神の摂理

 《教会》の本部は、王城に程近い場所に建設されていた。

 場所は城内と言っても過言ではない、王城から歩いておとなえるほどの近距離だ。実際、《教会》の信徒である国王はよく本部に足を運んでいる。自然と国王と《教会》の本部にいる者たちとの距離は近くなっていた。

 王都外の街では領主の城に近いほど領主と近しい間柄と言えるが、王都も例外ではない。あるじである国王に近い場所に居を構えることは、地位が約束されている証だ。本部の位置は、《教会》がこの国――オルナメントゥムの深部に食い込んでいることを示していた。

 その《教会》本部の最奥には、礼拝堂が設置されている。

 数百人は優に収まるほどの大きな建物だ。普段は祈りを捧げる者で賑わうのだが、今に限っては人の気配はほとんどなかった。

 天窓に嵌め込まれた色硝子ステンドグラスから注ぐ光が照らす堂内には唯々静謐な沈黙が流れている。だが礼拝堂の中央に鎮座しているものからは何かが発せられているかの如く、静謐な空気に緊張感を与えていた。

 中央には黄金こがね作りの厨子ずしが置かれている。中には御神体が収められているのだろう、細かな細工が美しく、それだけでも偶像として成り立ちそうなものだ。扉はぴっちりと閉められていて、中を確認することはできない。

 中央の厨子を囲むように、礼拝者の為の椅子が置かれている。迷路のように設置された椅子の群れの片隅に、唯一人祈りを捧げる者がいた。

 薄紫のローブに身を包んだその人の顔は見えない。まるでそこに何もないかの如く、光がフードの奥の闇に吸い込まれている。固く祈りの形に組まれた手は手袋に包まれていて、老若男女の区別すらつけられなかった。


「……我らの唯一の神よ」


 小さく呟くような祈りがフードの奥の闇から紡がれる。澄んだ声色は聞く者が自然と耳を傾けたくなるものだ。その声は男性の声とも、低めの女性の声とも取れた。

 誰に聞かせるともなく、ローブの人物は神への祈りを紡ぎ続ける。


「神のします天から注ぐは聖なる御光。その御光もて我らにお導きを。

 神の言葉は我らの糧。その糧もて世の安寧を保たん」


 祈り慣れているのだろう。澱みなく唱えられる祈りの言葉は、《教会》のものなら誰でも知っているものだ。だがその堂に入った祈りは、他の者が唱える祈りとは一線を画している。ただ言葉を唱えるのではなく、神そのものに話しかけているかのようだ。

 祈りは神との対話。そう教義には書かれているが、果たして実践できている者は数えるほどしかいるまい。

 その祈りを邪魔するように、突然嗄れた声が飛び込んだ。

 

「ジプサム殿」


 祈りが途切れる。ローブの人物は組んでいた手を解くと、立ち上がりざまに振り向いた。

 声をかけたのは、ジプサムと呼ばれたその人よりも少し濃い色のローブを身につけた男だ。ふくよかな体と見事に禿げ上がった頭が如何にも破戒僧という風情を醸し出している。細められた目がジプサムをじっと見つめていた。


「なんです」


 その声には、祈りを中断された苛立ちが混じっている。禿げた男は空気の変化に片眉を少し上げると、仰々しく一礼してみせた。


「祈りの邪魔をしてしまい申し訳ない。だが、貴方の耳に入れておきたいことがありましてな。ルベウスの街に流れていた、例の魔女の噂の件です」


 魔女。

 その単語に、ジプサムはぴくりと反応する。先程の不機嫌そうな空気がより一層膨らんだように思える。魔女が不快でたまらないと言わんばかりだ。

 禿げた男は空気の変化に顔色を変えることなく、話を続ける。


「かの街の貴族どもに探させましたが、結局痕跡すら見つからなんだそうです。森にいるとの噂でしたが、炙り出す事すら出来なかったと」


 短い報告。あまりにも簡潔なそれは、益々ジプサムの不興を買った。禿げた男に向けられたのは、殺意混じりの怒りだ。ひしひしと伝わる怒りに、男の額に一筋、汗が流れる。だがそれも一瞬のこと。怒りの空気は何かに吸い込まれるように萎んで、また静謐さが礼拝堂を満たした。

 暫しの沈黙の後。


「……そうですか」


 それだけを返し、ジプサムは考え込む。

 魔女の噂は、《教会》にとって捨ておけないものだ。眉唾だとしても。魔女は、。いてはならない。在ってはならない。噂すら立ってはならない。神の御心に反するものであるとされているのだ。

 禿げた男も表情を崩さず、呆れたと言わんばかりに両手を広げて見せる。


「ルベウスの貴族どもはどれも役に立ちませんな。

 所詮田舎街の、魔力も少ない田舎貴族です。

 聖金貨を目の前にぶら下げてやっても結果を出せないのなら、果たしてその存在意義もない」


 少なくとも、《教会》にとっての存在意義はない。禿げの男はそう豪語する。

 《教会》に有益な貴族は優遇するが、無益な貴族は存在すら煩わしい。政治上の重要拠点というわけでもないルベウスの街は、魔女を捕らえられなかったことで価値を失ったのだ。


「癒しを行う者の派遣の打ち切りも否めませんな」

 

 《教会》から見限られた街は、恩恵を受けることもできない。治療院がその恩恵の最たるものだ。薬師や古い神の癒し手が駆逐された今、治療院がなくなれば病も怪我も治す術は殆どない。ルベウスの街はゆっくりと荒廃していくだろう。

 だが、禿げた男の言葉はジプサムにはどうでも良いものだ。そもそも、ジプサム自身に《教会》の内政の権限はない。興味なさげに座っていた椅子に腰を下ろし、彼から目を背けた。


「私の管轄ではありません。貴方のご随意になさると良い」


「そうさせていただきましょう。また、何か判ればお伝えしますよ」

 

 禿げた男はジプサムに声をかけた時と同じく一礼すると、踵を返して礼拝堂を出ていく。

 男の後ろ姿を見送ると、ジプサムは厨子に向き直って再び祈りの形に手を組んだ。


「――我らのやいばは神の刃。その力もて神敵を滅さん」


 祈りの最後の言葉を紡ぎ出すと、ジプサムは顔を上げた。フードの奥の目が厨子を見つめた拍子に口元にだけ光が当たる。薔薇色の唇がゆっくりと、弧を描くのが覗いた。

 唇からはたのしげな、しかし憤怒も混ざった言葉がこぼれ落ちる。

  

「全てのなる神は、我らの敵。魔女は滅するべきでしょう? 神よ」


 ジプサム一人が取り残された礼拝堂に、その言葉は静かに響いた。

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