On Highways

――Nico――

 割れるガラス。衝撃。ホバーの前方ジェットが噴射し、急激に速度が落ちる。


 その最中で目の前にカイの手が突き出され、衝撃波が右方へと広がっていった。ホバーがわずかに左へスライドし、右耳がキィンと聞こえにくくなってやっと、カイがスタンバーストを撃ったと認識できた。


 それから、やっと車が止まった。相手は減速することなく先へと走っていく。


 ……痛い。右の脇腹から、背骨近くの辺り一帯に激痛があった。うまく力が入らない。見ずとも、弾が命中し、脈動と共にプロトが吹き出ていることなど想像に難くない。一発も当たらないなんて、そう上手くはいかないものだな。


 だが、止まり続ける訳にもいかない。ニコは喘ぎながら足を上げ、アクセルを踏んだ。


「に、ニコさん!?」


「……この、道路の悪いところは……可視性が悪すぎるところだ。止まっていたら追突される」


 絞り出すようにかすれた、震え声だった。泣いて叫びたいのを、カイの前で強がっていた。隣がオークラーだったらヤバかったかもしれない。


「……まったく、痛いじゃないか」


「ど、どうすればいいっすか」


「Ppを……」


「そ、そっか、えっと……」


 カイが彼女のボトルを取って口を首へ。吸わせてフルにし、口元へ差し出してきた。


 食らいつくように咥え、顎を上げて手を使わず喉を鳴らした。人体が数日では生成できない量のPpを一気に飲み干して、まるでハードボイルド物語のタバコを吐き捨てるシーンみたいに、ボトルを捨てた。


 ニコは幸運にも大きな怪我をした記憶がないために、怪我をしたときのPpがこんなにも美味いだなんて知らなかった。もう痛みまで和らいでいる。


 とりあえず体表の傷は塞がった。これで循環プロトプラズム量減少性ショック――プロトロスで死ぬことはない。


 気持ちの余裕が出たか、この一杯を飲むために怪我をするのもいいかもしれんな。そんなことさえ思っていた。


 ……いや。もう痛いのはゴメンだ。


「これで大丈夫だ。カイ君。相手の顔を見たかね」


「そ、その、三十二部隊の人でした」


「なに三十二?」


 そんなバカな。あいつらこそ、クロウディアがわたしを欲しているとも、故にわたしに手出ししたらどうなるか知っているはずだ。


 意図が分からない。だがそれは聞けば分かることだ。とにかく止めて、尋問せねば。


「こっちがそれに気付いたことに気付かれたかね」


「たぶんそうだと思います。目が合っちゃったんで……」


「よし、カイ君。では飛び出していって、止めてきてくれたまえ」


「は、え?」


 高い道路ハイウェイだが高速道路ハイウェイではない。グルグル回る構造のせいで、一般道と比べても速度は高くない上に、しばらく走らねばこの道路からの脱出も叶わないのだから、追えば間に合う。


 ただ、落ちれば助からない程度に高いだけだ。


「行くんすか、ここを」


「キミならできる。バッファとマッスルの起動を忘れるな」


「ひぇえ……」


 彼女が言いながらカイ側のドアを開けたので、カイは変にうわずった声を出した。


「捕まえたら光で知らせてくれたまえ。右腕のガジェットを起動するのだ」


「へ? えっと……」


 カイは言われた通り右の前腕、その内側のガジェットを起動した。Ppの輝きを持つ物質が形成され、普通よりかなり強く発光する光球として右腕の外側にフワリと浮く。彼の右腕に見えないバネか何かでくっ付いているような挙動で追従した。


「フラッシュバン・ガジェットだ。Pp特有の光を増長し、広い方角を照らす光源にする。宙に浮いているのは、銃器ガジェットにも採用されている反発力を生じさせた状態で、あえてフィールドホールを残してピン止め効果を発生させたためなのだ」


「えっと?」


「いわゆる閃光手榴弾スタングレネードだ。投げて強い衝撃を与えると強烈な光が出る。裏を返せば、衝撃を与えなければ使い捨てライトにもできる。撒いておけば走ってくる車も避けるだろう」


