神の卵

「塔ですって……!?」


 スフェーンの目は、血走って輝いている。その鬼気迫る様子に怯えたのか、少女はさっとフェナスの背に隠れた。ぷるぷると震える手が、服の裾を握っている。

 フェナスはスフェーンと少女を交互に見遣ると、少女を落ち着かせるように頭を撫でた。滑らかな感触が手のひらに伝わり、その温もりに少し笑みが溢れる。子供の頭を撫でたのはいつ振りだったか。


「大丈夫だ。このおじさんは何もしないよ」


 なるべく怯えさせないよう、声色に気をつけて宥めた。少女はそれに安心したのか、服の裾を掴む手を緩める。その様子に金色の目を思わず細めた。


「フェナスまでおじさん呼ばわりはやめてください」


 おじさんと言われて多少冷静さを取り戻したのか。スフェーンは少し眉を顰めて咳払いをすると。居住まいを正す。

 だがその目は未だ興奮冷めやらぬようで、輝きは変わらない。


「塔に加え、母親が神だとは……私は今、研究の最先端にいるのかもしれません」


 感動で打ち震えながら、祈るように手を握る様は、敬虔な信徒のように見える。それは単純な知識欲が極まっただけであるとフェナスには察せられた。思わず出そうになった溜息を飲み込むと、スフェーンに先を促す。

 彼は少女を観察するように見つめながら、顎に手を当てた。

 

「この子は……魔女というより、神の卵かもしれません」


「どういうことだい?」


 聞き慣れない言葉に、疑問が湧く。

 親が神なのだ、その娘が神ないしはそれに準ずる者であるのは当然と言えば当然だ。だが、魔法を使い人を害する様はまさに魔女だ。神学に疎いフェナスには、両者は矛盾しているように感じる。

 神は与え、保護するもの。そう言い聞かされていたからだ。

 怪訝そうに見つめているのに気付いたのだろう、翠の目が少女からこちらに向いた。


「貴女にも話したことがあるでしょう? 私の研究の一部です」


「ああ……そんなことも言ってたっけね」


 ぼんやりと、そんなことを彼が語っていたことを思い出す。だが普段から聞き流していた為か、はっきりとは覚えていなかった。研究となるとスフェーンは長話が過ぎるため、聞き流す癖がついてしまっている。

 反応の薄さに不満そうに鼻を鳴らすと、スフェーンは持っていた杖で西を指した。


「西のプランティス大陸のどこかに、花の塔と呼ばれる塔があるんです。神々が生まれる場所とされています。

 その所在は長年研究されていて植物でできた柱が立派な……」


 これは、長くなりそうだ。

 一旦語り出すと彼は止まらない。それをよく知っているフェナスは、片手を挙げて彼の語りを制した。ここで話が長引いては結論が出ない。


「ああ、もう。そういうのは後で聞くよ。

 実際、行けると思うかい?」


 説明を遮られたことに僅かに眉を顰めるも、スフェーンはフェナスの質問に逡巡の後、答える。


「……我々だけでは難しいでしょうね。なんせ、所在も不確かなんです」


 スフェーンの答えに、思わず眉間に皺が寄る。

 不確かな情報では動けない。ジャスパーに頼ることも考えたが、必ず目当ての情報が手に入るとは限らないのだ。

 《教会》が制限している研究の、要も要だろうことくらいは予想がつく。神が生まれる場所なぞ、秘匿されているに決まっているのだ。


「場所もわからないんじゃ、お手上げじゃないか」


 フェナスは降参だと言わんばかりに、軽く両手を上げる。スフェーンは暫く考え込んでいたが、やがて何かを思いついたように顔を上げた。


「王都に、叔父がいます。王立研究所で仕事をしていると聞いていますので、あるいは」


「王立研究所? 《教会》が力を持つこのご時世、潰されてなかったのかい?」


 王立研究所は数十年前――つまり《教会》が台頭してくる前には、国の学問の粋を集めたと名高い研究所だ。その研究は神の研究が主だったため、《教会》によって閉鎖されたとの専らの噂だった。少なくとも、庶民の間では。


「貴族の天下り先やらあぶれたご子息たちの受け入れ先になっているようでしてね。なかなか潰せないんだそうですよ。

 そんな感じなので研究員の質はお察しなのですが、資料くらいなら読ませてもらえるでしょう」


 自分の興味もあるのだろう。少しそわそわと期待に満ちた顔をして、スフェーンが提案する。ひとまず今後の予定が立ちそうなことに少し安堵する。


「じゃあ、とりあえず次の行き先は王都だね。

 あと、確かめとくのは……」


 フェナスは大人しく話を聞いている少女を見た。

 あどけないその顔は、また会って間もないフェナスに全幅の信頼を寄せているのか、目が合えばにこにこと笑んでくる。魅了の効果のせいか生来の庇護欲のせいか、それを斬って捨てることは憚られた。

