第30話 失意の勇者

 人族最強の勇者——ギルバートは馬車に揺られていた。

 馬車には多数の防御魔法と認識阻害が施されており、メリモント魔法王国が派遣した熟練の魔法士たちによる護衛が付いている。


 ギルバートはアムネ・セネスライト……いや、竜王との戦闘中に大量の竜気を常時纏い、さらには【聖光せいこう】と【竜壊りゅうかい】を並行使用していた。


 その代償は大きく、魔法で送られてきた文言によると、ギルバートと魔法行使能力を共有している【鎖人くさりびと】に無視できない極度の負荷がかかってしまったらしい。

 今はあるじであるゼブラルの判断のもと、早期回復を優先して【鎖人】との接続が著しく制限されている状態だ。


 そのため、現在のギルバートは殆ど人工竜気を練ることができない。

 よって、至急の帰還が望まれている状況にもかかわらず、馬車でメリモント魔法王国に向かっているわけだ。





「はぁぁぁぁ……」


 ギルバートは馬車の奥に座りながら、肺の中の空気を絞り出すようにため息をついた。


 竜王との戦闘で体に負った火傷や裂傷は魔法士に治癒魔法をかけてもらうことで完治した。


 しかし、激闘の記憶が頭の中で強制的に何度も再生されることで、それに呼応するように治ったはずの痛みが未だに幻覚として再燃し続けている。

 

 ——そんな中、ギルバートはおのれを信じられずにいた。

 過去は何処どこまでも曖昧で、無意識に都合よく塗り替えているのではないかと疑ってしまう。


「俺は、竜王を殺すための最善手を打ち続けたはずだ……はずなんだ」


 ギルバートは自らに刷り込むように呟いた。

 

 初手から【聖光せいこう】を発動しなかったのは、不意打ちで首を切断できるという最良の可能性を捨てるのは悪手だと考えたからだ。


 【竜壊りゅうかい】を放たなかったのは、不防備とはいえ無傷の竜王では炸裂前に探知され、容易に回避されると想像できたからだ。


 竜王により放出された爆炎がギルバートを包み込んだ直後、攻撃手段に蹴りを選択したのは看過できない不安要素があったからだ。

 竜気を無効化する竜滅剣りゅうめつけんは竜王の左腕を切断したことで逸らされ、魔力を封殺する聖剣せいけんで殺害すれば、又もや竜王が別の人物に宿る可能性がある。

 御伽噺おとぎばなしのような奇術の発動条件が曖昧な今の状況では、竜王を上空まで蹴り上げて時間を稼ぎ、【竜壊りゅうかい】によって消滅させるべきだと判断した。

 

 ——大丈夫だ。全てに理由がある。何故その行動を選択したのか事細かに説明できる。


 だが、それでも、魔族の少女の姿を纏う竜王に対して躊躇してしまったのではないかという疑念が精神をむしばむ。


 自身を構成している確固たる何かがぐちゃぐちゃにかき乱されていく。

 【鎖人くさりびと】に多大な負担をかけながらも成果を上げられなかったことへの自責の念が、楔となって体に打ち付けられていく。


「でも、仕方がないじゃないか……」


 そうだ。

 仕留めきれなかったのは、仕方のないことのはずなのだ。


 誰があのような空間転移を使えることを前提に戦略を練るものか。

 あれ一つで、緻密に積み上げた作戦は完全に崩壊したのだ。


 人族が可能なのは精々、入念な下準備のもと複雑怪奇な魔法陣で無理矢理空間を捻じ曲げ、事前に設定されていた近場へと転移する程度。

 それを竜王は、召喚した藍色の槍を振るうだけで空間を裂き、闇の中へと消えていった。


 まさに規格外。

 想像し得ぬ化け物。

 人族では到底到達できぬ極地。


 更には、最後に竜王がギルバートへ投げかけたあの呪詛だ。




 ——勇者、次こそ我が貴様を討つ——



 

 慈しむべき少女の姿、そして子供特有のよく響く甲高い声で紡がれたのは、それらの特徴からは全くもって連想できない単語の羅列。


 ただ、ひたすらに気色悪い。

 言語化できない歪みがそこにはある。


 ——今だけは、自らに施された五重の精神干渉系魔法をありがたく思う。

 ひび割れていくギルバートの精神を自動的に修復してくれるおかげで多少はマシになる。


 胎児の頃から精密に調整されたギルバートだからこそ、決して逃げられぬこの地獄に耐えられているのだ。


 全ての人族を背負う責任と重圧を受け止め、数多の迷いと後悔を乗り越え、自らの天命を貫き通し、ギルバートは戦わなければならない。

 

 全ては、人族の平和のため。


 他種族に依存する仮初の平和ではなく、支配者として掴み取る恒久的な平和を実現することこそ、最弱の種族として搾取され続けてきた人族の悲願だ。

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