「分かりました。じゃ、じゃあ……」


 彼は怯えた顔で外を見た。いま走っているのが右回りかつ右ハンドルであるため、飛び出すのは外側になるのだ。


 そうして、彼が飛び出した。かなり外側まで出て、空中で振り返り上方の道路へアンカーブレードを打ち込みあっという間に飛び去った。


 さて……あの連中の動機はいかがなものかな。




――Kai――

 車から飛び出し、鉄骨や柱を蹴って卵の外側へと飛び出した。振り向きざまにアンカーブレードを撃ち込んで上の道路へと飛び付く。


 さて、さっきの車はどれだ。あまり特徴のないシルバーだったが、さっきのスタンバーストで窓を割っていた。少しは見つけやすいだろうが……どう探そう。ゲームのように、ちゃんと特徴的で見つけやすかったり、なんならピックアップされて輝いていれば分かりやすい。だがそんなことはない。


 遅くなった時の中で、じっくり見る余裕があるものの、気持ちにばかりが焦る。効率よく探せないか。


 そこでふと思い付き、道路上へ飛び出した。そうして、車たちの進行方向とは逆に駆け出す。飛んで、壁を蹴って、柱を蹴って、天井を、鉄骨を、なんなら走ってる車もちょっと踏み台にさせていただいて、飛ぶ。


 どんな姿勢からでも構えが間に合うこのパワーと、逆走でも一台一台を目視で確認できるスローモーションと、複雑なこの構造体の中でなら、アンカーブレードさえなくてもこんなに自由に動ける。それに気付いた瞬間、障害の全てが道になった。


 それどころじゃないと分かっているが、それでもカイは思う。


 やべぇ。なんだこれ楽しいぞ。ギュンギュンと車をすれ違い、更に上へ登ったり、隙間から落ちてみて下ったりを繰り返す。


 すると落ちる途中で、あの窓の割れたシルバーが目についた。一度その下の道路に着地し、飛んでまた登る。


 車四台ほど後方に着地すると、相手が銃を構え始めているのが見えた。普通に突っ込んだらまた撃たれるか。


「うーっ」


 加速する感覚に着いてこられない舌足らずな言葉でカイは気合いを入れ、思い付いたイタズラのような作戦にニヤけながら、ビルへ向いた。


 そうして、アンカーブレードを起動してランドマークタワーへと飛んだ。ビルのガラスへと刃の先端を当てて割り、身体でぶち破るダイナミックエントリー。侵入するなり驚く人々の隙間を縫って廊下を駆け抜ける。思った構造ではなく、すぐに突き当たってしまった。廊下を折れて少しの所にある開きっぱなしのドアを抜け、デスクだらけのオフィスに入る。奥に大きな窓だ。


 そのまま駆け出し、脱兎のような勢いで人避け、運搬されるコピー用紙にぶち当たって紙を巻き上げ、勢いのまま振り返って両手を合わせ謝り、また前を向いて社長のデスクを踏み台に窓をぶち破った。


 ちょうど、シルバービークルが目の前にいた。アンカーブレードを手前のドアに発射し、上を飛び越えながらロープの長さを調節して、グルリと回って逆の窓から飛び込む。


 ガラスの割れた音とカイの入ってきた方向に混乱している後部座席の男に肘鉄を入れてダウンさせ、相手が混乱から復帰する前に前の座席へ向く。そこで、自分の右腕の位置で浮いている光球気付いた。


 ……あ。そういやフラッシュバンとか言ってたなこれ。ちょっと試そ。


 そうして玉を持ち、前に投げ、目をつむった。フロントガラスに当たって、光球がとてつもない光を放つ。まぶた越しでも眩しいくらいだった。


 目を開ける。前が見えねェ。やべぇ自滅った。あれどうなってる今?


 かろうじてスローモーションの低い声が聞こえるのと、目の前でシルエットが動いているのが分かる。助手席でハンドガンを振り回しているようだった。


 その銃身を掴み、腕を殴る。ちょっと嫌な感覚があった。骨にヒビくらいは入ったかもしれない。わりぃな。


 さて運転席の方はと見ると、運転中で動けないようだ。さてどうやって止めようかな。そう考えていると、ビークルが隣の車に接触し、車体がズンと動いた。


 なんだ、急にぶつかって。まるで見えなくなったみたいな……。


 あ。


 そこでやっと、カイは自分が何をやらかしたかを理解した。


 冗談のように弾かれ、道路分岐の坂のように競り上がる壁に突っ込み――――冗談のように道路を飛び出す。


 文字通り、空を飛んだ。


 ヤバい。えー。どうしよ。えー。


 パニックになっているが、とにかくカイの選択肢はひとつだった。故に、行動も早い。つまりは『助けて、助かる』だ。


 まず後部座席のドアを全開にし、男を外に蹴り飛ばす。勢いで自分も窓から出て、助手席の男を窓から引きずり出して空へと投げた。そのまま車内に入ってブレードでシートベルトを斬り、運転席のドアをスタンバーストで吹っ飛ばし、男を抱き上げて車外へ飛び出した。


