Jerk

――Kai――

「うっ……うっ……」


 涙目で首を擦るカイを見て、部隊員たちは思わず笑ってしまっていた。みんなとっくに緊張の糸を切って、姿勢を崩して立っている。


 カイの隣で、マーカスはボトルをぐいぐいと傾けていた。


「……ップハァ。泣くなこれぐらいで。男だろ」


「男でもいてえっす……」


「けっ」


「おいジジイ。やっぱお前出てろこら」


 リィラのヤジにも全く動じない。


「家主はあいにく俺でな。で、隠してたことってのはなんだ」


 マーカスはボトルをとんと置き、机に肘を乗せながらオークラーへ向かい合った。


「……は、はい。えー」


 オークラーはどう伝えようかと言葉に迷っていたが、目の前で冗談のようなことをされ、更に言葉選びに時間が掛かった。そんな彼女の顔を見て、カイは少し少しどぎまぎとしていた。


 さっきから思ってたけど…………やっぱ、すっげえ綺麗な人だ。


 リィラたちと同じ赤鬼で、さらさらな髪を両方の角に引っ掛け、ボブカット風にしている。そして線の細く整った顔。まさに綺麗なお姉さんという言葉の似合う美しい人。正直、タイプだ。めちゃ麗しい。


 いや、この人は特殊部隊の人だし、こう考えるのも良くないよな。そういう目で見てるって雰囲気がリィラに伝わって、好感度が一気に爆落ちする未来が見えるわ。


 ……でも綺麗なんだよなぁ~。うわぁめっちゃ麗しいなぁ~……、いいな~……。恋愛とかそういうんじゃなくて、憧れの人って感じ。推せる。カイはそんな、呑気なことを考えていた。


 しばらくして、彼女は改めて咳払いをした。


「……それでは。まず前置きとして、これは専門家の意見や専門知識からの判断ではなく、素人考えであることを留意してください。あくまでも応急処置的なものです。厳密なことは我々の基地にいる研究者が説明できると思います」


「オッケーです」


「それと……改めて言いますが、非常に不快になる可能性が――」


「長い長い。早く」


 リィラが両手で頬杖しながらヤジを飛ばすのをなだめる。


「まあまあ。不快になるかもってのもオッケーです」


「では、改めて。カイさん。私の推測とは、あなたの正体のことです」


「おれの正体?」


 正体と言っても、さっき話した通りじゃないか。異世界転生した男だ。それが不快になる情報とどう繋がってくるんだろう。


「あなたは異世界の住民ですね。しかしこの世界における異世界と概念が違うかもしれない、と」


 カイはリィラとレストランで話したことも喋ったのだった。僅かでも良いから、この異世界の情報が欲しかった。


「はい。そうっす」


「話を聞く限りですと、我々の認知する異世界で間違いありません。貴方の世界から来たカイの心が、何らかの理由で被験者χの身体へ入った」


「おれもそうだと思います」


 カイの想定している異世界転生というものだった。


 この世界は死後の世界やその後というものが無いらしく、転生どころか魂という言葉さえなかった。


「まず、被験者χがなぜ心のない状態だったかについてですが、これは間違いなく貴方の体内にあるタッチレスチャージャーVer.6のせいです。このガジェットは彼女の言う通り――」


 オークラーが手でリィラを指し示すと、ガジェット博士はにんまりとドヤ顔をした。


「――無尽蔵にPpを供給することができます。ただしこれが始動するとPpサージという現象が起こり、心が破壊される。この壊れる場所はよく分かっていないのですが、あなたの場合は思考部分の、自我に相当する場所らしいです」


「うぅん……? なるほどっすね?」


 もう分からん。心の思考部分って言った? おれの知ってる心じゃない? たぶん、意味が広いのかな。それにサージってなんか、発電基礎の授業かなんかで聞いた気がする。


 まあ取りあえず、研究してたガジェットを起動して魂がぶっ壊されたって、それが分かりゃいいかな? そうもやもやしているカイの横で、リィラが身を乗り出す。


「サージ? って、それが素で起こるってことは、いま相当Pp濃度が高いんだね」


 カイの世界では飢餓時に栄養のあるものを食うとショック死するリフィーディング現象や、大量の水で体液が薄まって死ぬ水中毒というものがあったが、感覚としてはそれに近いものだった。Ppが不足している者に対して一気にPpを供給すると、Pp濃度の急激な変化によりショック状態に陥るサージ現象が起こる。


