♰Chapter 16:夜想の権化Ⅱ

「お前、本当にこの道が近道なのかよ……。飲み過ぎてんじゃねえのか?」

「んなわけねえだろお……? 酒入ってても方向感覚はびんびんだぜえ……」


第二区はオフィス街で構成されている。

昼夜問わずスーツを着こなした大人で溢れかえる場所だ。

そんな区画の路地裏で二人の男――一人は過度な酔っ払い――が歩を進めていた。

まともな一人が酔っ払いの方へ肩を貸している。


「そういや、最近そこら中で心臓を一突きにした死体が見つかっているらしいぜ?」

「やっぱお前飲み過ぎな……。そんな記事はどこにも載ってなかったし。そもそもそんな都市伝説じみた噂を信じてるのかよ」

「いんや、実際に幾つか専門のサイトが立ち上がったみたいなんだがすぐにぜーんぶ消されちまったんだと。こんなん臭すぎるだろ」


どっちが臭いんだか、と男は思ったが言葉には出さない。

酔った男の方はなおも噂について饒舌だったが不意に言葉を止めた。


「……んぁ? なんか聞こえたか?」

「……はあ」


酔っ払いが妙にしかつめらしい表情を浮かべるので、男は不自然な胸の騒めきを感じた。

耳を澄ましてもよろよろと進んでいく自分たちの足音しか聞こえない。

いい加減にしろと酔い覚ましに叩いてやろうとしたその矢先だった。


「ほら、あそこ。何かいねえ……?」


Uruuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuuu!!!


半透明な紫紺の鎧が腹の奥底を揺さぶる音で唸った。



――……



「宇賀神さん‼」

「うるさい。私は夜勤で絶賛苛立っている」


〔ISO〕第二支部に駐在していた宇賀神は両目を伏せながら煙草を吹かしていた。

彼女にとって遅くまで退屈な時間が続くことは拷問にも等しい。

だからこそ、煙草で荒ぶる気持ちを落ち着けていたのだ。


「ええ……。まあこれもいつものことだから気にしませんけど、今夜は眠れませんよ。第二区で化け物に襲われているという通報がありました。しかも第二区といえば我々の直近、お膝元ですよ」

「……ふっ。それを先に言え馬鹿者が。私の夜勤はこれで報われる」

「いい大人のあなたがそこまで楽しそうにするのを見ているとこちらまで引っ張られそうですよ。これから死地に向かうというのに」


宇賀神は部下が話している最中にホログラム上に映し出される情報を頭に入れていく。


「化け物は……巷で話題の『心喰の夜魔』か。いよいよ姿を拝めるかもな。動かせる人員は可能な限り完全武装で追ってこい。私は先に行く」


そう言い終わるやいなや、ベージュのコートを羽織り場を後にする。


「やれやれ、宇賀神さんは毎度破天荒ですね……」


あとに残された部下も早急に指示伝達をこなし、現場に向かうのだった。



――……



「う、ぅぅ……」

「……大丈夫だ。きっと助けが来る」


おぞましい雄叫びを上げた紫の騎士を前にした二人は咄嗟に入り組んだ道を右に左に折れ、物陰に息を殺していた。

走って逃走するには一人が酒を飲み過ぎている。

一方で酒をそれほど飲んでいない男の方は、比較的冷静にものを考えていた。

すなわち、ここから外に出ればあの危険な何かが人を殺すということだ。

手に持った剣にすでに生々しい赤い液体が付着していたのを見逃してはいなかった。


Uruuuuuuuu!!


段々と唸りが二人に近づきつつあった。

もう幾つか路地を曲がればここに到達することは自明だった。


「俺は行くよ」

「え……おれを見捨てるのかよおお……?」

「違う。俺が行くのはあの気味の悪い化け物の方だ。お前はその間に少しでも遠くに逃げて〔ISO〕に保護してもらうんだ」

「それはだめだ! お前が、お前が死んじまうよお!」


Uruuuuuuuuuuuuuuuuuu!!!!


一際大きな呻きのあと、紫の騎士が姿を現した。

今度こそ逃がさないと言わんばかりに急速に接近してくる。


「見つかった! もう迷ってる暇はねえ! 早く行け!」


まっすぐに半透明の剣が振り下ろされる。

それはまるでスローモーションを見ているような緩やかな知覚だった。


「――感動的なドラマを演じるのもいいが、後は私に任せろ」


男は襟首を掴まれると酔っ払いの方へと投げ飛ばされる。

一瞬ベージュのコートが映った気がしたが、すぐに異様なほど濃い煙幕に覆われ見えなくなる。


「さて、と。ようやく姿を見せてくれたな騎士――いや『心喰の夜魔エフィアルティス』。まさしく出会いを渇望する姫のような気分だった。言葉は分かるか? そもそも中身は人間なのか?」


宇賀神は短くなった煙草を足元に放ると騎士を見る。

さほど凝った意匠はなく、騎士としての外見は単純だった。


Uruuuu!!


