日出卜英斗は守りたい

 通学路を親子みたいに手を繋いで、大小二人の少女が目の前を歩く。

 先程、抱き合って再会を喜んでいたハナ姉とまことだ。俺は久々に、まことがガチ泣き寸前になるところを見た。あのガタイもあってか、今のまことをいじめるような男子はいない。

 そんなことをしようものなら、フィジカルモンスターまことに返り討ちにあうしな。

 でも、今は憧れのハナ姉に会って、小さい頃に戻ってしまったみたいだ。


「大きくなったねえ、まことちゃん。すっかり美人さんだねっ」

「そ、そんなこと……ハナ姉は、全然変わってない」

「そかな?」

「そうだ、そうだぞ」


 俺は知っている。

 まことはハナ姉が引っ越してしまったあと、滅茶苦茶女の子らしさに磨きをかけようとしていた。しかし、女子力ガールズパワーという言葉を曲解したまま豊満極まりないナイスバディに成長し、今では見事に大型犬系のキャラになってしまったのだ。

 そんなまことを隣に見上げて、今日もハナ姉の笑顔が眩しい。

 そして、このとっても可愛い小さなお姉さんは、俺の彼女様なのだ!


「ははーん、キミ……俺の彼女ってやっぱりかわいいなあ、みたいなこと考えてるね?」


 不意に背後から、冷やかすような声が涼やかに響く。

 振り返れば、頭の後ろに手を組んだ沙恋されん先輩がニヤニヤ笑っていた。本当にこの人の表情というのは、千差万別にコロコロ変わる。愛くるしく思える反面、どうにも無視できない感情を泡立たせてくるのだ。

 沙恋先輩は俺の隣に並んで歩くと、小声でささやいてくる。


「ハナの家を見ただろう? なかなかにグロテスクだとは思わないかい?」


 そう、沙恋先輩の言う通りだ。

 古い価値観が悪いわけじゃない。

 ただ、それだけしか許さず押し付けるのはいけない。子供の俺だってわかる。いわゆる、今流行りの『多様性社会』ってやつとは真逆だ。

 詳しくはわからないが、選択肢が多くて、その一つ一つが平等で自由だといい感じ! ってことだろうな。だから、ハナ姉の住む橘の家はなんだとても息苦しい。

 そして多分、沙恋先輩はそのことを俺に見せたかったのだろう。


「沙恋先輩、俺……俺は」

「ま、ボクはキミにどうこうと言える立場じゃない。なにせお互い、まだまだ高校生だからね」

「でも、なにもできないわけじゃないですよね。いや、なにかできるはず

「それを期待してるぜー、キミに。そして、覚えておいてほしい」


 ずいと俺に身を寄せ、乗り出すように沙恋先輩が見上げてくる。

 やっぱり、色素の薄い髪からふわりといい匂いがした。


「助けが必要な時は、遠慮なくボクを頼ってほしいな」

「……助っ人部、だから、ですか?」

「そう、しかもボクは部長だ」

「部員さん、何人くらいいるんですか?」

「はっはっは、野暮なことは聞くもんじゃないよ」


 ポンと背を叩かれた。

 なんとなくそれで俺も察した。

 そして、沙恋先輩がとりあえず悪い人じゃないこともわかった。

 でも、無害だとは言い難い。


「そんで、沙恋先輩」

「なんだい?」

「その……色々とありがたいんですけど、一つだけ」

「おや、一つだけでいいのかい? なんだろうね」


 きらめく笑顔ですっとぼけやがって。

 俺はここで、お邪魔虫に釘を刺しておくことにした。


「俺とハナ姉の間に挟まるのは、やめてくれないですか?」

「ヤだ」

「ヤだ、って……即答したし! かわいく言っても駄目だし!」

「因みに、挟まるってことは……こゆこと、かなっ?」


 不意に沙恋先輩は、前の二人に密着した。

 そして、繋がれたハナ姉とまことの腕に抱きつく。


「わわっ、沙恋ちゃん。びっくりしたあ」

「おいこら、狭宮沙恋……先輩。なにしやがるんですか、離れやがれください」


 おいおいまこと、日本語おかしくなってるぞ。

 だが、屈託くったくなく笑う沙恋先輩はちゃっかり二人の間に収まる。右手でハナ姉と手を繋ぎつつ、まことの腕に抱きついた。身長的にも、大中小と横並びだ。


「まことクン、まあまあそう言わずに」

「おーい、英斗。この先輩、ブッ飛ばしてもいいか?」

「ありゃ、ブッ飛びがお望みかな? フフ、じゃあ……」


 既に周囲には、同じ御統学園みすまるがくえんに向かう生徒たちであふれかえっていた。

 そして、そぞろに歩く皆から一斉に声があがる。

 降り注ぐ視線の雨の中で、沙恋先輩はハナ姉の手を離していた。先輩はまるで王子様のように、まことの腰を抱いて一回転、踊るように優雅に傾けて抱く。

 シャル・ウィ・ダンス?