 ガジェットの安全装置であるPp遮断器はショック防止装置としての役割も果たしていた。


「そういうことだと思います。……失礼。博士の受け売りなので、私も上手く説明はできないのですが……」


「いやいや。説明あるだけでもありがたいっす。それで……、このジェイクさんの身体が空の器になったってことっすよね」


「そうです。そして、我々の施設から脱走した。信じたくはありませんが、誰かの手引きでしょうね」


「なるほど。それでごみ捨て場に行ったんすね」


「ええ。そしてそのタイミングで貴方の心がこの世界へ来た。分からないのは、なぜ貴方の心がジェイクへ辿り着けたかです」


「そー……れは。……どうなんすかね?」


 さっぱり分からなかった。カイが知っている異世界転生法は、死後に神に会って別の世界で生き返らせてもらうパターンや、誰かしらの魔法などによって召喚されるというパターン。あるいは単純に異世界の赤ん坊として生まれ変わるというパターンなどがある。


 つまりカイにとってそこはファンタジーの領分だった。ある程度はもう『不思議』で済ませる所。なぜと言われても答えられないし、どうしてどうしてと繰り返せばそれはもはやSFで、カイの得意ジャンルではなくなる。


「まあ。誰かが意図的に呼び寄せたとか。ってかまぁ、ぶっちゃけ偶然だと思うんすけど」


 『召喚』もどうせ言えないだろうなと、少し遠回しに言う。


 カイの言葉に、オークラーは首を横に振った。


「そうとは思えません。仕組みとして、異世界から来た心は大工場と呼ばれる、ある施設へ収容されます。しかし今回の事は施設の外、随分と離れた位置で起こった。偶然というにはあまりにも……」


「…………施設へ収容される?」


 嫌な予感がしながらも聞き返すと、彼女は目を伏せた。


「施設って……」


「そこが、覚悟を決めていただきたい所なのですが……」


 ……ああ。やっぱ、そういうことなんだな。カイは言われた通り、覚悟を決めた。


「貴方の世界は、我々にとっての食料元です。即ち、我々はあなたたちの心を食品として、食べているのです」


 異世界はメシが出てくる場所。


 赤鬼。


 地獄。


 心――魂を食う種族。


 あのときの朧気おぼろげな想像が、はっきりとした像を結ぶ。


 『悪魔』だ。


 リィラや、他の人たち。みんなの種族は見かけの通り、悪魔なんだ。


 おれは地獄に落ちて、悪魔に転生したってことか。


 ――――地獄がサイバーパンクってマジ?


