俺は女が気を失ったんだと思って、呼吸を整えながら「おーい」って呼び掛けながら彼女の肩を揺さぶったり、横っ面をペチペチ引っぱたいてみたりしたんだけど、反応が無い。段々焦ってきて、揺さぶり方も叩き方もちょっとずつ強くしていってさ、それでもやっぱりぴくりとも動かないんだ。重力で横に広がった彼女のおっぱいの中心辺りに耳を当ててみても、聞こえるのは焦りで早まっている自分自身の鼓動ばっかりでさ――いや、俺だって、すぐに救急車を呼ぶつもりだったし、素人なりに心臓マッサージなんかもやるつもりだったよ。本当にそういうつもりはあったんだよ。でももう駄目だったんだ。電気を点けて、照明の下で改めて顔を見るとね、彼女の見開いた目の奥の光が完全に消えているんだよ。昔じいちゃんやばあちゃんが死んだときとまったく同じ目をしていた。ああ、もうこいつ死んでるんだって、もう手遅れなんだって・・・・・・その瞬間にはっきりとわかった。首には俺が締めていた両手の跡が赤くくっきりと残っていた。顔面は鬱血して赤くなっていてさ、だらしなく開いた口元からは血の混じった泡ぶくが零れていた。もうあれ以来トラウマでレッドアイが飲めないよ、元々あんまり飲まないんだけどさ。ははは。

彼女の股間からはちょっとだけど糞小便が垂れてて、“ああもう汚ねえなあ”って思いながら・・・・・・でもそれどころじゃないからさ。彼女から気持ち離れて横に寝転んで、天井を見上げながら、気持ちを落ち着かせるために煙草に火を点けて、どうしたらいいか暫くのあいだ考えてみたんだけれど、そのうちだんだん眠たくなっちまってさ、ははは、いや、もちろん寝てる場合じゃねえよなあとも思ったよ、でもほら、だいぶ酒を飲んでたし、お楽しみの後だったしね、ははは。“目が覚めたら生き返ってないかなあ”とか、“そもそもこれ全部夢ってことはないかなあ”とか、薄れゆく意識の中でそんなことをぼんやり考えていた。

それで、大体三時間くらい寝てたのかな。目が覚めてすぐ隣を見たんだけど、まあ世の中そんなに都合良くはいかないよな。相変わらず彼女は横たわっているし、身体を起こして彼女の顔を覗き込んだらやっぱりどう見ても死んでいる。むしろさっき見たときより、はっきりと、明確に死んでいる。改めて現実を突きつけられてさ、思わず深い溜息が零れたよ・・・・・・俺はまた煙草に火を点けて、寝る前と同じように寝転がって天井を見上げながら考えてみたんだけど、もちろん結果は同じで良い案なんかなんにも思い浮かぶ訳がなかった。寝る前と違ったのは、これは夢なんじゃないかっていう淡い期待が一切持てなくなってしまったことだけだった。

かといって、そのまま死体と仲良く添い寝しているわけにもいかない。このまま放置しておけばそのうち腐って、糞小便垂らした程度じゃ済まない悲惨な状況になるのは目に見えている。先ずはどうしたらいいのか、考える時間を作るために腐敗を遅らせたほうがいいって気が付いてさ、とりあえずエアコンのリモコンを手に取って冷房を最大まで効かせて、キッチンに置いていた扇風機も持ってきてさ、死体に向けて回してみたんだけど、まあ普通に考えてそれだけじゃ足りないじゃない。葬式のときだって、あくまでもドライアイスでしっかり冷やした上で更にエアコン効かせてるじゃん。でも家にドライアイスなんてなかったから、代わりに冷凍庫にあった氷と適当なビニール袋で氷嚢を幾つか作って、それじゃ足りないから冷凍食品も冷蔵庫の酒も全部出して、ベッドに寝ている死体の周りに並べてみた。俺ん家の冷蔵庫って一人暮らしにしちゃそこそこ大きいだろ?元カノと同棲していたころに買ったんだけどさ、あれに冷食と酒ばっかりパンパンに詰めていたから、思ったよりは隙間なく綺麗に並べることができた。缶の酒と冷凍食品で死体を冷やしている光景ってのは、なかなかシュールな絵面だよな、ははは。葬式のとき棺桶に花を敷き詰めるだろ?やっている最中はそんなこと考えもしなかったけど、今こうして思い出してみるとあれにちょっと似てたよ。敷き詰められているのは缶ビールと缶チューハイと冷凍の炒飯や唐揚げだったけどな、ははは。