 そうしてブレードを空中道路の壁に撃ち込んでロープを巻き、勢いを着けて道路のかなり上方へぶん投げる。空中のままスタンバーストを撃ち、もう一人へ飛び付き、同様にしてぶん投げ、もう一人も――――と彼へ向いたら、弾丸が飛んできていた。


 嘘だろ。今ビルの高さから落ちてんだぞ。ガッツありすぎんだろ。


 シールドを展開。防いでから逆へ撃った衝撃波の反動で近付き、彼の腕を殴ってハンドガンを弾き、後は同じようにぶん投げた。


 そうして自分も空中道路へと戻る。ちょうど一人目が落ちてくるところだったので空中で服を掴んで上へ向かって投げる。落ちてくる慣性をカイが肩代わりすることで男はフワリと浮き、痛いで済む程度の勢いをもって道路に叩き付けられた。カイはギュッと着地し、その姿勢でピョンと飛ぶ。やはり、残り二人も同様にして道路に落ちてもらった。


 伸びた三人を横目にカイが着地し、すぐに道路の外側を見る。飛び出していった車はフワリと放物線を描きながら落ちていく。今から行っても間に合わないだろう。


 あぁ……。ヤバい……。せめて巻き添えは無いように……。


 バッファを切り、祈りながら見ていると、ひらりと回っている車のフロントがビル屋上の端に当たり、クルクルとコマのように回って道路の上空を滑空し、着地と同時にバウンドで回転方向を変えて飛び上がった。


 飛びすぎ飛びすぎ止まってホントごめんて止まって止まってお願いだから……。


 一台の車が突っ込まれそうになり、避けて路肩に乗り出しながら止まった。二バウンド目。まだ飛距離が延びる。次には交差点の信号の根っこに当たり、また回転方向を変えてドリフトのような勢いで中心へ滑り込み、やっと止まった。


 そしてその側面からトラックが突っ込んで、ビルの死角の方まで吹っ飛んでいった。


「ひぇ……」


 いてもたってもいられないような気持ちで、呆然と立つ。マジでどうか巻き添えとか出てませんように……。


 道路の頂上は車がほとんど通っておらず、やっと来た一台もその高さにおののいて徐行し、伸びている三人を視認してしっかりと避けていた。事故を知らせる目印が必要とは思えないが、カイはフラッシュバンを起動した。


 一応、やっとくか。右腕の横に浮いている光球を左手に取って、内側車線の手前の方まで行って、そっと地面に置く。爆発せずとも強い光を放っており、空を見ていてもこの目印を見落とすことはないだろう。


 三つ置き、もう少し撒いた方がいいかなと、フラッシュバンを左手でもてあそびながら三人の元へ戻る。


「て……めぇ……」


 一人がヨロヨロと起き上がっているところだった。


「お、やりますか? いいっすよ?」


 カイはシールドを起動した。普通の相手なら諌めるところだろう。だが今回の相手は違う。T.A.S.の裏切り者である以前に、翻訳機が切れたときにいじめてきた相手だ。


 今度は負ける気がしねえぜ。とカイはフラッシュバンを後ろへと投げた。自分の背後で光らせ、相手だけ目眩ましという天才的な作戦だ。狙い通り地面に落ちると同時に炸裂し、強烈な光を放つ。そして予想外のことが起こった。


 光の波長が、すでに転がしてあったフラッシュバンを励起し――――三つ同時に炸裂した。空中道路の頂上が、もうひとつ太陽が生まれたかのごとく輝きを湛えた。カイは背後で爆発したはずのフラッシュバンの光の残像で目の前が真っ暗になった。ちょっとした反射光でさえ、だ。