 そんなことを考えるくらい、カイには余裕があった。予感としてでも一度はたどり着いた答えだったのだ。


 そもそもおれは地獄に落ちて当たり前の死に方をしたんだ。それが悪魔に食われるどころか悪魔に転生して二度目の生を謳歌できるらしい。


 むしろ、あまりにも恵まれ過ぎだ。


 そんなことを思う。


「あなたは言わば――非常に悪い言い方ですが――人の身体を家畜が乗っ取ったような形になるのだと思います」


「ホントに悪いっすね……。でもまあ、そういうことっすよね。ところで食うって……やっぱ口からっすか?」


「はい。そのために加工されたものがあって、我々はそれを『アップル』と呼んでいます。そうなる前に、あなたの心はジェイクの肉体に入り込んだのです」


 ……マジか。アップルって、さっきレストランで林檎りんごだと思って一口食っちゃったやつじゃん。あれって誰かの魂だったんだ。


 流石のカイもショックを受けた。


 だが、それ以上に強烈な衝撃を受けた者がいた。


 リィラが急に立ち上がる。口を押さえ、目を見開いていた。


「……リィラ?」


 テーブルから逃げるように二三歩離れ、身体をくの字に曲げた。


「――――ぉええええっ!」


 えずく。嘔吐にこそならなかったが、苦しそうに喘いでいた。


「リィラ!」


 慌てて立ち上がり、えずき続ける少女の背を擦った。マーカスも来て、カイを一目睨み付けた。


「大丈夫?」


「ケホッ……大丈夫なわけ…………うぇっ」


 咳をしながら、リィラはカイの胸ぐらを掴む。


「…………ごめん……」


 上げた顔には、涙。


「アタシ…………アンタの前であんなに……知らなかったんだ……」


「リィラのせいじゃない。そういうシステムになってるんだろ。えっと、ほら、あれ、食物連鎖?」


「だからって、アンタにも食わせちゃったんだぞ!」


 カイは少し考えて、リィラの両肩を掴んだ。


「おれたちも、似たようなことをしてる。色んな命を奪って食って、生きてんだ」


「…………でも……」


「だから頂きますって言葉があるんだ。生きるために、命を頂きますって」


 リィラはうつ向いて、涙を流し続けていた。


 ……やっぱ、綺麗事に聞こえるよな。


 自分が食っていたものが、自分と同じように考え、笑ったり泣いたりする生き物だった。それを知らずに当たり前みたいに食っていた。


 おれがリィラの立場だったら、何を言われたって無駄だろう。頭の中で次々に出てくる言葉がみんな綺麗事にしか思えなくて、カイは言葉を失った。


「……とにかくお兄ちゃんは気にしてないからな。でも、涙を流してくれてありがとう」


 カイは、リィラを抱き締めた。


「これは抱きついてるってか、ハグだからな! キモくないやつだぞっ」


「…………うん……」


 やっと頷いて、ぎゅっと抱き返してくれた。


 その声は少し、笑っているようだった。


 よかった。ハグをやめて、思い切り笑顔を作ってみせた。


 立ち上がり、すぐ横の気配に凍りつく。


「お兄ちゃんだぁ? テメエいつから俺の息子になりやがった」


「い、いや。お父さん。違うんす」


