ちょっとニコとデート2

――Kai――

「そういや、ニコさん」


 群衆を抜け、なんとなく二階へ上がるエスカレーターでカイが言った。


「どうしたのかね」


「いや、タスって、正規軍とこう、正式に敵って感じなんすよね」


「事実だが、主語を逆にしてほしいなぁ」


「え? あ、まぁ……。で、言いたいのは、ああやって名乗るの危なくないっすか?」


 強盗を退治してすぐニコがT.A.S.のプロパガンダで騒いでいたことが、やはり不安だった。自分では正義と思っているが、カイ自身、内部に入るまでは良い心証を持っていなかった。もっとも、いきなりマシンガンを発砲されたからと言うのが大きいが。


「あぁ、あの話ね。実のところ、その敵対についてはまだニュースになってないのだよ」


「え。そうだったんすか?」


 てっきりカイは、もう国中に内戦のことが知れ渡っていると思っていた。だがそうではないらしい。


 エスカレーターから降りながら、ニコがターンしながらカイへ向き、後ろ歩きした。


「だって、国を支える治安維持組織は、正規軍、警察とT.A.S.のみなのだ。そのうち、二つが衝突して内戦状態に突入したわけだよ? そんなこと知れたら、とんでもない暴動騒ぎになる。国中がさっきの店みたいな惨状になりかねんよ」


「たしかに……」


「だから、あくまでも世間的に出す情報では、T.A.S.対テロリストの構図になってるのだ。今回の件は、政府的には内密のまま闇に葬りたいことだろうね」


「おー。じゃあ、正義のヒーローって感じじゃないっすか?」


「うーん。ま、少なくともテレビは叩き続けてるね。ただ、世間はワイドショーが叩くイコール良いものって思い始めてるから、むしろ好印象なのかもねぇ」


 カイの世界でも、ワイドショーなどは中年以降が溜飲を下げる以上の効果がないのだが、どうやら毒が転じて薬になり始めているようだった。


 話しながら途中の自動販売機に寄ると、ニコは飲みたい物を迷わず押し、おねだりする目で、黙ってカイを見つめた。結局は黙るのがいちばん愛らしく見えると自覚があるらしい。


 正直ぐっと来たのも、それに負けたようになるのも嫌だったが、カイは自販機のボトルのマークが点灯しているゾーンに手を触れた。そのすぐ隣にある穴から飲み物が飛び出し、ゲージ然とした金具にストンと止められた。


「アハハ。ありがとねー」


 彼女はゲージ上から電池を抜くように缶を引き抜く。


 カイはカイで、分からないから迷わずボタンを押して支払った。そのときに思い出したのが、日本以外ではあまり自動販売機が置かれないということだった。破壊されて売り上げを持っていかれるとか、なんとか。


 飲み物を取ろうとするが上手く取れず、少しの間ガチャガチャと鳴らす。


「お尻を持ち上げるんだよ?」


「なるほど……お」


 言われた通りにすると、頭が邪魔で持ち上げられないように見える缶の尻がすっと上がり、簡単に引き抜けた。どうやら内部を少し削って取り出しやすいようにしているようだ。


 缶のタブを開けながらカイが切り出す。


「けっこう、治安って良いんすかね。この国って」


「ん? ん~……」


「あ、まぁ普段っていうか、敗戦とか関係なしに……」


 カイはついさっき、増税で暮らせなくなった強盗たちを退治したばかりなのを忘れていた。


「あぁ、なら、そうだねぇ」


「そうっすよね。考えてみたら、こういう装備とかで自販機ぶっ壊したりする人いそうっすけど、そんなことないっすもんね」


 カイが右手を見せながら言うと、ニコは「そういうことか」と微笑んだ。


「普通、そういう工業ボディガジェットは装備に許可が要るのだよ」


「工業? 武器じゃないんすか?」


「武器っぽいけれど、例えばアンカーブレードは鉱山やビル建設の高所作業で使うものだ。そのロープは緊急の命綱みたいなものさ。とはいえ移動と攻撃の点で便利なものでね、下手に新しい武器を設計して作るより高品質で使い勝手がいいのだよ。一方でスタンバーストやシールドなんかは軍や警察で採用される武具として、やっぱり許可が必要なのだ」