 カイは慌ててシールドを構える。


「やぁあ……! なんでぇ……!」


「……全く嫌になるな。なんでこんなバカに勝てないんだ……」


 相手の声。特殊部隊の隊員であり、咄嗟に非殺傷兵器へ対応する訓練も受けているため、腕で防いで光を見なかったのだった。


 そのまま銃を抜き、構えて迷いもせず撃つ。やっと当たった三発目の衝撃が、強烈なサイン音波となってカイをビビらせた。


 また撃った。なんなんだ。なんで降参しないんだ。こっちがちょっと耐えればまた形勢逆転って分かるはずじゃねえのか。これじゃまるで、どうせ死ぬからって感じじゃん。


 そのまま構え続け、相手の方角を半透明のシールド越しに見ていると、輝くPp弾がチラチラと見えた。あそこだ。カイはシールドを展開したまま近付く。


「なんつーか、必死っすね。話、聞きますよ?」


「聞いてくれんのか。じゃあ言うが、テメェみたいなふにゃふにゃの、クソカマ野郎がどうして戦って生き延びられんだよ。とっとと死んだ方が周りのためだぞ」


「ひどいっすね。傷付きますよ」


 実際、傷付く。だがそれでも、普通に言われるよりはずっと効かなかった。自分も、ちょっとは成長しているのだろうか。


「殺すのに失敗して、その次はどうするんすか? ニコさんも生きてるっすよ? どんな作戦があるんすか?」


「…………クソ……」


 相手は何かを諦めたような声色で呟いた。これでいいだろう。さて、いったいどうしてこんなことをしてきたのやら……。


 考えている最中に、男がまた銃のグリップを握った。


 また撃ってくんのか。もー。さすがのカイも、呆れて物も言えなかった。


 しかし、なにか、男の様子がおかしかった。


「……すまん……」


「え?」


「……すまない……ほんとうに……」


 謝罪だった。だが、それはカイに向いたものじゃない。


 地面で呻いている、二人に対してだった。


 何をする気だ。バッファを起動しながら走り出す。


 だが辿り着く間もなく、彼は二人の頭を撃ち抜いた。


 そうして自分の顎に銃口を向ける――その直前で間に合った。まるで明かりのない地下室で戦うような、無茶な格闘で突っ込む。


 分からない。腕が空ぶった。遠いのか。カイはタックルで突っ込み、相手の肩から右腕を辿り、手の先の銃を握って奪った。そのまま背後に回り込んで羽交い締めにし、バッファを切った。


「なにやってんだよっ!? どうして殺した!」


「クソ……殺すんだろうが! 殺せッ!」


「うるせぇ! なんで撃ったんだよ! 仲間なんだろ!?」


 二人の言葉は、会話にさえならない。そうして平行線を引き続ける中で、ようやくニコの車が到着した。


「カイ君! すまん誘爆のことを言い忘れていた!」


「いっすよ! それよりコイツ……二人を撃ちやがったんです!」


「なに……?」


 やっと慣れてきた目が、怪訝な表情のニコを捉えた。ひょっとしたら、さっきの爆発でここが分かってすぐに来られたのかもしれない。そう思えば、怪我の巧妙というものだった。


「ふむ。キミはたしか、モリモトだったか」


「……名前覚えてんのか」


「ま、直属じゃなくとも部下だしね。で、依頼人は誰だね」


「……クロウディアだ。知ってんだろ」


 言いながら彼は、声をニヤけさせ、首を捻ってカイへ向いた。


「おい。カイ、お前知ってるか。クロウディアってサイコ女を。戦ってる前哨帯って奴のボスなんだが、コイツの姉なんだぜ。そろってサイコの裏切り者だ。こんなメス信用できるのか?」


「知ってるっすよ。さっきぜんぶ聞いたんで。あとニコさんを悪く言わないでください」


 カイが余裕で返すので、モリモトは絶句してしまった。


「アハハっ! やっぱり、伝えておいてよかったねぇ。カイ君、いまその事を知ったとしたらきっと、わたしを信じられなくなっていたろう?」


「そっすね。やっぱ正直が一番っすよ」


 余裕な二人を前に、うつ向くばかりの男へ、ニコが微笑みかけた。


「聞いたかい? 正直が一番。良い言葉だ」


 そうして、転がっていた銃を拾い、モリモトの顔に向けた。


「もう一度聞こうか、裏切り者の裏切り者君。キミは、誰についている?」


 彼は口を開かなかった。だがニコは想定内とでも言うかのように、肩をすくめた。


「ウチのマニュアルに、捕虜にされるくらいなら自殺しろなんて書いちゃいない。それをやったってことは、いざというときにはそうしろと言う命令だったのだろう。しかしクロウディアは、間違ってもわたしを殺せなどとは言わない。となるとファイマンの可能性もあるが……。計画の要であるのだから、これがバレたところでクロウディアに殺される、だなんて心配も薄いだろう。ふーむ」