先程男を攻撃しようとした時よりも数段加速した動きで宇賀神の腹部を貫く。


「まあどちらでも構わない。せいぜい私を楽しませてくれよ!」


騎士が貫いたものは煙草の濃密な煙で構成された偽物だ。

宇賀神は背後から騎士に接近し、煙草で直接ルーン文字を刻み込む。

それは“炎”を意味する単語だった。


Urooooor!!


「ほぼ無傷。おまけに狙いは正確無比か」


業火に焼かれてなおいささかの衰えもなく、心臓を狙い剣を突き出してくる。

それを彼女は虚空に刻んだルーン文字の障壁で弾き切る。


「宇賀神さん!」

「思ったより早かったな。早速で悪いが掃射しろ!」

「了解!」


合流した十二名の構成員が一斉に騎士に銃弾を撃ち込む。

それは魔法使いを無力化するための特殊弾だ。

しかし、まともに喰らっても騎士は唸りを上げるばかりで目立ったダメージはない。

それどころか先程よりもさらに切れを増した斬撃で宇賀神に突貫する。


「ルーン盾にも限界がある。どれ、人がいないことを願うよ」


宇賀神はコートの内側から鎧通しとも呼ばれるエストックを二本抜くと騎士の兜の隙間と鎧の継ぎ目にねじ込む。

すると金属同士が摩擦する嫌な音と共に動きが止まった。


「宇賀神さん、やったんですか……?」

「馬鹿。それはフラグにしかならん」


Urooooooooooooooooooooooooooooo!!!!!!


今までで一番長い雄叫びを上げると騎士は宇賀神の真横を素通りしようとする。

狙いは距離をおいて援護射撃を続けるISCたちだ。


「私を狙え、人外!」


宇賀神は躊躇わずに騎士の腕にルーン文字を刻み、身動きを封じる。

空間上に煙の拘束が現出し、押せども退けども解放されはしない。


「ちっ」


だが騎士はルーンを刻まれた腕を自ら分離すると彼女の一瞬の硬直を逃さずに真横をすり抜ける。

全員が銃撃を行うがさして気にする様子もなく剣を振りかぶり――


「僕だってそれなりにできるんですよ!」

「よくやった――〚絶縁の銘刻アイソレート・エングレイヴド〛」


部下の一人が銃で一撃を防ぐ間に、宇賀神がワンカートンの煙草を空中にばらまくと瞬時にすべてが騎士の各部位にルーンを刻んでいく。

やがて騎士はバランスを失い倒れた。


「相変わらず宇賀神さんの技はぶっ飛んでますね。まあそれはそれとして……最初からそれを使っていれば僕は怪我を負わなくて済んだ気がしますが……」

「男だろ? ごちゃごちゃ言うな。お前の五感も隠蔽するぞ?」

「はは、それは勘弁です……」


掠り傷を負ったISCに軽口を叩いた宇賀神は、それから素早く新たな煙草を開封すると騎士の両手両足を煙が固形に変質したもので拘束する。


「そいつはさっき見ての通り、関節もいまいち分からん。注意して移送しろ」


宇賀神は一通りの指示を終えると路地裏から見える夜空を見上げた。


「やれやれ、私の魔法はコスパが悪い」


宇賀神の固有魔法は〚絶縁の銘刻〛。

煙草を媒介にし、隠蔽することに特化したものだった。



――……



「来たか。待たせすぎだ、優香、零」


オレと水瀬が宇賀神から連絡を受け取ったのは彼女との初対面から二日後のことだった。

午前三時ごろに緊急を要する小型デバイスへの着信によって起床したオレは、すぐに水瀬の部屋へと向かい扉をノックした。

幸いにして彼女にも連絡が入っており、迅速な行動が可能だった。


日が昇る頃には第二区の〔ISO〕駐屯ビルにやって来ていた。

宇賀神は例のごとく入口で煙草を吹かしていたが、オレ達を見ると磨き抜かれた床を鳴らしながら、地下への扉を開錠する。


「オレも入っていいのか?」

「別に構わないさ。零も〔幻影〕の一員なんだろう? ならば問題ない。第一、ここは本命の牢獄じゃない。まさしく〔ISO〕の駐屯地であり、犯罪者の一時拘留場所でもあるからな」