「お父さんって呼ぶんじゃねえ。呼ぶ度にもう一杯。いいな」


「す、すみません……」


 おらテメエらも。見せもんじゃねえぞ負け犬ども。とマーカスは周囲の部下を手で払うようにした。


 何人かの部下は気を遣って目を逸らし、ある者が窓の外を見て、絶句した。


「た、隊長っ!」


 慌てた様子の部下に、オークラーは立ち上がる。


「我々のホバーが村人に襲撃を受けていますっ!」


「――総員、BSC! 速やかに展開ッ」


 オークラーの一声でだらけた部隊員たちに気合いが入り、今まで臨戦態勢だったかのように家から飛び出していく。


 すげえ。めちゃめちゃ訓練されてんのかな。それとも――。


 オークラーの凛と引き締まった顔を見る。


 ――これが部隊長としての、カリスマか。


「申し訳ないが、話は一旦中断させていただく」


「え、ちょ、ちょっと待ってくださいよ。BSCってなんすか!?」


 まさか交戦のことか。そうだとしたら村人たちが危ない。武装してるやつらとまともに戦えるわけがない。


 オークラーを追い掛けて家を出た。すると隊員たちは列になり、格闘とシールドガジェットのみによって村人たちの襲撃を食い止めていた。


ブレイク、アンドシールドコンバット。安全装置を入れ、格闘とシールドで交戦する。武装解除や非殺傷制圧での命令です」


「そ、そうなんすか。でもおれたちの仲間になったって言えば――」


「それでは不味い。――全員聞けッ! 速やかに降伏しろ。そうすればこちらから危害は加えない」


 よく通る声が、村人や隊員の動きを止める。


「我々は武装している。農具は道具であって武器ではない。我々に敵うと思うな!」


「なーにがアーミーだ。お前ら負け犬のせいでオラたちゃ貧乏なんだよっ!」


「そうだ! マーカスさんとリィラちゃんを好きにはさせねえぞ!」


 次々に声が上がり、また殺気。村人が一斉にこちらへ向いた。


 悪魔族、血の気が多すぎる。すぐ戦いが始まるじゃん。ちくしょう。どっちも守って戦うのは流石に……。


 そう思ったとき、オークラーが斜め前の空へ左の掌を掲げ、右手を左手の甲にかざした。


 ――――爆発。


 光は無くとも、そうとしか形容できない轟音。


 彼女の左手から、空間が歪んで見えるほどの衝撃波が広がる。


 反動で彼女の足元の床が砕け木片になって舞い飛ぶほどの威力が、村人が後ろ向きに転ばせた。発射方角の逆に居たカイさえも怯んでこけた。


 なんだ――あのガジェット。おれはさっき、あれを抱き付いてる距離で食らいそうになったのか。


 身体がバラバラになる自分。そう想像するとぞっとした。


「負け犬にも牙はある。噛みつかせてくれるなよ」


 隊長は堂々として家の敷地から出て、村人たちの目前に立つ。


「繰り返す。全員、武器を置け」


 一人が鍬を地面に置くと、次から次へ村人たちが道具を地面へ置いていった。不服そうだけど、誰一人怪我せずに終わったんだ。


 あの言葉は、『究極の反戦行為は、そもそも戦争を発生させないことにある』ということの意味は、こういうことか。強力な武器で脅して混乱を収める。誰も傷つけない手段としては強力だ。