「はぇ~。じゃあ普通に買えるガジェットって、どんなのすか?」


「普通は、翻訳に、視力矯正や、身体の一部の筋力補正、臓器機能のリードもだね。あとはライトとか」


「え。意外とこう……普通ってか、なんというか……」


「道具が普通と言うよりは、普通に届かせる道具と言うべきだろうね。普通に届かない者のギャップを埋めることは、技術の存在意義のひとつさ。そこに注目したHorizonーTecのコーポレート・メッセージは『個性のための、水平なスタートライン』だよ」


「じゃあ逆におれ、すんげぇ状態ってことっすか?」


「うん。すんげぇとも。もしキミみたく色んなガジェットを同時に使ったら、一回の戦闘でしばらくは動けなくなるだろうね」


「マジっすか。へぇ~。じゃあ例えば、普通の人がこの前のファイマンとの戦いみたいにやったら……」


「戦ってる最中に安全装置が発動して使えなくなってただろうね。安全装置が動かなければ……枯れて死んでた」


「ひぇ~」


「んー、キミなんか軽いねぇリアクションが」


「そうっすか? けっこう怖いっすけど」


「ほんとかぁ?」


 ふたりして笑い合う。


 そういえばさっき、なんか話そうと思ったんだよなぁ。そんなことを思いながら周りを見た。


 色々な赤鬼達ひとびとが、カイの知るショッピングモールとまったく同じように、右や左の通路を往来している。中には家族もいて、子どもの先導でゆっくりと店を覗いて回っていた。


 ぼうっと眺め、不意にやっと言いたかったことを思い出し、何となく、さっきの疑問を口にした。


「ねぇニコさん」


「なーに?」


「そういえばなんすけど、ジェイクさんの記憶ってなんで無いんすかね」


「……あぁ」


「なんつーか。記憶ってこの身体にまだあるんすよね? で、いまおれが中にいるじゃないっすか。なんか、変っすよね」


「そうだね」


 妙な間に、簡素な答えだった。


「……? この話題、マズいんすか?」


「いや。まずくはないさ。ただ……わたしにだって、罪悪感くらいある。それだけのことさ」


 意外だった。ニコが罪悪を感じるというところではなく、χ計画で人の心を破壊するガジェットを大勢に埋め込んだというのに、罪悪感を抱いていたことが。


 彼女のような性格なら、『嫌だからやらない』という選択も簡単にできるはず。それでもやったのに、いったいどんな理由があるのだろう。


「そうなんすね。……ニコさん」


「なんだい」


「そこまでして、どうしてχ計画をやってたんすか」


「……」


「こう言っちゃなんすけど、ただ最強の兵器作るとか、面白そうとか、そういう動機じゃないっすよね。だって、そもそもχ計画やんなきゃ戦争は起こんなかったはずじゃないっすか。ニコさんならそうなるって分かってたと思いますし、分かってるなら手出しなんかしないって思うんす。なんつーか……ゼッタイやんなきゃいけない理由があったみたいに感じるんですよ」


 彼女は両肩をすくめ、観念したようにニッコリと笑った。


「まぁ、そうだね。どうせ言うタイミングを伺っていたことだ、そろそろ白状するよ。キミにだけはしておくべき話をね」


「おぉ……。どっか、ちゃんと座って話します? ほらカフェとか」


「いいよ。留まって話していたら、近くの者に聞かれるからね」


 広いショッピングセンターを見て回るように、ゆっくりと歩き回りながらニコが切り出した。


「さてそれで……まず、これはわたしたちだけの秘密だ。リィラ君にも、オークラー……隊長にも言ってはならない。キミが、どんなにそうするべきだと思ってもだ。守れるかね」


「…………守ります」


 話を聞きたいからそう言ったのではない。カイには、そうした秘密を誰にも言わない自信があった。なにせ本当にバラしたことがないのだ。例えどんなにどうでもいいものでも、例え自分の立場が危うくなるものでも、守ると約束した秘密は絶対に守る。