間もなく地下層まで来るとカードキーの認証を経て、実験室のような一風変わった牢獄に通される。

そこには大規模な魔法陣と共に、中心に純白の石が積み上がっていた。


「さてお前たちを呼んだのはとどのつまり、これを捕縛した経緯と簡易調査で分かったことを話すためだ」


宇賀神は魔法陣の周りをゆっくりと歩きながら話し始める。


「これはちょうど昨夜第二区に現れたいわゆる『心喰の夜魔』――端的に言えばアーティファクトだ。本来は紫紺の半透明をしているが……この通り、魔力無効化の陣に入れたらただの真っ白な瓦礫の山になった」


宇賀神は何でもないことのように言うが『盟主』が言うように魔法や物理的な攻撃が通らないのだとしたら相当な苦労があったはずだ。

そのなかには当然死者が出たかもしれないという懸念も含まれている。

それを間接的に尋ねたのは水瀬だ。


「〔ISO〕の人たちは無事ですか?」

「ああ、全員無事だ。その日襲われていた奴らも無事だ。だがこれは意外とタフでな。まず通常魔法は概ね弾かれる。加えて物理攻撃もさして効かないようだ。ゆえに私がこうして拘束し、無力化したわけだが」


オレは宇賀神の固有魔法がどんなものなのか、その本質を知らない。

以前の調査では煙を通して過去の事象を再現したり、ルーンを刻むこともできていた。

本人からの簡易な説明も受けている。

だがそれだけとは到底断定できないからだ。

拘束できるだけの攻撃力か、あるいは本当に拘束に特化した魔法も持ち合わせているかもしれない。

いずれにせよ、今は聞けるタイミングではない。


「最後の情報だが……そこから見ていてくれ」


宇賀神は魔法陣から一つの白い塊を取り出すと少し離れた位置に放る。

すると急激に半透明な紫紺へと変貌を遂げ、騎士の兜が現出する。

次の瞬間には唸り声と共に小さな魔法陣が展開され、圧縮された熱源体が蓄えられる。


「よし、そこまでだ」


宇賀神がルーンを刻むと即座に魔法が拡散していく。

兜を掴み魔法陣の中へ戻すと、再び白い塊へと戻った。


「こんな感じだ。自然魔力を吸収して元の形に戻ろうとする。しかも質が悪く、意外にも強力な魔法を使うようだ。――大体の情報は伝えたな。これだけの代物が関わっていたのなら前回の〔ISO〕の一班が丸ごと壊滅したこと、そして民間にも犠牲者が出ていることにも頷けるというものだ。まったく、魔法使いになり魔法使いを知ってからというもの飽きることがない」


宇賀神は壁に寄りかかると新しい煙草を吹かすことなく、真剣にオレと水瀬を見据える。


「正直、かなり厄介だ。『心喰の夜魔』が最近の心臓を貫かれた殺人事件と関連していると仮定するならば、少なくとも五体は存在すると思われる」

「それは……今までに同時多発的に起きた事象からですね」


水瀬の合いの手に宇賀神が首肯する。


「ああ、その通りだ。転移系の固有魔法があるのかは知らんが、仮にそれを使わなければ届き得ない距離で同時多発的に見つかった心臓損壊遺体は五体。散発的な遺体を含めれば被害者は両手の指に収まらないだろう。そしてこれほど無茶苦茶な代物が人が多い場所にでも放たれたら容赦ない被害が出るだろうな。だが、私たち〔ISO〕には上位機関からこれ以上の実地捜査は不要だと指令が下っている」


これまでの捜査で綴ら〔ISO〕の苦労を察することはできる。

限られた人員である以上犠牲を出したくないという心理も理解できる。


だが――


「綴、なぜ〔ISO〕の上層部はこの件を早々に断ち切ったんだ?」


オレの疑問には一つ、この件に〔約定〕のほかに上層部も関わっているのではないかということがある。


「あまり内部情報を話すわけにはいかんが、しいて言うならこれまでの噂の調査で一つの班が壊滅したこと、そして〔ISO〕は別件でも動いているということだ。東京二十三区を治安維持するだけでもただでさえ人員が足りんのに、これ以上減らしたくないというのが本音なんだろうな。だから以後は後手に回るだろう。もっとも今回と言い、すでに後手だったが」

「なるほど」


オレは最大限の情報を得ると、水瀬に視線を向ける。


「宇賀神さん、ありがとうございました」

「ああ、二人とも気を付けろよ。知り合いに死なれたら煙草が不味くなる」


それからオレと水瀬は『盟主』への報告を行い、着々と来たるべき戦いに備えていくのだった。

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