 ……強力だけど、やっぱ抵抗感あるな。カイはそう思った。


 混乱が収まった。


 そう思った瞬間、誰かが素早く動いた。村人だ。そう認識するのと同時に、カンと鳴り、油断していた部下の頭へスコップが打ち付けられた。声を漏らしながら崩れる。


 近くに居た隊員がシールドを展開してスコップの村人から身を守りつつ倒れた男を保護した。


 嘘だろ。この状況で殴るやつがいるのかよ。隊員と村人の衝突が始まるのか。


 カイは瞬時に周囲を見る。まずは状況を確認しようとした。


 だがなぜか、隊員たちはみんなオークラーを見ていた。


「――やばい、隊長を止めろおっ!」


 誰かが叫ぶ。彼女がどうしたんだ。そう思うより早く、オークラーは凄まじい勢いで駆け出していた。


 隊員たちがオークラーを止めようとするより早く。スコップで一発くれてやったと歓喜する村人の表情が変わるより早く。


 まるで狼のように、鋭く距離を詰めた。


「――へっ」


 スコップ男がやっと声を出した時には、男は中に浮いていた。滑り込んだオークラーは膝蹴りを食らわせていた。


「……うげ、ぇっ……!?」


 宙に浮いた男のスコップを左手で弾き飛ばしつつ、右手の裏拳で姿勢を変えさせ、落下し始めた男の鳩尾みぞおちに左肘を叩き込んだ。


 地面に叩きつけられて呼吸もできず身体をのけ反らせたりしている男へ、左手の平を構え、あの爆発のガジェット――スタン・バーストを向けた。


「私の部下へ不意打ちをするとはいい度胸だ。――その末路を教えてやる」


「た、隊長っ! 落ち着いてください!」


 叫んだのは頭を打たれた隊員だった。他の隊員に肩を借りながら、オークラーへ手を伸ばす。


「む。サド。大丈夫だったか?」


「私は無事であります。それより、もう十分であります。溜飲はもう、存分に降りました。それに……もう、この人は気絶しています」


 サドが哀れむ目で、口から泡を吹いている白目の男を見た。


 オークラーは男から離れ、マッドの頭の側面を見る。


 村人はもう何人かは逃走し、残った人も絶句していた。それに対して隊員は、『あちゃー。またやったか』とでも言うような、呆れたような顔だった。


「そうか……だが、痛かっただろう? 大丈夫だ。すぐに応急手当をしよう。マッド」


「じゅ、準備は完了しておりますよ、ええ。びょ、病院への連絡も既に――」


 ……今の。


 …………かっけえ……。


 カイは目を輝かせた。


 やりすぎだったのは分かっていた。それでも、仲間が傷つけられたらまるで容赦を無くし、傷ついた仲間には優しい。


 いいなぁ。格好いいし綺麗だし。こういう人が先輩とかだったらマジで良いなぁ。


「悪い癖が出ちゃったなぁ……」


 隣にいたさっき飛び込んできた隊員――クレイが、苦い顔をして呟いた。


「癖っすか?」


「ああ。オークラー隊長はほら、オレたちの前じゃ優しいし強いし、理想の上司なんだぜ。……けど、あれはなぁ」


 皮肉っぽい笑みで、両肩を竦めた。


「なんつうか。病気レベルで部下想いってやつなんだよ。それも重症。止められなきゃマジで殺すぞ、あの人」


「……ある・・んすんか? もしかして」


 恐る恐る聞くと、クレイは更に苦い顔をした。


「…………聞くなよ」


「ま、マジっすか……」


 件の隊長が戻ってきた。


「すみません。騒がしくしてしまって」


「さ、騒がしいもクソもあるかよ。あんなことしてっから嫌われるんだろ、アーミーはさ」


 カイの後ろに隠れたリィラが、小さく吠えた。


「アタシたちの敵じゃないって、言えばいいじゃん。味方になりましたってさ」


「その嫌われたアーミーと仲間になったと思われたら、あなた方の村での立場が無くなる。そう考えての判断です」


「そりゃ……まあそうかもだけどさ……」


 オークラーはカイを見た。


「この場所で対談しようというのは私の判断ミスです。我々の基地まで同行願います」


「え。連れ戻されるんすか」


 なんだか嫌な予感がした。


 初めは殺しにかかってきた組織。人体実験で人の魂を砕いた者たちの根城へ行くというのだ。そこでまた実験され、解体とか、爆発とか……? そんな意味不明に戦々恐々とした想像が頭をよぎる。