 それはカイが持つ、数少ない信条のひとつだった。


「すばらしいね。なら話すが――わたしが執着する理由はふたつある。ひとつは、ファイマンのためだ」


「あぁ、分かります。もしあのままφ計画を進めたらきっと、あいつ殺される。それは止めたいっすよね」


 言うと彼女は本当に驚いたような顔でカイを見た。


「たまにキミ、一気に賢くなるね。普段の揺り戻しかい?」


「普段? ……あ、バカ……って流石に怒りますよ?」


 小突くフリをすると、彼女は大袈裟に引いて「いやすまんね」と笑った。


「その通りだ。χ計画を潰すためとはいえ、テロリストの顔にしてしまった。国は彼を始末して、ノウハウを活かしてさらに性能の良い被験者を用意するだろう。あるいは『T.A.S.というテロ組織と闘う英雄だった』という逆転のシナリオをばらまいて、先人であるファイマンをリーダーと置くか、だが……こちらは可能性が低い」


「どうしてなんすか? むしろ今だったらそっちの方が全然ありそうっすけど」


「国としてもその筋書きがやりたかったのだろうが、失敗したんだ。というのもね、そのテロリストのボスにクロウディアという者を据えてしまった」


「黒幕はクロウディアって人なんすか? ってか、ボスの名前……あれ? ボスってファイマンじゃないんすか」


「あれはリーダーだよ。前哨帯へ全ての指示を出す存在がクロウディアだ。ただの科学者と侮って傀儡にしようとしていたみたいだけど、彼女を操れる人間などいない」


「そうだったんすか。しかも科学者なんすね。えっと、じゃあ操り人形が動き出した的な? あ、縺阪?縺エ縺キノピオ的な。くっそ言えねえ」


「あれ、縺エ縺ョ縺阪♀ピノキオじゃなかったかね?」


「あれそうだっけ。え? やばい分かんなくなった」


「どうでもいいところに容量使わないで欲しいのだが」


 真っ当すぎる指摘に、この世界では解決できないモヤモヤを残したま話を進めざるを得なくなってしまった。


「うす。えっと、じゃあそれが、なんか今まで隠してたことなんすね? それ言えなかった理由ってなんすか?」


「まぁ聞けば納得するよ。なんたってクロウディアは、わたしの姉だからね」


「うへぇっ!?」


 妙な声を出してびくりと立ち止まる。周囲の視線が集まって「すみません」とまた歩き出すが、内心穏やかではなかった。


 内戦でぶつかる二つの組織、そのボスが姉妹同士なのか。またとんでもないことをさらりと言ったぞ、この人。


「彼女は私的な理由で組織を使っている。それは理由をつけて、わたしと会うためだ」


「マジ私的じゃないっすか。そんなことのためにテロなんかしなくても……」


「まぁ彼女も、異常を自覚している人間だからね。普通には会えないって分かっているだろうし、あまよくば手に入れたいんだろうね。家族になり直したいんじゃないかな?」


「かな? じゃないっすけど? え、じゃあもうひとつの理由って……」


「お察しの通り、そのクロウディアだ。言ってしまえば、この戦争の中心にいるのは、わたしと、ファイマンわたしの罪と、クロウディアわたしの家族ということになる。隠したい理由は分かるね?」


「分かるっすよ流石に。たぶん知られたら、T.A.S.から追放とかされちゃいそうですし」


「その通りだよ」


 言いながら彼女は、遠い目をした。その先にはショッピングを楽しむ喧騒だけがあった。


「わたしがあの子を……コホン、ファイマンを初期型の兵器として使い潰させないよう、φ計画を投げ出した。そもそもわたしが立て直さなければ頓挫していた計画だ。ちょっとイタズラして投げ出せば、やはりあっさり折れると思っていた。そうしたら国は、その後釜として獄中にいたクロウディアを召喚した」


「獄中に……。いや、ま、待ってください」


 情報が次々に飛び出してきて、カイは右手で額を覆いながら、左手の平で制止した。


 ワッと襲ってくる言葉の洪水を整理しなければ。T.A.S.へ来たときにも何か言っていたことも含めると……。


「えー、確認すけど、時系列順に言うと……φ計画を進めたのはニコさんで、でもファイマンに遊びを教えてた同僚さんが処刑されて、たぶんそれで計画を止めようと投げ出したら、刑務所にいたお姉さんが呼ばれちゃって、ニコさんは……φの方を止めるためにχの方をやってて――」