 彼女は死体の隣に立つ。


「ともあれ、確かに死んでしまえば捕虜にはできんな。だが、一人が生きていれば良い。生きている者があれば――死体にも使い道ができる。このようにね」


 そうしてニコは、死体の頭を踏みつけた。


「おい……。その足を退けろ腐れビッチが」


「待つのが退屈なだけさ。踏み壊しはしないよ。まだね」


「てめぇ……殺す前に病院にぶちこんでやろうか。頭のな」


「アハハ。あいにく、どの医者よりわたしの方が優秀なのだ」


「ニコさん。止めてください」


 カイまで加勢する。いくらなんでも、死んだ人にはして良いことと悪いことがあるはずだ。相手がいくら生前に悪いことをしていても、それに石を投げるのは間違っている。それは裁きではなく、石を投げて人を傷つけたという、自分の新たな罪なんだ。


「その……流石に……」


 そうとは頭では理解しているのに、言おうとすると、あっさりと言葉は体を霧散させて、言いたかったということだけが残る。


 こういうときばかり、自分がバカであって悔しい思いをするハメになる。漫画みたいに、本質的なことを言えるのは結局、頭のいいヤツなんだなと、そんなことを思った。


 モゴモゴとするカイを目前にして、それでもニコはグリグリと踏みにじり続けた。


「優しいねぇ、カイ君。ねえキミ」


 不意に止めたと思うとニコが背後に回ってきて、カイの両肩に手をかけながら背伸びをし、耳元で囁いた。


「嫌いなら、嫌いと言いたまえよ。それでいいのだから」


「…………」


 カイはモリモトを押し、転ばせて解放した。そうして、囁くニコへ振り返る。


「な、仲良くしてくれるときとか、普通にしてるときとかは好きですけど。……そういうとこはキライです」


「アハハ。よく言えたね、子犬ちゃんパピー。いい子いい子」


 もう少し背伸びをしてニコが、不意にキスした。カイは固まって、うまくものを言えなくなり、「んぅ」などと唸った。中身がこんなでも、やはりニコは可愛らしい。


 なにか、手玉に取られている気がする……。


「やっとキスできた。でも、そういう雰囲気じゃないねぇ。まぁいいや。さてそれで、モリモト君。言う気になったかい? まだなら死体を外に放り投げる遊びでもするけれど」


 ニコの予測不能な言動に、モリモトはついに観念したのか、曖昧に言葉を作る口の動きをして、顔を上げた。


「…………正規軍だ」


「なるほど。妥当なところだね」


 彼女が満足げに頷く。話を聞いたお陰でカイにもピンと来て、少し無邪気に笑った。


「クロウディアさんがリーダーだから……っすか?」


「そうだね。やっぱり、コントロール不能になってる。その原因がわたしということまで伝わっているね」


「……ニコさんを消せば、また前哨帯を操れるってことっすか」


「その通り。ということは少し……厄介なことになっているということでもあるがね」


「というと?」


「今まではT.A.S.に対する正規軍とその下の前哨帯という立ち位置だったが、それがT.A.S.と正規軍と前哨帯の三つ巴になったということだ」


「うっへぇ……」


 ただでさえ全体像を知らされずに戦ってきていたというのに、もっとややこしくなるのか。カイの思考回路はいつでも白旗を振る準備ができていた。


「そこの、考えるところは任せてくれたまえ。さて、と、モリモト君。もうひとつだけ教えてもらおうか」


「なんだ」


「三十二部隊だが……。正規軍側にいるのはそこのふたりと、キミだけか?」


「…………ほ、他のヤツを巻き込むんじゃねぇ!」


「か、どうかはキミ次第だ。どちら道わたしは、クロウディアにこのことを報告せざるを得ない。そうすれば彼女がどういう選択を取るか、想像にかたくないだろう?」


「…………」


「三十二の全員か、正規軍側の者だけか。選べ」


「……俺たちだけだった」


 彼は静かに呟いて、黙った。それを見てニコが、カイへ向く。


「カイ君。どう思うかな?」


「なんていうか、嘘っぽくはないっす。こう、諦めた感じというか」


「屈した、かね?」


「その言い方はちょっとヤダっすけど……」


 その言葉に、むしろモリモトが顔を歪めた。


「なんでどいつにもこいつにも、そんな優しくしてんだ」


「してるっていうか、なってるっていうか……」


「それで兵器か。これが国を守んのか。ふざけやがって。とっとと死ね」


「…………」


「何人がテメエのために気を掛けてると思ってんだ。そのせいで何もかも上手くいかなくなってるって自分で分かってんのか? テメエしか国を守れない。テメエがヤバい奴だって分かればどこだってナラクに戦争吹っ掛けようなんてしなくなるってのに、殺せないだと?」