「いや、あの、ちょっと。いち縺ォ縺……じゃなくて、い、一睡?」


「一睡?」


「一睡だけ、村に居てもいいっすか?」


 ほとんど口をついて出た言葉だった。混乱の中で絞り出した解だ。意味などなかった。


 しかしオークラーは頷いた。


「いいでしょう。ならば、また来ます」


「意外と融通が利くんすね……」


「逃走しても、また見つけられます。あなたもこれ以上は、巻き添えを望まないでしょう。それは我々も同じです」


 言葉の裏を返せば、逃げればまた誰かを犠牲にするという脅迫だった。アーミーはあまりに、脅し慣れている。


 オークラーの美しさに惹かれてなお、カイはその体質に引っ掛かりを感じていたのだった。


「……分かりました」


 それからアーミーは撤退した。今までの騒がしさが嘘のように、静かな村となった。




――Lila――

 三人でテーブルに戻った。色々と言いたいことがあって、三人ともどれから話したものかと迷っていた。


 初めに口を開いたのは、リィラだった。


「で、さ。行くの? ホントに」


「……選択肢はないよ」


 カイは少し寂しそうだった。


「あんなヤツの言うこと聞くこと無いじゃん」


「でも、聞かないと皆が危ない」


「じゃあ、やっつけてよ」


「…………勝てないよ」


 カイが呟く。


 思い出すのは、部隊の整然とした展開と、訓練された格闘。そして何より、我を失ったオークラーの猛攻だった。


 もしあれが敵に回ったら。そう考えると背筋が冷たくなるような感じがする。リィラは無意識に両腕を擦っていた。


「……逃げてもまた、ジジイとか、他の人とかをゴーモンすんだろ。やっぱアーミーってきったねえことするよな」


「へっ。俺は別に構わねえがな。もう一杯貰ってから、あの小娘の顔に唾でも吐いてやるよ」


 ジジイは汚い声で笑った。やっぱコイツの娘は嫌だわ。


「……その。そういう訳だからさ」


 カイは少し泣きそうな顔で、アタシをじっと見た。


「――うっさい」


「え?」


「うっさいって言ってんの。勝手に決めようとしただろ、また」


 驚いた顔。アホ面だった。


「アタシも着いてく」


「そ、それは駄目だ」


「だーかーらーっ! どうしようとアタシの勝手だ! 何で駄目なんだよ」


「危ないかもしれないじゃんか」


「危ない場所に行くから置いてくのか。ナメんな。守られるために着いてくって言ってんじゃないんだよ」


 カイはうつむき、少ししてから顔を上げた。


 微笑んでいた。


「そうだな。ごめん。じゃあまた、助けてくれるか」


「へへん。ガジェットの大天才。リィラ様に頭を垂れよ」


「ははー」


 カイは机に両手を伸ばして突っ伏した。


 おかしくなって、大笑いしているとマーカスが口をへの字に曲げた。


「おいリィラ。お前らにしちゃお互いに対等かも知れねえが、俺からしちゃまだまだガキだ」


「んだよ。止めようたって……」


「言ったって、止まらねえだろお前。何年親をやってると思ってんだ?」


 そうぶつぶつと呟きながらマーカスが立ち上がり、クローゼットの引き出しを引っ張り出した。


 机の上でボンとひっくり返すと、裏には巨大なサバイバルナイフが隠されていた。


「な、なんだぁ?」


疑似物質リアクタンスだPpだなんだと言っちゃいるが。いいか、最後にものを言うのは――」


 驚くリィラの目の前でマーカスは鞘から抜く。鋭く、よく磨かれた金属の刃が現れる。ギザギザとした背が、キラキラと光を反射させている。


「――実体サブスタンスだ。どんなに時代が進もうが通用する。これこそ、最終兵器ってヤツだ」


「……くれんの?」


「くれてやる。オモチャじゃ無いんだぜ。扱いには気を付けろ」


 鞘に納め直されたナイフを受けとる。余りに大きくて、パーカーのポケットに突っ込んでも両端がはみ出てしまった。


「荷物なんだけど」


「今に分かる。それが一番コンパクトな荷物だ。それ一本あれば、何だってできる」


 まるで経験したように言う。


 ……もしかして、本当に経験したのか。


「……ジジイ?」


「ガジェットだ何だと言ったって、故障すりゃポンコツだ。そいつ以上に信用できるもんなんかねえよ。だから、ここぞってときのために持っておけ。常に身に付けておくんだ。いいな」


 マーカスはいつものソファへ歩き出す。


「その一本があったから、俺はこうして生きてるんだ」


 そのままソファへどっかりと座って、いつもの脱力姿勢で、ぐうたらとし始めた。


 ……知らなかった。あいつ、軍にいたんだ。


 この男はアタシが生まれたばっかりのころ、どっかで出稼ぎしていたという。疫病だかとかで、沢山の人が死んだ時だ。


 アタシの母さんが病気で死んだころ、ジジイはこのナイフで生き残ったんだ。


 ナイフの鞘にはベルトが付いていた。それを腰に巻き、腰の後ろにナイフを固定した。


「ま、アタシの前でガジェットは故障しないから。必要になることなんかないけどね」


「けっ。今に、分かる」


 リィラは席に戻り、マイボトルを出し、カイに渡す。


「っと、ゆーことでぇ……。出発前に、一杯。ねぇ?」


「待って待って。贅沢しすぎたら戻れなくなる」


 カイはそれを知っているかのように――実際にだらしない生活で知っているのだが――リィラを制止した。


「えー。いーじゃん減るもんじゃないし」


「駄目。甘やかしすぎないのも兄の勤めだ……。辛いんだぞ、おれだって」


「なーにが辛いだよー」


「く~……ってか気になったんだけどさ。年って単位はあるんだな」


「は?」


 急に話を切り替えてきた。話題を逸らそうとしてるな。


「ほら、おれの世界では太陽が沈むって言ったじゃん? でもこの世界はそうじゃない。だからその単位は言えなかったんだよ、さっき。で、おれの世界じゃ、太陽が三六五回沈むのを年っていうんだよ。一年で、暑くなったり寒くなったりって繰り返すんだ」