で、その作業が一段落して一息ついていたら、酒の飲み過ぎとエアコンで冷えたのが重なったせいか、急に腹が痛くなったんで、一回トイレに入って便をすっきり出し切ってさ。完全に水下痢だったよ、ははは。で、トイレから出たら、コンビニで買った酒が袋に入ったまま玄関に置きっ放しになっているのが目に入ったから、それを手に取ってリビングに戻った。これも死体を冷やすのに使えるかなあなんてことも思ったんだけど、時間が経っていたから流石にもうキンキンには冷えてないじゃん。これ以上死体の周りに並べたところで状況は殆ど何も変わらないだろうし、もうこれは飲んじゃおうと思い直してさ、缶チューハイを一本だけ開けて、それを飲みながら残りを冷蔵庫に仕舞おうとしたんだけど・・・・・・そのとき、殆どすっからかんになった冷蔵庫の中を見てふと気付いたんだよ。“あの女の身体の大きさだったら、この中に収まるんじゃねえか?”って。

缶チューハイを飲み終えて、煙草も一本吸ってから、ソースやらなんやら冷蔵庫に残っていた細々とした物をテーブルに移して、中の棚を全部外してみたら、やっぱり小柄な人一人分収まるくらいのスペースはある・・・・・・それで、よし、やろうと決心してさ。寝室に戻って、せっかく綺麗に並べたのになあなんて思いながら彼女の周りに置いた冷凍食品や酒をどかしてさ、ははは、彼女の身体が冷蔵室に収まるよう丸めようとしたんだけど・・・・・・固いんだよ、腕も脚も簡単に曲がらない。死後硬直ってやつが始まっていたんだろうな。

それでもちょっとずつ身体を折り曲げていって、どうにか体育座りみたいな姿勢にしてさ、あと、運ぶとき汚れるのが嫌だからウェットティッシュで糞が垂れてたケツを拭いてやって――兄弟も子供もいないし介護もしたことがないから、他人のケツを拭くなんて初めてだったよ、ははは――背中にはうっすら痣みたいなのが出来ていてさ、それがケツのほうにも広がっていて、白くて綺麗だったのにちょっと勿体ないなあと思ったよ。そんなことを思いながらしっかり綺麗にして、それからお姫様抱っこで抱え上げて冷蔵庫まで運んでいってさ、入れてみたら結構ギリギリではあったけどどうにか入って、ドアもちゃんと閉まったんだ。

死体が視界に入らなくなって、俺はようやく少し気持ちを落ち着けることができてさ、これからどうすべきかを・・・・・・いや、正確には、“どう処理するか”をだな、そのときには既に考え始めていた。もちろん、俺だって最初は警察に出頭することも考えたよ。でもそれは嫌だった。そりゃそうだろ、好き好んで捕まりたいやつなんて年末のホームレスくらいなもんだよ、ははは。それになにより、その日に出会ったばかりの女をうっかり絞め殺しちまったせいで何年も懲役を食らうなんて、なんか凄い損をした気分になるじゃん。正直言ってさ、あの女にもちょっと腹が立ったんだよ。だって彼女が「首を絞めて」なんて言わなかったら・・・・・・軽く絞めている間に満足してくれていたら、俺は人殺しになることもなくただ最高な気分で朝を迎えられたはずだったんだ・・・・・・とはいえ、死んでいる人間に怒っていても仕方が無いからさ、ははは、とにかく捕まらないように秘密裏に処理しようと俺は考えたわけさ。

でも冷静に考えれば考えるほど完全犯罪って難しいんだよね。今ってドラマみたいに名探偵の卓越した推理力が要らない時代じゃない。そこら中に監視カメラがあって、髪の毛や指紋や足跡で犯人が簡単に特定できちゃう科学捜査があって、犯罪者にとってはやりにくい時代なんだよな、実際に俺がそうなってみて初めてわかったんだけどさ、ははは・・・・・・だから彼女が行方不明だってわかれば、犯人なんかすぐに特定されるんだろうなと思った。彼女と出会ったあのバーに監視カメラがあったかどうかは知らないけど、路地には至るところに監視カメラがあるんだろ?ってことは俺と彼女が一緒に店を出たこともわかるし、道端でベロチューしてるところも映っているだろうし、コンビニでこっそりコンドームを買ったところなんか俺の下心丸出しの間抜け面が100パーセント映ってるしさ、ははは。俺と一緒にいた後の消息が掴めないとなりゃ、急に家の中に上がり込んできて直ぐに冷蔵庫のドアを開けられるなことはなくても、俺が容疑者の有力候補になっちまうのは確実だ。家宅捜索で冷蔵庫を開けられたらもうそれでアウトだし、そうでなくても、俺はこのとおり余計なことを喋りがちだからちょっとした事情聴取でもまた言わなくていいことをぽろっと喋っちまうだろうし、ははは。だから、“どう足掻いても俺が捕まるのは時間の問題だよなあ”っていうような、悲観的な考えしか頭に浮かんでこなかった。