「…………」


「どうせ攻め込まれても、ビビってなにもできねえでぜんぶ見捨てんだろ。この国を滅ぼすのは外国じゃねえよ。テメエだ。テメエのせいで、みんな死ぬんだ。だからその前に、俺たちが終わらせなきゃいけないんだ」


 なにも言い返せなかった。こんな奴だが、国の将来を案じて正規軍に寝返ったのかと思えば、それだけのことをさせた自分が嫌でも客観的に見えた。


 優しいと言われているが、ただ、覚悟が足りないだけなのだろうか。


 ニコが自分の手首を見る。腕時計を見ているようだ。


 太陽の沈まないこの世界では、どういう時計盤なんだろうか。目前の現実からなるべく遠い疑問が生まれるのと同時にニコが吹き出した。


「ど、どうしたんすか?」


「なんでもないよ。さぁて、どっち道……コイツは生かしておく訳にはいかないね」


「ニコさん」


「分かってる。だからカイ君の信条も加味して、こうしよう。生きているか死んでいるか、五分五分の刑に処す。どうかね?」


「え。そんなのがあるんすか?」


「まーね。打ち所が良ければ死なないだろう。死ななかったら、わたしたちは見逃す。むろん、T.A.S.に近寄ったりまた首を突っ込んだりしたらその場で殺すがね。……どうかね? モリモト君」


 言うと当の本人は転んだ姿勢のまま二人を見比べ、項垂れるように頷いた。


「決まりだね。じゃあキミは、ベルトかなにかで目隠しをして、そこに立っていたまえ」


 モリモトは言われた通りそこに立ち、素直に従った。だがカイには、それが恐怖を圧し殺す強がりだと分かった。


 自分だったらきっと、そんな風に怯えた相手を見てここで止めにしてしまう。そうじゃないニコは自分にない強さを、覚悟を持っているのだろうか。カイにはまだ、それを見習うべきなのか分からなかった。


 ニコが右手の甲をトントンと叩いてきたので、カイはアンカーブレードを起動する。そうしたらニコがその刃を引っ張ってロープを伸ばし、指を銃の形に変えさせた。


「拳を握るなよカイ君」


「大丈夫っすけど……」


 アンカーブレードは右手にくっついた状態で指を銃型にすると発射し、銃型の間はロープが伸び続ける。そこで手を開くとロープの長さを固定し、握ると巻ける。いま右手を握ったら、ニコの指が吹っ飛ぶだろう。


 やらないと自覚しているのに、やるなと言われると、やったらどうしようと何故か思い始めてしまう。カイの方がヒヤヒヤしてしまっていた。一方でニコはブレードを引っ張っていき、道路の途中、回転の内側の柱をいくつか経由させ、最後にはモリモト身体にロープを巻き付かせてブレードを挟み込み、留めた。


「我々が走り去って、あのホバーの音が聞こえなくなったら、あとは自由にするとよい。そこはちゃんと約束通りさ」


「…………なにをする気だ」


「イタズラさ。ちょいと過激なね」


 言うなり彼女が早歩きで戻ってきて、車に乗った。催促されるままカイも車へ、左側である助手席へ窓から飛び乗ってロープを伸ばしたまま、右腕を自分の身体の前を通し、窓の枠に手首を置いた。


「ど、どうすんすか?」


「今からアクセルを踏むから、進み始めるのと同時にロープを巻き始めたまえ。で、わたしがキミの太ももに触れたら、ガジェットを切るんだ。言っておくが、下手に躊躇って失敗したら彼はこの高さを落ちることになる。百パーセント死ぬことになるからね」


 言われてカイは、改めて道路の下を見た。車に乗りながらなので真下は見えないが、さっき飛び出した車が米粒ほどまで小さく見えたことや、下からは高い建物ばかり見えていたのに、ここからはそのほとんどが見えないことを考えると、まず助かる高さではない。


