うこともあるけど……意外とわたし、印刷された紙の方が落ち着くかな」

「うんうん、昭和だね!」

「昭和だよねえ。でも、これで平成には追いついた気がするっ! それに」


 それに、と言ってハナ姉は小さく笑った。

 このまま後ろからギュッと抱き閉めたい、そんな衝動に駆られる。華奢な肩を抱いて、俺の胸の中に閉じ込めてしまいたい。

 それくらい、小さくて温かくて、そしてやわらかいぬくもりが腕の中にあった。


「それにね、ヒデちゃん。今日もヒデニウム、充填120%だよっ」

「あ……ああ、ご、ごめん! くっつき過ぎた!」

「いいんだよー? お姉さんにくっついて、ひっついてもー。だって……恋人同士、だもんねっ」

「ハイ、ソウデシタ……!」


 改めて直接言われると、もの凄く気恥ずかしい。照れくさい!

 でも、それが現実で真実、本当のことなんだ。

 ハナ姉は憧れの幼馴染おさななじみのお姉さんで、俺の彼女、恋人なんだ。

 実感が込み上げるけど、流石に暴走したりはしない。俺は落ち着いてる、これからゆっくりハナ姉と愛を育んでいけばいい。

 そう、あの人が挟まってきても大丈夫。

 た、多分。

 そうだと思いたい。


「フフフ、ハナはもう携帯使えるかな? ボクのアドレスはあらかじめ入れておいたからね」

「あっ、沙恋ちゃん。ありがとうっ! でも、本当にいいの?」

「ボクだって、ハナと連絡つきやすいと助かるんだけどなあ。だって、突然会いたくなったりしたら、どこでなにしてるか知りたいもの」


 あのー、彼氏の前でサラッとそういうこと言わないでくれます?

 あと、まことは目線で「やっぱりるか?」みたいな物騒なこと訴えてこないで。

 でも、笑ってスマホを取り出した沙恋先輩は、少し寂しそうに笑った。


「おっといけない、もうこんな時間……英斗クン、ちゃんとハナとまことクンを送っていくんだぞ? 彼氏の甲斐性かいしょうだからね、そこんとこよろしく!」


 意外なとこで古い価値観が出てきたが、言われるまでもないさ。

 でも、店主に挨拶して沙恋先輩は颯爽と出てゆく。

 かと思ったら、なにか忘れ物でもしたのかすぐに戻ってきた。


「ボク、ちょっと行かなきゃいけない用事があってね。このへんで失礼するけど……英斗クン、今日はとっても楽しかった」

「あ、ああ……こちらこそ、その、ありがとうございます?」

「あと、これあげる。フフフ、キミ、意外とチョロいのかにゃー?」


 またチェシャ猫みたいに、沙恋先輩はにんまり笑った。

 そして、不意にシャツの胸元をはだけて手を突っ込む。

 びっくりしたが、その後はさらなる驚愕きょうがくに絶句するしかなかった。

 沙恋先輩は、あげるといって……。取り外した左右の、その、膨らみを……俺に渡してきた。


「嘘……偽乳にせちちかよっ! えっ、ちょっと待って、なんで!?」

「んー、そゆ気分だったから? あと、偽物じゃないよ。人によっては立派に本物じゃん? アクセサリーみたいなもんだぞー」

「気分、って。……マジかよー」

「マジだぜー、じゃあね! まことクンもハナも、また明日学校で!」


 俺の手に、なんだかまだほんのり温かいような、シリコン製の胸パットを置いてった。そうして沙恋先輩は、一度だけ振り返ってニシシと笑うと、春風のように去っていくのだった。

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