「へー。それで?」


「いや、この世界では何が基準で年って単位があるんだろって」


「あれだよ。アップルの量。豊作なときと凶作なときがあるから、その周期で年って言う」


「……あー……そういうことか」


 カイは何かに納得したらしい。


 そういうことされると気になるじゃん。そういう目で見ていたら、彼は「いやさ」と言葉を続けた。


「暑くなったり寒くなったりって言ったけど、暑すぎたり寒すぎて人が死んじゃったりするから、それがこっちに反映されちゃってるんだなぁって」


 リィラは言葉に詰まった。


 そっか。豊作ってことは、カイの世界で沢山の人が死んだってことじゃん。


 カイの仲間の種族が死んで、アタシたちは喜んでいたんだ。


 何て言えば良いんだろう。


 何て言っても、コイツはどうせ気にしない。でも……。


「…………ゆーずー効かねえ世界」


 頬杖をついて呟いた。それしか言えなかった。


「……あ」


 カイから目を逸らすと、窓から覗く顔がちらりと見えた。ジジイの友だちじゃん。


 中にもう隊員が居ないのを認めるなり、窓を叩いた。


「おい、おいマーカス」


「ラッセルか」


 マーカスが玄関へ回ってきたジジイ2号を入れてやる。


「大丈夫だったか。負け犬の連中がなんだって来るんだ」


「ああ。なんとかな。俺たちに乱暴な真似はしなかった。ヒリついちゃいたが」


「良かった。そうかそうか」


 嬉しそうにマーカスの肩を叩く。


 それから、カイを見て、マーカスに丸聞こえの耳打ちする。


「やっぱ。あのよそ者のせいなんだろ」


「まあ、な。明日連中が連れていくとからしい」


「へぇ……」


 疑惑の目がカイを見る。


「おいお前、なにやったんだ? お陰でテルのやつ、荒れに荒れてるんだぞ」


「て、テルさんっすか?」


「隊長がのした・・・やつだよ」


 アタシが教えてやると、カイはああと頷いた。


「すみません。何て言うか、えー……生まれたことが間違いって言いますか。っていうか、実質なんもしてないんすけど……」


「何もしてねえのにあいつらが来るわけねえだろ!」


「止めな。コイツはそういう、大それたことできるなんざ根性ねえよ。ただの腰抜け男だ」


「いいや。陰謀だ! 陰謀が絡んでるに違いない。そうでもないと説明ができないだろ。きっと騙されてるんだよこの男に」


「俺を騙すだ? 無理いうなよ」


「マーカス! 頭を冷やせって。見てろ、化けの皮を剥いでやる」


 ……ジジイ2号って、こんなだっけ。こんな、理性がぶっ飛んだみたいな男だったっけな。リィラはそんなことを思う。


 いつも陰謀がどうこう言っているけど、ここまで酷くはない。確かな証拠を掴んだみたいな、そんな様子だった。


 その予感に応えるように、ラッセルがカイを指差す。


「Ppがいくらでも使えるなんてペテンがどこまで通用すると思ってんだ! ええ!? 全部茶番なんだろ!」


 …………あっちゃ~……。


 こいつ、盗み聞きしてやがったんだ。ってことはまさか。


 また嫌な予感がして窓の外を見る。村人が揃いに揃って家の前で待っていた。Ppを貰いに来たのか。


「おいこら、ラッセルジジイっ。コイツは銀行バンクじゃねえんだぞ!」


「おいおい。リィラちゃんもか。騙されてるんだって。な?」


「騙されてなんかねえし。つうか、なんでいきなり悪用しようとしてんだよ。おかしいだろそこがまず!」


 捲し立てるリィラの横で、カイがなんとも言えない顔で彼女を見て、息を吸った。


「な、なんだよ」


「いや。何でもないよ? 悪用……うん……」


「ちがっ――――アタシはアンタの特別だろっ!」


「なに! 婚約!?」


 ラッセルが目を丸くした。


「コイツとはそんなんじゃねえよバーカ!」


「そうっすよ。おれはただの兄っす」


「なにっ! 隠し子っ!?」


 ラッセルが口まで丸くした。


「コイツは息子じゃねえ! 話をややこしくすんな!」