 というか、あのまことを踊らせるとはなかなかの体捌たいさばきだ。


「なにもかもフッ飛んじゃうような、キス……してあげようか?」

「なっ、なななな、なにを」

「ボク、キミみたいな娘は好きだよ」

「やっ、やめ……朝っぱらから!」

「はは、照れてる顔もかわいいね」

「ぐぬぬ、狭宮沙恋ーっ!」


 まことはあっさりキレた。

 そして、聴衆から「おおーっ!」と声があがる。とりわけ、上級生のお姉さまやお嬢様から黄色い声が連鎖する。

 怒ってゲンコツを振り回すまことから、沙恋先輩が走って逃げる。

 そうして二人は、学校へ向かって猛スピードで去っていった。

 呆然ぼうぜんとそれを見送っていると、不意に手に手が触れてくる。


「ふふ、二人共行っちゃったね……わたしたちも、行こっ?」

「あ、ああ」

「でも、嬉しいな。ヒデちゃんが迎えに来てくれるなんて」


 俺の手を取り、ハナ姉は歩き出す。

 あっ、これ始まっちゃうやつだ。

 俺の初恋、春の学園生活と共に始まっちゃうやつだった。

 嬉しくて俺もハナ姉の手を握り返す。

 またしても周囲からどよめきが上がったが、ハナ姉は堂々としたものだった。

 だから、俺も極めて平静を自分に言い聞かせる。でも、嬉しすぎて右手と右足が同時に出てしまう。ギクシャクと歩く俺の隣で、笑顔が大輪を咲かせていた。


「あ、あのさ、ハナ姉! お、俺っ!」

「うんっ。なぁに、ヒデちゃん」

「俺……決めたんだ。ハナ姉のこと、助けるよ」


 そう、俺がやらねば誰がやる。沙恋先輩か? いや、それは駄目だ。それだけは絶対に嫌だ。恋敵こいがたきにこんな大切なことは任せられない。任せてはいけない。

 俺は一度大きく息を吸って、吐いて、吸って、そうして言葉を選んだ。


「ハナ姉、俺……馬鹿だからよくわからないけど」

「そっ、そんなことないよ? ヒデちゃん、昔から頭いいもの。とっても賢い子」

「いや、そんな、って、そういう意味じゃなくて」


 少し困ったような顔をして、やっぱりハナ姉は笑った。

 この笑顔の裏に、どれだけの苦しみが隠されているのか。その一端を知ってしまったし、とかくハナ姉は忙し過ぎる。昨日も見たが、生徒会副会長なのに多忙を極めていた。

 俺は学園新生活、早くもやるべきことが決まったと思った。


「俺っ、ハナ姉のこと助けるよ。ずっと、これから!」

「ホント?」

「うっ、うう、嘘は言わねえ!」

「じゃあ、ヒデニウムをチャージしてくれる?」

「えっ、あ、いや、それは、今は」

「ふふ、冗談だよっ。ヒデちゃん、いっつも一生懸命だね。全然変わってない」


 逆に、ハナ姉の生活は激変してしまったんだろう。そんな毎日を小中高と十年間……俺はもう、それを知ってしまった。そして、まずは心に秘めて深く沈める。

 ハナ姉はもう三年生、高校生活最後の一年だ。

 俺が必ず、最高の学園生活にしてみせる。

 俺と絶対、最高の一年を過ごすんだ。

 密かな決意を無言で絶叫、そんな俺を見上げてやっぱりハナ姉は微笑ほほえむ。


「あっ、そうそう。ヒデちゃん、部活は決まったぁ? うちの学園、なにかしらの課外活動は全員参加だから」

「ああ! 実はもう決めてる! っていうか、さっき決まった! ――っ!?」


 一瞬、背筋を冷たいものが走った。

 なんだろう、殺気? 的な?

 いわゆる殺意のようなサムシングを感じたかもしれない。

 しかも、無数に。

 それで思わず、俺は周囲に視線をばらまく。普段の二割増しで目つきが悪くなっていたのか、そこかしこで息を呑む気配がした。そして、じりじりと登校中の生徒たちが離れてゆく。

 なんだろう、俺がハナ姉と手を繋いでるからか?

 けど、怯んでられるかってんだ!


「ハナ姉に小さい頃、守られてたけど……もう、俺だって高校生なんだからな」

「ヒデ、ちゃん?」


 俺はそっと手を放すと、改めて肘を曲げて腕を突き出す。

 以心伝心、パッと表情も明るくハナ姉は腕を絡めてくれた。

 もはや周りの声は悲鳴だったが、構うもんか。

 俺はハナ姉の気持ちを確かめたし、俺が望むように望んでくれてると信じてる。それでも、これから一歩一歩確かめるように学園生活をラブラブしてやるんだ。

 そう思って歩き出せば、我らが学び舎の巨大な校舎が見えてくる。

 校門の前では、バテてしまった沙恋先輩を小脇に抱えて、まことが待ち受けているのだった。

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