二章

少女の力

 王都へと続く街道は、ランタナのいた森への道よりも整備されていた。

 荷馬車が作るわだち凹凸おうとつに足を取られることもあるが、大きな石などは退けられていて比較的歩きやすい。森への道は整備どころではなく、獣道のようだった。周辺街道の整備も、ルベウスの貴族達が賄う仕事の一環であるはずだが、利がない道は放置されていたということがよくわかる。行商が多く通る街道ばかりが通行税のためにせっせと整備されていたのだろう。

 季節はちょうど秋口。長雨が少ない地域のため、道の泥濘もほぼない。泥濘も邪魔な石ころもなく馬の体力も温存出来て、なかなか快適な旅路だ。

 ランタナはフェナスの馬に同乗し、ご機嫌で鼻歌を歌っている。馬に乗ったことがないと言っていたのに、馬が彼女を侮ることもなくまた彼女が馬を恐れることもなかった。フェナスも、その仲の良さに舌を巻いた。何しろ手綱を引かずとも、ランタナが指示する通りに馬が歩くのだ。

 スフェーンが乗る馬もそれに従うように歩く。二頭ともランタナを気遣っているように思えた。


「うーん、魅了の魔法のせいなのか、神の力の片鱗なのか……」


 興味深そうにスフェーンはずっと呟いている。俯いたまま片手で手綱を持っているにも関わらず、ランタナのお陰で馬が暴れる様子もない。旅の途中でも何かを追求しようとするその姿勢に呆れながら、街道を進んでいた。

 やがて地平に陽が落ち、夜の帷が迫る。ルベウスの付近は荒野が広がっている。早めに水源近くに寝床を確保しておきたい。幸い、小さな泉に陣取ることが出来た。他の旅人達は付近にはいない。別の水源もどこかにあるのだろう。

 完全に暗くなる前に荷物を下ろし、手分けして野宿の支度をする。

 薪を拾い集め、鍋に水を汲み、火を起こした。


 火は、魔除けになる。

 この世界には、獣以外に魔の物が出る。大体が植物の化物のような姿をしていて、火を嫌うのだ。夜に活動することの多い魔の物達は人気のない場所に迷い込んだ人間達を狙う。なぜ人間を狙うのか、はっきりしたことはわかっていない。その知恵に嫉妬しているとも、単に人間が嫌いなのだとも言われている。また、火を操ることを発見した人間達を憎んでいるのだと。

 旅においては、火を起こすことな何よりも優先しなくてはならない。人間に言い知れない恐怖を植え付けんとする彼らを避ける為に。


 フェナスは取り出した燐寸マッチを擦って枯葉に火をつけると、それをそっと細い枝に移した。燃え上がる炎に薪を積み、大きくしていく。ゆっくりと火は燃え上がり、辺りを照らした。


「わあ、ほんとうにそれでひがつくのね!」


「ほら、ランタナも遊んでないでさ。背嚢リュックから干し肉を出してくれ」


 はしゃぐランタナに苦笑しながらそう指示を飛ばす。素直に荷物を漁り出すランタナを尻目に、スフェーンを伺う。

 歩かない分森に行った時よりは楽な道程だが、それでも旅は体力を消耗する。彼も自分の荷物から毛布やらを取り出して野宿の準備をしているが、どこか気怠げだ。


「……馬車の方がよかったかい?」


「え? いえ、大丈夫ですよ。心配してくれているんです?」


 軽口を叩く余裕くらいはあるらしい。フェナスは質問には答えずに、野宿の準備を進めた。スフェーンも少し肩を竦めると、自分の準備に戻る。

 己の役目を果たそうと動く姿は、研究ばかりの彼を見ていたフェナスには新鮮だった。

 彼は、本来の役目から逃げている印象が強かった。貴族のお家事情もあるのだからそこまで気にしたことはなかったが、先日からの彼は研究以外の事でも積極的に動いていてなかなか頼もしい。

 根底にある研究馬鹿ぶりは変わらないだろうし、体力面ではフェナスが支えなくてはならないだろうが。


「火の番は交代でやりましょう。フェナスが先に寝てください」


「いや、いいよ。宵の口の方が魔の物あいつらが出やすいんだ。その頃に起きてた方がいいだろ」


 話し合う二人の顔を交互にランタナが見やる。手には先程背嚢から取り出した干し肉がある。じっとそれを見つめていたかと思うと、何かを閃いたのか満面の笑みで提案してきた。


「わたし、ごはんつくる!」


 自分の役割が欲しくなったのだろうか。だが、彼女の料理となるととあるものが浮かぶ。

 スフェーンもそれは同じだったようで、複雑そうな表情を浮かべていた。

 ――やはり、彼女の森の家の、鍋の中身が思い出されてならない。

 