 マーカスは呆れて顔を手で覆った。


「で、ろくでもねえ悪知恵を働かせようって魂胆か?」


「そ、そんなんじゃねえよ。いいかマーカス。こいつが嘘つきってのを証明してだな、テルの仇を討つんだ」


「死んでねえだろ。今度は何をしようってんだ」


 ラッセルがドアを開け、入ってこいと呼ぶと村人がぞろぞろ入ってくる。


 みんなマイボトルを持っていて、ジジイ2号の妻なんか大型圧縮タンクを持ってきていた。


「本当に無限ってんなら、余裕で全員のボトルをフルにできるよなぁ? うちのコイツもよ?」


「いや~……」


 挑発するラッセルに対して、カイは歯切れが悪かった。


「できるって言っちゃえよ。ナメられっぱなしじゃ駄目だろ」


「いやいや。おれは別にいいんだけど。こう……こう来られるとねぇ……」


「ああもう。根性無さすぎだぞお前っ」


 歯がゆかった。バカにされて、なんで噛みつかないんだコイツは。


 また、昔のアタシの影がちらついた。言われっぱなしでいいわけがない。ナメられっぱなしでいいわけないじゃんか。


「……えっと、ゲーム理論だっけな……そんなんあったよな……」


「は? なんて?」


「ねえリィラ。ボトルの容量の割合って、どんなもん? あの、ラッセルさんのやつと、他の人のやつ」


「よ、容量の割合だ? ……えー、と」


 ざっと見回す。規格やサイズはバラバラだが、リィラはパッと見ただけで容量と、細かい仕様までもが頭に思い浮かぶ。ざっくりと計算して解を導き出した。


「あのタンク――デカいのが1として、あとが4って感じかな。全員分で、あの1個の4倍」


「ほほう、分かった。ありがとう。――あの、ラッセルさん、でいいっすよね?」


 カイは少し緊張したみたいに声を出す。


「なんだよ。できねえってのか? ま、無理もないわな」


 ジジイ2号は声を張った。ほらナメられてるじゃん……。


 少し失望し始めたリィラだったが、カイはぎこちなく笑って見せた。


「ラッセルさんのタンクだけを満タンにするか、他の人全員のタンクを4分の1だけ満たすの。どっちがいいっすかね」


「……は?」


「いや、おれタンクの容量詳しくないんで感覚わかんないっすけど、多分そのでっかいの、ひとりで満タンにできないっすよね、普通は」


「…………まあ……そうだが……」


「で、他の人のやつを合計すると、それの大体4倍らしいっす。ってことは、他の人のを4分の1ずつ満たせばそのタンクを満たすのと同じ量っすよね」


 ジジイ2号は黙って、顔を強張らせた。


 ……あ。そういうことか。


「コイツが得する必要ないじゃん。証明すんのに」


「そういうこと。なので、おれとしてはどっちでもいいっす。どっちにします?」


 よう待てよ。とマーカスが手を上げた。


「他のヤツって選択にするなら、そのPpを誰からも貰えねえってルールを追加だ」


「ま、マーカス!」


「お前は証明したいだけ、なんだろ? じゃあ誰某だれそれに得をさせてやったから分けろ、なんざ無しだぜ。それでいいよなあ、お前ら!」


 ジジイが叫ぶと、村の皆はどよめきながらも同意した。


「ま、選択しなんざあって無いようなもんだが……選びたい方を選びな」


「おれは、どっちでもいいっすよ?」


 ラッセルは、恐る恐る振り返る。


 期待に満ちた目。その成分は信用と確信とちょっとの不安だった。


「………………ほ、他のヤツので良いに、決まってんだろ? なあ? どうせ、嘘なんだしよ……」


 切なく呟くラッセルに、リィラは心で噛み付いた。


 ざまみろバーカ。


「……にひひ」


 思わず笑ってしまったのを、カイが宥める。


「こらこら……」


「ちょっとはやるじゃんって思っただけだけど?」


「あ、そう? そっかぁ、ありがと……へへ」


 照れて笑うカイの横で、リィラはほくそ笑むのだった。

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