父と子

「では、ちょっと叔父に連絡をとってきます。いつもの宿にいるんでしょう?」


「ああ。それと、この子――ランタナの旅装束の準備もしないと」


 街の入り口でそんな風に行き先の報告を交わしたのち、一旦別れた。

 ランタナの家で夜を明かした二人は、ルベウスの街に戻ってきていた。王都へ出かけるにも準備が必要である。

 フェナスは旅支度をするため。スフェーンは王都で会うべき叔父に連絡をするために。

 スフェーンはフェナスとランタナを見送ると、痛む足を引きずりながら貴族街へ足を向けた。

 久々に長距離を歩いた為、身体が悲鳴を上げている。こんなことなら、研究の合間に鍛錬くらいしておけばよかったと後悔するが、それも遅い。

 また、父上に叱られるな。

 そんな苦い思いが過ぎる。末子の自分に随分甘い父は、スフェーンが成人しても相も変わらず甘やかしてくる。怪我でもして帰ろうものなら、ただの擦り傷だろうと治癒術の得意な者を呼びつけて治療させるくらいだ。

 その割には研究室にこもっている間は食事も届けさせないなど無頓着なところもある。要は、スフェーンの美しい外見が損なわれなければいいらしい。

 自分の姿を見下ろす。土埃で服の裾は汚れきって見窄らしく見える。こんな格好では自ら過保護な父の叱責を受けに行くようなものか。

 せめて、研究室に置いてある予備に着替えてから行くべきかもしれない。

 そう思い立って、研究室にしている小屋へ向かう。

 貴族街の隅に鎮座しているその場所は、唯一なんのしがらみもなく安心できる場所だ。貴族街の自宅は兄弟たちの跡目争いやら、母のお茶会に来る奥様方やお嬢様方の姦しいお喋りで煩いのだ。

 もういい歳なんだから結婚しろと双方から喧しく言われるのも飽きている。家の存続も何もかも解き放たれて想いびとと一緒になれたらどれだけいいことか。

 先ほど別れた彼女は一緒になろうと言っても承諾はしてくれないだろうが。

 深々とため息をつきながら歩く間に、小屋に着く。簡単な鍵を開けると、中に入って奥に進んだ。部屋の中は暗く、埃臭い。毎回、外から帰るとここに篭っていたことが信じられなくなる。


「確か、この木箱の中に……」


 隅に置いていた木箱を漁ると、真新しい予備の服があった。引っ張り出して着替えると、ようやく一息つく。張っていた気が少しだけ緩んで、身体の怠気が増したように感じた。

 何しろ、一日で色々ありすぎたのだ。

 フェナスから魔女の噂を聞き、魔女の元へ出向き、その魔女が神の卵と来ている。

 ただ諾々と研究を続けている身としては、なんとも刺激的な出来事だった。

 神の卵。その言葉を自身の中で反芻して、思わず口元に笑みが浮かぶ。未知を知る喜びは、この上ないものだ。これを逃す手はない。


「さて……叔父上に連絡を取らなくては」


 そう独り言ちると、スフェーンは父の住む屋敷へと向かった。



         *



 その屋敷は、貴族街の中央から少しずれた位置にある。中心になればなるほど街の領主との関係性が深い。何しろ、中央の領主の城と隣り合うように建てられているのだから。

 スフェーンは細かい細工の施された門を通り、その足で玄関へ向かう。玄関へ伸びる道から見える庭には、手入れに手間がかかる薔薇が所狭しと植えられて、その匂いで胸が悪くなるようだ。