「さ、バッファを起動して」


 言われ通りにして、アクセルを待つ。そうするとゆっくりと前進し始めたので、カイは右手をギュット握り、伸ばしたロープを巻き戻した。


 すると車の前進とロープの巻き戻しが相まって、モリモトはビルの方へ、首が折れるのではないかと思うほどに加速する。ほぼ同時にニコが太ももを叩いてきたのでガジェットを解除すると、ロープが切れ、彼はまるで弾丸のような勢いでビル窓に突っ込んで中へ飛び込んでいった。そうして車がその面の死角へ入ったので、彼がどうなったかは知るよしもなかった。


「今の……」


 バッファを切りながら言う。ほんとうに五分五分なのか。死ぬのには十分の勢いに見えた。


「アハハハハ! 気持ちいいねぇ!」


「いや……」


「安心したまえよ。キミたち人間なら確実に死ぬのだろうが、わたしたち人間はキミらより頑丈なんだ。わたしの計算では、ちょうど半分さ」


「ってか、ビルの中の人いるじゃないっすか。え、巻き込まれたんじゃないんすか?」


「そこが味噌」


 彼女はイタズラに大成功した子どもの顔で、ステアリングを回していた。


「ここはランドマークタワーと言ったろう? その上層部はね――あまり公にはしちゃいないが――文字通りお国の上層部のフロアになっている。特殊な窓を使っていてね、会議中は窓を見えなくさせているから、あそこでわたしたちが騒いでいたのにも気付かなかっただろう」


「そうなんすか。え、じゃあ、偉い人のところに……?」


「そ。記憶に正しければね、いまは正規軍の会議中だ。アハハハハ!」


「ひぇ」


 ニコの暗殺へ向かわせたはずのスパイが、会議中に窓を突き破って飛び込んで来たということか。とんだ見せしめだし、それを思いつくニコもニコだ。


「こんなちょっとの散歩でこんなことになるなんて散々だね」


「そうっすね……」


「おうちへ帰ろうっ! あ、でもその前に……」


「休憩とかはしませんよ?」


「なんで分かるのかね。もー」


「元気っすねぇ」


 さっき脇腹を撃たれたとは思えない気軽さで、彼女は頬を膨らませた。と思えば、少しニヤけた。


「ねぇ、ふたりきりだし、秘密にするから答えてくれたまえ」


 そう前置きして彼女は、どうしてか今さら恥ずかしげに首を埋めた。


「わたしに、触れたいかな」


 上目遣いがちらりとこっちを見て、カイはドキリとして前を向いた。ベティ・ブープみたいなその表情は、いままでで一番かわいらしかった。


 リィラという相棒がいて、性的なことを嫌悪している。オークラーという人がいて、ニコと曖昧な関係でいる。彼女を抱くのは、お互いに失うものが多すぎる。どちらのためにもならない。


 だから、リィラもオークラーもいなかったら、二度目の人生がニコひとりでメチャクチャになっていたかもしれなかった。


「……それは……」


「アハハ。かわいい。もし、癒しが必要ならね、いくらでも癒してあげる。好きなだけ、ね?」


 その言葉に引っ掛かり、カイはまたニコを見た。照れの色は消え、今度は、真剣な表情をしていた。


「……癒し……すか。ニコさん」


「うん」


「やっぱり、オークラーさんと話した方がいいっすよ」


「またその話かね」


「だって、身体だけで繋がって、その先はどうするんすか」


「…………その先は、元よりありはしないよ、わたしには」


「だから、その手前で妥協するんすか?」


 言うとホバーがグンと曲がり、空中道路の捨てられた末端に止まった。


「知ったような口を聞くな」


 今までにない、怒りを滲ませた声だった。


「キミに、何がわかる。人と同じに生きられないことが分かるのか。誰も彼も置いていくことしかできないことが、共感がないどころか、逆恨みされることしかできないことが、当人であるわたし以上に分かるのかね」


「……分からないです」


「分からないことにどうするべきと思うのはいいだろう。そこから知ることも多いかもしれない。だが知ろうともせずにああしろこうしろと口だけ達者に挟んでくるのか。何様のつもりだ」


「…………ニコさんは、本音を言うときだけやけに早口なんですよね」


 そういうと彼女は黙って、目を伏せた。


「おれはただ、ニコさんがそういう風に感じてるなって、思っただけです。おれがみんなと同じになれないから、勝手に共感しようとして、勝手に自分の中ででっち上げただけかもしれないすけどね」


