包丁で肉を薄く剥がしてみて、こう、手に取って観察してみたんだけどさ、別に気になるような臭みがあるわけでもなかったし、色合いも肉質も、普通にそこら辺で売っている肉と変わらなそうに見えた。むしろ俺が普段スーパーで買う百グラム百円台の安物の肉よりよっぽど美味そうに見えたよ。捌きたてだしな、ははは。遭難して衰弱しきっている人が先に死んだ仲間の肉を食って飢えを凌いだって話もあるくらいだから、生で食えるかはともかく、火を通せばとりあえず腹を壊すこともないだろうと思ってさ・・・・・・俺はそれを食うことに決めたんだ。ミンチにしてトイレに流すより鍋で煮詰めて完全に溶かすより、食っちまったほうがまだ楽そうだし、それにこれだけの肉がありゃ暫くは俺の食費も浮くし、一石二鳥じゃん?ははは。毎週々々飲みに行ってたからちょっと金に困っていてさ、そういう意味でもちょうど良かったんだよね、ははは。

で、そうと決めたら、肉をさっさと骨から剥がさなきゃならない。流石に常温じゃ傷んじまうだろうからね、早く冷蔵庫に仕舞いたいじゃん?俺は包丁を使ってどんどん肉を剥がしていった。肩も胸も腹も背中も尻も、残っていた肉は綺麗に剥ぎ取って、ビニール袋の中に放り込んでいった。肋骨の隙間の肉もすき身みたいにこそぎ落としたよ。ただ下腹部のほうに残っていた消化器官とか生殖器みたいなものは、ちょっと食うか迷って別の袋に入れた。俺、焼肉でも焼き鳥でも臓物系はあんまり好きじゃないんだ、ははは。まあそんな調子で肉をひと通り剥がして、残った骨は鋸で適当に切り分けて、とうとう全部のパーツを解体して冷蔵庫に仕舞い終えた。

後片付けも大変だったよ。風呂場の床や壁に貼ってあったゴミ袋にシャワーをかけてできるだけ血を洗い流してさ、それをひっぺがして綺麗なごみ袋の中に突っ込んだんだけど、そうやってカバーしてても床には血の脂が残ってヌルヌルしてるし、カバーしてなかったシャワーノズルや蛇口にも血がベタベタ付いちゃってるしでさ、大仕事が終わったばっかりなのにすぐ本格的な風呂掃除だよ。でももっと大変だったのは血がべったりと着いた鋸と包丁だった。台所用洗剤で洗ったんだけど、なかなか脂が落ちなくて、随分と時間が掛かった。そうそう、身体を洗うときも台所用洗剤を使ったんだよ、シャンプーやボディソープだけじゃ脂臭さが取りきれなかったからさ。顔周りだけは流石に使わなかったけどね、ははは。

昼前から作業を始めたのに、後片付けが終わったころには午後十一時を回っていた。ずっと気を張ったまま風呂場に籠って作業していたから時間感覚が失われていたけれど、完全に丸一日がかりの作業だったんだよ。前日もろくに眠れていなかったのにそんな重労働をしちゃったものだから、風呂から出てリビングのソファーに座った途端に眠気が押し寄せてきて、そのまま寝ちゃってさ、翌日の昼近くまでずっとそこで眠っていた。日曜日だったからよかったけど、平日だったら完全に寝坊だったよ、ははは。