 咲き誇る薔薇は裕福さの象徴だ。

 そこまで豊かとは言い難い街で、貴族たちだけが裕福であるのは毎回気に食わない。実家であっても帰る度に複雑な気分になる。

 玄関の前に立つと、ひとつ息を吐いて気持ちを切り替える。特に足の痛みは気取られないようにしなくては、後々面倒だ。服や髪の乱れも確認してから、扉を開けた。

 屋敷内に入って柔らかな絨毯が敷かれた床を何歩か踏みしめたところで、奥から見知った顔が現れる。


「おや、お帰りなさいませ坊っちゃま」


 声をかけてきたのは柔和な笑みを浮かべた初老の男だ。整えた髭と後ろへ撫でつけた黒髪、乱れのない衣装はいかにも執事然としている。

 スフェーンは男の言葉に思わず眉を顰めた。


「いい加減その呼び方はやめてくれないか、モリオン」


 子供扱いするような呼び方は、成人した身では気恥ずかしい。だが咎めるようなスフェーンの口調にも顔色ひとつ変えず、彼は笑顔のままだ。


「坊っちゃまが身を固めるまではそう呼ばせていただきます」


 にこやかに断言する男――モリオンに辟易したように視線を逸らした。この執事には昔から頭が上がらない。

 幼い頃からにこやかに嗜められることが多く、甘い父よりよほど怖い存在だ。今でも彼を目の前にすると、叱られた子供の気分になる。

 スフェーンは居心地の悪さを誤魔化すように、モリオンに問いかけた。


「父上はどちらに?」


「クロム様なら、執務室でございますよ。今の時間なら、少しお話しできるかと」


「わかった、すまないな」


 モリオンの気遣いに感謝を述べると、二階にある父の執務室へ向かう。屋敷内は皆休憩でもとっているのか、静かだ。時折どこからかお茶会の甲高い笑い声だけが聞こえてくる。

 廊下の最奥が父――クロムの執務室だ。

 観音開きの扉を数度叩くと、入室を許可する声が返ってくる。その声に従って中へ入ると、執務机に座っている父の姿が見えた。

 入ってきたスフェーンの姿を見ると、自分とよく似た翠の目が細められ、顔を皺だらけにして笑う。すっかり白髪となったその髪も相俟って、その姿は好々爺そのものだ。


「スフェーンか。研究は落ち着いたのか」

 

「はい、父上。少しお話ししても?」


 スフェーンは頷くと、同じように笑顔を見せてやる。殊更息子の笑顔が好きな父は、それだけで比較的機嫌が良くなるのだ。


「なんだ、珍しいな。座りなさい」


 思った通り上機嫌になる父に内心呆れながら、執務室に備え付けられている応接椅子に座る。実務机に座っていたクロムも立ち上がると、スフェーンの向かいに座った。


「それで、なんの話だ?」


「実は研究の一環で、叔父上にお会いして資料を読ませて欲しいと思いまして。連絡を取りたいのです」


 単刀直入に頼む。この父は回りくどい言い回しを好まない。


「ブロンにか?」


 クロムは少し眉間に皺を寄せる。

 兄弟仲があまり良好でないことは知っている。何故なら、家を継いだ父よりも叔父の方が王都で働くと言う出世を果たしたのだから。

 だがそれは父がよく思っていないだけだ。叔父はそこまで父を嫌っていないと聞く。むしろ便宜を図ってさえいた。

 ならば、殆ど会ったことのない甥の自分よりも、父から連絡を入れた方が話が通りやすいと言うものだ。


「はい。私からよりも父上の方から頼まれた方が叔父上も角が立たないでしょうし」


「ふむ……まあ、よかろう。お前の頼みだ」


「ありがとうございます」


「王都へ行くのか? 一人でか? 道中の護衛はこちらで手配しよう」


「いえ、護衛を頼む予定の者がおりますので」


 その言葉に不満そうに口を曲げたが、そこを否定する父ではない。好きなようにさせてやりたいというのは一貫している。

 それに、『護衛』が誰なのか父も察しているだろう。彼女はこの町ではそこそこに有名だ。スフェーンとよくいるのもわかっている。そもそも、彼女とは随分長い付き合いなのだから。


「……お前の決めたことには何も言わんつもりだが、妻にするならもっと淑やかな女を選べ」


「ご忠告いたみいります」


 それだけ返して立ち上がると、クロムに向かってお辞儀をする。

 返事を待たずに、そのまま執務室から出た。

 玄関の方に向かって歩くと、階段の横にモリオンが控えている。他の仕事もあるだろうに、律儀なことだ。


「坊ちゃま。本日のご夕食はこちらで?」


「……ああ、じゃあ頼む。私はまた出てくるよ」


「そうですか、いってらっしゃいませ」


 いつもあっさりと送り出してくれるモリオンに苦笑すると、スフェーンは再び街へと出ていった。

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