俺は考えるのを一旦中断して、気分を入れ替えるためにシャワーを浴びることにした。熱いシャワーを浴びたら気持ち良くてさ、ははは、さっぱりしてから寝室に戻って、部屋着のスウェットに着替えて、ベッドの上に腰掛けて煙草に火を点けてから、死体を冷やすのに使ったあとそのままシーツの上に置きっ放しだった缶ビールを開けて、それを飲み終えたら缶チューハイを飲んで、同じようにシーツの上に置きっ放しだった冷凍食品を冷凍庫に戻して、冷凍炒飯だけは開けて皿に移してレンチンして食って、そのあとシーツを風呂場に持って行って水洗いしてから洗濯機にぶち込んで、それから暫くのあいだぼんやりしていたんだけど、途中で煙草を切らしちゃってさ。買いに行くの面倒臭いなあと思いつつ我慢できないから、家を出てコンビニに買いに行ったんだ・・・・・・家の近くの、彼女と最後に立ち寄ったコンビニに。

外に出るともう日が登り始めていてさ、家の前のごみ捨て場ではカラスが袋を破いて生ごみを漁っていた。これ本当に馬鹿みたいな話なんだけどさ、家を出てからコンビニに着くまでの道中、すれ違う人の視線がずっと気になっていた。みんなが俺を見ているような気がした。コンビニの自動ドアをくぐるときもなんか緊張しちゃってさ・・・・・・店員にいきなり「あの女の人、どうしたんですか?」なんて聞かれたらどうしようって・・・・・・いや、そんなことは有り得ないってわかっていても不安だったんだよ、ははは。

でも、レジで煙草を1カートン注文して、そのコンビニにいつもいる外国人の店員がいつも通り応対をしている様を眺めていたら、“そうだよな、そんなこと有り得ないよな”って、段々と冷静さを取り戻してきた。コンビニを出てすぐに煙草に火を点けて家に帰る途中、何人もの人間とすれ違ったけれど、誰も俺のことなんて見ちゃいない。気にしちゃいないんだ・・・・・・そりゃそうだよ、わかりゃしないんだ。たとえあの女と歩いているところを知り合いに見られていて、それについて訊かれたとしても、俺が「昨夜ナンパしたんだ、いやー、すげー良かったよ」って言えば、相手はニヤニヤしながら「ああそうだったんだ」って言って終わり・・・・・あの街じゃあ、名前も知らない女と寝ることだってそんなに珍しい話じゃない。あの女が死んじまってから色んな想像を巡らせて思い悩んでいたけれど、悩む必要なんかない。冷凍庫の中の死体の後始末さえきちんと出来れば、普段通りの日常を続けられる――“大したことじゃない”――そんな風にさ、なんか、吹っ切れちゃったんだよね。

家に帰ったら洗濯が終わっていたから、とりあえずシーツをベランダに干して、今度は他の洗濯物を回して、その間に部屋の掃除を始めた。女が着ていた服や鞄や靴はビニール袋に入れて、後日燃えるゴミとして捨てた。売れそうな物もあったからただ捨てるのは勿体無いかなとも思ったけど、そこから足がついたら嫌だからな、ははは。

まあそんなふうに家の中を片付けてみるとさ、もう女の痕跡なんて無いわけじゃない。部屋のカーテンも気兼ねなく全部開けられる。冷蔵庫のドアさえ開けなければいつもの部屋なんだ。でもそのドアの中には女の死体が入っている。冷凍庫なら何ヶ月か入れておいても大丈夫だけど冷蔵庫だからな、早くなんとかしないといけない。俺はようやくそこで死体の処理について具体的に考え始めた。

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