 ランタナの森の家は、他の旅人や狩人が入り込まないよう隠してきた。隠匿の魔法をスフェーンが入念にかけたらしい。それこそ魔力の多い貴族が直接狙わない限り、見つかる可能性は低い。

 例の大鍋は特殊な魔法がかけられているらしく、入っているものが腐ることはないのだそうだ。『中身』をどうするかという話にもなったが、ランタナは特に興味を示さなかった。

「魂を捧げた後の抜け殻、なのかもしれませんね」とはスフェーンの言だ。フェナスはその辺で考えることをやめた。

 ただ心の底から食べなくてよかったとは思っている。


 ランタナは料理上手なのかもしれない。実際、あの森の家に漂っていたスープの香りは良い香りだった。

 中身が違うのだから、特に気にする必要もないのだろうが。


「いや、あたしが作るよ。ランタナは手伝ってくれるかい?」


「むう、つくりたいのに」


 ランタナは少しむくれたが、渋々ながら手伝いを始める。

 干し肉を水の入った鍋に放り込み、火にかける。沸騰したら薪集めの時に一緒に集めておいた野蒜のびる零余子むかごを入れて煮込んだら、塩をひとつまみ。少し味は薄いが、旅の食事にしては豪勢だ。実りの秋ならではの味に、フェナスは少し顔を綻ばせる。

 もともと料理は嫌いではない。作っている時は無心になれるし、美味く作れた時の達成感も心地良い。

 スフェーンに時折差し入れしていたものも木賃宿の台所を借りてフェナスが作っていた。スフェーンがそれに気づいているかは定かではないが。

 ちらりと彼を見やる。寝床の準備が終わったのか、ランタナと並んでフェナスが料理している様を眺めていた。

 

「……貴女が料理してるのを見るのは初めてですね」


 感心したような声音に金の目を向ける。頬杖をついて眺めるその翠の目は、感心したようにフェナスの手元を見ていた。


「そりゃあ、持って行くのは完成したもんだけだったからね。あんたの研究室の台所は小さくて使いにくいし」


 元々、大きい台所で大人数に作ることが慣れているため、一人分だけをまめに作るということはあまりなかった。スフェーンの分を作る時は、宿代をまけてもらう代わりにまとめて作っていることも多かったのだ。

 少ない量だと加減を間違えて作り過ぎてしまうこともある。旅の食事は食糧も限られているため、特に気をつけてはいるが。

 ランタナはそんな二人のやり取りを横目に、じっと鍋の中身を見ている。かき混ぜたくてうずうずしているらしい。


「ねえ、ねえフェナスおねえちゃん! わたし、まぜる!」


「え?」


 身を乗り出して強請るランタナに思わず目を見張った。森の外の世界に興味津々そうではあったが、ここまで主張してくるのは初めてだ。


「いいでしょ、おいしくなるおまじないかけたいの!」


 胸の前に手を組んで、上目遣いにおねだりしてくるその様は、なんでも言うことを聞いてしまいそうになる。スフェーンの方に視線をずらすと、興味と多少の嫌悪が混じった顔をしていた。

 中身はフェナス自身が確かめているし、それくらいはいいかもしれない。仕方なく、木杓子を渡してやる。


「ほら。他のものは入れないでな」


「うん!」

 

 ランタナは嬉々として鍋をかき回し始めた。同時に、少し調子のはずれた歌を歌い出す。


「わたしのおなべは、まほうのおなべ」


 ぐるぐるぐる。鍋をかき回す。その手慣れた手つきは危なげがない。


「おにく、おやさい、おしお、なんでもぐつぐつにこんじゃう」


 すう、と鍋に手を翳すと、手に杖が現れた。フェナスもスフェーンも、唖然とそれを見つめている。

 その手つきは恐らく魔法をかける前兆だろう。だが止めてはいけないような気さえした。まるで、信託を受ける巫女を見ているような。

 

「しあげに、まほうをひとつまみ! さあさできたよまほうのすーぷ」


 ランタナが歌い終えた途端、スープからは中身が干し肉と野草とは思えないほどの良い香りが立ち込め始める。自分が作っていた時の香りとはまるで違う。


「料理を美味しくする魔法なんてあるのかい……?」


「少なくとも私は知りませんね。ランタナの、神としての権能のようなものでしょうか」


 呆然とするフェナスにスフェーンが答える。その声音は少し興奮気味だ。

 滔々と語り出す彼の話を要約すると、豊穣の神の権能が食物を人間に食べやすくするため、つまり美味しくするために力を使ったと言う話が伝説として残っているらしい。

 興味深そうにランタナを眺めるスフェーンに少し呆れる。が、この匂いは空腹を酷く刺激する。ひとまず食事をしてしまおう。


「わたし、じょうずにできるでしょう?」


 得意そうに木杓子を返してくるランタナの頭を軽く撫でると、フェナスは椀にスープを盛り付けはじめた。

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魔女の案内人 水森めい @mizumei

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