で、その日曜日だよ、記念すべき一食目の人肉料理は太腿のステーキにした。改めて冷蔵庫の中を見ると結構な量があってさ、これは早めに冷凍庫に移さないと食う前に傷んじゃうなと思ったんだけど、太腿は大き過ぎて邪魔だったから、最初に処理した方がいいと思ってね。まずは皮を剥いで、骨に沿って大雑把に肉を切り落としていったら、立派なもも肉のブロックが幾つもできてさ、ははは、もうそこまでやっちゃうと本当に普通に売られている肉にしか見えないんだよね。で、その日食べる分のステーキ二枚分を厚めにカットして、残りは冷凍庫に入れた。そこからは普通の調理だよ。肉に塩コショウを振って下味を付けたら、熱して油を引いたフライパンの上に乗せて上から蓋をして、弱火でじっくり蒸し焼くだけ。流石にレアで食うのは病気とかが怖かったからさ、ははは、中までしっかり火を通した。で、二十分くらい焼いてそろそろ食ってみようかなと思ったんだけど、付け合せが何もないことに気付いちゃってさ、ははは、肉を一回キッチンペーパーの上に避けてから同じフライパンで刻んだ玉ねぎを炒めた。玉ねぎが飴色になったところで肉を戻して、二、三分一緒に焼いてから適当に皿に盛り付けてさ、太腿のステーキの出来上がりだよ。で、リビングに持っていって、フォークとナイフを用意してさ、「いただきます」ってちゃんと手を合わせてから――俺、そういうお行儀はいいんだよ、ははは――で、それを一口大にカットして切って食ってみたんだけど、これが想像以上に悪くなかったんだよ。焼き方が良かったのかもしれないけれど、思っていたよりは肉が固くなくてさ、臭みも気にならない程度で、むかしジビエ料理の店で食べたパサパサの鹿肉や臭みの強い猪肉に比べたら、遥かにこっちのほうが美味いとさえ思ったよ。ははは。とりあえず俺はそれを食って一安心した。暫くはこの肉を食って生活しなきゃならないのに、不味かったら辛くなっちゃうじゃん、ははは。でも食ってみたらなかなか美味かった。結構な量を焼いたのにペロッと平らげちゃったよ。

食べ終わった後はまたちゃんと空の皿に向かって「ご馳走様でした」って――あ、流石に家では声に出さないよ?そういう気持ちってことね――で、手を合わせたんだけどさ・・・・・・あれ、食材への感謝の気持ちをどうのこうのってよく言うじゃん?手を合わせた瞬間にそれを思い出してさ、なんとも複雑な気持ちになったよな、ははは。いや、別に可哀想になったとかそんなんじゃなくてさ、あの女に感謝するのが気が引けたってだけなんだけどさ。ははは。だってそうだろ、あの女が首絞めセックスなんてねだってこなかったら、俺はこんな大変な思いをしなくて済んだんだからさ・・・・・・でもまあ肉は悪くなかった、美味かった。だからちゃんと「ご馳走様でした」って言ったよ。うん。ははは。

で、食器を片付けてから、冷蔵庫の肉の解体作業の続きを始めた。腕も脚もまだ皮すら剥いでいない、原型そのままの状態だったからさ、流石に誰かに見られちゃ困ると思ってカーテンを閉めて作業したよ。まあ俺の家の中を覗こうとするやつなんていないんだけどさ、気持ち的な問題でね、ははは。でもこうやって自分の手のひらを見てもらえばわかると思うけど、手足の先の部分はパーツが細かくて作業が大変な割りに肉が少ないからさ、やっていて全く割に合わない感じがしたよ、ははは。逆に二の腕やふくらはぎは肉がいっぱい付いていて、それでいていかにも柔らかそうでさ、そういう部位はやり甲斐が出るから、作業も捗った。ははは。人間、やっぱりモチベーションを保つにはニンジンが大事だよ――まあ俺の前にぶら下がっていたのはニンジンじゃなくてニンゲンの肉だったけどな、ははは・・・・・・今のあんまり面白くなかったな、ははは。