「…………」


「だっておれ、家畜っすよ? ついこないだまで生きてたって知られないで、食われるはずだったんです。気付きましたか、あのショッピングモール。人間の魂アップルが売られてたんすけど」


「……知ってるよ。どこでも売っている」


「じゃあ、『二十パーセント引きでオトク!』ってポップは、見ましたか。たくさん売るのに、値切ってたんすよ」


 カイは半笑いで言った。キレてしまったときなら自分でも信じられないほど怒れるのに、こういうときにはうまく怒れず、曖昧を示す作りかけの笑顔にしかなれなかった。


「……見たかもしれないけれど、気にも留めてなかった」


「そうっすよね。だからおれ、家畜と人間の壁みたいなの、感じてて、みんなと話しててもそういう、実はそういうのがチラついてて、仲間のはずなのになんか、仲間になってる気もしなくて、でも本気で後悔してくれたリィラにだけは本当に心を許せてて、でも、リィラだってきっといっぱいいっぱいなのに、おれのこと背負わせ……」


 整理されていない思考がそのまま口から流れ出てくる。これ以上を言ったら、崩れてはいけないところまで決壊する気がして、唐突に言葉を切った。


 ニコはただ、浅く何度も頷いていた。


「……おれ、こっちの人間がどういう感じなのかまだ知らないっすから、ただの勘なんすけど、誰かにしてほしいから、誰かにするってこともあると思うんすよ」


「…………」


「癒しがほしくて、それがその……そういうこと、で本当に癒されるんだったら、否定とかゼッタイしないです。でもニコさん、それが本当に欲しい癒しなんですか?」


「…………そういえば、キミの死因を聞いていなかったね」


 彼女はただそう言った。カイもただ素直に、口にした。


「自殺です。自分から、走っているトラックに飛び込みました」


「そうか。こう言ってはなんだけど、納得はできる。キミは人の本音を見抜く才能があるのに、本音を知るには優しすぎるね」


「……っすね」


 仇となる優しさは、弱さなのではないか。そうとも思う。


「参ったな。弱いもの同士だったか」


「そうかも……いや、そうっすね。きっと」


 それを最後に沈黙があり続け、遥か下の道路から何度かのクラクションが聞こえた後、やっと破られた。


「取り乱して済まなかった」


 彼女が車のレバーに手をかけようとしたのを、カイが止めた。


「さ、最後にひとつだけ。まだ答えてなかったんで」


「へ?」


「するしないは別にして……したいかどうかだけなら、し、したい……っす。ぶっちゃけ、すごい可愛いっすし……」


 どうにか言い切った。また言葉の途中で切りたくなったのを、ニコから目をそらして、顔色を見ないように最後まで言った。それから、彼女をまた見た。


 ニコはその赤肌をピンク色に染めて、ニヤニヤと少女みたいに笑っていた。


「ふぅん……? そう……」


「な、なんすか。ちゃんと正直に言いましたよ」


「残念でした。さっき言えば好きなだけできたのに。でも、もうしてあげなーい」


 イタズラっぽく言い放って、ホバーを飛ばし始めた。Uターンして、ハイウェイを下っていく。


「もしオークラーにフられたら、してあげる」


「って、キープ君じゃないっすか」


「アハハ。昇格だ。光栄に思いたまえ」


 昇格なのか降格なのかよく分からない。そもそも元はなんだったのだろう。


 言われっぱなしでカイは、たまには仕返しをしたくなって、ニヤリと笑い返してみせた。


「まーでも、よかったっすよ。脅す材料ができたんで」


 冗談めかして言うと、ニコが挑戦的に笑った。


「ほぉ。いいのかい? キミはもう共犯だ。というか、もう約束を破る気か」


「そっちじゃないっすよ。そっちのややこしい方はちゃんと、秘密っす」


「うん?」


「こんど悪いことしようとしたら、ことあるごとに手出ししようとしてきたこととか、キスされたこととか、オークラーさんに言いつけますんでよろしくっ!」


 言うとニコは口をぽっかり開けて、それから歯を軽く食い縛り、大きな瞳を上下の瞼で潰すように目を細めた。


「……し……しまった……」


 そんなニコをちらりと見て、窓の外に視線を戻しながらカイは、得意気に目を細めた。


 彼女は理解されないと諦めているようだけれど、ニコのことをちょっと分かった気がしていた。

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