 カイは両腕を開き、自分の身体を見せた。


「――で、なんかおれが入っちゃったってことっすか?」


「すばらしいね。前に言ったことも含めてちゃんと理解できている」


「あざっす」


「φ計画を潰せばファイマンを救えるだろうというのは、浅い考えだった。まさかあのクロウディアを呼んでまで続けようとするとは思わなかった」


「刑務所からですもんね。……ちなみに」


 それだけで彼女は話の続きが分かった顔をして、ニッコリと微笑んだ。


「何の罪を、だね。ちょっとした、イカれた研究についてなのだが、それについては別のタイミングで話させてくれたまえ。気にはなるだろうが、決して今回の件に関与するような研究じゃない。調べてしまえば分かることでさえある。だからキミ、まずは話に集中してくれたまえよ」


 そこまで言うなら、本当に関係がないのだろう。気になる彼だが、脱線した話を戻すことにした。


「ういっす。それで……それで結局、やっぱ国はχよりφの方を取ったんすよね」


「だね。でも、それはそれで堅実な選択なんだ。あのときは士気に関わるからχ計画には良いことしかないし、国がプライドと意地だけでφ計画を選んだように言った。だがχ計画には致命的な欠点がある」


「それは?」


「あまりにも、弱点がハッキリしすぎている。キミひとりを殺せば全てが瓦解するし、かといってタッチレスチャージャーのみで運用すればあっという間に盗まれる。プロトが使い放題とくれば、いくらでも唆して内部を裏切り者だらけにできるのだ」


「はぇ~……。え? ん? ってことは……」


「そ。ウチにもいるよ、裏切り者が」


 あっさりと言い放った言葉は、あまりにも重かった。だからこのデートは二人きりがよかったのかという、納得もあった。


 あの基地に、テロリスト側の人間がいる。そう思った途端、なんだかあそこが安心できる場所では無くなった気がした。


 もしかしたら、おれの事も観察していたのかな……。


「といっても、多くはない。現状わかっているのは三十二部隊のみだ」


「え、そこまで分かってんですか?」


「うん。その上で、クロウディアと直に接触するために利用させてもらっているよ」


「はぇ~……。じゃあ泳がせてる的な?」


「その通り。だからキミ、下手に敵対的に接するんじゃないぞ? スパイの存在に気付いていると気付かれるな」


「おっけっす。気を付けます」


「さてそんなχ計画に対して、φ計画は強い上に忠実な戦士を作ればよく、軍隊として作ってしまえば、ひとりが裏切ったとしても大したダメージにはならん」


「確かにそうっすね……」


「その点、ジェイクの身体に入ったのがキミでよかったよ」


「え? いやぁそんなぁ。ねぇ?」


 ニヤニヤと答える。まんざらでもなかった。


「謙遜することではないよ。いいかい、キミの体内にあるそれは、『誰でも世界を手に入れられるガジェット』なのだ。本気を出せばね、今すぐにこの国を滅ぼすことだってできる。それだけの力を持っているんだよ」


「それは……そうっすね……」


「キミが殺しを好んだり、強欲であったりしたら。それが原因で警察と、軍と、国と、世界と敵対したならば……。今ごろどうなっていたか、想像できるかね?」


 言われた通りに考え、ぞっとしてしまうカイだった。


 それと同時に、無双やチート能力に憧れていたというのに、それと絶望的に相性が合わないという自覚も生まれた。ハーレムもまた、ニコという――見た目だけは――美女を避け続けているあたり、やはり適正がないのだろう。


 なんていうか、ちゃんと記憶がなくなって違う人に生まれ変わる、普通の転生が一番よかったのかなぁ。なんて思っていた。


 それと同時に、このデートの目的もなんとなく分かった。この話をするために誘ったのだろう。だが……。


「でも、どうしてそれをおれに?」


「キミには、どうしてもファイマンに勝ってもらわないといけないんだ。だからね、もっとも知られたくないことを――この戦争がわたしの恥でできているだなんてことを教える。だってこんな事実に、嫌なタイミングで気づいたら不信感を持つものだろう?」