作業がひととおり済んだころにはもう夕方でさ、まだ残っている骨と内臓の処理は後回しってことにして冷蔵庫に残したまま、晩メシの準備に取り掛かることにした。晩メシもまたステーキだったんだけど、今度は太腿を少なめにして、代わりに胴体の肉を入れた袋からおっぱいの部分の肉を出してさ、料理の工程にもひと手間加えてみた。まず肉に塩コショウを振ってから三十分寝かせておいて、そのあいだに肉質が柔らかくなるように包丁の背でトントン叩いて、フライパンで焼くときもバターとガーリックペーストを使ったんだ。これが大正解でさ、バターとニンニクを入れたおかげで臭みなんか全くわからない位に良い匂いがするし、肉も柔らかくなっているしで、同じ太腿の肉を使ってるのにちゃんとした美味いステーキが出来上がったんだよ。やっぱりどんな料理も手間を掛けるのが大事だよな。でもおっぱいはもっと美味くてさ、豚トロみたいに脂が乗っていて柔らかくて、口の中でとろけるんだ。あれだったら店で出しても売れるね。あんたにも食わせてやりたかったよ、要らないって?ははは、さっきからずっと顔が強ばってるぜあんた、どうしたの?ははは。

それから毎日そんな調子で肉を消費していった。おっぱいの他にはお尻が美味かったな。あと意外なところではふくらはぎね。もっとスジ張っているかと思ったけど意外と柔らかくてさ。とは言ってもまあ色んな料理を作ったから、単純にどこの部位が良いとか悪いとか比較することもできないんだけどね。でも、全部が美味かった。俺は美味いと思った。

さっきも言ったとおり、料理って食べたときのシチュエーションで味が違ってくるだろ?普通なら一生食う機会のないような食材ってのは、希少価値だけで美味く感じるんだよ。それに加えて、背徳感もスパイスになっていたと思うんだよね。ほら、人間って、やっちゃいけないことほど楽しいじゃん。一応、俺にも人としてやってはいけないことをしてるっていう自覚はあったんだけど、でもそれが却って食欲を掻き立てるというかさ。真面目なあんたにはこの気持ちが一生理解できないかもしれないね。ははは。

ステーキだろ、焼肉だろ、シチューだろ、ビーフじゃないけどビーフシチューに、カツ、ソテー、生姜焼き、すき焼き、後はしゃぶしゃぶか、ぱっと思いつく肉料理はだいたい試したよ。晩メシをちょっと多めに作っておいてさ、翌日の朝はもちろん、弁当箱に入れて職場に持っていって、昼間もそれを食べた。そうそう、カツを作って持っていった日の昼休みに、俺の弁当箱の中身を見た後輩のNちゃんって子に褒められちゃってさ。人懐っこくて見た目も結構可愛いコなんだけどさ、「えー、揚げ物作るんですか?」「すごーい」なんて言われたもんだから、ははは、調子に乗って一口あげちゃったよ。彼女は意外となんにも気にせずそれを口に入れたんだけど、噛み始めてからこう、首を傾げて、「これ牛ですか?豚?」って聞いてきたからさ、ははは。俺は・・・・・・真顔で、「人肉」って・・・・・・本当のことを言ったんだ。でも彼女は勝手にいつもの冗談だと思ってクスッと笑ったから、俺も冗談ってことにして一緒に笑ってさ、「四国の友達から送ってもらった猪の肉だよ」って適当に答えておいた。彼女は美味しいってはっきり言ってたよ、ははは、知らぬが仏ってのはこういうことだよな、ははは。

まあそんな感じで肉を着実に減らしていく合間に、内臓と骨の処理も少しずつやっていった。方法自体は単純でさ、圧力鍋で三、四時間煮込んじゃえば骨まで柔らかくなるから、後はそれをミキサーにかけてドロドロのペースト状にして、他の生ゴミと一緒に普通に捨てたんだ。肉を料理してるうちにこの方法を思いついたんだよ、アイディアマンだよな俺、ははは。でも一度に鍋に入る量が少ないからさ、晩メシを調理する前後には毎日々々圧力鍋で煮込み始めて、寝る前に火を止めて一旦は水で冷ましてからミキサーにかけて・・・・・・毎晩それの繰り返しだよ。面倒だし圧力鍋はシューシューうるさいし部屋の中はクソ暑くなるしで、本当にしんどかった。でも解体した翌々週の土曜日の夕方にはどうにか頭以外の処理を終わらせた。肉も食い尽くした。週末くらい飲みに行きたかったからさ、頑張ったんだよ、ははは。