 だがひとつ、引っかかっていることだけは確かめなければならない。

 そもそも、彼女が『魔女』だとされた噂。行方不明者が出ているという噂の真実だ。

 自分が訊ねても拒否されることがわかっているのか、スフェーンはフェナスが少女が話を聞き出す様を見守っている。


「なあ、お嬢ちゃん」


 フェナスの声かけに少女は少し目を細めた。その不満そうな顔に首を傾げると、銀色の目がじっとフェナスを睨む。


「ランタナ」


 桜色の唇から訴えるように紡がれた言葉に、フェナスが目を瞬かせた。


「ん?」


「わたしのなまえ、ランタナ」


 どうやら、名前を呼ばれないことが不満だったらしい。普通の子供のような反応に、面食らいながらも口元が綻ぶ。自分の考えている事は、杞憂に終わるかもしれない。そんな淡い期待が胸を過ぎる。


「そうかい。じゃあ、ランタナ。

 ここに来たのはあたし達が初めてかい?」


「ううん。ほかにもきたよ?」


「じゃあ、その人達はどこに?」


「んー。すーぷになった」


 いまいち要領を得ない返答に、またフェナスは首を傾げる。スープなら今も、絶える事なく燃える暖炉でいい香りを漂わせながら火にかけられている。

 それと、行方不明者が頭の中で繋がらない。

 否、繋げることを本能が拒否している。


「スープ……?」


「うん。きざんでぐつぐつにて、すーぷにしたの」


 その言葉は、先ほどの塔の話よりもなによりも、フェナスに衝撃を与えた。

 この無垢な子供は、来客をどうしたと?


「……あたしの聞き間違いか?」


「いえ、私の耳にも届きましたよ」


 フェナスの言葉を否定したスフェーンの顔は、あまり良くない。だがそこまで驚いている様子ではなかった。

 魅了の魔法ファスキナーレ、行方不明者、少女の一人暮らしに不似合いな巨大な鍋。その要素を掛け合わせて、ある程度の想像はついていたのだろう。

 黙り込んだ二人を少女は不思議そうに見遣る。その表情に罪の意識は露ほども見えなかった。


「なんで……そんなことを?」


「だって、あつめなきゃいけなかったから」


「何を」


「いのち。いのちをたくさんあつめてすーぷにしなくちゃいけないないの。かあさまのために。いっぱいあつめたよ。でも、かあさまがもういいって」


 少女の物言いは、果たすべき事を果たした達成感と充実感で満ちていて、誇らしげだ。母親に言われたことをきちんと守れて褒めて欲しがる、小さな子供のそれだった。

 撫でてくれと今にも言い出しそうな顔から少し目を逸らす。事実と少女の無垢さの落差に頭が風邪をひきそうだ。


「勘弁してくれよ……神様ってのはどいつもこいつも生贄ありきなのかい」


 絞り出すような声で神を呪う。それが天に届くことはないだろうが、言わずにはいられなかった。


「生贄の儀式なんかの存在は確認されてませんけど……嘘はついていなさそうですね」


 フェナスよりも衝撃から抜けたのか、スフェーンが顎に手を当てて考え込む。その顔はまた研究者の顔に戻っている。

 この男の芯は本当にぶれない。いつもなら呆れるところだが、今回ばかりはそれに安堵する。


「事前に神の御力になるだけの生贄を得てから神となるなら、その後は特に補充する必要もないのかもしれません。

 それこそ、蛍のように」


「虫と神様が一緒だってのかい、全く……」


 天を仰ぐ。そこにいるであろう神々は、どんな気持ちで今の自分たちを見ているのだろうか。手助けくらいしてくれと、心の中で毒づいた。

 ため息をついてから、少女の頭を撫でる。心地良さそうに撫でられているその様は、人喰いの魔女にはやはり見えない。それは、フェナスに懐いているからこそなのだろう。

 そのフェナスが彼女を放逐したらそれこそ、また人喰いに戻りかねない。


「……放置してまた生贄集めでもされたらことだね」


「そうですね。どうやら『かあさま』は気まぐれな神のようですし」


 スフェーンが肩を竦めてみせた。他人事のように言う彼をひと睨みする。不機嫌な様子のフェナスにスフェーンは苦笑すると、ルベウスの街の方角を杖で指し示した。


「ひとまず、街に戻って王都に向かう準備をしましょう」


「ああ……ほんとに、とんだ拾い物だよ」


 そう言って、フェナスは少女を抱き上げた。

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