「なんか、ありがとうございます。もうちょっと聞きたいこともありますけれど……」


「それは追々、ね。さてこれが真相だが、どうかね、戦うことに、納得はできそうかな?」


「そっすね……。うん。戦えると思います」


 カイはしっかりとした頷きを返す。


 とにかく、ファイマンの呪いをおれが解いてやらないと。きっと、彼に勝てるのはおれだけなんだ。おれが勝たないといけないんだ。


 そう決意を新たにするカイに対しニコは両手を広げ、その場でゆっくりと回って見せる。


「それに、一番の目的はやっぱりね、キミにこの世界をちゃんと見て欲しかったんだ」


「ちゃんと?」


「そう。目の前の日常を過ごす者たちはどうあっても、軍と軍の内戦に『巻き添えになる』のだ」


「え……」


 また周囲を見た。敗戦直後と思えないほど活気に溢れ、カイの世界の、平和だった日本の風景とさして変わらぬ雰囲気。


 それが、これから壊されるというのか。


「もし、ファイマンを殺さねば決着がつかないとなったら、どうかね」


「それは……その……」


「迷うだろうね、キミは。でも、そうやって殺せずに長引けば長引くほど、一般人が犠牲になる。分かるね?」


「……はい」


「そうならないよう、次にファイマンと出会ったら勝利を収める。殺さねば終わらぬなら、殺す。その覚悟を決めるんだよ」


「……分かりました」


 彼女は「さーて」と微笑んで、駐車場へ向かう。


「そろそろ帰るとするか」


「はーい」


 そうして戻り、車に乗る。カイは左の助手席、ニコは右の運転席へ。ホバーはふわりと浮いて、来た道を戻り始めた。


「さてそれで、ちゃんと落ち着いて平穏を過ごしてみていかがだったかね?」


「え? 楽しかったっすよ」


「よかった。キミはこっちに来てすぐ軍に追われ、テロリストと戦うために訓練ざんまいだったろう」


「まぁ、そっすねぇ。よりによってこんなヤバい状態のジェイクさんに入るなんて思いもよらなかったっすよ」


「間違いなく、誰にとっても予想外の出来事だね。これからも隙を見て、一緒に出掛けよう。今度はリィラとか、隊長もいいかもしれん」


「いやオークラーさんは……」


 やはり気まずい。本人が聞いているとは知らず、彼女が綺麗だ付き合いたい結婚したいとぶちまけておいて、二人きりになる勇気はない。


「まぁ、あれが笑い話になったころ行けばいい。勝ったあとは大工場を狙って殺到してくる外国の兵士からナラクを守る、最終兵器として生きることになる。平穏な生活は、そのずっと先のことかもしれんのだからな」


「それは……」


 確かにそうだった。決着を迎えるということは、この国を守る計画が決まるということでもある。しかも、誰かが代理になることもできない。χの本質はカイの体内のとあるガジェットひとつであり、しかも普通の人間では装備するだけで人格を破壊されるという代物なのだ。異世界転生などという離れ業をやってのけたカイにしか、意志を以てしてこのナラクを守ることはできないのだ。


「もし勝ったあとにキミが全てを投げ出せば、χ計画は振り出しに戻る。そのタイミングでこの内戦が終わり、それを見た周囲の国が宣戦布告すると、成す術もなく征服されるだろう」


「いやいや、でも、戦争じゃ征服されないってロックさん言ってましたけど」


「いまのカイ君を手にいれたら莫大な富が手に入る。それと同様に、大工場が手に入ることは世界の巨大な財源を確保することに他ならないのだ。条約を破るだけの価値があるのだから、とても全ての隣国が大人しくしていられるとは思えんね」