久々にいつもの店を飲み歩いて、沢山の知り合いに会ったけどさ、誰もあの女の話なんてしてこないんだ。当たり前だよな、会ったことないんだから、ははは。どっかで見られていて誰かに聞かれたらなんて言おうかちゃんと考えてあったんだけど、完全に杞憂だった。行きつけの店を回る合間に、怖いもの見たさっていうのかな、ちょっと気になっちゃって、あの女と出会ったバーにも行ったんだよ。ちょっとドキドキしたけれど、そこでもなにも言われなかった。そもそもバーテンが積極的に話し掛けてくるような店じゃなかったからな。まあそんな店なら顔くらい覚えていてもあの女のことをなにか知っているわけでもないだろうと思ってさ、俺はすっかり安心していつもの店に戻った。その後は久々に気持ちよく飲んだよ。冷凍庫にはまだ頭が残っていたのにすっかり終わった気になって、気持ち的には打ち上げくらいのつもりで飲み歩いていた。そしたらさ、早い時間から酔っ払っちゃってね。いつもなら朝まで飲めるのに日が変わる頃には家に帰ってさ、着替えもせずにまっすぐ寝室に行ってベッドに潜り込んで、そのまま気絶するように眠っちまった。多分、自分で思っていたより疲れてたんだろうな、ははは。


・・・・・・そう、俺は疲れていたんだ。


その夜、二、三時頃かな・・・・・・トイレに行きたくなって目が覚めたらさ、薄暗い視界の隅の枕元に、一際黒い影が見えるんだよ。

何かなって思って、そっちに顔を向けたら・・・・・・あの女の生首が、俺の頭の真横で添い寝してるんだよ。

初めて彼女と出会ったときと同じように、ばっちり視線が合っちゃってさ・・・・・・身体が硬直してピクリとも動かなくなった。瞼を閉じることも息を吸うこともできなくなった。全身が粟立って、嫌な汗が吹き出た。

そしてそんな風に怯える俺を見つめながら、彼女は・・・・・・彼女の生首は、出会った夜の彼女からは想像もできないような底意地の悪い笑みを浮かべて、でもあの夜と同じ声と同じ口調で、俺にこう囁いたんだ。

「ねえ、〝一緒に逝こ〟って言ったでしょ?」

って・・・・・・

そう言って、俺のことを小馬鹿にするようにケラケラと不快な笑い声を上げた。喩えるなら、耳の穴から虫が入り込んでくるような・・・・・・そんな笑い声だった。


・・・・・・その後のことはよく覚えていないんだけどさ、ギャーギャー悲鳴を上げながら家を飛び出して、公園のベンチでガタガタ震えていたところをお巡りさんに声を掛けられたのは、断片的に記憶がある。そのお巡りさんに色々と質問されて、回らない頭で正直に答えていたら、応援だかなんだか知らないけどパトカーが何台も来て、俺んちまで連れていかれて、部屋中をひっくり返しての捜索が始まって・・・・・・で、今に至るってわけ。警察ってさ、思っていたより真面目なんだな。あんたらが俺の話を疑って風呂場や鋸やミキサーをちゃんと調べていなかったら、俺はただの統合失調症患者かヤク中のどちらかだと思われて終わっていただろうに。ああ、でもヤク中は疑われていたよな?小便の検査もさせられたしさ。俺は正露丸くらいしか飲んでないのにな、ははは・・・・・・まあとにかく参ったよ。二週間の苦労が水の泡だ。あの女に嵌められたようなもんだよ。ハメたのは俺の方だけどな、ははは・・・・・・

それにしても、どこに行っちまったんだろうなあ、あの女の頭は・・・・・・留置所や刑務所の中までついてきたら堪らないからさ、ははは、こうやって俺のことを捕まえた以上は、あんたらの手でちゃんと見つけておいてくれよ。じゃないと俺、あの女に殺されちゃうからさ。ははは。

本当に、本当に頼むよ。ははは、ははは――――

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人を食ったような 黒川富矢 @kurokawa_tomiya

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