「えぇ、そんなの……」


 ズルじゃん。リィラと同じ感想だった。だがそれでも、きっと戦争は始まってしまうんだろう。


 内戦の終結と共に、ナラクに近い国すべてが襲ってくる大戦が勃発するかもしれない。


 ……おれ一人で守れるのか、そんなの……。


 不安げなカイの肩を、ニコはポンと叩いて微笑んだ。


「安心してよ。少なくともT.A.S.はずっと味方だ。国が潰れても、キミの居場所は守り続けてあげるよ」


「……ありがとうございます」


 なんだか、ひどく染みる言葉だった。そんなカイを、運転しながらニコは妖美な表情で、ちらちらと見ていた。


「おや、いい雰囲気じゃないか。チューする?」


「それはしないっすね」


「だぁ~もう。したまえよっ」


「もう雰囲気もなにもないっすね……」


「いつも思うのだが、キスさえしてしまえばあとは流れで一気にいけると思うのだよ。オークラーがそうだったし。だから、してしまえばもうこっちのものだ」


「へ、変なこと言わないでくださいよ」


「いいじゃないか。仮にも大人同士だぞ。あ、元の世界のキミは子どもだったかね?」


「……大人っすけど?」


 大人なんかにはなれねぇな、と転生前から常々思っていた二十二歳だが、今は見栄を張った。


「ふーん。さぞ経験豊富なのだろうね」


「そう言うニコさんだって経験豊富なんすよね」


「もちろん。た……くさん」


 ごくごく僅かな、リィラでは気付かないような間や不自然な語彙に気付き、カイが思わずニコを見た。


「え、オークラーさんとだけ? マジっすか? あんな言動だったのに?」


「ちょっと待ちたまえよ。そんなこと言ったことないはずだぞ。T.A.S.に来たときもだが、いったいなんで分かるのだキミは。人間嘘発見器かなにかか」


 明らかに早口だった。どうにも彼女は、見破られると後が早いようだ。


「いや、なんとなくっすけど……。ってかニコさん」


「なにかね」


「いまオークラーさんと結ばれたらマジ純愛じゃないっすか。行きましょうよ」


「……期待させるようなこと言わないでくれ」


「いやぁ、ちゃんと付き合ったら見捨てられるっていうの思い込みっすよたぶん。ってかとりあえず試してみればいいじゃないっすか」


「あ~そうだこの辺にはランドマークタワーがあるのだよ。行ってみようか」


「そうやって誤魔化す……」


 ニコは無視を決め込む。ちらと見てみると、耳が僅かだけピンク色に染まっていた。カイは一瞥だけして、ニヤニヤしながら目前を向いた。


 少し遠くにそびえるのは、とんでもない塊だった。


「な、なんすかあれ……」


 一言で言うなれば、絡まったコードであった。


 地上の道路がハイウェイに乗るとき、上へ上へと上がっていくものがいつまでも続き、周囲のビルよりも高い空中道路となっている。そんな道路がそこかしこにあり、かろうじて見える超高層ビルへ巻き付くがごとく螺旋を描き、あらゆる道路からあらゆる道路への合流と分離が複雑奇怪に入り組んでいた。


 そのシルエットは、内部に柱を持ったスカスカの卵のようだった。


「あれがランドマークタワー。ナラク国の首都たるアヴィシティの象徴だよ」


「はぇ~……どっからがタワーなんすか?」


「アハハ。そうなるよね。あの凄いことになっているのはただの道路だよ。ただ、その道路が観光資源になっているて、肝心のタワーは真ん中の、ただ高いだけのビル……ん?」


 彼女がバックミラーの位置のバックモニターを見て、眉を潜めた。


「どうしたんすか?」


「……ふーむ。分からんが、何か着いてきているヤツがいるな。シルバーの四輪車ビークルだ」


「え。尾行?」


 振り返ってみると、確かに銀色の車がいた。しかし複数台あり、どれのことかはいまいち分からなかった。


「尾行ってことは、あれっすか、お姉さんの……」


「いや、違うな。各地に前哨帯のアジトがあって、情報網ができているというのに、わざわざわたしを追う意味などない。緊急の用事かもしれんが、今は都合が悪い。振り切るとするかね」


 言いながら、空中道路へと入っていく。上へ上へとのぼり続り、いくつもの枝分かれと上下を経てなお、件の車は追ってきていた。


 むしろ、さっきよりも近くなってきている。


「ニコさん……」


「大丈夫だよ。少し先の分岐が、ホバー用なのだ。そこで振り切れる。しかしいったい誰が……」


 言葉の途中、一気に加速したシルバー車が隣に来た。


 相手の顔を見られるかと思って覗いたときには、相手はマシンガンを構えていた。


「伏せ――!」


 言う暇さえなくガラスが散り、身体が前方へ引っ張られる。急ブレーキか。カイは咄嗟にバッファを起動した。


 世界が遅くなる。ニコはブレーキを踏んでおりホバーは止まる途中。相手はマシンガンを撃っている。とにかく今はニコを守らないと。


 カイは運転席側へ身体を伸ばし、左手の平を突き出す。ニコの顔より少し奥でスタンバーストを起動しようと手を伸ばす。すると、相手と目が合った。


 まさかアイツは、三十二部隊の隊員だ。覚えている。あのとき、T.A.S.からカイを外に連れ出そうとした男だった。

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